夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

人類が初めて遭遇する「寝たきり100歳社会」の悪夢の一部を学び、やがて私は多々学びながら・・。

2016-06-15 17:15:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼食後、愛読している『デイリー新潮』を見ている中で、
【 人類が初めて遭遇する「寝たきり100歳社会」
           後編〈医学の勝利が国家を亡ぼす 第5回 】と見出しを見たりした。

そして私は、どのようなことですか、と私は思いながら、読んだりした。
          
この記事の原文は、『週刊新潮』2016年6月9日号に掲載されて連載記事のひとつで、
『デイリー新潮』に6月13日に配信され、我らシニア世代はやがて到来する厳粛なテーマであり、
無断であるが大半を転載させて頂く。

《・・
☆寝たきりか、あるいは安楽死か

90歳を超えると7割の人が、認知症になるという。
そうして家族の顔すらわからずに、寝たきりのまま命をながらえる。

それが100歳社会の実態だと知っても、無暗(むやみ)に長生きを望むだろうか。
しかも、延命コストのシワ寄せはすべて、子や孫の世代におよぶのである。
            

☆治療には、やめ時がある

「私は2人の娘に、“植物状態になったら、延命治療をやめてくれ”と伝えてあります。
また、“認知症になったら、施設に入れてくれ”とも伝えている。

特に認知症にはなりたくありません。
ひどい認知症になってしまったら、もう生きていたくないと思います」
 
ジャーナリストの田原総一朗氏(82歳)がこのように語るのは、
来るべき「100歳社会」について、考え抜いた末であるという。

「私は70代のどこかで死ぬんだろうと思っていましたが、気づけばもう80をすぎている。
今後90代をどう生きるかという話が、でてくるかもしれません。

ここまで日本人の寿命が延びた今、われわれが考えるべきは健康寿命と、その逆の不健康寿命についてでしょう。
植物状態になってまで、生きながらえることに意味があるのかという話で、
それは必然的に尊厳死の話にもつながります」
            

100歳社会が、いかに不健康な社会であるか、前回で描写したが、簡単に振り返っておきたい。

50年前は200人に満たなかった100歳以上の高齢者の数が、昨年6万人を超えた。
今後も2020年には12万人、30年には27万人と倍々ゲームで増え続け、50年には68万人に達すると見られている。

“予備軍”の数は、それどころではない。
75歳以上の後期高齢者の数が、25年に約2200万人と、日本の人口の18%に達すると推計されているのだ。

誰もが健康な100歳社会が、到来するならいい。
だが、75歳を超えると、心身の健康度が下がって、病気のリスクが一気に高まるという。

昔なら、その年齢で重篤な病気にかかれば、寿命と考えてあきらめたものだが、
今は膨大な国費を投じて、高価な薬を使い、生かしてしまう。

その結果、認知症が進行した患者に胃瘻(いろう)をつくり、寝たきりの状態で、無理に延命するケースが後をたたない。

また、救命救急センターも高齢者であふれ、寝たきりの人が心肺停止で運ばれ、
何百万円もかけて応急措置が施された結果、寝たきりの期間がさらに延長される、という事態も日常茶飯事だという。

しかも、こうして不健康寿命を延ばすのにかかる膨大な医療費を負担するのは、
超高齢者の増加に反比例して、その数が減り続けている現役世代なのである。
            

さて、田原氏は認知症への強い懸念を語ったが、実際、認知症の罹患率は、年齢が上がると急増する。

東京都福祉保健局の調査によれば、70代前半では4・3%にすぎないが、70代後半になると10・1%に跳ね上がる。
そして80代前半が23・4%、80代後半が43・6%で、90歳を超えると69・2%。
3人に2人は認知症になってしまう。

すなわち、100歳社会はおろか、田原氏の言う「90代をどう生きるか」という社会も、
認知症の超高齢者があふれ返る「悪夢」の具現化に、ほかならないのだ。


そんな中で、自らも寝たきりで、家族の顔すらわからなくなったまま、生きながらえたいと望む人が、どれだけいるだろうか。

国際医療福祉大学大学院の高橋泰(たい)教授が言う。
「私は食事と排泄が、自分でできなくなることが、人生の分岐点だと考えます。
食事がとれなくなったり、嚥下(えんげ)障害が起きたりした時点で、
無理に食べさせない選択をすれば、2週間から1カ月ほどで枯れるように亡くなっていきます。

