私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者4年生の68歳の身であるが、
午前中のひととき駅前に出て、家内からの依頼された買い物を終えた後、
本屋に入り、村上 龍(むらかみ・りゅう)・著作の『55歳からのハローライフ』(幻冬社)の単行本を購入した。
私は何かと読書好きであるが、定年後からの書籍の作家の傾向は、塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、
三浦朱門、阿川弘之、高峰秀子、中西輝政の各氏の作品を中核に、単行本、新書本、文庫本を購読したりしている。
たまたま今回、村上 龍(むらかみ・りゅう)氏の『55歳からのハローライフ』の作品を買い求めたりは、
私が1970(昭和45)年4月以来から、総合月刊雑誌の『文藝春秋』を購読しているが、
最新号の2月特大号に於いて、氏の『老後への覚悟を持て』と題されて寄稿文を私は精読し、
高齢者の私でも氏の憂(うれ)いが痛切で正鵠である、と感じたのである・・。
《・・55歳のときに、自分と同年代の中高年向けの職業ガイドを作る計画が持ち上がったんです。
(略)
けれども人間は55歳ともなると、それまでやってきたことを生かすしかない。
さらに今の中高年の間には明らかな経済的格差があり、
階層ごとに必要とされる情報が全く異なるので、
世代全般を対象とした職業ガイドを作ることは無理だとわかりました。
その格差とはどういうものかというと・・
ビジネスの現場ではよく「2対6対2」の法則と言われています。
組織の中には常に2割の上位層、6割が中位層、2割の下位層が存在し、
企業の場合なら優秀な上位が多くの利潤を生みだし、6割がそれを支えルーティンワークなどをこなし、
2割の「お荷物」が必ず存在するという法則です。
この比率が中高年の経済状況にもあてはまる。
悠々自適の老後が送れるのは2割の人々で、
お金を心配しながら老後を送らなければいけない中間層が6割を占める。
ボトムの困窮層も2割で、この人たちは明日の生活にも困るような人々です。
(略)
「文藝春秋」も含めて、最近のメディアは「老後の人生設計」とか「老後の資金運用」的な特集で、
海外への旅行や移住、投資のすすめ、現役時代に出来なかった生きがい探しなどを並び立てる。
でも、そんなことを考える余裕のある人たちはわずか2割だけの、
老後の資金に不安のない悠々自適層だけです。
膨大な6割の中間層は、老後への切実な不安を抱えている。
その不安の原因はもちろんお金に直結しています。
年金額が低いうえに、満額もらおうとすれば65歳まで支給されない。
近い将来、支給開始は70歳にひきあげられるかもしれない。
蓄えは潤沢とはいえないから、働かなければならない。しかし、職はない。
インカムがない限り、長生きすればするほど困ることになる。
この年になって初めて、これまでの人生で経験したことのない切実な不安に直面している。
(略)・・》
注)引用元『文藝春秋』2月特大号の216、217ページ
村上 龍(むらかみ・りゅう)氏の『老後への覚悟を持て』
引用させて頂いた原文にあえて改行を多くした。
このように氏の長らく執拗に引用してきた私の理由のひとつとして、
私は東京郊外の農家で1944(昭和19)年に生を受け、
小学4年生の頃から映画好きな映画少年、高校生に突然に読書の底知れぬ魔力に取りつかれた。
やがて私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に大学を中退し、
アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、あえなく敗退して、
やむなくサラリーマンに転進する為に、コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
何とか大手の民間会社に中途入社出来たのは、1970(昭和45)年の春であった。
音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
この新しいレコード専門会社に情報畑、管理畑、営業畑など35年近く勤め、
定年退職を迎えたのは2004(平成16)年の秋であった。
このようにサラリーマンの生活をしてきたが、もとより一流大学を卒業され後、
大企業、中央官庁などに38年勤め邁進し栄達された世にいわれているエリートとは、
遥かに遠い平凡な道を歩いたりしてきた。
その上、たまたま私が勤めてきた音楽業界は、
1970、80年代はそれぞれのレコード会社は躍進したが、
1990年代を迎えると、特に外資系は、世界市場の中でアメリカに続いて、日本が第二位となり、
抜きん出た市場となり、本国の要請で利益の追求が厳しくなり、
各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。
そして1998年に売上の主軸となるCDがピークとなり、この少し前の年から
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
