夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

週明けは、関東地方だけが雨となり・・♪

2008-09-22 10:37:37 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外に住む私は、朝の7時半過ぎ、玄関の軒下で煙草を喫いながら、
空から舞い降りてくる雨を見つめたり、
樹木の枝葉、草花が濡れ、しっとりとした黒土を眺めたりしていた。

先ほどの天気予報をテレビで視聴していたら、
日本列島は秋晴れで、何故かしら関東地方だけが、
昼過ぎまで雨、となっている。

週明けの本日、天上の気候の神々の采配のお気持ちは解からないが、
通勤、通学の方たちは、お気の毒と思いながら、
雨を見つめたりしている。


私は健康診断の第二次受診するために病院に行ったり、
明日、実家に寄った後、お墓参りをするので、
数品の贈答品を購入するために駅前に行くので、
雨の中、傘を差しながら出かけるのである。

『貴方・・最近、行ないが悪いのかしら・・』
と家内から云われたりし、私は苦笑しながら空を見つめたりしている。


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夏の香りを残して、初秋となり・・♪

2008-09-21 11:39:10 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、昨日の朝方に台風の影響の大雨も過ぎ去り、
青空の快晴の1日であった。

私は朝方まで、中世に能の大成者として一世を風靡した世阿弥のことを思索し、
少し睡眠不足であり、ぼんやりと世阿弥に思いを馳せたりしていた・・。


今朝、浅い眠りでまどろんでいた時、
微震で目覚めたりしたのである。

雨戸を開け放った後、玄関の軒下で煙草を喫いながら、
空を見上げたり、
薄日の射しこむ樹木や草花を眺めたりしていた。

紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実は薄紫色の色合いを深め、
秋海棠(シュカイドウ)の薄紅色も可憐な彩(いろど)りを観せ、
群生した玉すだれ(タマスダレ)の純白な花が咲き、
朝露に濡れた紫露草を眺めたりしていると、
かすかに鈴虫、こうろぎの鳴き声が二部合唱となり、
遠くから蝉(せみ)の鳴き声も聴こえたりしている・・。

そして、夏に彩った高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)も、
わずか数輪咲いて折、夏の匂いや香りを残し、
私は微笑しながら、しばらく眺めていた・・。

微風が身体を通り過ぎると、
心身心地良く、彼岸の入りを実感させられたのである。


このような情景を眺めていると、
今年も暑かった夏の終わりを受けとめて、
初秋の時節を迎え、そして秋のうつろう光景に心身ゆだねれば、
これ以上の望みはないと思えたのである。


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『薪ストーブ』の想いで・・♪

2008-09-20 18:36:43 | 現役サラリーマン時代の想いで
先ほど、ネットでニュースを検索していた時、
北海道の函館で、薪ストーブを製造されるニュースを見て、
私は何かしら懐かしい心情となった。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080919-OYT1T00825.htm

私の母が10年前に死去された後、翌年の年始は、喪中となり、
家内はそれまで毎年御節料理を造っていたが、
親族の新年会も20数年ぶりに取り止めとなり、
私達夫婦は初めての年末年始の旅行に出かけたのである。

秋田県の山奥にある秋の宮温泉郷にある稲住温泉に3泊4日で滞在した。
何かしら開放感があり少し華(はな)やかな北海道、東北の著名な温泉地は、
亡き母との歳月の思いを重ねるには相応しくないと思い、
山奥の素朴な温泉地としたのである。


稲住温泉の周辺は山里の情景で、雪が舞い降り中、
狭い県道、市道の雪道を散策したりした。
付近にある町営スキー場は、ゴンドラなどもなく、
リフトが2本観られる素朴なスキー場であった。

スキー場の外れにある蕎麦屋さんに入り、
昼食代わりに山菜そばを頂こうと、
入店したのであるが、お客は私達夫婦だけで、
こじんまりと店内の中央に薪ストーブのあり、
私達は冷え切った身体であったので、思わず近づき、
暖をとったのである。


