小庭の新緑の中で、雨が降るのを眺めたりした・・。
過ぎし4週間前の頃、亡き女優の高峰秀子さんの『生誕100年 大特別展』が、
開催されることをネットで知ったりした。
「高峰秀子生誕100年プロジェクト」公式サイト (takamine-hideko.jp)
そして私は、人出の多い都心は苦手となっているが、
『生誕100年 大特別展』を拝見しょうか、と思い重ねてきた・・。
私は高峰秀子さんに関しては、知人でもなく、敬愛を重ねてきたひとりであり、
たった一度だけ偶然にお逢いできたことがあった。
私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964年〈昭和39年〉の秋、
大学を中退し、映画の脚本家になりたくて、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。
この京橋の近代美術館は、この時は戦前の邦画名作特集が上映されていたので、
数多くの戦前の昭和20年までの名作を観ることが出来た。
この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられたりした。
私はこの当時の1964年に於いては、
少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、
木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は、当然のように鑑賞していた。
そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。
私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』が、ほぼ同時代に演じたこの御方には、ただ群を抜いた女優であった。
子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、この御方以外は知らない。
その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていた。
このような過ごしていた間、確か冬の日だったと記憶しているが、
私は成城学園の近くの砧にある東宝の撮影所で、
宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんが、こちらに向かって来た時があった。
宣伝部の方が飛び出て、
『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。
『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に言った。
私は、この当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。
この後の私は、映画青年の真似事、その後に文学青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく私はサラリーマンに身を投じ、音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、その直後から多々の理由から年金生活を始めたりした。
この間、サラリーマンの現役時代のいつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
高峰秀子さんの随筆の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を読みはじめ、これ以降は本屋で見かけるたびに、
購読してきた・・。
そして確か2010年の年末に高峰秀子さんの死去を知り、私も落胆したひとりであり、
もとより天上の花のひとつとなった高峰秀子さんにお逢いできるひとがないので、
せめて私は高峰秀子さんが上梓された数多くの随筆を読んだり、再読したり、
或いは出演された名画を鑑賞したりして、愛惜を重ねたりしている。
このように私は高峰秀子さんに思いを馳せたりし、
何かと苦闘の多かった半生後、安息できるハワイの地で定期的に30年ぐらい過ごされ、
ハワイのある一角に永眠された高峰秀子さんに、ご冥福を祈ったりしている。
このようなささやかな想いを秘めている私は、今回の『生誕100年 大特別展』、
拝見するか、やめるか、溜息を重ねている・・。
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