夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この冬の時節の昨年は、札幌に滞在して付近の名所を周遊【2012.1.28.~2.3.】 《5》

2013-01-22 15:34:27 | 旅のあれこれ
         第5章  冬晴れの中の支笏湖の『氷濤(ひょうとう)まつり』と湖畔からの美麗は

31日も冬晴れに恵まれ、私たち夫婦は北海道中央バスの定期観光周遊プランのひとつで、
『秘湯丸駒温泉と支笏湖氷濤まつり』と命名されたコースに、私たちは参加した。

午前に『支笏湖氷濤まつり』を観た後、
湖畔に建つ『丸駒温泉』で入浴した後、昼食をするプランであり、
一昨日の29日の夕暮れから夜に『支笏湖氷濤まつり』と花火大会を私たちは鑑賞したが、
午前のひとときに『氷濤まつり』の情景も観たいし、湖畔の露天風呂から支笏湖を観てみたい、
このような思いで、私たち夫婦は観光ツアーに参列したのである。

札幌南口の駅前バスターミナルを観光バスは午前の9時半過ぎに出発したが、
私たち乗客はたった7名の一行となり、私は何かしら申し訳ない心情であった。、
そして冬晴れの燦々とした陽射しの中、支笏湖の駐車場に10時半過ぎに到着した。

『氷濤まつり』の会場に向った時、
湖畔から蒼い湖面の遠方に恵庭岳(1320m)の雄大な情景が観え、
        
付近の山なみも観えて、私は長らく見惚(みと)れていた。
        
      そして私はデジカメで盛んに撮ったりした。
               

この後、『氷濤まつり』の会場は、平日の午前中の為か、
私たちのような観光客は少なく、ゆっくりと氷像などを鑑賞したりした。
          
休憩所の近くに、道産子馬が二頭あり、その付近の小柄な馬のポニーが繋がれていた・・。
そして何かしら会場一周の乗馬料が明記されいたので、
私は会場の別場所で鑑賞している家内に声をかけたりした。

私は動物は苦手であるが、家内は動物大好きなひとりであるので、
記念に乗馬してみたら、と誘ったのである。

まばゆい陽射しを受けながら、積雪の上、馬の係員に導かれながら、
家内は乗馬したので、私はデジカメで10枚ぐらい撮ったりした。
          
この後、私はポニーの近くに、有料のニンジンを見つけ、
下馬した家内に伝えた。
そして家内は、ポニーに微笑みながらニンジンを幾度も与えたりした。

旅先でこうした動物を見かけると、家内は飽きずに餌を与える習性があるので、
私は微苦笑しながら見たり、デジカメで撮ったりした。
          
そして日本酒でたとえるならば、吟醸酒の4合瓶の料金を超え、
次の観光地に移動する時間も迫っていたので、私は家内にドクター・ストップを宣言したりした。


この後、私たち一行は観光バスの車窓から、湖畔から蒼い湖面、遠方に山なみの美麗を観ながら、
20分ぐらいして、湖畔に建つ『丸駒温泉』に12時半少し前に到着した。

http://www.marukoma.co.jp/
☆【丸駒温泉 公式ホームページ】☆

私たち一行は、出発の3時までの2時間半、20畳ぐらいの和室を控え室として指定されたが、
私は早速、大浴場で身体を温めた後、露天風呂に入浴しながら、
湖畔を観たり、蒼い湖面、そして遠方に聳える風不死岳(1103m)を中核とした山なみを眺めたりした。

その後、レストランの中央のテーブルで、
ビールを呑みながら、単品の三品を食べ、露天風呂から観た情景も良いが、
やはりレストランからの方が展望に良い、と微笑んだりしていた。

そして家内の風呂上りを待っている間、ビール瓶を3本も呑みほし、
齢ばかり重ねた呑兵衛の私は・・と微苦笑したりした。

この後、家内と談笑しながらビールを呑みながら、
今回の観光ツアーを3回ばかり利用したが、予測した以上に良かったねぇ、と互いに微笑んだりした。

                              《つづく》

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この冬の時節の昨年は、札幌に滞在して付近の名所を周遊【2012.1.28.~2.3.】 《4》

2013-01-22 08:20:12 | 旅のあれこれ
         第4章  大倉山、藻岩〈もえい〉山の展望台から市内の街並みを一望すれば

30日の午前中は冬晴れのまばゆい中、初めて訪れる北海道大学の構内を散策した後、
午後は大倉山、藻岩〈もえい〉山の展望台から市内の街並みを一望できるだろう、
と私たち夫婦は、北海道中央バスの定期観光周遊プランのひとつで、
『大倉山&藻岩山 サッポロ☆トリップ』と称されたコースに、私たちは参加した。

札幌南口の駅前バスターミナルを観光バスは午後2時半少し前に出発し、そして街中を通り過ぎ、
郊外の『大倉山ジャンプ競技場』の駐車場にわずか20分前後で到着した。

この『大倉山ジャンプ競技場』は、私たち夫婦は1981〈昭和56〉年の夏、
初めて道南地域の旅行をした時、札幌に無知な私たちはハイヤー観光で周遊した時、
この『大倉山ジャンプ競技場』にも立ち寄ってくれたが、
確か草の生い茂る周囲に、ジャンプ台が観えただけであった。

