第10章 日本の原風景に触れて
23日(月)は旅の最終日となり、JALライナーのバスで、
阿寒湖のホテルを出て、釧路湿原の北斗展望台で湿原を一望し、
その後に温根内周辺の湿原の木道を2時間前後散策する。
この時、NPO法人の『釧路湿原やちの会』のガイドさんに案内、解説をして下さる。
その後、釧路の駅前で昼食とし、釧路空港となる周遊コースである。
温根内は環境省の管理下で良く整備されている所だった。
バスを下車すると、我々の20名のグループは、
ガイドさんの指示でふた手に別れた。
私達のグループは、40代後半の女性のガイドさんの案内で、
樹林の中ゆるい下り道を歩くと、湿原の中に木道が観えた。
あたり一帯は葦(よし)の枯れた中、木道を歩いていたら、
微風が吹くと、葦の穂はいっせいに首を傾げたようになり、風は通り過ぎていった・・。
『風情ある情景だね・・』
と私は家内に軽口をたたいた。
家内は笑い、ガイドさんも微笑んでいた・・。
ガイドさんは、葦の穂を指して、
昔は葦(アシ)と呼ばれていた頃もあったが、
あしきこと・・悪き事・・なので、
葦(ヨシ)・・好し・・の方となった。
こうした解説は、私にとっては心の最良の薬となり、
ガイドさんの発露するセンスの好さの言葉に魅了された。
葦の一帯の下草が枯れて、朱色、黄色、薄緑色に染められて、
草紅葉となったいた。
そして、この葦の一帯に、落葉を終えた榛の木(ハンノキ)が所々に観られた。
その昔、本州に於いても開墾前はこのような状況で、
たまたま温暖な本州の一部で開墾がすすめられ、水田になったり、
やがて田畑になったりした。
この釧路あたりは余りの寒さで長い歳月放置された結果、
こうした残った・・・。
とガイドさんは教示してくれた。
こうした解説を聴くと、私は目をこらし、日本の原風景を観た・・。
長い歳月・・縄文の頃かしら・・或いは・・と
日本のたどってきた風土に思いを馳せた・・。
私は釧路湿原のこうした原風景に魅了された。
帰路、ゆるい昇り坂の脇に、
朱色の実を数多くつけた野生の果樹が柔らかな陽射しのあびて、
ひっそりとしていた。
『何気なく・・ありますが・・情感を秘めた樹ですね・・』
と私はガイドさんに言った。
『マユミ・・という樹です・・』
とガイドさんは微笑んで言った。
第11章 されど、『勝手丼』
名残りおしい釧路湿原を後にして、バスは釧路市に向かった。
ゆるやかな下り坂から釧路市内の街並みが観え、その彼方に光る海が見えた・・。
旅行前に家内と昼食を『和商市場』で、と決めていた。
幸い和商市場の駐車場にバスは止まり、1時間半の時間があったので、
『勝手丼』をこの店内で頂こう、と家内と話し合った。
この和商市場は、海鮮品を中核に販売する店舗が
30店前後が集約されている処である。
勝手丼とは、総菜屋さんから発砲の丼(どんぶり)でご飯を買い求める。
ご飯の量も小盛から大盛と選択できる。
その上で、鮮魚店、塩干屋、魚卵店の立ち並ぶ専門店から、
イクラ、ウニ、鮭、タラコ、ホッキ貝、ホタテ、ボタンエビ、蟹むき、
甘エビ、秋刀魚の刺身、マグロ等が100g前後の単位、切り身で売られている。
ご飯の量は自在に決め、好きな具を勝手に選択でき、
最後にお醤油と山葵(わさび)等を頂く。
素材も新鮮で価格も安く、少量で買い求められるので良心的である。
私達3人は、それぞれの好みの品をご飯の上にのせて、
中心地にある簡素なテーブルと椅子で頂いた。
何より驚いたのは、別の店でビールを見かけたので、
『おねえさん・・ビールだけ・・いい・・』
と私は言った。
ビールのグラスジョキーに淹れて下さり、
『旦那さん・・後でグラスを返してくれれば・・』
と私に言った。
私は簡素なテーブルで、
追加で買い求めたタラコとイカでビールを呑んだりした・・。
この店内は、各お店が協力し、一蓮托生の感があり、好感したので、
ビールを追加しに私は歩いた。
家内達は買い物に行ったので、私は街中の和菓子屋に出かけた。
『柳月』という名であったが、名菓子をひとつずつ選択できるので、
初めての品の和菓子を味わうのに最適である。
家内達が空港内の待ち時間に食べて戴く為に、
わずか四つであったが購入した。
家内達がお互いに分かち合い、
その地域の和菓子を味合うのも日本の文化のひとつと思っているからである。
最終章 旅の終りは、雨
北海道の観光めぐりを終えて、晴れ間の釧路空港を定時に離陸した。
私達の乗った航空機は、雲海を下に見下ろして平行飛行となったので、
私はノートをひろげ、ポールペンで旅の思い出を綴ったりしていた。
羽田空港に近づくと、雨の中の東京湾に面した街並みが見えた・・。
カフェ・テラスで家内と家内の母は、コーヒー、私はビールを呑み、
家内の母の初めての飛行機搭乗、そして初めての北海道観光を祝った。
76歳の家内の母から、初めての北の大地の思い出を聴いたりすると、
私達夫婦はある面感慨深げになったりした・・。
歳を重ね、その人の思いに加味されると
旅先の感想も色々と考えさせられる事もあったりした。
