夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活の中、幸(しあわ)せなひとときを実感させられる時は・・。

2013-05-13 14:34:28 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭で、
雑木の多い小庭の中で、築後35年過ぎた古惚けた一軒屋に住んでいる。

私は中小業の多い音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職後した。
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
      
サラリーマンの現役時代の私は、もとより我が家の収入の責務があるので私なりに奮闘し、
家内は結婚して3年を除き、専業主婦の身で、洗濯、掃除、料理、買い物などしたり、
親族の交際も含めて、我が家の専守防衛長官の責任を果たしてきた。

定年後の私は、年金生活を始め、家内の日常のペースを出来る限り、
乱したくないので、決意して実行してきた。

具体的には、家内は殆ど従来通りしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。

そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、責務を終えた後は散策をしたりし、
季節のうつろいを享受し、心を寄せたりしている。

このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。

こうした中で、大半の時間は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりして過ごしている。

そして、ときたま家内との共通趣味の国内旅行をして、
その地の風土、文化などを学んだりしている。
                

日頃、家内より、年寄りのみすぼらしさは、やめて下さいね、と私は言われている。
こうした関係もあり、私はせめて身なりは程ほどのメーカー品の容姿となり、
溌剌とした表情で、颯爽と歩くことが多いので、
昨今でも、ご近所の奥様たちからも、12歳若いと称されるひと廻り若い、と言われたりしている。

私はもとよりお世辞し称せられるリップ・サービスと承知しているが、
長年の交際を重ねている近所の叔父さんからも、あんたは7歳ぐらい若く見えるよ、
と言われたりしているので、
私は人生の苦労は、まだ足りないのかしら、微苦笑している。
               

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に、
大学を中退し、アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、
あえなく敗退して、やむなくサラリーマンに転進する為に、コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
何とか大手の民間会社に中途入社出来たのは、1970(昭和45)年の春であった。

そして音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
この新しいレコード専門会社に情報畑、管理畑、営業畑など35年近く勤め、
定年退職を迎えたのは2004(平成16)年の秋であった。

このようにサラリーマンの生活をしてきたが、もとより一流大学を卒業された後、
大企業、中央官庁などに38年勤め邁進し栄達された世にいわれているエリートとは、
遥かに遠い平凡な道を歩いたりしてきた。

その上、たまたま私が勤めてきた音楽業界は、
1998(平成10)年に売上の主軸となるCDがピークとなり、この少し前の年からリストラ烈風となり、
私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、 私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。

私は本社で30年近く勤めいたが放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
               
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004〈平成16〉年の秋に定年退職を迎えたのである。

そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、
退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
              

年金生活を始めて、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
このように自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの何かと多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
                
そして自宅の小庭の雑木の四季のうつろいを眺めたりし、
朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、ゆっくりと時を過ごし、
苦楽の激しかった過ぎ去った日々に愛惜を重ねながら、微苦笑したりしている。
                    
或いは駅前に家内から依頼された買い物を終えた後、
その後は本屋に寄ったりして、魅了される本を選定するのが楽しみで、数冊買い求めたりすることが多い。

こうした時、商店街を歩いていたのであるが、数多くの高校生の方たちにすれ違ったりした。

この付近は、音楽専門大学の付属高校、都立高校があり、

今頃に下校時間だったのか、
と私は年金生活をしているので、ときおり社会の動きに不明となっている。

都立高校の近くの歩道を歩くと、数人のグループの高校生が圧倒的に多く、
談笑しながら携帯電話かスマートフォンを触りながら歩いてきたりし、
私は昨今の高校生の言動に微苦笑したりした。

この後、独りだけで小柄な容姿で、黒髪でセミロングした女子高校生が、
本か教科書か解からないが小脇に抱えて歩いてきた。
幅の狭い歩道であったので、私は脇に寄り、道を譲ろうとした。
そして、この女子高校生は私の動作に気付いて、恐縮するように、道の脇に寄った・・。

私はこの女子高校生に黙礼をしながら、すれ違がおうとした時、
女子高校生は私に黙礼をした。

この後、私は坂道を下りながら、
先ほどの女子高校生のご家庭の親御さんのしつけも良いが、
もとより自身の身につけた何気ないしぐさに、私は魅了されたのである。

そして、遥か遠い昔の50年前頃、私が高校生だった時、
ときおり楽譜を胸に抱きしめるように歩くビアノ専攻科の女学生とか
本も大事そうに持った文学少女を見かけたが、あのような容貌としぐさだったかしら、
と私は思わず微笑んだりした。

ここ30年近く社会は劣化する中で、
私はのんびりと昼下りに、何よりも好きな本を購入でき、
その上、偶然の賜物として、文学少女のような女子高校生に30秒ばかりめぐり逢え、
幸(しあわ)せな甘味のひとときを過ごせたのである・・。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
font>
>にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
人気ブログランキングへ<
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする