夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

瀬戸内寂聴さんの御著作から、つたない私でも、教示された人生の格言は・・。

2016-06-01 14:54:21 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼食後、ぼんやりとネットを見ていた中で、
【 瀬戸内寂聴さんが94歳に 闘病で「ウツになりかけた」 】と見出しを見て、
あの気丈夫な御方が、どうしてと思いながらクリックして、記事を読んだりした・・。

私は遅ればせながら読書に目覚めたのは、高校に入学してまもない時期であり、
1960年〈昭和35年〉の春であった。

創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力であった。

これ以来、小説、随筆、ノンフィクション、近代史、歴史書など乱読をしているので、
早や55年過ぎている読書好きのひとりである。

年金生活をしている私は、過ぎし2008年〈平成20年〉の初夏の頃、
たまたま石原慎太郎、瀬戸内寂聴の両氏に寄る『人生への恋文~往復随筆~』(文春文庫)を読み、
両氏から人生の哲学のようなことを数多く学んだりした。

この中で、特に瀬戸内寂聴さんの一節が深く心に残り、
温かみのある助言を頂ただけた、と私は今でも心の片隅に残り、感謝している。
            

私は瀬戸内寂聴さんとは、もとより未知の人であり、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の頃には、
この当時は瀬戸内晴美さんの名で上梓された初期短編集を読み終えた後、
この後の『夏の終り』の作品は、友人、知人に絶賛したひとりである。

その後、1970年〈昭和45年)に大手の民間会社に中途入社する時までは、
ある程度この御方の作品を読んでいたが、
その後は私なりに企業戦士の一員となり、この御方の作品を読むことなく過ぎていた。

やがて2004年〈平成16年〉の秋に、私は定年退職した後、
まもなく水上 勉さんとの共著の『文章修業』(岩波書店)で、
両氏の純文学の熱く深い思いを改めて学んだりした。

このように瀬戸内寂聴さんの愛読者とは、いえない立場の私であるが、
『人生への恋文~往復随筆~』を読んでいる一節に深く考えさせられ、
限りない人生の助言を頂けた、と思っている。
            

無断であるが、この『人生への恋文~往復随筆~』の中からの一節には、
《・・人間はひとりひとりが、この世に自分ひとりしか持っていない、
かけ替えのない個性と資質に、誇りを持って、世俗の常識に巻きこまれず、
わが道を独りでも行くという気概を失わないことが大切だと、
わたしもかねがね思っていました。

お釈迦さまの教えの中にも
「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
というのがあります。
わたしはの大好きなことばです。・・》
注)「心に光を」ページ224から引用。原文よりあえて改行を多くした。

私の定年退職するまでの半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
この一節の文章から、つたない身ながら、
セカンドライフの残された人生の日々に、陽光を頂いた、と思ったりした。

そして、私は高校生の初め、読書に熱中し始めた頃、
古文の先生が授業の合間で、どのような本でも必ず学ぶ一行はあり、読書は心の栄養である、
と私たち生徒に明言されたことを思い馳せながら、
確かにそうですよねぇ、と齢を重ねた私は、心の中で呟(つぶや)いたりしている。
            

今回の記事は瀬戸内寂聴さんが著作された『老いも病も受け入れよう』(新潮社)を発刊に伴い、
『デイリー新潮』の編集部が、今回の御著作を紹介するような内容であった。
無断であるが、転載させて頂く。

《・・5月15日、作家の瀬戸内寂聴さんが、京都市の寂庵にて、およそ160人を前に法話を行った。

この日、94歳の誕生日を迎えた寂聴さん。
「まさかこんなに生きるとは」「(法話をするのは)これで最後だと思っているの」など自虐発言で会場を沸かし、
「愛するために人は生きるの」と語った。

法話は1時間半ちかくに及び、安倍政権への批判、
先ごろ呼びかけ人に名を連ねた女性支援のためのネットワーク「若草プロジェクト」についてのほか、
自身の健康にまつわる話題も。

88歳で腰椎圧迫骨折、92歳で再び背骨の圧迫骨折、胆のうガン切除手術を経験し、
二度の寝たきり生活の経験がある寂聴さんは、“さすがに、ウツになりかけた”と闘病を振り返る。


「普段、身の上相談されているから(自分がウツだと)わかるの。
“もう嫌だ”とか“早く死んだほうがマシ”とか思ってね。
なにか陽気なことを考えよう、って」(寂聴さん)

こうした経験に基づいて書いた『老いも病も受け入れよう』(新潮社)が、5月31日に出版される。
            

94歳を迎えた寂聴さんが、若さと長寿について初めて綴ったその思いは、本のタイトルにもこめられており、
「人間は老いるし、病気にもなる。
なりたくなかったら、早く死ねばいいの。

結局、反対したってなる。
いかに私が病気の時に嫌な思いをしたか、苦しかったか、
友達から優しくしてもらって嬉しかったか、その辺を全部書きました」

すべてを受け入れたという寂聴さんは、闘病中も、“仕方ないから戦わなかった”という。
法話では質疑応答の場が設けられ、参加者からの人生相談が寄せられたが、そんな人々に寂聴さんはこう説くのだ。

「お釈迦様は、この世は苦だと、おっしゃってらっしゃいますからね。
苦しみがないっていうのは、ちょっとおかしい(笑)。
でも、それが人生ですからね。
私一人がこんな目にと思わないで、これが人生だと思って生きてください」・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
                        

私は過ぎし日に確かテレビ番組で、瀬戸内寂聴さんは介護士に伴われて、リハビリの状況、
或いは執筆されている状態、或いは秘書の方たちと談笑されているご様子など、視聴したりした。

今回の瀬戸内寂聴さんの発言でも、《お釈迦様は、この世は苦だと、おっしゃってらっしゃいますからね。
苦しみがないっていうのは、ちょっとおかしい(笑)。
でも、それが人生ですからね。
私一人がこんな目にと思わないで、これが人生だと思って生きてください」》
こうした晩年期の人生哲学を私は学んだりした。

そして確か亡き作家・渡辺淳一さんは、その年にならないと解らない、
とこのような意味合いを記載されていたことを思い重ねて、私は学んだりした。

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