一方、胃瘻をつくれば2~3年は延命できますが、健康状態を取り戻せる可能性は低い」
            

そういう現実を間近で、見ていればこそだろう、
「医療関係者を対象に、自分が治る見込みがない場合に、胃瘻をふくむ延命治療を望むか、とたずねた調査では、
“望まない”という回答が医師で85・1%、看護師では88・8%と、いずれも高い割合を示した、という結果があります」
と、桜美林大学老年学総合研究所の鈴木隆雄所長。

医療関係者のみならず、食事や排泄の介助が必要になってまで生きたくない、と答える人が多数派だというデータもある。


しかし、現実には、本人の意思とは裏腹に「生かされて」しまっているというのである。
臨床医の里見清一氏が語る。

「不健康な状態で長く生きることが、本人にとってどれだけ良いことなのか。
75歳をすぎて大きな病気になったら、寿命だとあきらめたほうが、幸せなのではないでしょうか。

しかし家族はそう思わず、ある意味、家族の側の納得、もしくは満足感のために生かされてしまうことがままある。
むろん、家族に悪気はまったくなく、むしろ、せめてもの親孝行だと思っているわけですが、
そうした考え方からの転換点を見つける必要があると思います」
            

☆すべては子供や孫の負担に

本人は望んでいないにもかかわらず生かされ、生かすためのコストで国家財政が逼迫する。
そうであるなら、二重の悲劇である。

「われわれ日本人は、医学の進歩のおかげで、寿命を延ばしてきました。
一方、このまま平均寿命だけが延び、不健康な期間が長くなれば、当然、巨額の医療費と介護費用が発生するわけで、
国家財政にも大きな負担になるということを十分認識しておくべきです」
と鈴木所長は語るが、現実にはその認識がまだ十分ではないようだ。

次の逸話もそのことを物語る。
「私自身、終末期の高齢者と家族のありようを数多く見てきましたが、
胃瘻をつくることを強く訴えたあと、あまりお見舞いに来ない家族もいました。

一方、あえて延命治療を望まず、本人が納得して眠るように死を迎えることを選択し、
最後まで付き添う家族もたくさんいました」(同)
(略)
「私は治療には、やめ時があると考えています。
際限なく治療を継続することが、本当に患者本人のためになるのか。
            

そうした議論をていねいに尽くせば、終末期医療における人間の尊厳と医療経済の状況改善は、両立できると思います」
日本尊厳死協会副理事長で医師の長尾和宏氏は、そう語りつつも、

「しかし」と継いで、こう続ける。
「日本には本人の意思を尊重するための法的担保がありません。
ですから、ご本人がリビング・ウィル(生前の意思表示)で延命治療を拒んでいても、家族がそれを蔑ろにするということが起こっています。

そういう事態に直面した際、医療者は本人の意思を尊重するか、家族の意見を聞くかで迷うのですが、
結局は、訴訟リスクを恐れて、家族の意見を優先せざるをえない場合があるのです」

その一方で、皮肉な現象もあるという。
「天涯孤独のいわゆる“おひとり様”たちは、希望どおり延命治療なしで、自宅で看取られています。
本人の意思を通すのを邪魔する家族がいないから、それが叶うのです」(同)
(略)
            

☆氷山が眼の前にあるから

日本尊厳死協会の白井正夫理事も、
「本人のリビング・ウィルを家族が否定するというケースは、日本特有の問題かもしれません」
と指摘して、続ける。

「極めて個人主義の社会であるヨーロッパに対し、日本は家族主義。
個人の意思はあくまでも家族という枠組みの中で、尊重されるところがある。
そのうえ尊厳死を規定する法律もないので、家族が強く反対すれば、本人の意思が生かされない」

