私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の高齢者4年生の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であるが、
家内は過ぎし4月28日より独り住まいとなっている家内の母宅に7泊8日で行っている。
私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の2004〈平成16〉年の秋の直前に主人に死去され、
独り住まいの生活をされて、早や8年が過ぎている・・。
家内の母は友人たちのグループで、国内旅行、買い物などを楽しんで過ごしたり、
ときおり自身の故郷の新潟県の上越市(旧・高田市)に里帰りし、同期の人たちと交流を深めたりしている。
そして83歳となっている今としては、
身体は衰えても心は溌剌として元気である、と私は感じたりしている。
このような中で、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて、年に6泊7日前後で5回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。
家内の母は一昨年の12月から足腰が衰え、病院の指導で杖(つえ)を使い歩いたりしてきた。
そして介護保険の行政サービスのアドバイスで、
家の中でベット、お風呂場、トイレ、小庭の出入り口などに、手摺(す)りを設置してきた。
そして、これから不要と思われる日常の備品、洋服などは、家内に諭(さと)されながら、
やむなく大幅に処分したりしてきたが、
やはり敗戦後の物不足を体験した家内の母は、いつにか使うの、と躊躇(ためら)い、
母と娘の口論となってしまった、と私は家内から聞き、微苦笑してきた。
今回も晩春から初夏に備えて、家内は家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
この間は私は『おひとりさま』の生活となり、のんびりと気ままな独り住まいをしている。
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良しねぇ、と何と社交辞令を頂いている私たちでも、
いずれのどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
今回たまたま『おひとりさま』の生活となった私は、特別演習かしら、と思ったりしている。
平素の私は、煙草を喫う愛煙者のひとりで、スポーツは無縁で、
根がケチな性格なのか、駅前までの路線バスなどは乗らず、殆ど毎日のように買物も歩いて行ったり、
その後は遊歩道、公園などをひたすら歩き廻ったりしている。
そして、お酒大好きだった呑兵衛の私は、3年前の晩秋に何とか卒業して、
冠婚葬祭、国内旅行以外は週に一度ぐらいは自宅で呑むぐらいとなっているが、
このような齢ばかり重ねぐうだらな生活をしている私は、
私としては家内より早くあの世に行く、と私は現役サラリーマンの50代の初めの頃から確信を深めてきた。
しかしながら、こればかりは天上の神々の采配にゆだねられているし、
まして、この世の中は、先のことは何が起きるか解からないので、
一年に何回かは、家内に先立だれた場合のことを考えたりしている。
私は家内と日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、とお互いに確認し合っている。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
そして私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが、何よりも困ると思ったりしている。
今回、たまたま『おひとりさま』となっているが、
朝一番に行うことは、台所にある市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日を確認して、
これに対応して、指定された道路に面した門扉に置いたりした。
そして、最優先として一合ばかりのお米を洗い電気炊飯器に5分後にセットした。
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、煎茶を飲んだりした。
朝食は幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜』としている。
私は単細胞のひとりなので、白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
そしてコブの佃煮、ラッキョ、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰が、
不変のように食べたりしてきた。
昼食は煎茶、インスタント・コーヒーを飲みながら、レーズンロールのパンを3つばかり食べたり、
或いは菓子パンを食べたりしてきた。
夕食はスーパーで買い物をし、野菜コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
煎茶を飲みながら食べたりしてきたが、
なぜかしら独りだと寂しいので、缶ビール350mlを2本だけ呑んだり、
テレビのニュースを視聴したりした。
洗濯に関しては、乾燥の機能がある洗濯機をオール自動セットに頼り、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、
家内から借りたエプロンを着て、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、8時過ぎが多かった。
この間、平素のように本を読んだり、居間でビデオ棚から映画の作品を観たり、
或いは音楽棚から聴きたいCDを取りだして聴いたりしてきた。