私は東京郊外の住宅街に住む身であり、
とても家の中の一角に薪ストーブを置けるような場所もなければ、
薪の補給を配慮すれば、贅沢な暖房具となっているのである。

私の幼年期は、今住んでいる処からは程近く、
田畑は広がり、雑木林があり、祖父と父が中心となり、
農家を営んでいた。
家の中の一面は土間となり、この外れに竈(かまど)が三つばかり有り、
ご飯を炊いたり、煮炊きをしたり、
或いは七輪の炭火を利用していた。

板敷きの居間は、囲炉裏であったが、殆ど炭火で、
家族一同は暖をとっていたのである。


薪は宅地と畑の境界線にある防風林として欅(けやき)などを植えて折、
間隔が狭まった木を毎年数本切り倒していた。

樹高は少なくとも30メートルがあり、主木の直径は50センチ程度は最低限あり、
これを30センチ間隔で輪切りにした後、
鉈(なた)で薪割りをし、日当たりの良い所で乾燥をさしていた。

そして、枝葉は竈で薪を燃やす前に使用していたので、
適度に束ねて、納戸の外れに積み上げられていた。


薪ストーブの中、薪が燃えるのを眺めていたら、
こうした幼年期の竈(かまど)の情景が甦(よみがえ)り、
『お姉さん・・お酒・・2本・・お願い・・』
と私は60代の店番の女性に云った。

そして、薪ストーブで暖を取りながら、昼のひととき、お酒をゆっくりと呑もうと思い、
家内は少し微苦笑した後は、
殆ど人気のない外気の雪降る情景に見惚(みと)れていた。



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早朝まで、『世阿弥芸術論集』を読み・・♪

2008-09-20 09:33:20 | 読書、小説・随筆
一昨日より読み始めていた瀬戸内寂聴・著の『秘花』(新潮社)を真夜中に読了後、
しばらくぼんやりとしていた・・。

http://www.shinchosha.co.jp/book/311222/

そして、玄関の軒下で煙草を喫いながら、
台風13号で私の住む地域は大雨、雷、洪水注意報が出されていたが、
雨が激しく降る程度である。


私は世阿弥の生涯を描いた瀬戸内寂聴・著の『秘花』を思い浮べたりした後、
ネットでこの本に関するサイトを調べたりした。

新潮社の『波』の2007年5月号に於き、
【瀬戸内寂聴『秘花』刊行記念対談】として、
著作者の瀬戸内寂聴は、小説家・川上弘美との対談が掲載されて折、
読了しながら著作者のこの作品の思いを、
改めて学んだりした。

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/311222.html


この後、私は本棚から、『世阿弥芸術論集』を取り出して、
パラパラと開き、拾い読みをしたのであった。

私は東京オリンピック頃に世阿弥に興味し、
文庫本で『風姿花伝』などを読んだりした後、
昭和51年10月の初めに『新潮日本古典集成』(新潮社)で、
第4回配本として、この『世阿弥芸術論集』を入手とし、
愛読していた本であった。

『風姿花伝』はもとより、『至花道』、『花鏡』、『九位』、『申楽談儀式』が収録されて折、
私なりの世阿弥への思いを重ねたりしていた。

このような思索をしていた時、早朝の4時過ぎとなり、
私はときおり物狂いのような熱中する自身に微苦笑しながら、
寝室に行き布団にもぐったのである。

そして激しい雨脚の音を聴きながら、眠りについた・・。


目覚めると、台風は房総半島の先端の銚子市の海上の彼方を過ぎた、
と知りながら、私の住む街は急激に天候が回復し、
こうして綴っていると青空になってきたのである。


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40数年ぶりに、瀬戸内寂聴の小説を読みだし・・♪

2008-09-19 18:50:42 | 読書、小説・随筆
私は昨日の午後より、瀬戸内寂聴・著の『秘花』(新潮社)を読み始めて、
本日のひとときも読み、第四章の数ページで、小用の為にやむえず中断している。