人生を自らの意思で、締めくくることすら許されない──。
そうだとすれば、日本人は不幸であろう。
            

欧米諸国ではどうなのか。
「ヨーロッパには元来、尊厳死は当たり前という風潮があるので、わざわざ法整備しない国が多いといわれますが、
フランスには尊厳死法が、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルクス三国には安楽死法があります。

スイスも法律はないものの、安楽死が認められています。
また、アメリカではオレゴン、ワシントン、モンタナ、バーモント、ニューメキシコの5州が、
医師による自殺幇助を認めている。
カナダも安楽死法案を審議中です」(同)

実は、この流れはアジア圏にもおよんでおり、
「台湾では昨年12月、新しい尊厳死法が成立し、韓国でも2018年から尊厳死法が施行されます」(同)
(略)
ところで、こうして延命の是非と老人の死に方に繰り返し言及するのは、あらためて言うが、
本人の幸福につながるとは思えない延命が、次世代の不幸に直結するからだ。
            

評論家の大宅映子さん(75歳)が言う。
「日本の医療費は、若年層よりも、老人に多く分配されすぎています。

貯金があるのは、老人なのに。
老人に医療費を注ぎ込んでも生産年齢に戻るわけでなく、一度病気になれば、医療費を注ぎ込み続けなければなりません。
日本は人間が資源なのに、そのお金を保育や教育に回さなければ、人間の質がどんどん下がってしまいます。

こういうことを言うと、“姥捨て山だ”と非難する人が出てきます。
でも、このままでは、ギリシャどころではすまない危機が、自分たちの子供が住む日本を襲いかねません。
自分たちは医療費を使ってぬくぬくと生き、子供や孫に負担を押しつけ、“はい、さようなら”でいいのか」

この連載では、年間3500万円かかる肺がんの新しい治療薬「ニボルマブ(商品名はオプジーボ)」を、
薬価、ひいては医療費高騰の象徴として取り上げてきた。
仮に5万人が1年間使えば1兆7500億円。

今後も次々と登場する高価な新薬を同様に使い続ければ、
「間違いなく、国家財政がもたない」
里見清一氏はこう訴える。

それはすなわち、われわれの子供や孫が、まともな医療すら受けられないような社会の到来に、
つながりかねないということである。
            

だから里見氏は、
「75歳以上では、延命治療を中止すべきではないか」
と提案するのだ。

あらためて里見氏が語る。
「75歳は、ひとつの目安として、いいところだと思います。
(略)
やはり人間は、どこかに死ぬべき時がある。
ただし、私は高齢者に“今すぐ死ね”と言っているのではない。“先に死ぬべきだ”と言っているだけです。
年寄りから順に死ぬのが、もっとも健全な社会です。
老人の命が大切だとしても、若い人を押しのけてしまっていいのか」
(略)
膨大なコストをかけ、本人すら望まない不健康寿命を延ばすことによって到来する、空前の100歳社会。
ゆめゆめそれを正夢にしてしまってはなるまい。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
                              

私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
過ぎし11年半前の定年後の頃から、漠然としながらも私は家内に死生観について話し合ったりしてきた。
こうした中で、自分の口で食事が食べられなかった時は死ぬ時であり、延命治療はしないで、
と幾たびか言ったりしている。

過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。

《・・(略)・・私の理想は、「達者でポックリ」逝くことです。
死ぬ直前まで自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考えることができる。
「寝たきり」とは180度対照的な死に方が、「達者でポックリ」だと言えるでしょう。
・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。
                                   

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・
私もブラッと飲みに行けなくなったら、そろそろ「死に時」ですかねぇ(笑)。
理想は、下町の小料理店に出向き、さぁ、今日は何をツマミに飲もうかなとワクワクして暖簾をくぐっているときに、
心筋梗塞でバタッと倒れるなんていうのがいいですね。

年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》
                                   

このような深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動に注視して、信愛を重ねている。

そして私は9月に72歳を迎える身として、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。

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見た目年齢を決める「体内老化度」16項目、老ボーイの私、こっそりと受験して・・。

