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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『みどりの日』を迎え、私は新緑に身をゆだねて心まで染められ、微笑んだりし・・。

2013-05-04 13:01:10 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であり、
午前中のひととき、小庭のテラスに素足で下駄を履き下り立った・・。

常緑樹も落葉樹も新緑の色合いは、この3週間ばかりで黄緑色から新緑色に、
そして早くも一部には深緑に色合いを深めている。
               
今朝は快晴となり、空は青さ一色となり、
ときおり微風が吹くと薫風かしらと感じたり、風光る情景だょねぇ、
とこのような情景をぼんやりと見ながら、
先ほどに見たカレンダーで、『みどりの日』かょ、と思いだされた。

確か1989(平成元)年の頃から4月29日であったと思われるが、
いつのまにか5月4日になったの、と戸惑いながら、
《・・自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ・・》と趣旨されている前に於いては、
わずかな移動なんかは影響ない、と何かと四季折々の樹木のうつろいに限りなく魅了されている私は、
微笑んだりした・・。

そして私はテラスに置いてある簡易椅子に座(すわ)り、陽春の陽射しを受けたりした・・。
      

私の日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
最寄駅は京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』であり、
小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』となり、
この京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような中間地域となっている。

いずれもバスの利便性は良いが、年金生活を始めてから根はケチのせいだったのか、
殆ど散歩も兼ねて歩いたりしている。

そして現役のサラリーマン時代の通勤の時は勤務地の関係、
或いは昨今の都心に買物、旅行をしたりする時は、
更にバスの利便性も良いので、『成城学園前』を利用したり、ときには散策をしたりしている。

こうした辺鄙(へんぴ)な所に私は住み、定年後の年金生活の日常に於いて、
その日に応じて歩き廻ることが多い。

このような生活を過ごしているが、自宅の近くに流れる野川の両端にある遊歩道を歩くことが多く、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、歩いたりしている。
               

今年の2月の初めの頃は、冬晴れに恵まれた眩(まばゆ)いの陽射しの中、川の水辺の近くに、
小鷺(コサギ)、大鷺(ダイサギ)、カルガモの親子が遊泳していたり、
或いは白鶺鴒(ハクセキレイ)、カワセミ、ときおりコゲラなども飛来してきているが、
私は興味がなく、陽射しを受けた川面に見惚れたり、そして清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景に魅せられたりしてきた。

そして遊歩道を少し歩くと、小公園となり30本前後の落葉樹は冬木立の景観を見せていた。
この地域に古くからあるクヌギ、コナラの樹木が中核となして、
ハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどの冬木立となして、
午前の暖かな陽射しを受ける情景を見たりすると、
私は幼年期に農家の児として育てられたためか、心身和(なご)むのである。
                     
そして付近の垣根の傍で赤い実の南天が陽射しを受け、
その脇に千両の赤い実も見られ、地表から福寿草の黄色の花が数輪が咲いていた。

このような情景に心をゆだねていると、時のながれが止まったように感じたりした。

帰路に向い、2本ばかり大きな欅(ケヤキ)の樹が陽射しを受け、
悠然(ゆうぜん)と青い空に向うように、たわわな枝を伸ばしている情景を見たりし、
遊歩道から住宅街の歩道を歩いたりした。
そして垣根などで白、淡紅色、ビンク色した可憐な山茶花(サザンカ)の花を見たり、
椿(ツバキ)の幾分小さめの朱紅色の藪椿(ヤブ・ツバキ)の花を眺めたりするした。

私の住む地域に於いては、この時節の冬の里花は少なく、
つい私は山茶花、藪椿に目がいってしまい心寄せられる冬の花のひとつ、
と齢を重ねるたびに深く感じたりしている。
               

今年の節分を迎えた2月は平年より寒い日が続いた為に、
我が家の小庭では、3月初旬に遅ればせながら白梅、紅梅は満開となる中、純白の日本水仙も咲いたりしていた。
そして茶花のひとつとして愛されている白玉椿(シラタマ・ツバキ)も咲き始め、
私は春到来だよねぇ、と喜びをかみしめたりしてきた。

