私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年の古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で、セカンドライフと称される年金生活を始めて、早や12年生となっている。
こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。
しかしながら、いつの日にか、どちらかが介護を要する身となった時、
介護施設に入所するか、或いは自宅で看取るか、ときおり漠然としながら、話し合ったりしている。
昨夜、ネットで愛読している【現代ビジネス】を見ていた時、
【 必読! 家で看取るには、実はこんなにカネがかかります
——「老衰なら病院代がいらない」は大間違い! 】と見出しを見て、
何かと私は無知であったので、真摯に読んだりした・・。
この記事の原文は『週刊現代』2015年10月17日号に掲載された記事のひとつであり、
『現代ビジネス』に2015年10月15日に配信された古い記事であるが、
私は多々教示されて、多く御方の晩年期の難題と深く思い、無断ながら転載させて頂く。
《・・寒々しい病室でダラダラと延命治療を受けるより、長年暮らしてきた家で自分らしく逝きたい。
きっとそのほうが、安上がりだし—だが、本当にそうだろうか。「在宅死」の語られざる現実を書く。
☆看取るほうの収入も減る
「昔はほとんどの人が『在宅死』でしたが、'76年に病院で亡くなる人が『在宅死』の数を上回り、
いまでは皆が『病院で死ぬのが当たり前』と思い込んでいます。
しかし、高齢者はほぼ例外なく『住み慣れた家で最期を迎えたい』と思っているものです。
『病院のほうが快適だよ』と言う高齢者は、家族に迷惑をかけまいとしていることが多いのです」
こう語るのは、尼崎市の長尾クリニック院長で、在宅医療の第一人者として知られる長尾和宏氏だ。
いま、日本は再び「在宅死」の時代を迎えている。
高齢化が進み、病床不足・医療費高騰が深刻さを増す一方、「自宅で最期を迎えたい」という人が、急増しているのである。
世界のどこにも負けない高い医療技術は、日本の誇りだ。
だが、高度な延命治療が「幸福」とは限らない。
狭い病院のベッドの上で、生命維持装置と栄養チューブにがんじがらめになって、
身動きもとれず、口もきけず死んでゆく・・
そんな家族の姿を目の当たりにし、後悔する人も多い。
「そうなるくらいなら、思い出のつまった自分の家で、家族に見送られて死にたい」
「無理な延命はいらない。できれば、苦痛の少ない老衰で、穏やかに逝きたい」と考えるのが人情だろう。
また看取る側にも、その思いに応えてあげたいという人が多いに違いない。
しかし、漠然と「家で看取るほうが、病院や施設のお世話になるよりは、ずっと安上がりのはず」
「大きな病気をせず、老衰で亡くなれば、医療費も大してかからない」と甘く見ていると、
思わぬ出費に泣かされる。
介護事業サポート会社「地暮」代表の中村聡樹氏が言う。
「確かに、長期間入院ができる療養型の病院に入院したり、広々とした個室の老人介護施設に入るよりは安上がりです。
ですが、介護を家族の力だけで、やりきるのは、不可能ですから、結局、思った以上におカネがかかります。
高齢者が施設で過ごす年数は、4年から最長で7年。
少なくとも、それと同じだけの期間を、自宅で過ごさなければならないわけです」
がんなどの大きな病気を患っておらず、ゆるやかに老衰が進んでゆく場合には、
いつまで介護を続けなければならないのか、見通しを立てるのが難しい。
5年、10年と続く場合、介護する側もまた老いて、収入は減り、年金やなけなしの貯金を切り崩してゆくのだ。
それでは、「家で看取る」と決めた瞬間から、いったいどれだけのカネが必要になるのだろうか。
☆スタートは肉親が「倒れた日」
スタートラインは、肉親が「倒れた日」だ。
高齢者の場合、脳梗塞や心臓病、あるいは骨折などで一度入院してしまうと、たとえ退院に漕ぎつけても、
以前のように全快というわけにはいかず、何らかの介護が必要になる。
その日から「看取り」は始まっていると言っても、過言ではない。
「入院と同時に、要介護認定の審査を受けるための申請をしましょう。
用紙は市区町村役場でもらえます。
この申請書を出さないと、介護保険のサービスを受けることができません。
介護認定を受けるまでに約30日かかるため、退院してすぐにサービスを使えるよう、
