私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。
そして定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
こうした後、独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりし、
私の容姿は、上半身は夏帽子を被り、長袖のスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズとなっている。
そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された状景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
こうした中で、ひたすら歩く根底のひとつには、何よりも認知症になることが恐れている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くこと、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごし、11年半が過ぎている。
こうした心情を秘めている私は、昨夜ネットを見ていたら、
【 認知症!?の疑いがあったら、専門医開発の「様子の観察」から 】と題された見出しを見て、
どういうことなょ、と思いながら、クリックしてしまった・・。
そしてこの提供したサイト元が『OurAge 』と公式サイトであり、
確か私は二度目であり、苦笑してしまった。
もとより『OurAge 』公式サイトは、《・・集英社の雑誌MyAgeのオンラインメディア、「OurAge」のサイトです。
OurAgeは、女性の美と健康を応援します。》と記載され、麗(うるわ)しき女性の向けであったが、
老ボーイの私でも、 恥ずかしながらも、「認知症」の疑いがテーマだったので、こっそりと読んでしまった。
この記事は、【OurAge】 6月6日に配信された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。
《・・日本で先陣を切って「もの忘れ外来」を開設し、これまで3万人以上の認知症患者の診療にあたってきた、
「医療法人三歩会 おくむらメモリークリニック」院長の奥村歩さん。
「認知症の治療の決め手は、先手必勝!」と断言する奥村医師が開発したのが、以下の「おくむら式チェックリスト」。
親や親戚など、ちょっと気になる対象がいたら、本人の様子をさりげなく観察して。
☆「今までできていたのに、できなくなったこと」について
*今までできていた仕事や家事が、こなせなくなった
*料理の味が変わった、メニューが単調になった
*部屋が片付いていない、風呂やトイレが前より汚れている
*以前に比べておしゃれをしなくなった(女性の場合、外出時もお化粧をしなくなった)
*テレビのリモコン操作ができなくなった
*栓抜きで瓶のふたが開けられず、缶切りで缶詰のふたが開けられなくなった
*よく行く場所なのに道に迷うようになった
*薬の管理ができなくなった
*今まで好きだったもの、ことに対して興味や感心がなくなった
*テレビドラマの内容が理解できなくなった
*頻繁に車の事故を起こすようになった
☆「本人のもの忘れ」について
*同じことを言ったり、聞いたりする
*人と会う約束やその日時を忘れる
*最近の出来事で、印象的だったはずのことが思い出せない
*電話で受けた内容が、伝達できない
*大切なものをなくしたり、置き忘れたりすることが多くなった
*水道やガス栓の閉め忘れが目立つようになった
☆「性格の変化」について
*夫婦喧嘩が、多くなった
*怒りっぽくなった
*以前より、ひがみっぽくなった
*よく愚痴を言うようになった
*ひとつのことに、執着するようになった
*憂鬱そうになった
*元気がなくなった
3項目とも、当てはまる項目が1以下なら青信号、2~3なら黄信号、4以上なら赤信号。
☆「変な様子」について
*財布を盗まれたと言って騒ぐ
*幻視を見る
*尿失禁などの排泄トラブルがある
*歩行の状態がおかしい
1つでも当てはまれば赤信号。
ただし、もし問題が見つかったとしても、決して認知症扱いはしないこと。
本人の自尊心を傷つけないようにすることが、何よりも重要だという。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私は今年の9月に誕生日を迎えると72歳になる身であり、読んだ後、
こっそりと「おくむら式チェックリスト」の「様子の観察」、こっそりと受験してしまった・・。
やがて、甘く判定すると、幸いにも該当する項目がなく、安堵しながら微苦笑したりした。
私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
こうした影響かしら、と微笑んだりした・・。
しかしながら私は、年金生活の中で齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑したりした・・。
家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
私はサラリーマン時代は音楽業界のあるレコード会社に勤めて、
50代の前半時期は、営業本部の片隅で奮闘していた・・。
こうした中で、発売しているCDシングル、CDアルバム、DVDなどの1万5000作品に於いて、
主要作品の1000作品ぐらいのタイトル名、発売年月日、そしてアーティスト名などは、
時系列で記憶し、いつでも言葉に出来たりしていた・・。
そして他社の作品でも、売上ランキングのベスト10になる作品ぐらいは、
タイトル名、発売年月日、アーティスト名なども覚えて、自宅でときおり聴たりしてきた・・。
もとより給与を頂いている身であったので、職責のひとつとして覚えざる得ない、
というのが本音でもあったが・・。
そして2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
やがて多くのことは忘れてしまったが、
私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。
祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。
ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、確か私が小学3年生の頃、
亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんの『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。