2016-06-14 17:03:48 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼食後、愛読している『ダイヤモンド・オンライン』を見ている中で、
【 見た目年齢を決める「体内老化度」16項目でチェック! 】と見出しを見たりした。

そして私は、どのようなことなのょ、と私は思いながら、読んだりした。
          
この記事は、『ダイヤモンド・オンライン』の中で、『男の健康』のコーナーがあり、
ストレスフリーな食事健康術と称した定例記事で、管理栄養士の岡田明子さんが連載され、
5月30日に配信され、無断であるが前半部を転載させて頂く。

《・・あなたの体内老化度を16項目で、チェックしてみましょう。

自分は健康と思っていても、知らないうちに体の中が老け込んでしまっている。
あなたもそんな状態になってはいませんか? 

実はそんな体内老化は、見た目の老化にも、影響を与えます(略)。
            

※あなたはいくつ当てはまる?  体内老化度チェック

同じ年齢でも若々しい方もいれば、年齢以上に老けて見える方もいます。
体内の老化は、そんな見た目にも影響が出てくることをご存じですか? 
まずは「体内老化度チェック」で、自身の老化の度合いを確認していきましょう。
            

 <A>
□1日1回は、甘いおやつ(お菓子や菓子パンなど)を口にする
□疲れると甘いものが、欲しくなる
□エナジードリンクや炭酸飲料などの甘い飲み物をよく飲む
□市販のドレッシングや便利なおかずの素をよく使う

 <B>
□野菜をあまり食べない
□果物をあまり食べない
□タバコを吸う
□ストレスを感じやすい

 <C>
□揚げ物を週1回は食べる
□食べ過ぎて、お腹が苦しくなることがよくある
□味が濃いものが好き
□肉食で、魚をあまり食べない

 <D>
□便秘または下痢気味である
□外食やコンビニ食をよく利用する
□ヨーグルトやキムチなどの発酵食品をあまり食べない
□油っこいものが好き
            

<チェック数で体内老化度を判定>

☆チェック数が、0~4個・・・体内老化度 30%

今のところ年齢に見合った体内年齢を維持できているようです。
チェックがついた部分を改善すると、より体の内から若々しさをキープできます。


☆チェック数が、5~10個・・・体内老化度 60%

体内で徐々に老化が進行中。
これ以上老化スピードを上げないためにも、食習慣の改善をしていきましょう。


☆チェック数が、10個以上・・・体内老化度 100%
 
体内の老化は、深刻な状態です。
このままの習慣を続けていると、体内老化がさらに進み生活習慣病になる危険も。
チェック項目の習慣をできるところから、少しずつ改善していきましょう。


いかがでしたか? チェックが多くついた方ほど体内の老化は進んでいます。・・》
            

私は記事を読み終わった後、こっそりと『体内老化度』受験した・・。

そして恥ずかしながら告白すれば、私が該当した箇所は、
□果物をあまり食べない
□タバコを吸う
□味が濃いものが好き
□肉食で、魚をあまり食べない

このような状態であり、チェック数が4個であり、結果としては体内老化度は30%であり、
私は驚きながら、微苦笑を重ねたりした。


私は特にスポーツもしていなく散策する程度のグウダラな身であるが、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
日々ひたすら歩くこと、睡眠、そして程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活11年半を過ごしている。
            

栄養士で食事カウンセラーされている笠井奈津子さんが、実年齢より若く見える人に共通する2つの習慣には、
★定期的な筋トレもしくは運動をしている
★好奇心が旺盛
と相関関係がある、と私は過ぎし日に読んだりしてきた。

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

こうした影響かしら、と微笑んだりした・・。

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高齢者の「ころぶ」事故は、「居室・寝室」がダントツと学び、高齢者の私は戸惑いながら溜息し・・。

2016-06-13 13:42:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後38年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、自動車もない稀(まれ)な家となっている。

我が家は平素の日々の買物は、私が定年後に年金生活を始めて以来、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、家内が駅前のスーパー、ホームセンター、専門店などには3週間に一度ぐらい、
或いは年に4回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急などのデパートに買物、
そして人影も少ない遊歩道を歩いた先で歯科医院で治療を受けたりする時は、
老ボーイの私は、家内のボディガード、お供そして荷物持ちをして、早や11年半が過ぎている。
                         