私は民間会社を定年退職後、年金生活の身で、もとより能の素養がないが、
中世で能の大成者と知られいる世阿弥に興味を持ったのは、
東京オリンピックの頃からであった。


8月の初旬に3泊4日で、佐渡島に滞在旅行をする前、
瀬戸内寂聴・著の『秘花』を遅ればせながら本屋で購入したが、
あえて私なりの流刑となった世阿弥の佐渡の時代を思いを馳せたく、
未読としていたのである。


私は東京オリンピックの開催された頃、
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をしていた。

この当時の頃、瀬戸内晴美の『夏の終り』を読み終えて、
友人らに絶賛したりし、初期の作品の『女子大生・曲愛玲』、
『花芯』などの短編小説集を読み耽ったりしていた。

この後、『女徳』などで大衆文学を精力的に発表された後は、
私は瀬戸内晴美の小説から離れた。

私が25歳から民間会社に中途入社した後、
『美は乱調にあり』を本屋の店頭で見かけたが、
タイトルの命名に魅了されたが、
購入する意志はなかったのである。

その後は、瀬戸内晴美は仏門に入った、と月刊総合雑誌などで知り、
私は有数の小説家なのにどうした心境なのか、
と思ったりしていた。
そして、のちに晴美から寂聴と改名され、
私は少し寂しさを隠し切れなかったのである。


私は平成16年の晩秋に民間会社を定年退職をし、年金生活に入った頃は、
瀬戸内寂聴ご自身は、既に20年近く法話などされて、賞賛された人となり、
稀(ま)れな著名人となっていた。

私の年金生活は、身過ぎ世過ぎの日常であるが、
小説、随筆、現代史、歴史書などを読む時間を優先としているので、
本屋に寄ったり、ときおり古本屋を訪ねたりすることが多いのである。

数年前、本屋の店頭で、
水上 勉との対談集『文章修行』(岩波書店)を見かけ、購入し、
両氏の純文学の深い思いに、思わず涙を流したのである。

その後、石原慎太郎との往復書簡の『人生への恋文』(文春文庫)を読み終え、
瀬戸内寂聴の人生の軌跡を改めて知った上、日常の思いも知り、
数多くの人生の機敏を学んだのである。


ただ、このお方の真摯な数多く発表された中期、後期、そして近年作の小説は、
私は本の愛好家のひとりとし、無念ながら未読となっている。

尚、このお方の真摯な『秘花』を拝読を終えた後は、
単なる感想文でなく、大人の評論を掲載する予定である。


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この1週間、台風13号に惑(まど)わされ・・。

2008-09-19 10:26:57 | 小庭の情景を眺めながら
東京郊外に住む私は、年金生活をして4年生となり、
NHKのニュースと天気予報は、殆ど毎日視聴している。

1週間前頃から沖縄諸島に台風13号の影響で、暴風と知ったが、
お住まいになられる方は被災は最小限にと思い、
天気予報を視聴していた。


この後、ゆったりと停滞もしながら、北上しているのである。


私は身勝手ながら、これは困った、という思いであった。

台風はこの時節は毎年到来するが、
できうれば日本列島の海上を3、4日で通過し、
陸地には程々の雨をもたらし、
漁業関係者、海上保安に携わる方たちは海上警報に注視し、
通過を願うのが、私の思いである。

関東地方の南部に於いても、
この1週間は台風13号と北上の強い偏西風の影響で、
快晴の1日を除き、小雨が降ったり、止んだりしている日々であった。

私は傘を差しながら、買物と散策をした後、
殆ど読書をしていることが平素より多くなっている。

そして、テレビを視聴しながら、
台風13号で被災された地域、お住まいの方たちには、
大変お気の毒です、早く平常の生活に戻れますように、
しか言葉が出ない無力な身である。


http://www.jma.go.jp/jp/typh/081324.html




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古本屋で、稀(ま)れな本にめぐり逢え・・♪ (下)

2008-09-18 13:32:11 | 読書、小説・随筆
残りの一冊は、磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』(野島出版)であり、
1997年の師走時に発刊された。