このような生活を過ごしてきたが、料理に関しては素材から焼いたり、煮たりすることは無く、
掃除も簡略に済ませてしまうので、家内のいる平素日常生活から落第生となっている。
そして作家の曽野綾子さんの『夫族の中で、生活者として無能な人・・』と銘言に、
私は叱咤激励されながら、小・中学生の時は劣等生であった私は、
やはり年金生活の『おひとりさま』の劣等生かしら、と苦笑を重ねてきた。
定年後の私は、上野千鶴子(うえの・ちずこ)著作の『男おひとりさま道』で概要を学び、
愛妻を亡くされた倉嶋 厚(くらしま・あつし)著作の『やまない雨はない』、
徳岡孝夫(とくおか・たかお)著作の『妻の肖像』、
垣添忠生(かきぞえ・ただお)著作の『妻を看取る日』、
川本三郎(かわもと・さぶろう)著作の『いまも、君を想う』、
新藤兼人(しんどう・かねと)著作の『愛妻記』、
それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。
或いは私は、定年後まもなくして『ブログ』の世界を知り、
私もブログのサイトを開き、身過ぎ世過ぎの年金生活の中で、感じてきたことや思索していることを
あふれる思いを真摯に、ときには楽しく投稿文を重ねてきた。
そして数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けてきた・・。
ここ数年、特に『おひとりさま』の男性、女性の投稿文を精読する時がある。
そして私が感じるには、何かと遺(のこ)された男性は弱く、女性は強い、と私は確信を深めたりしている。
大半の男性は、一家の主(あるじ)として、家計の収入に長らく責務を果たしながら奮戦し、
妻は料理、洗濯、掃除はもとより、育児、やがて子供の学業などの支援など、
あらゆる面の後方支援となり、家庭の専守防衛長官を果たしてきた人が多い。
そして定年退職後、男性は単身赴任の経験のない人は、
日常の肝要な買物、料理、洗濯、掃除などに関して、未経験の分野で戸惑う方が多く、
妻にして頂く立場が多い、と知人からも聞いたりしている。
こうした高齢者65歳以上の男性が、思いもかけずに愛妻に死去された後、
『おひとりさま』の生活は・・ぐうだらな私でも考えさせられるのである。
その上、妻との苦楽の過ぎ去り日々の出来事などはもとより、
或いは青年期から何人かの交際してきた女性たちで、やむなく別れた人に、いまどうしているのかしら、
ときおり振り返ったりする男性も多い、と私は学んだりしてきた。
何かしら女性の多くは、くよくよと苦悶した後、その後は現在の状況に精進し、
多くの方が生き生きと生活をしている、と学んだりしてきた。
こうして『おひとりさま』の男性、女性を考察させて頂くと、女の人は強いよねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であるが、
家内は過ぎし4月28日より独り住まいとなっている家内の母宅に7泊8日で行っている。
私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされている。
私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職日の2004〈平成16〉年の秋の直前に主人に死去され、
独り住まいの生活をされて、早や8年が過ぎている・・。
家内の母は友人たちのグループで、国内旅行、買い物などを楽しんで過ごしたり、
ときおり自身の故郷の新潟県の上越市(旧・高田市)に里帰りし、同期の人たちと交流を深めたりしている。
そして83歳となっている今としては、
身体は衰えても心は溌剌として元気である、と私は感じたりしている。
このような中で、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
庭掃除、季節に応じたのカーテン、布団、衣服、暖冷房器具などの出し入れがままならす、
家内が大掃除を兼ねて、年に6泊7日前後で5回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。
家内の母は一昨年の12月から足腰が衰え、病院の指導で杖(つえ)を使い歩いたりしてきた。
そして介護保険の行政サービスのアドバイスで、
家の中でベット、お風呂場、トイレ、小庭の出入り口などに、手摺(す)りを設置してきた。
そして、これから不要と思われる日常の備品、洋服などは、家内に諭(さと)されながら、
やむなく大幅に処分したりしてきたが、
やはり敗戦後の物不足を体験した家内の母は、いつにか使うの、と躊躇(ためら)い、
母と娘の口論となってしまった、と私は家内から聞き、微苦笑してきた。
今回も晩春から初夏に備えて、家内は家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
この間は私は『おひとりさま』の生活となり、のんびりと気ままな独り住まいをしている。
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良しねぇ、と何と社交辞令を頂いている私たちでも、
いずれのどちらかは片割れとなり『おひとりさま』となるので、
今回たまたま『おひとりさま』の生活となった私は、特別演習かしら、と思ったりしている。
平素の私は、煙草を喫う愛煙者のひとりで、スポーツは無縁で、
根がケチな性格なのか、駅前までの路線バスなどは乗らず、殆ど毎日のように買物も歩いて行ったり、
その後は遊歩道、公園などをひたすら歩き廻ったりしている。
そして、お酒大好きだった呑兵衛の私は、3年前の晩秋に何とか卒業して、
冠婚葬祭、国内旅行以外は週に一度ぐらいは自宅で呑むぐらいとなっているが、
このような齢ばかり重ねぐうだらな生活をしている私は、
私としては家内より早くあの世に行く、と私は現役サラリーマンの50代の初めの頃から確信を深めてきた。
しかしながら、こればかりは天上の神々の采配にゆだねられているし、