なるべく早めに提出したほうがいいのです」(前出・中村氏)
書類を出した後、自治体の調査員との面談、主治医による意見書の提出を経て、要介護認定が下される。
この時に遠慮せず、きちんと「どのくらい体が、不自由で困っているか」を主治医に伝えておくことが大切。
要介護度を低めに見積もられると、負担が大きくなってしまうからだ。
「せっかく家で面倒をみると決めたのに、最初から保険を頼ろうとするなんて、何だか後ろめたい」
そう思う人もいるかもしれない。
だが、素人が何もかも抱え込むのは、無謀なだけでなく危険ですらある。
女性が男性を介護しなければならないケースだと、
寝返りを打たせ、体を抱き起こすだけでも、かなりの重労働だ。
近年は、介護疲れによる虐待・暴力事件も後を絶たない。
無理をして家族関係が険悪になっては、本末転倒である。
要介護度は「要支援1・2」「要介護1~5」の全部で7段階に分かれている。
たとえば「要介護1(歩けるが、トイレや入浴で介助が必要)」に認定された場合、
月に16万6920円分まで介護サービスが利用でき、うち1割、最大で1万6692円を自己負担することになる。
ただし、この限度額を超えた分については、全額が自己負担となるので注意が必要だ。
☆総額数百万円に膨らむ
'09年5月に自宅で84歳の父親を看取った、埼玉県に住む幸田好行さん(51歳・仮名)は、
介護保険の枠内で、やりくりしながら、最期の日を迎えることができたという。
「父は悪性リンパ腫で'08年に入院していたのですが、
『病院はイヤだ。家に帰りたい』と言うので、家族で相談して自宅で看取ろうと決めました。
退院前に『要介護2』の認定を受けていたので、利用できる介護サービスは月額19万4800円分でした。
自己負担金の内訳は、週に1度の部屋掃除が253円、数日に1度体を拭いてもらうのが445円。
自宅にヘルパーや医師を呼ぶ訪問介護・訪問診療は、それぞれ1回500円ほど。
このほかに月に1度の通院費や薬代がありましたが、おおむね限度額内に収まったので、負担額は月々約2万円でした」
☆一回数百円が馬鹿にならない
30分ほどホームヘルパーや介護福祉士が自宅を訪問し、
いろいろな生活支援をしてくれる訪問介護は、介護サービスの中でも最もオーソドックスなもの。
ヘルパーに頼める内容は、「起床・就寝の介助」「食事・服薬の介助」「着替え・洗面の介助」「入浴の介助」
「トイレの介助」「体位を変える」「車いすに乗せる」「病院へ付き添う」など、
「本人が自力では、できないこと」ほぼ全般にわたる。
自宅に家族がいる場合は、調理や洗濯などの家事を代わりにしてもらうことはできないが、
自己負担額はそれぞれ1回300円程度から、最も高価な入浴介助で1200円ほど(要介護度や、住んでいる自治体によって少しずつ異なる)。
これだけ見れば、「なんだ、思ったよりは安いな」と感じる人も多いだろう。
ただし、前出の幸田さんの父親の場合は、自宅介護の期間が、約半年と短かった。
たとえ月々の出費を数万円以内に抑えることができても、それが何年も続けば総額数十万円、数百万円にふくらんでゆく。
体が不自由になるにつれ、年々かかるカネは増え、介護そのものの負担も重くなる。
さらに今年8月、介護を受ける本人の年金収入が年額280万円以上の場合に、自己負担割合が2割に引き上げられた。
負担額は、ひと昔前の倍にはね上がっている。
「一度に数百円の訪問介護でも、週に3回使えば3000円ほど、月額で1万2000円にもなるので、バカになりません。
『要支援1』の方の場合は、自己負担の限度額が約1万円ですから、あっと言う間に超えてしまうでしょう」(前出・中村氏)
もうひとつ、在宅介護をするうえで欠かせない、訪問介護と並ぶ「車の両輪」になるのが、
デイサービスとデイケア—つまり「本人が施設に出かけて、介護してもらう」タイプのサービスだ。
施設にいる間は、トイレや食事の介助を受けられるうえ、
レクリエーションに参加したり、友人とカラオケをしたりと、気分転換のチャンスにもなる。
来る日も来る日も自宅で過ごしていては、介護を受ける側も気詰まりだし、認知症などの進行を早めかねない。
介護をする側の家族も常に拘束され、疲労とストレスをため込む一方である。
デイサービスを利用すれば、7~9時間は介護から解放されるので、
その時間を家事や自分の用事にあてることができる。
2~3日の間、施設に宿泊する「ショートステイ(短期入所生活介護)」というサービスも、
ただ「介護する家族が、休むため」という理由でも利用することが可能だという。
