私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む68歳の身であるが、
今朝、久々に朝の散策をしょう、と思い立ったりした。
ご近所の内科の医師から、朝食前の空腹時にウォーキングをすれば、
少し肥満体の私の身体の良い、と助言されたりしていた。
その上、このサイト上で心の清らかな奥方も空腹時にウォーキングをすれば、
体調に良く、身も心もベストコンデションのような意味合いを発露されていたので、
平素は買物専任者の私は、買物の責務を終えた後に、ひたすら歩き廻っている私でも、
謙虚に学び、自宅を出たのは7時15分過ぎであった。
快晴の中、夏帽子を深く被り、半袖のポロシャツ、長ズボン、ウォーキングシューズ、
小型バックを斜め掛け、その上にたまたまコンパクトのデジカメを首回りから掛けて、
近くに流れている野川の遊歩道に一分足らずで出た。
そして本日は、下流の小田急線の『成城学園前』駅と『喜多見』駅の中間点に流れる地点まで、
めざして隣接した遊歩道を歩いた。
歩き始めると前方から70代のご夫婦が散策されたり、
私の少し前には60代の男性がウォーキングされていたが、私は急ぎ足で追い抜いて5分ばかり歩き、
そして世田谷区の区域に入った後、ひとりの奥様風で高価な長袖のポロシャツを召され、
お洒落な夏帽子を深く被ったお方から、
『こんにち~わ』
と挨拶されて、私は見知らぬ60歳前後の女性の優雅なしぐさに戸惑い、ひと呼吸した後、
『こんにち~わ! 良き朝のひとときですねぇ』
と明るく大きな声で応(こた)えた。
『そうですわねぇ。貴方様のおしゃる通り、心地よいひとときです』
と見知らぬ60歳前後の女性は応(こた)えた。
私は黙礼をした後、再び遊歩道を歩いた。
この平日の時間は、働いて下さる諸兄諸姉の通勤される方、私のように年金生活をしている方たち、
多くの人がこの遊歩道を歩いている。
そして私は対岸の遊歩道に向かう為に、歩道橋を渡る時、
定年後から何かと魅せられている情景をデジカメで撮ったりした。
この後、対岸の遊歩道を歩いて、近くのベンチに腰を下ろした。
そして通勤される諸兄諸姉の方たち、そして通学される中学生を見たりしていた。
私は民間会社の中小業に35年近く勤めて、2004〈平成16〉年の秋に定年退職後した。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭となり、
古惚けた一軒家に住んでいる。
こうした中で、私たち夫婦は共に厚生年金、わずかな企業年金を頂く年金生活をしているが、
原則としての生計は、厚生年金、わずかな企業年金を頼って、生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
このように私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
私は働いて下さる諸兄諸姉の方たちが通り過ぎて行く、颯爽とした姿を見たりして、
大変だなぁ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
こうした私の根底には、
もとより私たちの高齢者がお世話になっている社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えて下さっている現実がある。
その上に昨今の現役世代の諸兄の状況は、『選別主義』の中で『常時リストラ』時代、
と学んだりした。
このことは、溝上憲文(みぞうえ・のりふみ)氏の著作『非常の常時リストラ』(文春新書)を、
私は4日前に読み、痛感しながら涙を浮かべたりした。
私の勤めた業界でも、私の50代にリストラ烈風となり、
私も50代の半(なか)ばから出向となり、
自分の敵は自分です、と悪戦苦闘しながらも関連先で定年退職時を迎えたが、
遥かに現代の会社は過酷である、と改めて教示されたりしたからである。
そして私は、サラリーマンを卒業して無力な身であるが、
どのような困難に遭遇しても、気力をなくすことなく、自分の敵は自分です、と精進して欲しい、
と祈願したりした。
この後、私は再び歩道橋を渡りきると、遊歩道には小学生の多くの学童が見られた。
近くに区立の小学校があり、今の時間が通学時間帯か、と実感させられた。
小学生の上級生の男の子の4人連れが、戯(たわむ)れながら談笑したり、
女の子の3人が、楽しげに談笑したり人たちと私はすれちがったりした。
そして2年生ぐらいの男の子の二人連れが歩いてきて、
『こんにち~わ』
と二人が口を合わせるように私に挨拶されて、私は微笑んだりした。
そして私も明るく、
『こんにち~わ』
と私は男の子の二人連れを見ながら、応(こた)えた。
やがて私は男の子の二人連れの後ろ姿を見送りながら、
この男の子たちのご家庭の親御さんの情操教育のしつけも良いと思われるが、
何よりも男の子の自身の身につけた何気ないしぐさ、言葉に私は魅了されたのである。
この後、小公園の中を歩いたりして、
朝のひとときに散策して、多くの方たち颯爽としたしぐさに、この人生の喜びを享受され、
私は帰宅に向った。