そして5本ばかりのモミジ、花梨(カリン)、無花果(イチジク)などの雑木は芽吹きを迎え、
やがて日増しごとに成長し、幼き葉から葉を広げ、新た若葉となっている。
               
この間、常緑樹の金木犀(キンモクセイ)の新芽も伸びだし、
垣根がわりのアカネモチは、朱紅色の新芽が勢いよく伸び、
その後は眩(まぱゆ)く朱紅色の若葉に変貌し、彩(いろど)りとなっている。
               
こうした間に野川の遊歩道を歩けば、清流の水面(みなも)を眺めたり、
この遊歩道や近くの公園を殆ど毎日のように散策したりしてきた。、
コナラ、クヌギ、モミジ、欅(ケヤキ)などの雑木の芽吹きが始まり、
その後の幼い葉が見られる木の芽時(このめどき)の時節の情景に、齢を重ねる毎に私の心は深まってきている。

そして桜の樹木は、付近の公園や野川の遊歩道、そして駅までの旧街道を散策したりして観たりしてきた。

私の住む地域は、染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くのが、平年の慣(なわら)わしである。

こうした中で、三分咲きに心を寄せたりした後、
やがて、染井吉野(ソメイヨシノ)は満開となったりし、愛(めでた)りしてきた。
      
まもなく野川の桜並木の遊歩道を歩いたりすると、
早くも花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なっていた。

私は立ち止まり、数多くの桜花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
やがて地上に落下している。
古来より、櫻の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきたことに、
思いを重ねたりした・・。

私は桜花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に美を感じてきた。

このような情景に私は見惚(みと)れてたりしていたが、
遥か1000年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてしまった。

私は櫻花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も余生の中で、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねたりしている。

このように思ったりした後、野川の水の流れを見たりした。
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。
そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、櫻花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。

その後の2週間が過ぎた頃には、野川の遊歩道の下方の川沿いには、
黄色い帯のように長く続いている菜の花、
そして並ぶように白と薄紫の大根の花のような白と薄紫色の花色が帯状になっているのを
菜の花のかぐわしい香りと共に心を寄せたりしてきた。
      
或いは小公園を歩いたりすると、
新緑となった欅(ケヤキ)、コナラ、クヌギなどの大きな雑木を見つめたり、
ときおり微風が吹き、小枝の若葉も揺れ、私は微笑んだりしたりした。

そして道路際にある朱紅色や紅色の躑躅(ツツジ)、皐月(サツキ)は早くも咲き始めたり、
純白の耳飾りのような可愛らしい花のドウタン・ツツジも咲き始め、
その付近には菖蒲(あやめ)の群生は新芽が赤味を帯びている中、
華麗な白い花が咲いているのを眺めたりすると、
まもなく大型連休が到来する時節になる、と教示されたりした。

そして萌木色した葉の中で純白の花水木(ハナミズキ)の樹に、
私は足を止めて、長らく見つめたりした・・。

このように私は若葉の色合いに見惚れ、
萌黄色からこの二週間ばかりで黄緑色から新緑色に染められ、
私はさりげない日ごとに移つろう枝葉を眺めたりしてきた。


このようなことをぼんやりと思い馳せたりした・・。

そして地表には群生させた稲穂に近い小判草(コバンソウ)があり、ときおり風もないのに揺れたりしている。
小判草はイネ科の草花で、毎年、3月の下旬頃に芽を出して、稲のような容姿で成長し、
この時節になると葉先が小さな小判のような花穂となる。
                    
やがて6月の頃になると小麦色に染めら、水田の稲が実を重たげに見せている状況と同じで、
背丈30センチ前後の小判草は、けなげな容姿となる。
そして麦(ムギ)が実(みのめ)頃の初夏の『麦秋(バクシュウ)』の時節を教示させてくれることもあり、
私の好きな下草のひとつとなっている。
               
このように私は、樹木、野花、下草の季節のうつろいと共に、
何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった半生だったので、
せめてながらと思い、年金生活の日々を享受している。

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コメント (4)
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