私は本社で30年近く勤めいたが放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004〈平成16〉年の晩秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活をしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の現役時代は、サラリーマンの身であったが、もとより生計の責務もあり奮闘する中、
30代の半(なか)ばに一軒家を建て、
この後3年ばかり家内はデパートなどに勤めて、強力な支援を受けたが、
家内は後方支援として家庭の多岐に及ぶ専業主婦として長らく努めてきた。
私たち夫婦の年金生活後も、家内は洗濯、掃除、料理などしているのが現状であり、
せめて日常の買物ぐらいは、私がすると自主的に実行している。
このことの背景には、私の現役時代の平日は会社で勤務し、
この間の日中は家内のペースで家事、趣味を過ごしてきた。
こうした家内の生活リズムをできる限り崩したくなかったので、
私は独りで買い物、散策をしている。
年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、本年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
このような年金生活をしてきたが、果たして私より15歳ぐらい齢下の諸兄は、
どのような定年までの歩みを歩かれるか、と私なりに思考させられたのである・・。
私たちが過ごしてきた1990年にベルリンの壁が崩壊する前は、
真摯な働けば多くの日本人が、総中流家庭が実感でき、明日に希望を託すことのできる時代で、
主人は収入の責務の基で奮闘して働き、
多くの主婦は子供の育成も含めた家庭の多岐に及ぶ後方支援として専業主婦が多かった。
そして昭和妻と称せられた家庭内の専守防衛長官でもあった。
1989(平成元)年11月年にベルリンの壁が崩壊された後は、
かってソ連、東ヨーロッバの諸国も自由経済に変貌し、世界経済が激動し、
日本経済も余儀なくされてきた時代となった。
昨今の日本の家庭では、もとより昭和妻のような専業主婦は殆どなく、
短期に成果を求められる現役世代の諸兄諸姉の職責など、
私なりに少し学ぶと、過酷な時代、と感じたりしている。
こうした中で、長らくデフレを放置してきた財務省、日銀など責任、
そして企業は世界の自由経済の荒波に対処するために、短絡的に多くの社員をリストラしたり、
契約社員、アルバイトのような形態の増大を図ってきた。
この結果、殆どの男性サラリーマンの社員は、果敢に奮戦しても、
私たち世代の前後の人々の多くが体験できた年代に応じて年収が増大する時代は、
遥かに遠のき、家庭内で妻を専業主婦となることは、
夢物語のひとつとなり、社会に多大に影響しているのが、平成の時代となっている。
もとよりベルリンの壁が崩壊してから、ここ20数年、
世界の各国で社会的や経済的などが連関して、旧来の国家や地域などの境界を越えて、
地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす『グローバリゼーション』となっている。
こうした中で、経済全体として供給過多・需要不足が起こって物価が低下してきた。
そして商品価格が低下し、生産者の利益が減り、利益が減った分だけ従業員の賃金が低下してきている。
企業の立場からすれば、利益が減ると雇用を保持する余力が低下するので、やがて失業者は増大する。
或いは従業員と家族は、減った賃金で生活をやりくりしようとするため、
あまり商品を買えなくなる購買力の低下となる。
こうした結果として、商品は売れなくなり、生産者は商品価格を引き下げなければならなくなる。
そして物価が下がっても、名目金利は0パーセント以下に下がらず、
実質金利が高止まりし、実質的な債務負担が増す時代となっている。
こうした状況となり、債務負担を減らすために借金返済を優先する企業や個人が増え、
やがて設備投資や住宅投資が縮小される。
その結果として、投資の縮小は総需要の減少へつながり、物価の低下をもたらし、
果てしなき悪循環の『デフレスパイラル』の時代となっている。
こうした『デフレスパイラル』のもとで進められた国家によるサービスの縮小、
そして大幅な規制緩和による市場経済重視する新自由主義と命名された『ネオリベ(ネオリベラリズム)改革』により、
世界の主要国も混迷している時代が今日の状況となっている。
こうした中で、日本は政治は混迷、経済は低迷、そして社会は劣化するばかりで、
私は専門知識にも疎(うと)く、齢ばかり重ねた無力な身ながら、憂いたりした。
私たちの世代は50代の時に数多くサラリーマンがリストラの烈風を受けながら、
私は何とか定年退職時まで勤め、サラリーマンの生活を卒業できたが、
私たちの世代の下は、何かと過酷な勤務状況下となっている現実である・・。
このような思いで、今回、村上 龍(むらかみ・りゅう)氏の『老後への覚悟を持て』と題されて寄稿文を私は精読し、
氏の原点の『55歳からのハローライフ』(幻冬社)を読みはじめている・・。
氏のあとがきに明記されている《・・「悠々自適層」「中間層」「困窮層」、それらを代表する人物を設定した。
だが、すべての層に共通することがある。
それは、その人物が、それまでの人生で、誰と、どんな信頼関係を築いてきたかということだ・・》
このような概要であるので、つたない半生を歩んできた私でも購読したのである。