ただし、こうした滞在型のサービスは単価がそれなりに高く、1日あたり900円~1300円ほどの自己負担が課される。
しかも、おむつや食事の代金は、別途支払わなければならないので、頻繁に使うと、月に2万円ほどの負担額になる。
「『要介護3』の方の場合、月額26万9310円分のサービスを受けることができる(自己負担額はその1割の2万6931円)のですが、
実際には、その6割程度しか利用しない人が多い。
つまり、多くの家庭では月々2万円ほどに介護費用を抑えたい、と考えているのです」(前出・中村氏)
常に限度額を頭に入れながら、どの介護サービスをどのくらい使うべきか考え続けるのは大変だ。
ここは介護を受ける本人とよく相談し、年金の受給状況も考慮しつつ、納得できるラインを見つけ出すほかない。
☆結局、1000万円近くに
一方、医療費に関しては、これまで見てきた介護サービスとは、別に考慮しなければならない。
前出の長尾医師が言う。
「基本的には、在宅医療は、入院より経済的です。
『医師をわざわざ自宅まで呼ぶのだから、割高だろう』と思っている人が多いですが、実はかなり保険で、まかなえます。
例えば、訪問診療は1回830円、夜間の往診が2220円、深夜が3220円。
週1回の訪問診療と月1回の夜間診療を受けた場合には、負担額は月額1万円ほどになります。
訪問診療や往診を何回受けても、高齢者(高所得者を除く)は自己負担額の上限が決まっていて、月額1万2000円の支払いで済みます」
ただし、24時間の緊急対応も含めたきめ細かい訪問診療を受けるためには、
近くの「在宅療養支援病院(診療所)」認定を受けている病院と契約する必要がある。
その場合、「月2回の訪問診療」と、「在宅時医学総合管理料」といういわば「管理費」をあわせて、
月額6000円~7000円程度が別に課されることが多い。
当然ながら、容体が変わったときには、家族が医師を呼ぶ手間もかかるので、必ずしもいいことばかりとは言い切れない。
最後に、生活用品やその他の支出をまとめて見てゆこう。
医療法人社団悠翔会理事長の佐々木淳氏が解説する。
「車いす、ベッドや床ずれを防ぐためのマットなどは、
介護保険を利用して、月に500円から高くても2000円程度でレンタルできます。
また酸素吸入器と人工呼吸器は、医療保険が使えますが、
なぜか痰を吸引する機械は、介護保険も医療保険も使えないので、全額自費負担になります。
レンタルなら月5000円くらい、買い取りだと1台5万~10万円です」
☆自宅か、病院か。究極の選択
「あと数ヵ月」という場合は、レンタルが安上がりだが、2年、3年と使い続ける場合は、買い取ったほうが得になる。
大きなベッドや機材を家に置く場合など、部分的なリフォームが必要になることもある。
「住宅の改修は、要介護認定を受ければ、20万円まで支給されます。
ただ、玄関口の段差をなくしたり、手すりを取り付けたり、
ベッド搬入のために床や壁の補強をしなければならない場合は、結局50万円、100万円とかかることも多い。
介護費、医療費、そしてこうした雑費をすべて合わせると、月々の支出は10万円ほど。
5~7年間介護生活が続く場合には、一人の親を看取るのに最低でも500万円、
多ければ1000万円近くかかるのを覚悟したほうがいいと思います。
それでも有料老人ホームに入居したり、
療養型病院に入院する場合には、1500万~2000万円かかるので、在宅が割安なのは確かですが……」(前出・中村氏)
苦労をしてでも節約し、自宅で看取るか。
カネはかかっても、施設や病院で最期の日を迎えるか。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私たち夫婦は子供に恵まれず、もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、
いつの日にか介護を要する身となった時は、介護施設に入居するか、或いは自宅でするか、
漠然としながらも思案し、ときおり私たち夫婦は話し合ったりしている。
ここ数年、私が何よりも恐れていることは、認知症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで認知症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が認知症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は認知症となり、私が看病する場合も同様である。
