私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの住宅街のはずれで、
築後34年が過ぎようとしている古びた一軒屋に住んでいる。
そして小庭にある落葉樹が多い樹木、草花の四季折々の移ろいを眺め、
子供に恵まれなかった私たち夫婦は2人だけで、お互いの趣味を尊重して過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
年金生活を始め、運動神経の衰えを感じて、自動車の免許書の更新も断念した。
何かしら我が家の周辺のお住まいのお宅に於いては、殆どが自動車を所有しているが、
我が家は自動車も所有できなく、もとより昨今のガソリンの価格も無知となったりしている。
その上、私たち夫婦は携帯電話に関しては、使えないので保有することなく、
社会からの時流から確実に取り残されている、と私たち夫婦はときおり感じながら苦笑したりしている・・。
私は若き頃の30代のなかばに一軒屋を建てた時、
家内は中学生の頃から茶事を学んでいたので、私は若気の至りで気負って、
家の中の一室を茶室として付け足したりした。
しかしながら程々の年収であったので、住宅に関してのローンは我が家としては重く家計を占めた。
このように状況であったので、私は返済に困苦する中に於いて、
専業主婦だった家内は、やむなくデパートの呉服売り場などで契約社員として働き、
新居から3年ばかり家計の強力な支援を受けたりした。
そしてスーパー・マーケットさえも、ディスカント風の低価格店から中級店、そして高級店まで、
その時に応じて利用してきた。
定年後の年金生活を始め、自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
そして時折、小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
このような拙(つたな)い年金生活をしているが、
今朝、家内から『12月の家計簿・・締めましょうか?』と私は言われて、
『遅ればせながら・・やりましょう』と私は応(こた)えた。
我が家の年末年始は、独り住まいの家内の母に来宅してもらい、
私たち夫婦と共に過ごすのず、ここ8年の行事となっているので、
家内の母が3日に帰宅された後、家内は部屋の掃除、洗濯、料理などは平素より多忙であったので、
何とか日常の生活に戻ったのが昨夜の頃からであった。
我家の生計は原則として、厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で日常生活を営んでおり、
冠婚葬祭、思いがけない出来事、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して過ごしている・・。
そして我が家は、日常は買い物したレシートなどを
家内が一週間に一度ぐらい簡単に集計している程度であり、
月末の前後に私たち夫婦は家計簿の月次決算をしたりしている。
家内が支出のそれぞれの区分項目を読み上げて、
私はパソコンの表計算ソフトを利用して、入力したりしている。
そして収入の項目を入れたり、銀行、郵便局などの残高を入力した上で、
5表ばかり我が家の独自の家計管理表を作成している。
そして午前中のひととき、私たち夫婦は昨年の12月の家計簿の月次決算を終え、
連動した計算で2012〈平成24〉年度の年次決算も終えてしまったのである。
そして昨年も幾たびか国内旅行をしたり、親戚、知人の葬儀などもあり、
もとより赤字となり、私たち夫婦は微苦笑しながら、旅先のこぼれ話をしたりした。
このような家計簿の発想の根源として、私が独身時代に、
自身がその日の心情に応じて、本、レコードなどを買ったり、居酒屋、
ときには恋しい女性との交遊などで散財していたので、
ふしだらな私でも月に一度ぐらいは現状認識と思い、秘かに家計簿をつけたりしていた。
家内と結婚した1976〈昭和51〉年の春からも、
少なくとも交際費、住居費、衣服費、食費などは増加するので、
私たち夫婦は毎年の年の始めた頃に、思いついた購入する予定の品物、旅行計画などの概要の経費を話し合ったりし、
今日に至っている。
こうしたことで、概算予算の年次計画が出来上がり、そして月次予算も作成し、
月末の前後に実績を入力し、今月も赤字だょねぇ、と30代後半などは、お互いに微苦笑し、
やむなく夏季、冬季のボーナスで何とか赤字を解消したのが実態であった。
昨今、年金生活をしていると、特に耐久商品と称される品の購入には、
私は気弱になり、耐久商品の買い替え時にためらったりしている。
我が家のテレビに関しては、恥ずかしながら、
アナグロテレビ放送は廃止に伴い、やむなく一昨年の5月に、
デジタル対応の薄型テレビ、ブルーディスクの録画機を買い求めたりした。
何より私は困り果てるのは、パソコンの無知な家内からすれば、
バソコンは半永久的商品、と確信したように思い続けていることである。
私が現役時代の時は、程ほどの年収を得ていたので、幾たびか買い換えてきたが、