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その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。
そして定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
こうした後、独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりし、
私の容姿は、上半身は夏帽子を被り、長袖のスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズとなっている。
そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された状景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
こうした中で、ひたすら歩く根底のひとつには、何よりも認知症になることが恐れている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くこと、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごし、11年半が過ぎている。
こうした心情を秘めている私は、昨夜ネットを見ていたら、
【 認知症!?の疑いがあったら、専門医開発の「様子の観察」から 】と題された見出しを見て、
どういうことなょ、と思いながら、クリックしてしまった・・。
そしてこの提供したサイト元が『OurAge 』と公式サイトであり、
確か私は二度目であり、苦笑してしまった。
もとより『OurAge 』公式サイトは、《・・集英社の雑誌MyAgeのオンラインメディア、「OurAge」のサイトです。
OurAgeは、女性の美と健康を応援します。》と記載され、麗(うるわ)しき女性の向けであったが、
老ボーイの私でも、 恥ずかしながらも、「認知症」の疑いがテーマだったので、こっそりと読んでしまった。
この記事は、【OurAge】 6月6日に配信された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。
《・・日本で先陣を切って「もの忘れ外来」を開設し、これまで3万人以上の認知症患者の診療にあたってきた、
「医療法人三歩会 おくむらメモリークリニック」院長の奥村歩さん。
「認知症の治療の決め手は、先手必勝!」と断言する奥村医師が開発したのが、以下の「おくむら式チェックリスト」。
親や親戚など、ちょっと気になる対象がいたら、本人の様子をさりげなく観察して。
☆「今までできていたのに、できなくなったこと」について
*今までできていた仕事や家事が、こなせなくなった
*料理の味が変わった、メニューが単調になった
*部屋が片付いていない、風呂やトイレが前より汚れている
*以前に比べておしゃれをしなくなった(女性の場合、外出時もお化粧をしなくなった)
*テレビのリモコン操作ができなくなった
*栓抜きで瓶のふたが開けられず、缶切りで缶詰のふたが開けられなくなった
*よく行く場所なのに道に迷うようになった
*薬の管理ができなくなった
*今まで好きだったもの、ことに対して興味や感心がなくなった
*テレビドラマの内容が理解できなくなった
*頻繁に車の事故を起こすようになった
☆「本人のもの忘れ」について
*同じことを言ったり、聞いたりする
*人と会う約束やその日時を忘れる
*最近の出来事で、印象的だったはずのことが思い出せない
*電話で受けた内容が、伝達できない
*大切なものをなくしたり、置き忘れたりすることが多くなった
*水道やガス栓の閉め忘れが目立つようになった
☆「性格の変化」について
*夫婦喧嘩が、多くなった
*怒りっぽくなった
*以前より、ひがみっぽくなった
*よく愚痴を言うようになった
*ひとつのことに、執着するようになった
*憂鬱そうになった
*元気がなくなった
3項目とも、当てはまる項目が1以下なら青信号、2~3なら黄信号、4以上なら赤信号。
☆「変な様子」について
*財布を盗まれたと言って騒ぐ
*幻視を見る
*尿失禁などの排泄トラブルがある
*歩行の状態がおかしい
1つでも当てはまれば赤信号。
ただし、もし問題が見つかったとしても、決して認知症扱いはしないこと。
本人の自尊心を傷つけないようにすることが、何よりも重要だという。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私は今年の9月に誕生日を迎えると72歳になる身であり、読んだ後、
こっそりと「おくむら式チェックリスト」の「様子の観察」、こっそりと受験してしまった・・。
やがて、甘く判定すると、幸いにも該当する項目がなく、安堵しながら微苦笑したりした。
私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
こうした影響かしら、と微笑んだりした・・。
しかしながら私は、年金生活の中で齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑したりした・・。
家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
私はサラリーマン時代は音楽業界のあるレコード会社に勤めて、
50代の前半時期は、営業本部の片隅で奮闘していた・・。
こうした中で、発売しているCDシングル、CDアルバム、DVDなどの1万5000作品に於いて、
主要作品の1000作品ぐらいのタイトル名、発売年月日、そしてアーティスト名などは、
時系列で記憶し、いつでも言葉に出来たりしていた・・。
そして他社の作品でも、売上ランキングのベスト10になる作品ぐらいは、
タイトル名、発売年月日、アーティスト名なども覚えて、自宅でときおり聴たりしてきた・・。
もとより給与を頂いている身であったので、職責のひとつとして覚えざる得ない、
というのが本音でもあったが・・。
そして2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
やがて多くのことは忘れてしまったが、
私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。
祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。
ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、確か私が小学3年生の頃、
亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんの『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。
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