鈴木牧之は、江戸後期の商人でもあり、随筆家として、
『北越雪譜』を遺(のこ)された人である。

越後の塩沢で、地元名産の小千谷縮の仲買、質屋も兼業した有数の豪商の家で、
生を受けた。

そして、若き頃に小千谷縮を売却する為に、
初めて江戸に行った時に、江戸に住まわれる人々が、
越後地方の豪雪を余りにも無知なことを知った。

そこで雪を主軸に越後地方の生活実態、、古来からの特有の風習などを綴ろうと思い、
書き終えたが、出版までに苦難な過程を得て、
何とか発刊となった・・。

そして、江戸後期はもとより、明治以降め人々にも『北越雪譜』を通して、
私も越後地方の生活風習、積雪の過酷さなど風土や文化を学ぶことが出来たのである。


私はこの程度しか知らなかったので、
この鈴木牧之の足跡が詳細に知りたく、
偶然に磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』の本にめぐり逢え、
私は購入することが出来たのである。


尚、前記の銀座和光・編の『色のことば』はたった800円、
そして磯部定治・著の『鈴木牧之の生涯』は1200円で、
私の手元となることができ、驚ろいたのである。

私は若き頃は、一食抜いても学びたい本を購入してきた身なので、
日本文化を更に知り、深める上で欠かせない2冊を、
抱きしめたい境地となっているのである。



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古本屋で、稀(ま)れな本にめぐり逢え・・♪ (上)

2008-09-18 08:52:35 | 読書、小説・随筆
昨日、家内と駅前に出て、家内が歯科医院で治療を受けている間、
私は古本屋に行った。

私は遅ればせながら高校時代に読書の魅力にとりつかれて、
齢を重ねた63歳の拙(つたな)い身となっている。

年金生活の自在の身となって、ゆっくりと新刊本を眺め、
好みのある本を購入したりしているが、少し購入した本が手元にあるので、
こうした時は古本屋に出向いてしまうのである。

結果して、私なりに稀(ま)な2冊の本にぐり逢えたのである・・。

最初の一冊は、
銀座和光・編の『色のことば』(紀伊国屋書店)で、
1994の夏に発刊され、各界で活躍中の48人が、
心に残る風景とその色に綴った本である。

私は日頃から、古来より日本列島に生まれた人々に於いて、
世界のどの民族より色合いに対し、多彩で敏感である。
このことが豊かな感性が育(はぐ)まれる秘密のひとつと思ったりしている。
そして日本人の誰しも日常を過ごすときに、
何気なく観たり感じたりする色合いを心のひとつの拠(よ)り所としている、
と確信し、40数年過ぎている。

私なりに色合いについて綴られた本の数々を購入して、
私の心の形成に多々学んでいるのである。
こうした私なりの好奇心から、初めて見たこの本には、
はかり知れない本の一冊、と思い購入できたのである。

この本の最後には簡潔に、

本書は株式会社和光発行の『チャイム銀座』に連載された
「色のことば」(1988年9月号~1993年3月号)を再構成したものです。

と付記してあり、

あの頃の時代を思い浮かべながら、この当時に活躍された各界の人の、
色合いに想う随筆を拝読しょう、と思ったりしている。


            《つづく》



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駅前のひとつのポスターは・・♪

2008-09-17 16:22:04 | 時事【社会】
午前中のひととき、家内と駅前に出かけ、
家内は歯科医院で治療を受けている間、
私は古本屋で2冊の本を買い求めた後、
駅前の広場の片隅にある喫煙場で煙草を喫ったりしていた・・。

この近くに、区の掲示板があり、私はひとつのポスターを見て、
苦笑したのである。


『勇気』と題されて、

より高い目標に向って、進んで取り組んでいますか?