しかし年金生活となれば、限りある厚生年金、企業年金、個人年金からの収入には、
もとより限度があるので、私は気弱になり、予算を計上するできなかったりした。
こうした中で、私の愛してやまないパソコンが壊れたりすると、どうしてなのょ、
と私はパソコンを眺めて困惑した体験をして、やむなく定年後の8年生の中、2度ばかり買い改めたりしてきた。
このように私は、年金生活をしていると、予期せぬ出来事に関しては、
この齢になれば親戚、知人などの葬祭などの出費が多くなり、
悲しみと共に困惑しているのが、昨今の私の正直な心情でもある。
そして我が家の銀行、信託銀行などの貯蓄は、安全利回りが原則で、金利はわずかであり、
年金生活をして9年目となるが、もとより毎年は赤字なので、残額は予定通り減るばかりとなっている。
しかし戯(たわむ)れを許されれば、何か本年は金運上昇かしら、と思ったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/c0/fb9e4b9c62f0f791de304bca40d307bd.jpg)
私は市内にある深大寺に初詣に訪れた時、境内の土鈴の売り場の美少女に見惚(みと)れて、
ひとつ買い求めたのが、土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』であった。
そして帰宅後、我が家の居間の片隅みにあるCDケースの上に安置し、記念写真を撮ったりした。
敬愛している書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』の前に置き、
私が毎朝向って、氏の綴られた本日の格言を、何かと私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、
人生の戒(いまし)めとして、心の中で、呟(つぶや)いているが、
今年は横に安置している土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』が微笑んでいるので、
何かしら良いことが招来するのかしら、と思ったりしている。
何よりも年金生活をして以来、確実に増えているのは、
現役サラリーマンの時は苦楽の激しかった時が過ぎ、家内と共に過ごしてきた平穏な生活であり、
こうした中で、デジカメで撮った写真は記憶のかたみ数々であり、
或いはブログの日々の思いの投稿文であり、過ぎ去り日々に愛惜を重ね、私は微苦笑したりしている。
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世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みの住宅街のはずれで、
築後34年が過ぎようとしている古びた一軒屋に住んでいる。
そして小庭にある落葉樹が多い樹木、草花の四季折々の移ろいを眺め、
子供に恵まれなかった私たち夫婦は2人だけで、お互いの趣味を尊重して過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
年金生活を始め、運動神経の衰えを感じて、自動車の免許書の更新も断念した。
何かしら我が家の周辺のお住まいのお宅に於いては、殆どが自動車を所有しているが、
我が家は自動車も所有できなく、もとより昨今のガソリンの価格も無知となったりしている。
その上、私たち夫婦は携帯電話に関しては、使えないので保有することなく、
社会からの時流から確実に取り残されている、と私たち夫婦はときおり感じながら苦笑したりしている・・。
私は若き頃の30代のなかばに一軒屋を建てた時、
家内は中学生の頃から茶事を学んでいたので、私は若気の至りで気負って、
家の中の一室を茶室として付け足したりした。
しかしながら程々の年収であったので、住宅に関してのローンは我が家としては重く家計を占めた。
このように状況であったので、私は返済に困苦する中に於いて、
専業主婦だった家内は、やむなくデパートの呉服売り場などで契約社員として働き、
新居から3年ばかり家計の強力な支援を受けたりした。
そしてスーパー・マーケットさえも、ディスカント風の低価格店から中級店、そして高級店まで、
その時に応じて利用してきた。
定年後の年金生活を始め、自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
そして時折、小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
このような拙(つたな)い年金生活をしているが、
今朝、家内から『12月の家計簿・・締めましょうか?』と私は言われて、
『遅ればせながら・・やりましょう』と私は応(こた)えた。
我が家の年末年始は、独り住まいの家内の母に来宅してもらい、
私たち夫婦と共に過ごすのず、ここ8年の行事となっているので、
家内の母が3日に帰宅された後、家内は部屋の掃除、洗濯、料理などは平素より多忙であったので、
何とか日常の生活に戻ったのが昨夜の頃からであった。