昨日、日中のひととき、私は家内と共に駅前に近いホームセンターで一時間ばかり買物し、
夕方に我が家に配達依頼した後、梅雨の間の晴れ間で熱さで少し疲れた感じをしたので、
私たち夫婦は駅前にあるコーヒーショップの『ドトール』に入店した。

そして空いてある席を見たりしている中、
『よろしかったら・・こちらにいらっしゃょ・・』
とご婦人から家内は声をかけられた。

そして私は、我が家のご近所にお住まいの奥様で、ご主人と共に同席されていた。

私は買物とか散策の時に、ときおりお逢いして、私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、この御夫婦と談笑をしたりしている。

そしてご主人は私より少し齢上で76歳、奥様は73歳で心身溌剌とされているご夫婦で、
私は秘かにセカンドライフのお手本としている御夫婦であった。

その後、私たちは、隣席のテーブル席に座った後、
やがて私はご主人と、周辺に咲いている幾か所の紫陽花(アジサイ)を、
あの辺に咲いているが魅せられた、とお互いに話し合ったりした。

家内は奥様と、家の中で時折つまづくことを話題にされているらしく、談笑されていた。

やがて私たち夫婦は、別れを告げてスーパーに買物に向かった。
まもなく家内は、奥様より、あなた御夫婦は溌剌と感じましたが、油断大敵ですょ、
と言われて一枚の記事を頂いたわ、と家内は微苦笑しながら、私に言ったりした。

帰宅後、まもなく私は麗(うるわ)しい奥様から頂いた記事を読んだりした・・。
            

そして私が年金生活の中で多々教示されてきた黒田尚子(くろだ・なおこ)さんが、
【高齢期の住宅リフォーム、公的制度活用でオトクに】と題され、6月9日に公表された寄稿文であった。
無断ながら転記させて頂く。

《・・Aさんの母(80歳)は、3年前に父が亡くなった後、実家で一人暮らしをしています。
「まだまだ心身ともに、しっかりしている」とAさんは思っていましたが、
その母が先日、大腿骨頸部骨折で、入院することになりました。


☆ちょっとつまずいただけで骨折・・常に潜む事故のリスク

入院期間は、1か月ほどになります。
その後のリハビリの必要もあるようです。
Aさんは、母がこのまま寝たきりにならないか心配しています。

母の骨折の原因は、なんと自宅で寝ている際に使う布団の端に、
足を乗せていたところ、布団ごとズルッと滑ってしまったことでした。
Aさんは「そんなことで、骨折するなんて」と驚きを隠せません。

Aさんの母のように、高齢になると、バランス感覚が鈍くなり、骨がもろくなって、
ちょっとつまずいたり、人にぶつかったりして、転倒して骨折することがあります。

それが原因で、寝たきり状態になってしまう可能性もありますから、
日常に潜む事故のリスクを安易に考えてはいけません。
            

☆高齢者の「ころぶ」事故・・「居室・寝室」がダントツ

東京消防庁の救急搬送データによると、高齢者の事故の中で、最も多いのが「ころぶ」事故です。
これらの事故でケガをして、救急搬送される数は年々増加しており、
平成26年には約4万7000人もの高齢者が救急搬送されているそうです。

事故というと、屋外の施設を想像しがちですが、6割近くが「住宅等居住場所」で起こっています。
たしかに高齢者は、若い人に比べると、行動範囲も狭くなりがちで、
自宅にいる時間も長いでしょうから、その通りかもしれません。

ただ、事故の発生場所として、ダントツに多いのが「居室・寝室」です。
次に「玄関・勝手口」「廊下・縁側」が続き、階段や浴室、ベランダといった、
転んで危なそうな場所の割合が、少ないのは意外です。

