夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときおり『おひとりさま』になる老ボーイの私は、優雅な生活かしら、と微苦笑したり・・。

2016-06-02 14:17:08 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

過ぎし年、私の父は私が小学2年の時に病死し、母は1998年(平成10年)1月に死去され、
私は53歳の時であった。

そして家内の父は、私が定年退職する2004年〈平成16年〉の秋の直前に病死され、
このような状況となり、我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

家内の母は我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、早や11年半が過ぎている・・。
                        

長女の家内は、家内の母が独り住まいとなった当初から、
安否を含めて、殆ど毎晩30分前後ぐらい電話連絡をしたりしている。

そして私たち夫婦は7年前の頃までは、年に数回は国内旅行に誘い、
やがて、家内の母の『母の日』には、やはり温泉ね、と要望され温泉滞在旅行が多かった。

家内の母は、平素は女友達のグループで小旅行をしたり、街歩きをしたり、
或いは独りで実家の上越市に訪れたりすることが多い。

この間、やはり後期高齢者の身であるので、内科、眼科、整形外科などに通院してきた。

このような中で、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっていた。

この間、私は『おひとりさま』の生活となっているが、
私たち夫婦は無念ながら、いつの日にか片割れとなり『おひとりさま』となるので、
特別演習かしら、と思いながら私は過ごしている。
           
こうした中で年末年始は、独り住まいになっている家内の母を我が家に来てもらい、
私たち夫婦と共に年末年始を共に過ごすのが、ここ11年の恒例行事のようになっている。
                       

独り住まいとなった家内の母は、千葉県の八千代市に一戸建てに住み続けて、
年金を頼りに程ほどの貯金を崩しながら、おひとりさまの生活をしている。

確か8年前の頃だったと私は記憶しているが、
年金は月平均14万円前後で貯金を少しづつ崩しているが、長生きを考えると心ぼそいわ、
と家内の母はこのような意味合いの言葉を、長女の私の家内に言った。

そして私は家内から聞いて、毎月少し融資を受けられる『リバースモーゲージ』を本格的に調べたりした。
『リバースモーゲージ』は、老後資金がどうしても不足してしまう場合には、自宅不動産を活用し、
自宅を担保にお金を借りて、慣れた自宅を手放さず、死亡後に担保を売却して元本を返済する方法である。

やがて家内は孤軍奮戦した結果、家内の母の住む八千代市の社会福祉協議会より、
家内の母は、毎月3万円の融資を受けている。

この間、社会福祉協議会より一戸建ての査定をして、相場の70%前後の融資総額となり、
家内の母の相続人の長女の家内、そして次女などの承諾書を提出したりしてきた。

家内の母は、家内に、お父さんの遺(のこ)された一戸建て・・私の老後で喰いつぶしてしまうけれど、
とこのような意味合いの言葉を家内に言った、と後日に私は家内から聞いた。
                       

私は家内に結婚してまもない時に、
お義父(とう)さんとお義母(かあ)さんが築きあげてきた財産に関して、
どのようにお使いになっても、僕は関係ないょ・・と私は家内に言ってきた。

こうした私の根底には、私が結婚する時、私の母から、
男子(だんし)たる者は、奥さんの実家の財産をあてにするのは、最低の男だからねぇ、
と私は叱咤激励されたので、もとより家内の母のいつの日にかの遺産は、あてにしてこなかった。

やがて家内の母は、年金に毎月3万円頂くので助かるわ、と家内に言ったと、
と私は家内から聞いたりして、悦んだりした。

そして家内の母は、自身の葬儀代を預けるから、と家内に程ほどの金額を振り込んだ、
と私は家内から聞いたりして、私は微苦笑しながら、
お義母(かあ)さんらしいねぇ、と家内に言ったりした。
                                          

やがて家内の母は、5年前の81歳を過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、
杖(つえ)を突いて歩く身となった。

まもなく市の福祉課を通して、『要支援2』と認定されて、
市の福祉課からのアドバイスにより、住まいの一部を補修したりしたが、
介護の助成金のお蔭で、たった一割負担で済んだりした。

そして私たち夫婦は、お醤油、ソースなどの調味料、洗剤、雑貨品などの重い品物と感じられる品の数々を、
積極的に宅配便を活用して送付したりしている。
            
      
やがて昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

やがて数週間前、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

何かしら身だしなみや掃除などの身の回りの世話に手助けが必要で、
立ち上がり、歩行、移動の動作に支えが必要とする時があり、
排泄や食事は殆ど自分でできるが、問題行動や理解の低下がみられることがある方が対象されている。

こうした状況を家内から教えられた私は、いよいよ老々介護の時代に私たち夫婦はなった、と実感した。
                       

たまたま過ぎし5月31日の早朝、家内は独り住まいの家内の母宅に、3泊4日で介護に行く日であったので、
私は平素より2時間半ばかり早く、4時少し前に起床した。
やがて私たち夫婦は朝食後、まもなく玄関の軒下に降り立った。

そして6時少し前、私は門扉の近い道路に降り立って、
『お義母(かあ)さんに、よろしく・・』
と私は家内に言った後、家内を見送くったりした・・。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

私は『おひとりさま』になる生活は、何かと単細胞の性格の為、余り変化はない。
            

平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っているのが、実態となっている。

朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりした。

そして、台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりする。

前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
やがてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰かシャケの瓶づめとしてきた。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、冷(さ)ました後、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
                       

やがて朝食後、台所で皿洗いなどをして、水遊びをした。
          
昼食はフランスパンを三分の一に、少しだけマーガリンを付けて、
アイスコーヒーを飲んだりしながら頂いたりしている。

そして夕食は、前菜として冷凍ブロッコリーを電子レンジで温めた後、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、盛大に食べたりした。

こうした中 殆ど毎日、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、冷茶を飲みながら食べたりしてきた。

しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、缶ビール500mlを2本だけ呑んだり、
ときにはウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、テレビのニュース、
或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
                            

日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って呟(つぶや)いたりした。

そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、埃は多少あっても生活には困らないよなぁ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、掃除機を曳(ひ)いて、各部屋を廻り、孤軍奮闘したりした。
                      

夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

或いは私たち夫婦が外出する時は、玄関などの鍵は二か所にしている。

平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。

私たち夫婦は何かと、二人で一人前と思ったりする時がある。

このような思いから、私は家内の留守の間に、空き巣、放火に遭遇したりすると、
もとより私たち夫婦の残された人生に困苦するし、
まして私の不手際で火災を発生させたら、我が家の老後の人生設計は根底から悲惨になる。

このように私は戸締りは、たとえ『おひとりさま』であっても、真剣に執り行っている。

平素は朝食と夕食は殆ど定時で、私は家内と談笑しながら頂いているが、
私が『おひとりさま』の生活をしていると、自由気ままな食事時間となったりしている。

家内はもとより家内の母宅で、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどで奮戦しているが、
これに比べれば、私は勝手気ままな優雅な生活をしている。
            

こうした中で、私は家事は手抜きながら、専業主婦は何かと大変だ、と改めて気付かされて、
微苦笑したりしている。

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コメント (2)
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