まして、この世の中は、先のことは何が起きるか解からないので、
一年に何回かは、家内に先立だれた場合のことを考えたりしている。
私は家内と日頃から、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、とお互いに確認し合っている。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
そして私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行うが、
何より長年寝食を共にし、人生の大半の苦楽を分かち合い、
気楽に安心して話す相手がいなくなったことが、何よりも困ると思ったりしている。
今回、たまたま『おひとりさま』となっているが、
朝一番に行うことは、台所にある市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日を確認して、
これに対応して、指定された道路に面した門扉に置いたりした。
そして、最優先として一合ばかりのお米を洗い電気炊飯器に5分後にセットした。
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、煎茶を飲んだりした。
朝食は幼年期に農家の児として育ったので、齢はかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜』としている。
私は単細胞のひとりなので、白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
そしてコブの佃煮、ラッキョ、福神漬け、シャケの瓶づめ、或いは鯖(サバ)の味噌煮の缶詰が、
不変のように食べたりしてきた。
昼食は煎茶、インスタント・コーヒーを飲みながら、レーズンロールのパンを3つばかり食べたり、
或いは菓子パンを食べたりしてきた。
夕食はスーパーで買い物をし、野菜コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
煎茶を飲みながら食べたりしてきたが、
なぜかしら独りだと寂しいので、缶ビール350mlを2本だけ呑んだり、
テレビのニュースを視聴したりした。
洗濯に関しては、乾燥の機能がある洗濯機をオール自動セットに頼り、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、
家内から借りたエプロンを着て、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、8時過ぎが多かった。
この間、平素のように本を読んだり、居間でビデオ棚から映画の作品を観たり、
或いは音楽棚から聴きたいCDを取りだして聴いたりしてきた。
このような生活を過ごしてきたが、料理に関しては素材から焼いたり、煮たりすることは無く、
掃除も簡略に済ませてしまうので、家内のいる平素日常生活から落第生となっている。
そして作家の曽野綾子さんの『夫族の中で、生活者として無能な人・・』と銘言に、
私は叱咤激励されながら、小・中学生の時は劣等生であった私は、
やはり年金生活の『おひとりさま』の劣等生かしら、と苦笑を重ねてきた。
定年後の私は、上野千鶴子(うえの・ちずこ)著作の『男おひとりさま道』で概要を学び、
愛妻を亡くされた倉嶋 厚(くらしま・あつし)著作の『やまない雨はない』、
徳岡孝夫(とくおか・たかお)著作の『妻の肖像』、
垣添忠生(かきぞえ・ただお)著作の『妻を看取る日』、
川本三郎(かわもと・さぶろう)著作の『いまも、君を想う』、
新藤兼人(しんどう・かねと)著作の『愛妻記』、
それぞれの各氏の愛妻の終末の病状、そして告別の死、その後の『おひとりさま』の生活状況を多々教示されてきた。
或いは私は、定年後まもなくして『ブログ』の世界を知り、
私もブログのサイトを開き、身過ぎ世過ぎの年金生活の中で、感じてきたことや思索していることを
あふれる思いを真摯に、ときには楽しく投稿文を重ねてきた。
そして数多くの方の投稿文を読ませて頂きながら、
日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、とご教示されることが圧倒的に多く、
確かな人生の教科書と思い、多々ご教示を受けてきた・・。
ここ数年、特に『おひとりさま』の男性、女性の投稿文を精読する時がある。
そして私が感じるには、何かと遺(のこ)された男性は弱く、女性は強い、と私は確信を深めたりしている。
大半の男性は、一家の主(あるじ)として、家計の収入に長らく責務を果たしながら奮戦し、
妻は料理、洗濯、掃除はもとより、育児、やがて子供の学業などの支援など、
あらゆる面の後方支援となり、家庭の専守防衛長官を果たしてきた人が多い。
そして定年退職後、男性は単身赴任の経験のない人は、
日常の肝要な買物、料理、洗濯、掃除などに関して、未経験の分野で戸惑う方が多く、
妻にして頂く立場が多い、と知人からも聞いたりしている。
こうした高齢者65歳以上の男性が、思いもかけずに愛妻に死去された後、
『おひとりさま』の生活は・・ぐうだらな私でも考えさせられるのである。
その上、妻との苦楽の過ぎ去り日々の出来事などはもとより、
或いは青年期から何人かの交際してきた女性たちで、やむなく別れた人に、いまどうしているのかしら、
ときおり振り返ったりする男性も多い、と私は学んだりしてきた。
何かしら女性の多くは、くよくよと苦悶した後、その後は現在の状況に精進し、
多くの方が生き生きと生活をしている、と学んだりしてきた。
こうして『おひとりさま』の男性、女性を考察させて頂くと、女の人は強いよねぇ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりしている。
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