あきらめないで、何度でも挑戦するよ。
自分がまちがっていたら、「ごめんなさい」と言うよ。
友だちがよくないことをしていたら、
「それはよくないよ」と言えるよ。


と明示され、漢字にはふりがなも明示されていた。

そして、掲示板の最下段には、
   環境美化推進地区です。 世田谷区

と明記されていた。


この駅前の広場は、幼稚園から一環した短大までの学校が近くにあり、
登校時、下校時に生徒の多くが通りが、
礼儀正しい生徒が多く、私なりに好感している。

若いママが乳児をベビー・カーに乗せ、散歩とか買物にこの広場を通るが、
多いの人たちは礼節を守っているのである。

一番困るのは、ご婦人の3、4人連れが、
公共の場所で我が物顔で言動をされる方たちが多いのである。

私は羞恥心を失くした女性は、
残念ながら女性の資格をなくした人と思ったりして、
眺めている。


私は公共場所を汚したり、公共の所有品を粗末にする方を、
何より険悪している。

我家の庭の片面は、一間幅の市道に面しているが、
この市道にときおり飲み残したペット・ボトル、煙草の吸殻、箱が捨てられたりしている。

そして、我家の庭にでも、捨てられる時がある。
私はこうした時、整理しながら、
『世の中には・・程度の低い人もいる・・』
と家内に云ったりしている。

或いは、旅行先の郊外などの道路で、
地元のお方たちが道路の歩道などを清掃されるのを見かけたりしていると、
私は思わず頭(こうべ)をたれるのである。

そして、新聞で図書館などで、本に勝手にラインを引いたり、
ときには切り抜いたりされる、
と読んだりすると怒り心頭となるのである。


一体、日本の1部のお方は、
いつの日から公共場所を汚したり、公共品を粗末にしたのは、
いつごろからであったのか、と思いを馳せる時がある。

少なくとも私の幼年期の時代は、
学校にある品を乱暴に扱ったり、教室の掃除などを手を抜いた時、
先生から注意された後、ビンタを喰らったりしていた。
そして、近所の小父さん、小母さんからも注意を受けながら、
公共の場所、公共品は皆が使うのであるから、大切に、
と幼いなりに学んだのである。


このように思ったりしているが、年金生活の4年生の今、
私は言葉に出し、整然と忠告をする勇気のできない小心者であり、
苦笑しながら、馬鹿なことを、と呟(つぶや)いたりしている。



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今朝の朝刊で、『B’z』・・♪

2008-09-17 08:02:27 | 音 楽
いつものように読売新聞を読んでいたが、
19面から22面の4面に広告が連続性となり、
不思議な面持ちで私は見ていた。

そしてB’zの『20th Anniversary』の記念のベスト・アルバムの広告と解かったのである。

ご年配のお方たちには理解しずらいと思われるが、
松本孝弘(ギター)、稲葉浩志(ボーカル)のユニットのグループ名が『B’z(ビーズ)』である。

1988年9月に結成し、翌年からブレイクした後、
日本の音楽史上のシングル、アルバムの歴代記録を更新し続けるグループである。

http://www.bz-vermillion.com/

私はあるレコード会社に勤めていたが、
他社に所属するB’zの売り上げは、破格な実績の足跡を残していた。

新聞の紙上で、一面の広告を掲載するのは、
売り上げが期待されるビック・アーティストの証明でもあり、
1990代は10人前後であった・・。

そして二面広告を最初にしたのが、確かB’zであったろう、
とおぼろげながら記憶している。


私は定年退職後、年金生活の4年生で身であり、
昨今の音楽状況にも疎(うと)く、たまたま今朝の新聞で、
『B’zかょ・・』と懐かしげに知った次第である。


尚、私は現役時代もB’zのサウンドは苦手で、
他のアーティストを盛んに聴いていたひとりである。


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年金小父さん、健康診断のこぼれ話・・♪

2008-09-16 22:55:05 | 定年後の思い
私は本日の午前中のひととき、
市から指定された年一度の健康診断を受診した。
『胃がん検診』も受けるので、昨夜から色々と制限され、
今朝も制約された上、苦手なバリウムの検査薬を飲むので、
少しプレシャーを感じていたのである。


