私は東京郊外の調布市に住む年金生活の高齢者の68歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後35年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
我が家の平素の買い物は、私が年金生活を始めて以来、私は自主的に専任担当となり、
近くのスーパー、駅前のスーパー、専門店などに出かけて孤軍奮闘している。
本日もいつもの通り午前中のひとときに買い物をした後、
小庭に残り雪を見ながら、家内と共に昼食を頂いた。
この後、風邪気味のせいか気力がなく、午後は本を読もうと思った。
そして何よりも安楽な処は、2階の寝室の布団であると思い、
煎茶とコーヒーをお盆に載せて、一冊の本を持ちながら寝室に行った。
昼下りの2時過ぎに、私は和室の寝室の電気毛布で温かくした布団にもぐり、
障子に陽射しを受ける中、本を2時間ばかり読んだ後、寝ついてしまった・・。
まどろみながら目覚めると、この世で一番贅沢なことと思いながら、とぐうだらな私は確信しながら、
こうしたことは年金生活の自在の身だからできることなのである、と実感したりした。
そして夢の中の夢幻の世界と現(うつつ)の現世をぼんやりと行きかいながら、
昨年の秋の頃からの過ぎ去った日々に思いを馳せたりした・・。
私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、幾たびか旅を重ねてきたが、
やはり非日常なので、心の片隅に鮮明に残っている。
過ぎし昨年の10月下旬に、北海道の洞爺湖の湖畔に建つ観光ホテルに9泊10日間で滞在し、
周辺を散策したりした。
宿泊した観光ホテルは洞爺湖の湖畔に建つ『湖畔亭』であり、
私たち夫婦は5階のある指定された和室は10畳であり、その前に3畳ばかり広さで椅子とテーブルが置かれ、
そして湖面に面したベランダの3畳ぐらいであった。
そして私たちは椅子に座ったりして、ベランダ越しに、
円形のような洞爺湖の中核には、中島と総称されている大島、観音島、弁天島、饅頭島の4つの島が浮かび、
左方の遠景にときおり蝦夷富士と称されている羊蹄山(ようていざん)が雄大に聳え立ち、
左岸、右岸にも湖岸から山里の情景が観え
洞爺湖の湖水の色合いは早朝、午前のひととき、昼下り、そして夕暮れは、
陽射し、雲の流れと共に蒼色、青色、淡き青色に変貌し、幾たびか私は長らく眺めも見飽(みあき)ることのない美景であった・・。
こうした滞在をしている中で27日には、快晴の中、『西山火口散策路』を訪れた。
前方の彼方に火山ヘの路が視え、その後はゆるやかな石段を登ると、
隆起したアファルト道路が隆起し、廃道となった道を見ながら、私たちは歩いた。
この道も2000年3月に噴火した際、地殻変動により盛り上がった地面であり、
まもなく展望台の第一、第二からは、火口を間近でみられ、
地熱、噴煙など、噴火の甚大さを感じることができる所であり、
第二展望台から下山のように長く整備された散策路も歩いたりした。
そして2000年3月に噴火した時、1977年の噴火時、昭和新山の噴火時、そして明治期の噴火の跡も
学んだりした、2時間ぐらい歩き廻ったりした。
この後、下山した散策路の途中、群生した薄(ススキ)は白い穂をなやびかせ、
落葉樹は黄色、朱紅色に染めらる中、赤トンボが悠然と飛び回っていた。
前方には洞爺湖の左岸の山里、遥か彼方の遠方には蝦夷富士と称されている羊蹄山が雄大に聳え立ち、
圧倒的な展望に私は絶賛したりした。
その後、12月16日から3泊4日で、吾妻連峰の片隅みの高原地帯にある『高湯温泉』に滞在したりし、
夜明け前から日の出までの情景に圧倒的に魅了されたりした。
このようなささやかな旅路をしてきたが、もとより旅は非日常の時であるので、
秋から冬の季節がめぐる中で、私は殆ど独りで自宅から4キロぐらいの遊歩道、小公園、
ふるさとの神社、寺院、或いは都立の神代植物園など訪れて、
ひたすら歩き、うつりゆく情景を心の友としてきた。
自宅から近い処に野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、私はこよなく歩いているひとつの散策路である。
過ぎゆく季節のうつろいを私は教示され、ひたすら歩き廻っている。