認知症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
このような私の思いから、認知症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
過ぎし6年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
そして、いつものように木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。
この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったりしたのである。
或いはいつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。
やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。
こうした心情を重ねてきた私は、数年前に「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。
がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でもそう簡単なことではありません。
現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、
救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、やがて微苦笑したりした。
このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした「ピンピンコロリ」と突然にこの世とお別れになるか、
或いは入院もわずかで死去したい、と念願しているが、どのようになるか、今の所は漠然としている。
そして今回の自宅での介護を遅ればせながら学び、介護する方の心労も何かと大変だし、
費用も結構・・要するなぁ・・と私は溜息したりしている。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年の古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で、セカンドライフと称される年金生活を始めて、早や12年生となっている。
こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。
しかしながら、いつの日にか、どちらかが介護を要する身となった時、
介護施設に入所するか、或いは自宅で看取るか、ときおり漠然としながら、話し合ったりしている。
昨夜、ネットで愛読している【現代ビジネス】を見ていた時、
【 必読! 家で看取るには、実はこんなにカネがかかります
——「老衰なら病院代がいらない」は大間違い! 】と見出しを見て、
何かと私は無知であったので、真摯に読んだりした・・。
この記事の原文は『週刊現代』2015年10月17日号に掲載された記事のひとつであり、
『現代ビジネス』に2015年10月15日に配信された古い記事であるが、
私は多々教示されて、多く御方の晩年期の難題と深く思い、無断ながら転載させて頂く。
《・・寒々しい病室でダラダラと延命治療を受けるより、長年暮らしてきた家で自分らしく逝きたい。
きっとそのほうが、安上がりだし—だが、本当にそうだろうか。「在宅死」の語られざる現実を書く。
☆看取るほうの収入も減る
「昔はほとんどの人が『在宅死』でしたが、'76年に病院で亡くなる人が『在宅死』の数を上回り、
いまでは皆が『病院で死ぬのが当たり前』と思い込んでいます。
しかし、高齢者はほぼ例外なく『住み慣れた家で最期を迎えたい』と思っているものです。
『病院のほうが快適だよ』と言う高齢者は、家族に迷惑をかけまいとしていることが多いのです」
こう語るのは、尼崎市の長尾クリニック院長で、在宅医療の第一人者として知られる長尾和宏氏だ。
いま、日本は再び「在宅死」の時代を迎えている。
高齢化が進み、病床不足・医療費高騰が深刻さを増す一方、「自宅で最期を迎えたい」という人が、急増しているのである。
世界のどこにも負けない高い医療技術は、日本の誇りだ。
だが、高度な延命治療が「幸福」とは限らない。
狭い病院のベッドの上で、生命維持装置と栄養チューブにがんじがらめになって、