昨夜は9時過ぎには、水分もダメと明記されていたので、
早めに布団にもぐり、寝ることにしたのである。

目覚めると雨が降りだして、
最近行いが悪いのかしら、と思ったりした。

私の日頃の下着は、下はパンズ型のブルーフであり、
上の方はランニング型であるが、殆ど袖なしのTシャツを着ている。

この袖なしのTシャツは、
ポップスの人気のあるTOKIOというグループで、
この中のひとり長瀬智也が以前ドラマで着て折、
私は魅了されて、家内に頼んで購入した貰ったのは、
定年退職の3年前頃であった。

年金生活に入った後は、自在の服装が出来るので、
この袖なしのTシャツを愛用している。

半袖か長袖のスポーツ・シャツを羽織って、
5月過ぎから秋まで買物、散策に出かけることが多いのである。
年金小父さんの私は、胸毛は少し白髪となってきたが、
心は若い方の感性と余り変わらないと思っているので、
このような容姿となっている。


本日も健診を受ける為に、小雨の中を出かけ、
受診したのである。

レントゲンの健診の時、30歳前後の稀(ま)れな美麗な女性技師の方で、
私は急いで長袖スポーツ・シャツ、
そして袖なしのTシャツを脱いで、上半身は裸となった。

『XXさん・・下着は着ていても・・大丈夫ですから・・』
と笑いながら、忠告されたのである。


身長測定のの時、
『はい・・1メートル69.5ですね・・』
とアシスタントの女医さんから云われた。

『齢を重ねると・・少しちじむのですね・・』
と私は明るく云った。
『ご年配の方は・・よくある傾向ですわ・・』
と云われた後、
私は長い間、70の時代であったが、
0.5センチばかりちじんだことに、齢を実感させられたのである。

体重も70キロ代となり、
家内と結婚した頃は、56キロの細身体が懐かしく、
『俺も・・71かょ・・』
と普段身勝手な日常を振り返ったりしたのである。

そして、多少太っていても、心身元気であれば良いではないか、
と63歳の自分を慰めていたりしたのである。



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定年後、3回目の『健康診断』・・♪

2008-09-16 13:19:26 | 定年後の思い
私の住む調布市に於いては、国民健康保険に加入し、
60歳以上は毎年『誕生日』が到来する月に、
『誕生日健診』が実施されてきた。

本年は国の医療制度改革に伴い、
調布市の健診制度が4月から少し変わった程度である。

『特定健診』と称せられ、従来の基本健診で、
身長、体重、採血、心電、尿検査、血圧測定などが行われた後、
最後に医師との問診となっている。

そして胃がん、大腸がんの検診もある。


私は定年退職後、3度目の市から通知書が配達されたので、
今朝の9時過ぎから『胃がん検診』の予約をした。

私はバリウムの白い検査薬を飲むのは苦手で、
私なりに苦痛のひとときを毎年味わっているのである。

その上、前夜の制約もある。
飲酒は控えて、夜の9時以降は水を含めて飲食は避けてください。
そして、当日の喫煙、歯磨きはしないて下さい、
と明記されていたのである。

私は晩酌をしながら夕食を頂くタイプなので、
平常の体調を測定するのが健診でも本来の形である、
と思いビールをいつものペースで呑んだのである。

今朝も愛煙家のひとりであるので、1本だけは喫ったりしたが、
これ以外は遵守したのである。

小雨降る中、タクシーで指定した病院に駆けつけて、
苦手のバリウムによる胃の撮影が終ると、
ほっとしたのである。


昨年は40代の男性技師のもとで、検査したのであるが、
終ると何故かしら首をかしげた後、
私の方に近づき、
『本当に申し訳ないのですが・・機械の故障で・・
別棟の検査室で、もう1度撮影させて下さい・・』
と云われ、別棟に歩いた後で、
再び苦手なバリウムを飲んだのである。


今回は30前後の女性技師で、私好みの美顔の方が、
『少し仰向けになって下さい・・
位置を変えて・・横向きにうつ伏せ気味になって下さい・・』
と甘い声の指示を聴きながら、私は検査を受けたのである。