我家の生計は原則として、厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で日常生活を営んでおり、
冠婚葬祭、思いがけない出来事、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して過ごしている・・。
そして我が家は、日常は買い物したレシートなどを
家内が一週間に一度ぐらい簡単に集計している程度であり、
月末の前後に私たち夫婦は家計簿の月次決算をしたりしている。
家内が支出のそれぞれの区分項目を読み上げて、
私はパソコンの表計算ソフトを利用して、入力したりしている。
そして収入の項目を入れたり、銀行、郵便局などの残高を入力した上で、
5表ばかり我が家の独自の家計管理表を作成している。
そして午前中のひととき、私たち夫婦は昨年の12月の家計簿の月次決算を終え、
連動した計算で2012〈平成24〉年度の年次決算も終えてしまったのである。
そして昨年も幾たびか国内旅行をしたり、親戚、知人の葬儀などもあり、
もとより赤字となり、私たち夫婦は微苦笑しながら、旅先のこぼれ話をしたりした。
このような家計簿の発想の根源として、私が独身時代に、
自身がその日の心情に応じて、本、レコードなどを買ったり、居酒屋、
ときには恋しい女性との交遊などで散財していたので、
ふしだらな私でも月に一度ぐらいは現状認識と思い、秘かに家計簿をつけたりしていた。
家内と結婚した1976〈昭和51〉年の春からも、
少なくとも交際費、住居費、衣服費、食費などは増加するので、
私たち夫婦は毎年の年の始めた頃に、思いついた購入する予定の品物、旅行計画などの概要の経費を話し合ったりし、
今日に至っている。
こうしたことで、概算予算の年次計画が出来上がり、そして月次予算も作成し、
月末の前後に実績を入力し、今月も赤字だょねぇ、と30代後半などは、お互いに微苦笑し、
やむなく夏季、冬季のボーナスで何とか赤字を解消したのが実態であった。
昨今、年金生活をしていると、特に耐久商品と称される品の購入には、
私は気弱になり、耐久商品の買い替え時にためらったりしている。
我が家のテレビに関しては、恥ずかしながら、
アナグロテレビ放送は廃止に伴い、やむなく一昨年の5月に、
デジタル対応の薄型テレビ、ブルーディスクの録画機を買い求めたりした。
何より私は困り果てるのは、パソコンの無知な家内からすれば、
バソコンは半永久的商品、と確信したように思い続けていることである。
私が現役時代の時は、程ほどの年収を得ていたので、幾たびか買い換えてきたが、
しかし年金生活となれば、限りある厚生年金、企業年金、個人年金からの収入には、
もとより限度があるので、私は気弱になり、予算を計上するできなかったりした。
こうした中で、私の愛してやまないパソコンが壊れたりすると、どうしてなのょ、
と私はパソコンを眺めて困惑した体験をして、やむなく定年後の8年生の中、2度ばかり買い改めたりしてきた。
このように私は、年金生活をしていると、予期せぬ出来事に関しては、
この齢になれば親戚、知人などの葬祭などの出費が多くなり、
悲しみと共に困惑しているのが、昨今の私の正直な心情でもある。
そして我が家の銀行、信託銀行などの貯蓄は、安全利回りが原則で、金利はわずかであり、
年金生活をして9年目となるが、もとより毎年は赤字なので、残額は予定通り減るばかりとなっている。
しかし戯(たわむ)れを許されれば、何か本年は金運上昇かしら、と思ったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/c0/fb9e4b9c62f0f791de304bca40d307bd.jpg)
私は市内にある深大寺に初詣に訪れた時、境内の土鈴の売り場の美少女に見惚(みと)れて、
ひとつ買い求めたのが、土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』であった。
そして帰宅後、我が家の居間の片隅みにあるCDケースの上に安置し、記念写真を撮ったりした。
敬愛している書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』の前に置き、
私が毎朝向って、氏の綴られた本日の格言を、何かと私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中、
人生の戒(いまし)めとして、心の中で、呟(つぶや)いているが、
今年は横に安置している土鈴『大黒天(豊作・財福の神)』が微笑んでいるので、
何かしら良いことが招来するのかしら、と思ったりしている。
何よりも年金生活をして以来、確実に増えているのは、
現役サラリーマンの時は苦楽の激しかった時が過ぎ、家内と共に過ごしてきた平穏な生活であり、
こうした中で、デジカメで撮った写真は記憶のかたみ数々であり、
或いはブログの日々の思いの投稿文であり、過ぎ去り日々に愛惜を重ね、私は微苦笑したりしている。
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