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午前中のひととき駅前に出て、家内からの依頼された買い物を終えた後、
本屋に入り、村上 龍(むらかみ・りゅう)・著作の『55歳からのハローライフ』(幻冬社)の単行本を購入した。
私は何かと読書好きであるが、定年後からの書籍の作家の傾向は、塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、
三浦朱門、阿川弘之、高峰秀子、中西輝政の各氏の作品を中核に、単行本、新書本、文庫本を購読したりしている。
たまたま今回、村上 龍(むらかみ・りゅう)氏の『55歳からのハローライフ』の作品を買い求めたりは、
私が1970(昭和45)年4月以来から、総合月刊雑誌の『文藝春秋』を購読しているが、
最新号の2月特大号に於いて、氏の『老後への覚悟を持て』と題されて寄稿文を私は精読し、
高齢者の私でも氏の憂(うれ)いが痛切で正鵠である、と感じたのである・・。
《・・55歳のときに、自分と同年代の中高年向けの職業ガイドを作る計画が持ち上がったんです。
(略)
けれども人間は55歳ともなると、それまでやってきたことを生かすしかない。
さらに今の中高年の間には明らかな経済的格差があり、
階層ごとに必要とされる情報が全く異なるので、
世代全般を対象とした職業ガイドを作ることは無理だとわかりました。
その格差とはどういうものかというと・・
ビジネスの現場ではよく「2対6対2」の法則と言われています。
組織の中には常に2割の上位層、6割が中位層、2割の下位層が存在し、
企業の場合なら優秀な上位が多くの利潤を生みだし、6割がそれを支えルーティンワークなどをこなし、
2割の「お荷物」が必ず存在するという法則です。
この比率が中高年の経済状況にもあてはまる。
悠々自適の老後が送れるのは2割の人々で、
お金を心配しながら老後を送らなければいけない中間層が6割を占める。
ボトムの困窮層も2割で、この人たちは明日の生活にも困るような人々です。
(略)
「文藝春秋」も含めて、最近のメディアは「老後の人生設計」とか「老後の資金運用」的な特集で、
海外への旅行や移住、投資のすすめ、現役時代に出来なかった生きがい探しなどを並び立てる。
でも、そんなことを考える余裕のある人たちはわずか2割だけの、
老後の資金に不安のない悠々自適層だけです。
膨大な6割の中間層は、老後への切実な不安を抱えている。
その不安の原因はもちろんお金に直結しています。
年金額が低いうえに、満額もらおうとすれば65歳まで支給されない。
近い将来、支給開始は70歳にひきあげられるかもしれない。
蓄えは潤沢とはいえないから、働かなければならない。しかし、職はない。
インカムがない限り、長生きすればするほど困ることになる。
この年になって初めて、これまでの人生で経験したことのない切実な不安に直面している。
(略)・・》
注)引用元『文藝春秋』2月特大号の216、217ページ
村上 龍(むらかみ・りゅう)氏の『老後への覚悟を持て』
引用させて頂いた原文にあえて改行を多くした。
このように氏の長らく執拗に引用してきた私の理由のひとつとして、
私は東京郊外の農家で1944(昭和19)年に生を受け、
小学4年生の頃から映画好きな映画少年、高校生に突然に読書の底知れぬ魔力に取りつかれた。
やがて私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に大学を中退し、
アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、あえなく敗退して、
やむなくサラリーマンに転進する為に、コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
何とか大手の民間会社に中途入社出来たのは、1970(昭和45)年の春であった。
音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
この新しいレコード専門会社に情報畑、管理畑、営業畑など35年近く勤め、
定年退職を迎えたのは2004(平成16)年の秋であった。
このようにサラリーマンの生活をしてきたが、もとより一流大学を卒業され後、
大企業、中央官庁などに38年勤め邁進し栄達された世にいわれているエリートとは、
遥かに遠い平凡な道を歩いたりしてきた。
その上、たまたま私が勤めてきた音楽業界は、
1970、80年代はそれぞれのレコード会社は躍進したが、
1990年代を迎えると、特に外資系は、世界市場の中でアメリカに続いて、日本が第二位となり、
抜きん出た市場となり、本国の要請で利益の追求が厳しくなり、
各会社は総合見直しとなり、会社間の統廃合もあり、人員削減も行われはじめた。
そして1998年に売上の主軸となるCDがピークとなり、この少し前の年から
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
私は本社で30年近く勤めいたが放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004〈平成16〉年の晩秋に定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
