私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であり、
古来より正月の7日の朝食には、七草粥を食べる習慣の家が圧倒的に多いと思われが、
恥ずかしながら我が家の朝食は、世の中の時流に逆らっているのかしら、
と私は朝食の時に話しかけて、お互いに微苦笑したりした・・。
朝食前にお正月に彩〈いろど〉ってくれた松飾りに、さよならしながら別れを告げた後、
いつものように私は家内と共に朝食を頂いた・・。
私は五穀米が入った白米のご飯、ワカメの味噌汁、春菊のゴマ和え、
カブの醤油漬、コブの佃煮、海苔(ノリ)が五枚、ラッキョの塩漬け・・
幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』が、
何かと心身の波長に合うのである。
家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、コーヒーを飲みながら頂いている。
私は朝食を頂いた後、私の《夫婦のご飯茶碗》をよく見たら、少し欠けている処があったが、
いずれは私たち夫婦は、どちらかが片割れになるので、
大きくヒビが入ってなければ大勢に影響はない、と私は苦笑したのである。
我が家は、私の定年退職した2004〈平成16〉年後からは、
この日の朝は七草粥は無念ながら食べた記憶はない。
昨日、私はいつものように昼のひととき、冬晴れの風もなく中、最寄のスーパーに買物に行った。
野菜売り場のコーナーで、『春の七草』のセット品が50前後があり、
私は立ち止まり眺めていたのである。
このスーパーは、5日の土曜日から、『春の七草セット』が販売されて折、
チラシには、
《・・
七草がゆ
1月7日正月、七草正月とも言われ、早春の若草を粥に入れて、春の訪れを楽しむ日です。
7日の朝に、春の七草を入れた粥を食べると万病がさけられると言われ、今年一年の家族の健康を願います。
中国から伝わり江戸時代に広まった習慣のようです。
・・》
と誰でも解るように優(やさ)しく明記されていた。
私は、『春の七草』の1パックの品を眺め、『新春を祝う 春の七草』と明記され、
神奈川県産と表示されて、1パック398円(税込)と大きく棚の所に明記され、思わず微苦笑したりした。
もとより七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケグサ、スズナ、スズシロであり、
スズナは野菜のカブであり、スズシロはダイコンであることは多くのお方に知られている。
1月2日に都立『神代植物園』に私は訪れた時、正面出入り口に近い植物会館に於いて、
この中に展示室があり、時節ごとに展示品が公開され、たまたま一角に新春を祝う『春の七草』が、
このように展示されていたので、30センチ足らずの竹かご飾りに瞬時に魅了され、私は記念に撮った。
私はここ10数年、七草粥の祝い事には興味がなく、
現実主義なので、遠い昔の頃は、この冬の時節は何かと野菜不足であったので、
新春のひととき七草粥(ななくさがゆ)を召し上がった、と思ったりした。
少なくとも現世は、キャベツ、レタス、セロリ、ホウレン草、ダイコン、カブ等が多品種にあるので、
私たち夫婦は、特に七草粥には興味がなく今日に至っている。
私は東京の郊外の農家の児として生を受け、1951(昭和26)年の小学1年生の頃は、
祖父、父が健在で、程々の広さの田畑を小作人だった人たちのご厚意の助けも借りて耕していた。
旧暦の1月7日は、今の暦では2月中旬頃であるので、
田んぼのあぜ道、畑の小道の外れに多彩な野草が数多くあった。
父の妹の叔母の2人は、結婚する前の時期であり、
ノビルやヨモギなどを取り、私たち長兄、次兄、私にも食べさせてくれた。
ノビルは今でいうとラツキョの小型の形をしており、真っ白な小玉が先端にあり、
さっとお湯をとおした後、味噌に砂糖を加えた甘味噌を付けて口に含んだりした。
早春の頃は、カブ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ等の野菜の中、
子供心にもノビルは早春の香りを感じたりしていた・・。
ノモギも叔母達が摘んで、撞(つ)きたての餅などに入れ、私たちも香りと歯ごたえを共にした。
ナズナはペンペングサと呼んでいたが、次兄が兎(ウサギ)を飼っていたので、
次兄は叔母に教えられて、餌として盛んに採っていた、と微かな記憶が残っている。
この他の七草は多分生えていたと思われるが、無念ながら幼年期であったので記憶が定かでない。
このようなささやかな想いも秘めている私であるが、
日本人の古来からの行事のひとつ『七草粥(ななくさがゆ)』を頂くこの日の朝、
私たち夫婦は何かと和事に関心は多いが、ときには矛盾することもあるなぁ、と私は微苦笑している。