高齢になると、若い時には想像できない、ちょっとした段差やじゅうたんの縁に
つまずくこともあります。

転倒防止のためには、次のような工夫が必要です。

※できるだけ、家の中の段差をなくす
※足元灯などを設置して、足元を十分明るくする
※階段や廊下・玄関先など、滑り止めや手すりなどを設置する

さらに高齢者世帯にありがちなのが、片付けるのが億劫(おっくう)になって、
手の届く範囲や、床にモノを、置きがちなことです。
転倒の原因とならないよう、整理整頓を心掛けましょう。
            

☆自宅をバリアフリー・・介護保険の「住宅改修サービス」

そこで高齢者の安全を確保するため、自宅をバリアフリーにするなど改修やリフォームする場合も考えられます。
そんなとき利用したいのが、介護保険の「住宅改修サービス」です。

この制度は、要支援・要介護認定を受けた高齢者の自宅の改修を行う場合、
その費用の9割相当額が住宅改修費として支給されるというものです。

以下のような住宅改修が対象になります。

※出入り口のドアを引き戸に取り替え
※壁や階段に手すりの取付け
※段差解消のためのスローブなどの設置(固定)
※畳の床をフローリングに取り替え
※和式便器を洋式便器に取り替え

支給限度額は、改修時に住んでいる一住宅につき20万円ですので、
両親とも認定を受けている場合、40万円が支給されます。

また、原則は1回のみですが、転居した場合や要介護度が、3段階以上重度化した場合、再度利用が可能です。
            

※自治体には高齢者向けリフォーム支援制度

さらに多くの自治体では、この介護保険の住宅改修とは別に、高齢者向けリフォーム支援制度を行っています。
自治体で異なりますが、工事によって30万~50万円程度の助成金の支給や
一定の利子補給などが受けられます。

要件は、65歳以上の高齢者世帯に限るとしたところが多く、リフォームの種類もある程度、限定的です。

一般社団法人住宅リフォーム推進協議会のサイト では、
自治体の住宅リフォームに関する支援制度が、検索できます。
お住まいの地域にどんな制度があるか、チェックしてみてはいかがでしょうか? ・・》

注)記事の原文を、あえて改行を多くした。
            

我が家の両親は無念ながら家内の母だけとなり、我が家から遠方にある地で独り住まいをしている。
家内の母は、5年前の81歳を過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、杖(つえ)を突いて歩く身となった。

まもなく市の福祉課を通して、『要支援2』と認定されて、
市の福祉課からのアドバイスにより、住まいの一部を補修したりしたが、
介護の助成金のお蔭で、たった一割負担で済んだりした。

やがて昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

やがて数週間前、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
            

過ぎし日、厚生労働省の2013年の統計によれば、日本人の健康寿命は男性が71.19歳、女性が74.21歳。
そして平均寿命との差は、それぞれ9.02年と12.4年ある、と公表されている。

誰しも長生きするのも良いと思われるが、できうるならば亡くなる直前まで、
自身のささやかな願いを託して、元気に過ごしたい、と私は思ったりしている。

こうした中で、晩年期の難題は健康寿命から亡くなる寿命までの期間である、
と私は年金生活11年半を過ごしてきた中で、ときおり思案を重ねたりしてきた。

今回の記事を私は読みながら、家の中で「ころび」、骨折して、やがて寝たきりになることは、
勘弁してほしい、と思ったりした。
            

そして過ぎし日、私は居間でぼんやりとしていた時、
絨毯の片隅に、つまづき、まもなく独り苦笑していたことを思い重ね、
ご近所の奥様から、油断大敵ですょ、とお言葉を思いだしている。

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アロハシャツ、私のささやかな思いでが甦(よみがえ)り、独り微苦笑して・・。

2016-06-12 16:14:17 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
過ぎし一週間前の頃、配達された新聞に入っていたデパートのチラシを何気なしに見たりした。

やがて来(きた)る6月19日の『父の日』に伴い、
《・・心を開放させるひとときにぴったりのアロハシャツ
         お父さんの大好きな柄やカラーを選んで。
パパス・シャツ(麻100%)27,300円・・》と掲載されていた。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、私は『父の日』には資格がなく、無縁であるが、
アロハシャツかょ・・と思いながら、確かに商品の写真を見ると、高級感があふれていた・・。