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23日(月)は旅の最終日となり、JALライナーのバスで、
阿寒湖のホテルを出て、釧路湿原の北斗展望台で湿原を一望し、
その後に温根内周辺の湿原の木道を2時間前後散策する。
この時、NPO法人の『釧路湿原やちの会』のガイドさんに案内、解説をして下さる。
その後、釧路の駅前で昼食とし、釧路空港となる周遊コースである。
温根内は環境省の管理下で良く整備されている所だった。
バスを下車すると、我々の20名のグループは、
ガイドさんの指示でふた手に別れた。
私達のグループは、40代後半の女性のガイドさんの案内で、
樹林の中ゆるい下り道を歩くと、湿原の中に木道が観えた。
あたり一帯は葦(よし)の枯れた中、木道を歩いていたら、
微風が吹くと、葦の穂はいっせいに首を傾げたようになり、風は通り過ぎていった・・。
『風情ある情景だね・・』
と私は家内に軽口をたたいた。
家内は笑い、ガイドさんも微笑んでいた・・。
ガイドさんは、葦の穂を指して、
昔は葦(アシ)と呼ばれていた頃もあったが、
あしきこと・・悪き事・・なので、
葦(ヨシ)・・好し・・の方となった。
こうした解説は、私にとっては心の最良の薬となり、
ガイドさんの発露するセンスの好さの言葉に魅了された。
葦の一帯の下草が枯れて、朱色、黄色、薄緑色に染められて、
草紅葉となったいた。
そして、この葦の一帯に、落葉を終えた榛の木(ハンノキ)が所々に観られた。
その昔、本州に於いても開墾前はこのような状況で、
たまたま温暖な本州の一部で開墾がすすめられ、水田になったり、
やがて田畑になったりした。
この釧路あたりは余りの寒さで長い歳月放置された結果、
こうした残った・・・。
とガイドさんは教示してくれた。
こうした解説を聴くと、私は目をこらし、日本の原風景を観た・・。
長い歳月・・縄文の頃かしら・・或いは・・と
日本のたどってきた風土に思いを馳せた・・。
私は釧路湿原のこうした原風景に魅了された。
帰路、ゆるい昇り坂の脇に、
朱色の実を数多くつけた野生の果樹が柔らかな陽射しのあびて、
ひっそりとしていた。
『何気なく・・ありますが・・情感を秘めた樹ですね・・』
と私はガイドさんに言った。
『マユミ・・という樹です・・』
とガイドさんは微笑んで言った。
第11章 されど、『勝手丼』
名残りおしい釧路湿原を後にして、バスは釧路市に向かった。
ゆるやかな下り坂から釧路市内の街並みが観え、その彼方に光る海が見えた・・。
旅行前に家内と昼食を『和商市場』で、と決めていた。
幸い和商市場の駐車場にバスは止まり、1時間半の時間があったので、
『勝手丼』をこの店内で頂こう、と家内と話し合った。
この和商市場は、海鮮品を中核に販売する店舗が
30店前後が集約されている処である。
勝手丼とは、総菜屋さんから発砲の丼(どんぶり)でご飯を買い求める。
ご飯の量も小盛から大盛と選択できる。
その上で、鮮魚店、塩干屋、魚卵店の立ち並ぶ専門店から、
イクラ、ウニ、鮭、タラコ、ホッキ貝、ホタテ、ボタンエビ、蟹むき、
甘エビ、秋刀魚の刺身、マグロ等が100g前後の単位、切り身で売られている。
ご飯の量は自在に決め、好きな具を勝手に選択でき、
最後にお醤油と山葵(わさび)等を頂く。
素材も新鮮で価格も安く、少量で買い求められるので良心的である。
私達3人は、それぞれの好みの品をご飯の上にのせて、
中心地にある簡素なテーブルと椅子で頂いた。
何より驚いたのは、別の店でビールを見かけたので、
『おねえさん・・ビールだけ・・いい・・』
と私は言った。
ビールのグラスジョキーに淹れて下さり、
『旦那さん・・後でグラスを返してくれれば・・』
と私に言った。
私は簡素なテーブルで、
追加で買い求めたタラコとイカでビールを呑んだりした・・。
この店内は、各お店が協力し、一蓮托生の感があり、好感したので、
ビールを追加しに私は歩いた。
家内達は買い物に行ったので、私は街中の和菓子屋に出かけた。
『柳月』という名であったが、名菓子をひとつずつ選択できるので、
初めての品の和菓子を味わうのに最適である。
家内達が空港内の待ち時間に食べて戴く為に、
わずか四つであったが購入した。
家内達がお互いに分かち合い、
その地域の和菓子を味合うのも日本の文化のひとつと思っているからである。
最終章 旅の終りは、雨
北海道の観光めぐりを終えて、晴れ間の釧路空港を定時に離陸した。
私達の乗った航空機は、雲海を下に見下ろして平行飛行となったので、
私はノートをひろげ、ポールペンで旅の思い出を綴ったりしていた。
羽田空港に近づくと、雨の中の東京湾に面した街並みが見えた・・。
カフェ・テラスで家内と家内の母は、コーヒー、私はビールを呑み、
家内の母の初めての飛行機搭乗、そして初めての北海道観光を祝った。
76歳の家内の母から、初めての北の大地の思い出を聴いたりすると、
私達夫婦はある面感慨深げになったりした・・。
歳を重ね、その人の思いに加味されると
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