私はバリウムさえ飲まなければ、
自由な身の私としては、何時間かかっても良い、
と余計なことを思ったりしたのである。



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【大人の童話】小説 10年後の悪夢(下)

2008-09-15 12:11:14 | 『大人の童話』~掌(たなごころ)小説~
新党の『再生党』が、連立政権を目指し、
旧・野党の一部の党の代表と協議した間、
自民党も野党の一部の党を誘い、与党としての連立政権の確立を目指していた。
民主党は若手議員の大半が離脱された後は、
野党の中堅グループに零落していた。

このような状況を眺め、日本の混迷に憂いたアメリカは、
新テロ対策の給油活動の決断も遅れ、
そして自国の防衛費も削減する日本を、ヨーロッパの主要国と協議し、
日本は世界の主要国としての輸出入の権利ばかりを享受し、
一体となる責務を果たしていない、と公然と非難されたりしたので、
日米安保の継続不可能と結論した。

世界の各国に輸出し、自国とその周辺の安全をおろそかにする日本は、
まもなく各国から輸入、そして原材料の輸出を拒否されるかのように激減した。

そして、1年後は1ドル400円の円安となり、
経済大国としての日本は没落した。


このような中で、中国だけは日本に手を差し伸べたのである。
自国の原材料を程々に日本に、そして日本の技術を自国に、
こうして日本の周辺の海上はもとより、インド洋の彼方まで、
中国の艦隊が圧巻していた。

そして、日本は中国を宗主国のようにあがめ、
これでは中国がかっての明王朝の時、朝鮮半島を支配した李朝と同じだ、
と再生党の要人は肩を落としたのである。


再生党の要人は、ひとりの老人を訪ねる為に、
東北新幹線の水沢駅で下車した。

『君かぁ・・』
とこの老人は、懐かしそうに云いながら、苦笑した。

『私が学生の時・・1989年の頃、自民党の幹事長をされていた先生に感銘を受けて、
私は政界入りを決断したのです。
その後、1993年に『日本改造計画』のご本を拝読した時、
今後の日本はこのお方しかいない、と確信したのですが・・
その後の先生の言動には、失望ばかりでした・・』
と再生党の要人は、この老人に云った。

『そりやぁ・・いろいろとありすぎて、
根幹となす政策もままならず、
政局に応じざるを得なかったのよ・・』
と老人はかみ締めるように云った。

『私達は、かっての先生の日本を真に改革する意志を実現しょうと、
あえて『再生党』の命名し、国民に訴えながら、
連立政権を目指してきたのですが・・』
と再生党の要人は云った。


『君ねぇ・・今からでは遅いが・・
日本の選挙民の大半は、国家の理念などと云っても・・駄目なのよ・・
当選数を増やしたければ、目先の景気対策をし雇用の安定を図り、
そして年配者には、年金と医療に期待を持たせれば、
当選するよ・・』
と老人はポツリと云った。

それでは従順な羊(ひつじ)と同じだ、
と云おうとしたが、再生党の要人は言葉を呑みこんだのである。


               《終り》


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【大人の童話】小説 10年後の悪夢(中)

2008-09-14 18:31:40 | 『大人の童話』~掌(たなごころ)小説~
新党は『再生党』と称し、党首は前原誠司の下で、
政策が具体的に懸案した後、連立政権を目指し、
旧・野党の一部の党の代表と協議した。

これまで日本は、バラマキ合戦の結果、
国債の元本だけでも、1000兆円となり、
年金・医療などは毎年8000億円増加している。

かっての時の政権が2011年度までには、
何とか基礎的財政収支は正常にしたい、と公約していたが、
選挙民に媚(こ)びる為にバラマキで、
更に悪化していたのである。


遅ればせながら、消費税5%に代わる『社会保障税 10%』と発言した後、
『そりやぁ・・無理です・・
国民の生活は益々困窮して・・賛意できないわ・・』
と旧・野党の一部の党の代表は、再生党の要人に云った。