身動きもとれず、口もきけず死んでゆく・・
そんな家族の姿を目の当たりにし、後悔する人も多い。
「そうなるくらいなら、思い出のつまった自分の家で、家族に見送られて死にたい」
「無理な延命はいらない。できれば、苦痛の少ない老衰で、穏やかに逝きたい」と考えるのが人情だろう。
また看取る側にも、その思いに応えてあげたいという人が多いに違いない。
しかし、漠然と「家で看取るほうが、病院や施設のお世話になるよりは、ずっと安上がりのはず」
「大きな病気をせず、老衰で亡くなれば、医療費も大してかからない」と甘く見ていると、
思わぬ出費に泣かされる。
介護事業サポート会社「地暮」代表の中村聡樹氏が言う。
「確かに、長期間入院ができる療養型の病院に入院したり、広々とした個室の老人介護施設に入るよりは安上がりです。
ですが、介護を家族の力だけで、やりきるのは、不可能ですから、結局、思った以上におカネがかかります。
高齢者が施設で過ごす年数は、4年から最長で7年。
少なくとも、それと同じだけの期間を、自宅で過ごさなければならないわけです」
がんなどの大きな病気を患っておらず、ゆるやかに老衰が進んでゆく場合には、
いつまで介護を続けなければならないのか、見通しを立てるのが難しい。
5年、10年と続く場合、介護する側もまた老いて、収入は減り、年金やなけなしの貯金を切り崩してゆくのだ。
それでは、「家で看取る」と決めた瞬間から、いったいどれだけのカネが必要になるのだろうか。
☆スタートは肉親が「倒れた日」
スタートラインは、肉親が「倒れた日」だ。
高齢者の場合、脳梗塞や心臓病、あるいは骨折などで一度入院してしまうと、たとえ退院に漕ぎつけても、
以前のように全快というわけにはいかず、何らかの介護が必要になる。
その日から「看取り」は始まっていると言っても、過言ではない。
「入院と同時に、要介護認定の審査を受けるための申請をしましょう。
用紙は市区町村役場でもらえます。
この申請書を出さないと、介護保険のサービスを受けることができません。
介護認定を受けるまでに約30日かかるため、退院してすぐにサービスを使えるよう、
なるべく早めに提出したほうがいいのです」(前出・中村氏)
書類を出した後、自治体の調査員との面談、主治医による意見書の提出を経て、要介護認定が下される。
この時に遠慮せず、きちんと「どのくらい体が、不自由で困っているか」を主治医に伝えておくことが大切。
要介護度を低めに見積もられると、負担が大きくなってしまうからだ。
「せっかく家で面倒をみると決めたのに、最初から保険を頼ろうとするなんて、何だか後ろめたい」
そう思う人もいるかもしれない。
だが、素人が何もかも抱え込むのは、無謀なだけでなく危険ですらある。
女性が男性を介護しなければならないケースだと、
寝返りを打たせ、体を抱き起こすだけでも、かなりの重労働だ。
近年は、介護疲れによる虐待・暴力事件も後を絶たない。
無理をして家族関係が険悪になっては、本末転倒である。
要介護度は「要支援1・2」「要介護1~5」の全部で7段階に分かれている。
たとえば「要介護1(歩けるが、トイレや入浴で介助が必要)」に認定された場合、
月に16万6920円分まで介護サービスが利用でき、うち1割、最大で1万6692円を自己負担することになる。
ただし、この限度額を超えた分については、全額が自己負担となるので注意が必要だ。
☆総額数百万円に膨らむ
'09年5月に自宅で84歳の父親を看取った、埼玉県に住む幸田好行さん(51歳・仮名)は、
介護保険の枠内で、やりくりしながら、最期の日を迎えることができたという。
「父は悪性リンパ腫で'08年に入院していたのですが、
『病院はイヤだ。家に帰りたい』と言うので、家族で相談して自宅で看取ろうと決めました。
退院前に『要介護2』の認定を受けていたので、利用できる介護サービスは月額19万4800円分でした。
自己負担金の内訳は、週に1度の部屋掃除が253円、数日に1度体を拭いてもらうのが445円。
自宅にヘルパーや医師を呼ぶ訪問介護・訪問診療は、それぞれ1回500円ほど。
このほかに月に1度の通院費や薬代がありましたが、おおむね限度額内に収まったので、負担額は月々約2万円でした」
☆一回数百円が馬鹿にならない
30分ほどホームヘルパーや介護福祉士が自宅を訪問し、
いろいろな生活支援をしてくれる訪問介護は、介護サービスの中でも最もオーソドックスなもの。
