夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

深大寺の初詣、昨日のひとときは余りにも人出が多く、地元の高齢者の私は退散し・・。

2013-01-03 12:31:06 | 定年後の思い
私は東京の調布市に住む年金生活の高齢者4年生の68歳の身であるが、
年末年始もゆったりと過ごしてきたので、昨日の2日は運動不足を感じてきたので、
独りで我が家から50分ばかり歩いた都立『神代植物園』を訪ねよう、と思いたった・・。

そして私は2時間ばかり雑木林の冬木立の情景、そして花木の梅(ウメ)、蝋梅(ロウバイ)、藪椿(ヤブツバキ)など
早春の香(かお)りを求めて、新年の2日のひとときを散策した。

この後、『神代植物園』の深大寺出入り口から辞した後、隣接されている深大寺に立ち寄り、
初詣でもしょうかしら、と参道の下り路を歩いたが、
初詣の参拝を終えられた方たちが溢(あふ)れるように多く、
私は戸惑いながらいつものように『深大寺』の乾門から入ったが、
元三大師堂や釈迦堂の付近は数多くの参拝される方たちで、人出がにぎわっていた・・。

そして境内に見渡すと、参拝者が4列に並び本堂から山門まで続いて折、
もとよりその周辺もにぎわっていた。
             
             
             

私は地元の神代中学生に通学していた頃から、この『深大寺』の初詣、節分の日、だるま市の日には数回訪れてきて、
余りの人出の多さに驚き、やがて苦手となり、40代を過ぎた頃から平日の人出の少ない時を
四季折々に訪ねてきた。

境内から山門、その先の食事処、土産売り場の参道まで、参拝される方たちの4列が並び、
数多くの警察官の方たちが安全に参拝できるようにを警備に当っていたし、
私は地元民である上、平日でも訪れることのできる高齢者の身であったので、今回の初詣は取りやめた・・。


こうした根底には、もとより年金を含めた社会保障制度の医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取り、
明確には、現役世代がその時の高齢者を支えてくれている厳然とした事実からである。

せめて無力な私は、定年後からは散髪屋(理髪店)の行くのは、
何かと現役世代の多忙な方は、土、日曜日に利用されると思い、平日を活用してきている。
或いは大型連休は、現役世代の家族が最優先と思い、邪魔にならないように
行楽地などは避けて来たりしてきた。

こうした心情のある私は、初詣は取りやめたが、
何か記念品と思いながら、境内の片隅みに『破魔矢』とか『おみくじ』の売り場を見たが好奇心もなく、
たったひとつ『土鈴』売り場が見えたので、私は近づいた。

そしてで白衣に緋袴で巫女(みこ)装束で奉職されている乙女が、
黒髪で清楚なしぐさで真摯な表情で売り場担当をされていたので、
高校生の突出した美少女だ、と高齢者の私でも確信を深めながら、土鈴の数々を見たりした。

私は本年の干支の可愛らしい形の巳は何かと苦手であるので、
七福神土鈴の中で『大黒天(豊作・財福の神)』を選定して、たった500円で買い求めた。

そして帰宅後、我が家の居間の片隅みにある、CDケースの上に安置した。
           

この表面は竹できている文鎮(ぶんちん)の後方にあるのは、曹洞宗を学ばれた書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』であり、
私が毎朝向って、氏の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。

私はこの相田みつを氏の遺(のこ)された名言を、人生の生きた哲学のように学び、
私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、 人生の戒(いまし)めとして、日々教示されている。

この横に今回の土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』を安置させ、
何かと気弱で小心者の私を守って下さい、と念願したりしている。

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コメント (4)
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