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古来より正月の7日の朝食には、七草粥を食べる習慣の家が圧倒的に多いと思われが、
恥ずかしながら我が家の朝食は、世の中の時流に逆らっているのかしら、
と私は朝食の時に話しかけて、お互いに微苦笑したりした・・。
朝食前にお正月に彩〈いろど〉ってくれた松飾りに、さよならしながら別れを告げた後、
いつものように私は家内と共に朝食を頂いた・・。
私は五穀米が入った白米のご飯、ワカメの味噌汁、春菊のゴマ和え、
カブの醤油漬、コブの佃煮、海苔(ノリ)が五枚、ラッキョの塩漬け・・
幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』が、
何かと心身の波長に合うのである。
家内は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、コーヒーを飲みながら頂いている。
私は朝食を頂いた後、私の《夫婦のご飯茶碗》をよく見たら、少し欠けている処があったが、
いずれは私たち夫婦は、どちらかが片割れになるので、
大きくヒビが入ってなければ大勢に影響はない、と私は苦笑したのである。
我が家は、私の定年退職した2004〈平成16〉年後からは、
この日の朝は七草粥は無念ながら食べた記憶はない。
昨日、私はいつものように昼のひととき、冬晴れの風もなく中、最寄のスーパーに買物に行った。
野菜売り場のコーナーで、『春の七草』のセット品が50前後があり、
私は立ち止まり眺めていたのである。
このスーパーは、5日の土曜日から、『春の七草セット』が販売されて折、
チラシには、
《・・
七草がゆ
1月7日正月、七草正月とも言われ、早春の若草を粥に入れて、春の訪れを楽しむ日です。
7日の朝に、春の七草を入れた粥を食べると万病がさけられると言われ、今年一年の家族の健康を願います。
中国から伝わり江戸時代に広まった習慣のようです。
・・》
と誰でも解るように優(やさ)しく明記されていた。
私は、『春の七草』の1パックの品を眺め、『新春を祝う 春の七草』と明記され、
神奈川県産と表示されて、1パック398円(税込)と大きく棚の所に明記され、思わず微苦笑したりした。
もとより七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケグサ、スズナ、スズシロであり、
スズナは野菜のカブであり、スズシロはダイコンであることは多くのお方に知られている。
1月2日に都立『神代植物園』に私は訪れた時、正面出入り口に近い植物会館に於いて、
この中に展示室があり、時節ごとに展示品が公開され、たまたま一角に新春を祝う『春の七草』が、
このように展示されていたので、30センチ足らずの竹かご飾りに瞬時に魅了され、私は記念に撮った。
私はここ10数年、七草粥の祝い事には興味がなく、
現実主義なので、遠い昔の頃は、この冬の時節は何かと野菜不足であったので、
新春のひととき七草粥(ななくさがゆ)を召し上がった、と思ったりした。
少なくとも現世は、キャベツ、レタス、セロリ、ホウレン草、ダイコン、カブ等が多品種にあるので、
私たち夫婦は、特に七草粥には興味がなく今日に至っている。
私は東京の郊外の農家の児として生を受け、1951(昭和26)年の小学1年生の頃は、
祖父、父が健在で、程々の広さの田畑を小作人だった人たちのご厚意の助けも借りて耕していた。
旧暦の1月7日は、今の暦では2月中旬頃であるので、
田んぼのあぜ道、畑の小道の外れに多彩な野草が数多くあった。
父の妹の叔母の2人は、結婚する前の時期であり、
ノビルやヨモギなどを取り、私たち長兄、次兄、私にも食べさせてくれた。
ノビルは今でいうとラツキョの小型の形をしており、真っ白な小玉が先端にあり、
さっとお湯をとおした後、味噌に砂糖を加えた甘味噌を付けて口に含んだりした。
早春の頃は、カブ、ダイコン、ホウレンソウ、ネギ等の野菜の中、
子供心にもノビルは早春の香りを感じたりしていた・・。
ノモギも叔母達が摘んで、撞(つ)きたての餅などに入れ、私たちも香りと歯ごたえを共にした。
ナズナはペンペングサと呼んでいたが、次兄が兎(ウサギ)を飼っていたので、
次兄は叔母に教えられて、餌として盛んに採っていた、と微かな記憶が残っている。
この他の七草は多分生えていたと思われるが、無念ながら幼年期であったので記憶が定かでない。
このようなささやかな想いも秘めている私であるが、
日本人の古来からの行事のひとつ『七草粥(ななくさがゆ)』を頂くこの日の朝、
私たち夫婦は何かと和事に関心は多いが、ときには矛盾することもあるなぁ、と私は微苦笑している。
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