ヘルパーに頼める内容は、「起床・就寝の介助」「食事・服薬の介助」「着替え・洗面の介助」「入浴の介助」
「トイレの介助」「体位を変える」「車いすに乗せる」「病院へ付き添う」など、
「本人が自力では、できないこと」ほぼ全般にわたる。
自宅に家族がいる場合は、調理や洗濯などの家事を代わりにしてもらうことはできないが、
自己負担額はそれぞれ1回300円程度から、最も高価な入浴介助で1200円ほど(要介護度や、住んでいる自治体によって少しずつ異なる)。
これだけ見れば、「なんだ、思ったよりは安いな」と感じる人も多いだろう。
ただし、前出の幸田さんの父親の場合は、自宅介護の期間が、約半年と短かった。
たとえ月々の出費を数万円以内に抑えることができても、それが何年も続けば総額数十万円、数百万円にふくらんでゆく。
体が不自由になるにつれ、年々かかるカネは増え、介護そのものの負担も重くなる。
さらに今年8月、介護を受ける本人の年金収入が年額280万円以上の場合に、自己負担割合が2割に引き上げられた。
負担額は、ひと昔前の倍にはね上がっている。
「一度に数百円の訪問介護でも、週に3回使えば3000円ほど、月額で1万2000円にもなるので、バカになりません。
『要支援1』の方の場合は、自己負担の限度額が約1万円ですから、あっと言う間に超えてしまうでしょう」(前出・中村氏)
もうひとつ、在宅介護をするうえで欠かせない、訪問介護と並ぶ「車の両輪」になるのが、
デイサービスとデイケア—つまり「本人が施設に出かけて、介護してもらう」タイプのサービスだ。
施設にいる間は、トイレや食事の介助を受けられるうえ、
レクリエーションに参加したり、友人とカラオケをしたりと、気分転換のチャンスにもなる。
来る日も来る日も自宅で過ごしていては、介護を受ける側も気詰まりだし、認知症などの進行を早めかねない。
介護をする側の家族も常に拘束され、疲労とストレスをため込む一方である。
デイサービスを利用すれば、7~9時間は介護から解放されるので、
その時間を家事や自分の用事にあてることができる。
2~3日の間、施設に宿泊する「ショートステイ(短期入所生活介護)」というサービスも、
ただ「介護する家族が、休むため」という理由でも利用することが可能だという。
ただし、こうした滞在型のサービスは単価がそれなりに高く、1日あたり900円~1300円ほどの自己負担が課される。
しかも、おむつや食事の代金は、別途支払わなければならないので、頻繁に使うと、月に2万円ほどの負担額になる。
「『要介護3』の方の場合、月額26万9310円分のサービスを受けることができる(自己負担額はその1割の2万6931円)のですが、
実際には、その6割程度しか利用しない人が多い。
つまり、多くの家庭では月々2万円ほどに介護費用を抑えたい、と考えているのです」(前出・中村氏)
常に限度額を頭に入れながら、どの介護サービスをどのくらい使うべきか考え続けるのは大変だ。
ここは介護を受ける本人とよく相談し、年金の受給状況も考慮しつつ、納得できるラインを見つけ出すほかない。
☆結局、1000万円近くに
一方、医療費に関しては、これまで見てきた介護サービスとは、別に考慮しなければならない。
前出の長尾医師が言う。
「基本的には、在宅医療は、入院より経済的です。
『医師をわざわざ自宅まで呼ぶのだから、割高だろう』と思っている人が多いですが、実はかなり保険で、まかなえます。
例えば、訪問診療は1回830円、夜間の往診が2220円、深夜が3220円。
週1回の訪問診療と月1回の夜間診療を受けた場合には、負担額は月額1万円ほどになります。
訪問診療や往診を何回受けても、高齢者(高所得者を除く)は自己負担額の上限が決まっていて、月額1万2000円の支払いで済みます」
ただし、24時間の緊急対応も含めたきめ細かい訪問診療を受けるためには、
近くの「在宅療養支援病院(診療所)」認定を受けている病院と契約する必要がある。
その場合、「月2回の訪問診療」と、「在宅時医学総合管理料」といういわば「管理費」をあわせて、
月額6000円~7000円程度が別に課されることが多い。
当然ながら、容体が変わったときには、家族が医師を呼ぶ手間もかかるので、必ずしもいいことばかりとは言い切れない。
最後に、生活用品やその他の支出をまとめて見てゆこう。
医療法人社団悠翔会理事長の佐々木淳氏が解説する。
「車いす、ベッドや床ずれを防ぐためのマットなどは、
介護保険を利用して、月に500円から高くても2000円程度でレンタルできます。