恥ずかしながら、私はアロハシャツを1枚を持っている。

過ぎし1998年(平成10年)5月の大型連休を活用して、会社の社員旅行でハワイに行った時、買い求めた。
確か機中泊を含めて4日5日間で遊学し、私は英語をたどたどしく単語で並べる程度であったが、
こうした中で、独りでオプション・コースのハワイ島日帰り観光に参列した。

そして帰路、ハワイ島の飛行場の近くの衣料店に行き、たまたまアロハシャツを見たりしていた。

こうした中、5ドル程度から数多くあったが、魅了されたシャツは、45ドルであった。
この頃のレートは、1ドルは150円前後であったが、私のハワイの思いでの品と思い、
英語の単語をたどたどしく言いながら、買い求めたりした。
            

やがて私は帰国後、サングラスをかけて得意満面で休日出勤務の時、会社に行ったりした。

或いは休日の時、自宅近くの散歩、買い物にも着て行ったりして、ワイシャツと同様に
クリーニングに出したりしていた。

やがて定年退職後は、家内に洗って頂き、年に10回ぐらいは、散歩、買い物に行っている。

私にとって、今では17年前に購入した衣料であるが、
このアロハシャツを身に付けると、何故かしらハワイ旅行が蘇(よみがえ)ってくる。

昨今、少し色あせてきたが、思い出と共に愛着している。

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地方創生の鍵は『高齢者の街』だ、私は読みながら、微笑みを重ねて・・。

2016-06-11 15:42:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
昨日、私は昭和45年(1970年)4月より購読している総合月刊雑誌の『文藝春秋』を
7月号発売日に伴い、買い求めて読んだりした。

こうした中の記事のひとつには、【 地方創生の鍵は『高齢者の街』だ 】と題され、
副題として【 ハッピーな老後のヒントは小説にあった! 】と掲げられていた。

この記事は、地方創生担当大臣の石破茂(いしば・しげる)さんと作家の楡周平(にれ・しゅうへい)さんが、
地方創生について、対談された内容であった。

そして私は最初に石破茂さんが発言された内容に、やがて私は微笑んだりした・・。

《・・本日は、地方創生を推し進める上でのヒントをいただければと思っています。
というのも、伊吹文明・元衆議院議長から、
「楡さんの書かれた経済小説『プラチナタウン』は読んだかね」と聞かれました。

昨年末の天皇誕生日に宮中へ参内したとき、昼餐に向かう途中で呼び止められたんです。
「読んでいません」とお答えすると、
「担当大臣なのに、そんなことだからダメなんだ。明日送ってあげよう」
とお叱りを受けてしまいました。・・》
            

たまたま私は高校生以来、読書が好きで、年金生活の中でも随筆、ノンフィクション、小説、現代史、
総合月刊雑誌などの読むことが多い。

こうした中で、過ぎし年の2010年(平成22)年の夏に、
偶然に本屋の新書コーナーで、楡周平(にれ・しゅうへい)・著作の『衆愚の時代』(新潮新書)を見かけて、
政治は混迷、経済は低迷、社会は劣化していると憂いていた私は、
この当時の風潮に《衆愚の時代》と命名された著作に関心を抱き、購読した。

そして私は楡周平(にれ・しゅうへい)さんの作品を初めて読んだが、
確かな視線のある作家と感じて、好感したりした。

その後、氏の『「いいね!」が社会を破壊する』(新潮新書)の書評を読み、
つたない私の感性が換気させられて、購読して、圧倒的に感銘を受けたりした・・。

そして私は氏の略歴、作品歴を初めて意識して、学んだりした。

やがて氏が2008年(平成20年)7月に、『プラチナタウン』を祥伝社から上梓され、
2011年〈平成23年〉7月に祥伝社文庫として刊行されていることを知り、
やがて遅ればせながら2014年(平成26年)7月に、買い求めて読んだりした。
             

そして定年退職を過ぎ、セカンドライフと称せられる年金生活をしている団塊世代を中核とした人たちにとって、
確かな桃源郷のひとつ、と心の中で呟(つぶや)きながら、確信を深めたりした・・。

