夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

そよ風に身をゆだねて遊歩道を歩き、この時節の情景に微笑み・・。

2013-05-28 16:22:15 | 定年後の思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む68歳の身であるが、
今朝、家内と共に食事した後、
『今日は・・どちら方面に買物を行けばよいの?』
と朝食後、家内に訊(たず)ねた。

家内は新聞の朝刊に添付されているスーパーなどのチラシを見た後、
『そうねぇ・・少し遠いけれど・・XXに行って下さると助かるけれど・・』
と家内は私に言った。

何かしら京王線の『国領』駅の近くにある大型スーパーで、
チラシに丸印の品を買い求めてきて欲しい、このような意味合いであった。


私はサラリーマンの現役時代に於いては、もとより我が家の収入の責務があるので私なりに奮闘し、
家内は結婚して3年を除き、専業主婦の身で、洗濯、掃除、料理、買い物などしたり、
親族の交際も含めて、我が家の専守防衛長官の責任を果たしてきた。

定年後の私は、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。

そして年金生活を始め、家内の日常のペースを出来る限り、乱したくないので、
決意して実行してきた。
     
具体的には、家内は殆ど従来通りしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。

そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、責務を終えた後は散策をしたりし、
季節のうつろいを享受し、心を寄せたりしている。
          
こうした私の真情があるので、今朝も、
『ハイ! 了解! 行ってきます!』
と少しボケてきた私は、せめて返事ぐらいは、
若き自衛隊の諸兄に負けないように明るい声で、家内に応(こた)えた。


私は年金生活を始めてから、根がケチな性格の為か、
我が家の周辺は路線バスなど利便性のある地域であるが、
殆ど私はひたすら歩くことが多いのである・・。

本日の場合は、我が家から『国領』駅の近くにある大型スーパーに行くのは、
近くの大通りに路線バスもあり、15分ぐらいで到着するので、
我が家の周辺の方は、殆ど利用されている。

私は220円のバス代を支払い利便性を享受するより、
我が家の近くに流れる野川の遊歩道を上流に向かって歩けば、
景観に良いし、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。


私は曇り時々晴れの中、野川の上流に向かい遊歩道を歩きはじめ、
半袖のスポーツシャツ、長ズボン、ウォーキングシューズ、
小型バックを斜め掛け、その上にたまたまコンパクトのデジカメを首回りから下げて、
夏帽子を深く被ったりした。
          

そして川風か薫風か解らないけれど、 そよ風に身をゆだねて遊歩道を歩いた・・。
やがて単細胞の私は、

♪しあわせは 歩いてこない
 だから歩いて ゆくんだね

【『三百六十五歩のマーチ』 作詞・星野哲郎、作曲・米山正夫、唄・水前寺清子 】

なぜかしら、この歌を心の中で唄っていたのである。

この後、この歌が世の中に流れていた1968(昭和43)年の晩秋の頃を思い馳せたりすると、
年齢をより何かと若いと言われている私でも、齢は隠せないなぁ、と微苦笑したりした。
               
この後、私の好きな小公園に立ち寄ったりした。
          

やがて私は家内から依頼された品を大型スーパーで購入した後、
帰路に向った。
          
そして、5分ばかり歩いた後、コンビニに寄り、煎茶のペットボトルを買い求めて、
喉を潤(うるお)して、
再び歩き始めた・・。
               
平日のひととき、こうして川沿いの情景を見ながら、片道2キロばかりの道を歩けるのは、
現役サラリーマンの時は、数多くの方たちと同様に多忙だったので、
夢のようなひとときである、と改めて微笑んだりして、我が家に向った。

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コメント (3)
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