駐車場、スポーツミュージアムなどが新設され、
ジャンプ台の頂上まで、二人乗りのリフトがあり、私たちは驚きながらリフトに乗った。
          
こうしてリストに乗りながら、私は突然に心の中でひとつの歌が思い馳せたりした・・。

♪虹の地平を 歩み出て
 影たちが近づく 手をとりあって
  ・・
【『虹と雪のバラード』 作詞・河邨文一郎、作曲・村井邦彦、唄・トワ・エ・モワ 】

私は苦手なトワ・エ・モアの札幌冬季オリンピックの歌なのであるが、
スポーツに興味のない私さえ、脳裏に残っていた。

もとよりアジアと日本で初めて開催された1964年(昭和39)年の秋の『東京オンンピック』に続き、
冬季オリンピックを『札幌』で開催させようという機運が高まったりした後、
政官財はもとより、多くの日本人が純粋に熱狂し開催できた最後のスポーツ祭典と思ったりしたのである。

その後のスポーツ祭典は、政官財と開催される自治体の思惑が感じられ、
一部の日本人は醒めた祭典となった、と私は強く思ったりしたのである。
          

そして山頂の展望台からは、広大な市内の街並みが一望でき、しばらく見惚(みと)れたりした。

その後、観光バスは『藻岩山』に向かい、急速な坂道を登りきると、駐車場があり、
私たち一行はロープウェイに乗車し、雑木林、街並みを観ながら上昇した。
そして中腹に着くと、ミニケーブルが観え、その近くに小型バスにキャタピラを付けた雪上車があり、
『モーりす』と大きくか書かれていた。
          
この可愛らしい『モーりす』号に乗車したが、
私たち夫婦は東北の蔵王で遠刈田方面から蔵王の樹氷めぐりをした時に、
本格的な雪上車の乗車し、山頂をめざした体験があったので、微苦笑を重ねたりした。

そして展望台から山なみ、市内の街並みが一望でき、圧倒的に私は魅了された・・。
        

10分ぐらい東西南北の情景を観たりした後、早くも夕闇がせまり、往路はミニケーブルに乗車し、
そしてロープウェイに乗車し、下方の市内の街並みの灯りが一望できた・・。

ぼんやりと私は、こうした情景を観ていると、過ぎし日に市内の街並みの灯りを一望したことが思いだされた・・。

2002(平成14)年の年末、私達夫婦は『ゆく年くる年 日本のてっぺんでお正月3日間』
と称された団体観光周遊ツアーに参加した。
私の定年退職したのは2004(平成16)年の秋であったので、現役は残すところ1年10が月前であった。

この旅の終わりの寸前、札幌の郊外の根雪となった羊が丘で散策している時、
札幌の市内の灯りが満天の星のように観える中、
お正月の旅行も終ったね、と私は家内と笑いあったりしていた。

この後、私はまもなく中島みゆきさんの『根雪』の歌が心の中で流れたのである・・。

私は1970(昭和45)の春、ある大手の民間会社に中途入社し、
まもなく新設されたあるレコード会社に転籍させられた。
その後、レコード業界は、業界全体の売上げピークは1998(平成10)年で、
デパート業界と同様にかげりが見え、
この前後に各社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
早期退職優遇制度により退職が行われた。

先輩、同僚、後輩の一部の人が、第二の人生を選択し、早期退職優遇制度に申請を出され、
私も出向となり、取引会社のひとつの物流会社に勤めた。

私が定年を迎える頃まで、いくたびかリストラが実施され、
長年苦楽を共にした先輩、同僚、後輩たちと別れを告げたりした。
そして、出向先の物流会社も何度かリストラで、お世話になった方たちの送別会に出たりした。

私は出向先で、人員削減の荒波から退避したような立場となり、
心身とも辛い日々を過ごしていたのである。

こうしたことが札幌の街並みを眺め、思いだされてきたのである。

♪町は 毎日 冬
 どんな服でかくしてみせても
 後ろ姿 こごえてる
 ひとり歩きは みんな 寒い
    (略)
 いつか時が経てば
 忘れられる あんたなんか

【『根雪』 作詞・作曲・中島みゆき、編曲・福井 峻、唄・中島みゆき 】

私はやむえず業界から立ち去った先輩、同僚、後輩の一部の人たちが浮かび、
愛惜感でいっぱいだったのである。

このようなことを思い重ねたりしていた・・。

あれから10年は過ぎ、あの頃は現役サラリーマンで定年退職時まで残すところ1年10が月前であり、
出向先で5年半を勤務していた私は、出向先の物流会社、そして出向元の私が30年近く勤めた会社も、
リストラ烈風で、私自身は出向身分であったので、人員削減の荒波から退避したような立場となり、
心身とも辛い日々を過ごしていた・・。

あれから何とか定年退職を迎えた私は、私は第二の就職を避けて、
年金生活に入り、早くも年金8年生となっている。

過ぎ去ってしまえば、時が解決する、という名言があるが、
そうですよねぇ、と私は微苦笑させられたのである。


観光バスで札幌駅が観えた時、隣席にいる家内が、
『この観光ツアー良かったわ・・
昼下がりに大倉山の展望台からは、冬晴れの中、広大な市内の街並みが一望できたし・・
藻岩山の展望台の帰りにロープウェイからは・・下方の市内の街並みの灯りが一望できたし・・
良かったわ・・』
と家内は微笑みながら私に言った。

『そうだよねぇ』
と私は微苦笑しながら、家内に応えた。

                              《つづく》
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