また酸素吸入器と人工呼吸器は、医療保険が使えますが、
なぜか痰を吸引する機械は、介護保険も医療保険も使えないので、全額自費負担になります。
レンタルなら月5000円くらい、買い取りだと1台5万~10万円です」
☆自宅か、病院か。究極の選択
「あと数ヵ月」という場合は、レンタルが安上がりだが、2年、3年と使い続ける場合は、買い取ったほうが得になる。
大きなベッドや機材を家に置く場合など、部分的なリフォームが必要になることもある。
「住宅の改修は、要介護認定を受ければ、20万円まで支給されます。
ただ、玄関口の段差をなくしたり、手すりを取り付けたり、
ベッド搬入のために床や壁の補強をしなければならない場合は、結局50万円、100万円とかかることも多い。
介護費、医療費、そしてこうした雑費をすべて合わせると、月々の支出は10万円ほど。
5~7年間介護生活が続く場合には、一人の親を看取るのに最低でも500万円、
多ければ1000万円近くかかるのを覚悟したほうがいいと思います。
それでも有料老人ホームに入居したり、
療養型病院に入院する場合には、1500万~2000万円かかるので、在宅が割安なのは確かですが……」(前出・中村氏)
苦労をしてでも節約し、自宅で看取るか。
カネはかかっても、施設や病院で最期の日を迎えるか。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
私たち夫婦は子供に恵まれず、もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、
いつの日にか介護を要する身となった時は、介護施設に入居するか、或いは自宅でするか、
漠然としながらも思案し、ときおり私たち夫婦は話し合ったりしている。
ここ数年、私が何よりも恐れていることは、認知症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで認知症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が認知症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は認知症となり、私が看病する場合も同様である。
認知症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
このような私の思いから、認知症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
過ぎし6年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
そして、いつものように木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。
この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったりしたのである。
或いはいつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。
やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。
こうした心情を重ねてきた私は、数年前に「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。
がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でもそう簡単なことではありません。
現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、
救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、やがて微苦笑したりした。
このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした「ピンピンコロリ」と突然にこの世とお別れになるか、
或いは入院もわずかで死去したい、と念願しているが、どのようになるか、今の所は漠然としている。
そして今回の自宅での介護を遅ればせながら学び、介護する方の心労も何かと大変だし、
費用も結構・・要するなぁ・・と私は溜息したりしている。
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