このような秋の情景を思い重ね、そして冬の情景の今、相も変わらずうつろう冬木立の中を歩いたりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後35年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
我が家の平素の買い物は、私が年金生活を始めて以来、私は自主的に専任担当となり、
近くのスーパー、駅前のスーパー、専門店などに出かけて孤軍奮闘している。
本日もいつもの通り午前中のひとときに買い物をした後、
小庭に残り雪を見ながら、家内と共に昼食を頂いた。
この後、風邪気味のせいか気力がなく、午後は本を読もうと思った。
そして何よりも安楽な処は、2階の寝室の布団であると思い、
煎茶とコーヒーをお盆に載せて、一冊の本を持ちながら寝室に行った。
昼下りの2時過ぎに、私は和室の寝室の電気毛布で温かくした布団にもぐり、
障子に陽射しを受ける中、本を2時間ばかり読んだ後、寝ついてしまった・・。
まどろみながら目覚めると、この世で一番贅沢なことと思いながら、とぐうだらな私は確信しながら、
こうしたことは年金生活の自在の身だからできることなのである、と実感したりした。
そして夢の中の夢幻の世界と現(うつつ)の現世をぼんやりと行きかいながら、
昨年の秋の頃からの過ぎ去った日々に思いを馳せたりした・・。
私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、幾たびか旅を重ねてきたが、
やはり非日常なので、心の片隅に鮮明に残っている。
過ぎし昨年の10月下旬に、北海道の洞爺湖の湖畔に建つ観光ホテルに9泊10日間で滞在し、
周辺を散策したりした。
宿泊した観光ホテルは洞爺湖の湖畔に建つ『湖畔亭』であり、
私たち夫婦は5階のある指定された和室は10畳であり、その前に3畳ばかり広さで椅子とテーブルが置かれ、
そして湖面に面したベランダの3畳ぐらいであった。
そして私たちは椅子に座ったりして、ベランダ越しに、
円形のような洞爺湖の中核には、中島と総称されている大島、観音島、弁天島、饅頭島の4つの島が浮かび、
左方の遠景にときおり蝦夷富士と称されている羊蹄山(ようていざん)が雄大に聳え立ち、
左岸、右岸にも湖岸から山里の情景が観え
洞爺湖の湖水の色合いは早朝、午前のひととき、昼下り、そして夕暮れは、
陽射し、雲の流れと共に蒼色、青色、淡き青色に変貌し、幾たびか私は長らく眺めも見飽(みあき)ることのない美景であった・・。
こうした滞在をしている中で27日には、快晴の中、『西山火口散策路』を訪れた。
前方の彼方に火山ヘの路が視え、その後はゆるやかな石段を登ると、
隆起したアファルト道路が隆起し、廃道となった道を見ながら、私たちは歩いた。
この道も2000年3月に噴火した際、地殻変動により盛り上がった地面であり、
まもなく展望台の第一、第二からは、火口を間近でみられ、
地熱、噴煙など、噴火の甚大さを感じることができる所であり、
第二展望台から下山のように長く整備された散策路も歩いたりした。
そして2000年3月に噴火した時、1977年の噴火時、昭和新山の噴火時、そして明治期の噴火の跡も
学んだりした、2時間ぐらい歩き廻ったりした。
この後、下山した散策路の途中、群生した薄(ススキ)は白い穂をなやびかせ、
落葉樹は黄色、朱紅色に染めらる中、赤トンボが悠然と飛び回っていた。
前方には洞爺湖の左岸の山里、遥か彼方の遠方には蝦夷富士と称されている羊蹄山が雄大に聳え立ち、
圧倒的な展望に私は絶賛したりした。
その後、12月16日から3泊4日で、吾妻連峰の片隅みの高原地帯にある『高湯温泉』に滞在したりし、
夜明け前から日の出までの情景に圧倒的に魅了されたりした。
このようなささやかな旅路をしてきたが、もとより旅は非日常の時であるので、
秋から冬の季節がめぐる中で、私は殆ど独りで自宅から4キロぐらいの遊歩道、小公園、
ふるさとの神社、寺院、或いは都立の神代植物園など訪れて、
ひたすら歩き、うつりゆく情景を心の友としてきた。
自宅から近い処に野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、私はこよなく歩いているひとつの散策路である。
過ぎゆく季節のうつろいを私は教示され、ひたすら歩き廻っている。
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