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今朝、久々に朝の散策をしょう、と思い立ったりした。
ご近所の内科の医師から、朝食前の空腹時にウォーキングをすれば、
少し肥満体の私の身体の良い、と助言されたりしていた。
その上、このサイト上で心の清らかな奥方も空腹時にウォーキングをすれば、
体調に良く、身も心もベストコンデションのような意味合いを発露されていたので、
平素は買物専任者の私は、買物の責務を終えた後に、ひたすら歩き廻っている私でも、
謙虚に学び、自宅を出たのは7時15分過ぎであった。
快晴の中、夏帽子を深く被り、半袖のポロシャツ、長ズボン、ウォーキングシューズ、
小型バックを斜め掛け、その上にたまたまコンパクトのデジカメを首回りから掛けて、
近くに流れている野川の遊歩道に一分足らずで出た。
そして本日は、下流の小田急線の『成城学園前』駅と『喜多見』駅の中間点に流れる地点まで、
めざして隣接した遊歩道を歩いた。
歩き始めると前方から70代のご夫婦が散策されたり、
私の少し前には60代の男性がウォーキングされていたが、私は急ぎ足で追い抜いて5分ばかり歩き、
そして世田谷区の区域に入った後、ひとりの奥様風で高価な長袖のポロシャツを召され、
お洒落な夏帽子を深く被ったお方から、
『こんにち~わ』
と挨拶されて、私は見知らぬ60歳前後の女性の優雅なしぐさに戸惑い、ひと呼吸した後、
『こんにち~わ! 良き朝のひとときですねぇ』
と明るく大きな声で応(こた)えた。
『そうですわねぇ。貴方様のおしゃる通り、心地よいひとときです』
と見知らぬ60歳前後の女性は応(こた)えた。
私は黙礼をした後、再び遊歩道を歩いた。
この平日の時間は、働いて下さる諸兄諸姉の通勤される方、私のように年金生活をしている方たち、
多くの人がこの遊歩道を歩いている。
そして私は対岸の遊歩道に向かう為に、歩道橋を渡る時、
定年後から何かと魅せられている情景をデジカメで撮ったりした。
この後、対岸の遊歩道を歩いて、近くのベンチに腰を下ろした。
そして通勤される諸兄諸姉の方たち、そして通学される中学生を見たりしていた。
私は民間会社の中小業に35年近く勤めて、2004〈平成16〉年の秋に定年退職後した。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、家内とたった2人だけの家庭となり、
古惚けた一軒家に住んでいる。
こうした中で、私たち夫婦は共に厚生年金、わずかな企業年金を頂く年金生活をしているが、
原則としての生計は、厚生年金、わずかな企業年金を頼って、生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
このように私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
私は働いて下さる諸兄諸姉の方たちが通り過ぎて行く、颯爽とした姿を見たりして、
大変だなぁ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
こうした私の根底には、
もとより私たちの高齢者がお世話になっている社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えて下さっている現実がある。
その上に昨今の現役世代の諸兄の状況は、『選別主義』の中で『常時リストラ』時代、
と学んだりした。
このことは、溝上憲文(みぞうえ・のりふみ)氏の著作『非常の常時リストラ』(文春新書)を、
私は4日前に読み、痛感しながら涙を浮かべたりした。
私の勤めた業界でも、私の50代にリストラ烈風となり、
私も50代の半(なか)ばから出向となり、
自分の敵は自分です、と悪戦苦闘しながらも関連先で定年退職時を迎えたが、
遥かに現代の会社は過酷である、と改めて教示されたりしたからである。
そして私は、サラリーマンを卒業して無力な身であるが、
どのような困難に遭遇しても、気力をなくすことなく、自分の敵は自分です、と精進して欲しい、
と祈願したりした。
この後、私は再び歩道橋を渡りきると、遊歩道には小学生の多くの学童が見られた。
近くに区立の小学校があり、今の時間が通学時間帯か、と実感させられた。
小学生の上級生の男の子の4人連れが、戯(たわむ)れながら談笑したり、
女の子の3人が、楽しげに談笑したり人たちと私はすれちがったりした。
そして2年生ぐらいの男の子の二人連れが歩いてきて、
『こんにち~わ』
と二人が口を合わせるように私に挨拶されて、私は微笑んだりした。
そして私も明るく、
『こんにち~わ』
と私は男の子の二人連れを見ながら、応(こた)えた。
やがて私は男の子の二人連れの後ろ姿を見送りながら、
この男の子たちのご家庭の親御さんの情操教育のしつけも良いと思われるが、
何よりも男の子の自身の身につけた何気ないしぐさ、言葉に私は魅了されたのである。
この後、小公園の中を歩いたりして、
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