そして
『財源がない・・と云うけれど・・
自衛隊などの防衛費を半減すれば・・
多少の補助となるし・・少し時期を改めてからに・・しましょう・・』
と要人に言い切ったのである。


国を守る基盤を崩し、貿易立国の日本の輸出入の安全を低下させてまで、
国民の負担を従来どおりで、社会保障費が増大ばかりで、
本当に国民は、国にサービスを求めているのか、
と要人は思い込んだのである。

そして、自宅のご近所に住まわれている70近いお2人は、
贅沢をしなければ生活できるし、何より自在に時を過ごせ、
と趣味に没頭され、目に輝き持ちながら、過ごされている。


この後、2008年の頃、ある高名なエコノミストの講演を
拝聴した内容を思い出された・・。

父たちと同期で1960年に40歳だった人たちは、
年金保険料率の生涯は3%~10%しか納めなく、
若い世代の14%以上の保険料率から年金を支えられている。
そして、高齢世代が若年世代から過分なプレゼントであり、
不公平なシステムないか、と提言されていた・・。


日本の官民とわず、米ソの冷戦でベルリンの壁の崩壊するまで、
年功序列の組織の多い中で整然と勤務できた人たちであった。

今の現役の人びとは、昨今の成果主義の多い中で勤務され、
これ以上の負担を求めるのは、過酷である。
何より、現役世代が意欲を失くされ、肝要の勤労精神が薄すられ、
国力は低下する。


このままでは高齢世代はいきいきとしても、現役世代は意欲をなくせば、
国力は衰退し、やがて国は没落する、
とやりきれない面持ちとなったのである。


             (つづく)

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【大人の童話】小説 10年後の悪夢(上)

2008-09-14 13:49:51 | 『大人の童話』~掌(たなごころ)小説~
2018年の晩秋、岩手県の水沢市の郊外の里山で、
ひとりの80前後の男が、落胆した容姿で、
『このようになるはずは・・なかったんであるが・・』
と呟(つぶ)くように自分に言いきかせる様に独り言を云った。


あの頃は地方の多くは疲労感がたたよい活性化もなく、
都心に戻れば、70代の婦人の一部は『生活が大変よ・・・』
と洒落た高価なブラウスを召した方に云われた。

与野党が伯仲し、お互いに、
団塊世代が退職後、急激に社会保障費が増大していたが、
清き一票を獲得するために、大都市、地方に係わらず、
財源を無視し、景気対策はもとより、
高齢者を更に優遇するバラマキ政策が多く実施された。

以前、時の政府は2011年までには、
基礎的財政収支を正常にしたい、と目標としていたが、
与野党議員は選挙民より一票を獲得し、晴れて国会に戻りたい為、
バラマキ合戦となっていたのである。


野党の一部の党は、社会福祉の充実こそ何より大事で、
新テロ対策の給油活動は反対し、自衛隊の予算を疑り、
果ては無駄な存在と公言されたりした。

ある一部の野党も、何より憲法第9条は大事とばかり、念仏のように大事し、
防衛費にも険悪としたりしていた。

自民党、民主党は、お互いにこの中の野党を取り込み、
連立政権として与党になりたく、
党の基本方針の政策を曲げてまで、安易に妥協したのである。
怜悧な面からすれば、野党の一部の党に与党へのワッペンを握られ、
更に政局は混迷したのである。

民主党は、旧・社会党系議員と若手の保守系議員のごった煮で、
党内は妥協を繰り返し混迷していたが、
豪腕と定評のある小沢一郎・代表の凄みで、
党の政策を政局に応じて変化させてきた。


このような時、日本の国として根幹となる政策が揺らいできたので、
民主党の前原誠司、野田佳彦、岡田克也など、
この3人に同調する若手の議員は民主党を離脱し、
自民党の渡辺喜美、石原伸晃ら数10名は共鳴し、新党を結成し、
たちまち第一党の自民党の議員数に迫る勢いとなった。

しかし、与党となるためには、野党の一部の党と連立しなければならず、
肝要の政策に決断するのに、苦悩が迫まわれたのである。

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