私は2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、年金生活をしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の現役時代は、サラリーマンの身であったが、もとより生計の責務もあり奮闘する中、
30代の半(なか)ばに一軒家を建て、
この後3年ばかり家内はデパートなどに勤めて、強力な支援を受けたが、
家内は後方支援として家庭の多岐に及ぶ専業主婦として長らく努めてきた。
私たち夫婦の年金生活後も、家内は洗濯、掃除、料理などしているのが現状であり、
せめて日常の買物ぐらいは、私がすると自主的に実行している。
このことの背景には、私の現役時代の平日は会社で勤務し、
この間の日中は家内のペースで家事、趣味を過ごしてきた。
こうした家内の生活リズムをできる限り崩したくなかったので、
私は独りで買い物、散策をしている。
年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、本年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
このような年金生活をしてきたが、果たして私より15歳ぐらい齢下の諸兄は、
どのような定年までの歩みを歩かれるか、と私なりに思考させられたのである・・。
私たちが過ごしてきた1990年にベルリンの壁が崩壊する前は、
真摯な働けば多くの日本人が、総中流家庭が実感でき、明日に希望を託すことのできる時代で、
主人は収入の責務の基で奮闘して働き、
多くの主婦は子供の育成も含めた家庭の多岐に及ぶ後方支援として専業主婦が多かった。
そして昭和妻と称せられた家庭内の専守防衛長官でもあった。
1989(平成元)年11月年にベルリンの壁が崩壊された後は、
かってソ連、東ヨーロッバの諸国も自由経済に変貌し、世界経済が激動し、
日本経済も余儀なくされてきた時代となった。
昨今の日本の家庭では、もとより昭和妻のような専業主婦は殆どなく、
短期に成果を求められる現役世代の諸兄諸姉の職責など、
私なりに少し学ぶと、過酷な時代、と感じたりしている。
こうした中で、長らくデフレを放置してきた財務省、日銀など責任、
そして企業は世界の自由経済の荒波に対処するために、短絡的に多くの社員をリストラしたり、
契約社員、アルバイトのような形態の増大を図ってきた。
この結果、殆どの男性サラリーマンの社員は、果敢に奮戦しても、
私たち世代の前後の人々の多くが体験できた年代に応じて年収が増大する時代は、
遥かに遠のき、家庭内で妻を専業主婦となることは、
夢物語のひとつとなり、社会に多大に影響しているのが、平成の時代となっている。
もとよりベルリンの壁が崩壊してから、ここ20数年、
世界の各国で社会的や経済的などが連関して、旧来の国家や地域などの境界を越えて、
地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす『グローバリゼーション』となっている。
こうした中で、経済全体として供給過多・需要不足が起こって物価が低下してきた。
そして商品価格が低下し、生産者の利益が減り、利益が減った分だけ従業員の賃金が低下してきている。
企業の立場からすれば、利益が減ると雇用を保持する余力が低下するので、やがて失業者は増大する。
或いは従業員と家族は、減った賃金で生活をやりくりしようとするため、
あまり商品を買えなくなる購買力の低下となる。
こうした結果として、商品は売れなくなり、生産者は商品価格を引き下げなければならなくなる。
そして物価が下がっても、名目金利は0パーセント以下に下がらず、
実質金利が高止まりし、実質的な債務負担が増す時代となっている。
こうした状況となり、債務負担を減らすために借金返済を優先する企業や個人が増え、
やがて設備投資や住宅投資が縮小される。
その結果として、投資の縮小は総需要の減少へつながり、物価の低下をもたらし、
果てしなき悪循環の『デフレスパイラル』の時代となっている。
こうした『デフレスパイラル』のもとで進められた国家によるサービスの縮小、
そして大幅な規制緩和による市場経済重視する新自由主義と命名された『ネオリベ(ネオリベラリズム)改革』により、
世界の主要国も混迷している時代が今日の状況となっている。
こうした中で、日本は政治は混迷、経済は低迷、そして社会は劣化するばかりで、
私は専門知識にも疎(うと)く、齢ばかり重ねた無力な身ながら、憂いたりした。
私たちの世代は50代の時に数多くサラリーマンがリストラの烈風を受けながら、
私は何とか定年退職時まで勤め、サラリーマンの生活を卒業できたが、
私たちの世代の下は、何かと過酷な勤務状況下となっている現実である・・。
このような思いで、今回、村上 龍(むらかみ・りゅう)氏の『老後への覚悟を持て』と題されて寄稿文を私は精読し、
氏の原点の『55歳からのハローライフ』(幻冬社)を読みはじめている・・。
氏のあとがきに明記されている《・・「悠々自適層」「中間層」「困窮層」、それらを代表する人物を設定した。
だが、すべての層に共通することがある。
それは、その人物が、それまでの人生で、誰と、どんな信頼関係を築いてきたかということだ・・》
このような概要であるので、つたない半生を歩んできた私でも購読したのである。
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