この小説の概要の紹介した記事は、ネットで数多く紹介されている中、的確に表現した記事を転載させて頂く。
そして氏のこの作品の思いも掲載されている。
http://www.nikkeibp.co.jp/aging/article/innovator/20121003/01/01.html
☆【AGING Web】==>『AGING INNOVATOR 超高齢社会対応の先駆者たち 』
              ==>『小説『プラチナタウン』が示すもの 第1回』☆

そして補足として、主人公は団塊世代であり、若き20代の頃に三菱商事と推定される商事会社に奮闘され、
この当時の頃からの社会状況も克明に描き、やかて50代の自身の置かれた心情をくまなく表現され、
やがて上司の辛辣な采配で、やむなく退社されて、過疎の町長に就任して、
債務超過のような町を、高齢者の定住型テーマパーク街を立案して、やがて実施して、盛況となる。

楡周平(にれ・しゅうへい)氏は団塊世代の主人公に仮託させて、
《・・老後の新しいライフスタイル」として、「日本人にとって、楽しい人生とは何なのか。

仕事を終えたら燃え尽きて終わりだなんて、そんな人生つまらない。
人生の最後に、本当にしたいことができなければ、それまで懸命に働いてきた意味がない。

これからは、老後を楽しむという方向へ価値観を変え、
老後を最高の人生と思えるシステムや社会を創らなければならない」。・・》
                        

このような本書であるので、もとより団塊世代、そして少し齢上の世代、
あのような風潮もあったよねぇ、と過ぎし年に愛惜を重ねたり、
いざ年金生活となっている人たちに、自身が秘めている理想と思われる桃源郷のひとつに、
限りなく共感させられ、夢想できる本書でもある、と私は確信を深めたりした。

このような私の読書後のささやかな思いを秘めていたので、
石破茂さんが発言された内容に、やがて私は微笑んだりしたのである・・。

いずれにしても地方創生の難題であるが、地方創生担当大臣としての石破茂さんの奮闘されているご様子に、
何かと安倍首相ばかりマスメディアはスポットをあてているが、
今後も日本にとっては地方活性化こそ、明るい未来を託すことができる、と私は無力ながら深く思い馳せたりした。

そして石破茂さんは、地方創生担当大臣になられてから、
それぞれ置かれた要素が違う約200の市町村を訪問されたと知り、
私は無力ながらも石破茂さんの奮戦にエールをささげる。

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間違いだらけの「健康常識」~早寝早起き、運動、半身浴、粗食などを学び、改めて多々教示され・・。

2016-06-10 16:35:00 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼食後、いつもようにネットでニュースを見ている中で、
【 間違いだらけの「健康常識」~早寝早起き、運動、半身浴、粗食・・
                   60すぎたら寿命を縮めることもある 】と見出しを見たりした。

私は高齢者の身ながら、恥ずかしながら無知なことが多く、
どういうことなんですか、と私は思いながら、読んだりした。

やがて読み終わった後、そうだったんですが、知りませんでした・・と改めて多々教示され、
今後は気を付けて過ごします、と心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

この記事の原文は『週刊現代』2016年5月28日号に掲載された記事のひとつであり、
関連の 『現代ビジネス』に2016年5月29日に配信された記事であるが、
無断であるが転載させて頂く。

《・・長生きしたい。それも健康なままで。
そう願い、さまざまな健康法に取り組んできた人は、多いだろう。
だが、中には効果がないどころか、かえって寿命を縮めるものも、あって・・・。
            

☆歩いては、いけない時間帯

「70歳になった頃からですね。
自宅から10分ほど歩いて、最寄り駅近くの商店街まで出かけるのが、何だか億劫になってきたのは。

脚が重くて、やたらと疲れてね。帰宅したら、横になって休まないでは、いられませんでしたね。
これが本当に不思議だった。
私は60代から、ずっと筋力トレーニングをしていたんですから」

東京・三鷹市在住の横山富士夫さん(74歳・仮名)は、こう語る。

「長寿の秘訣は、筋力にあり」「元気な人は、筋肉を鍛えています」――。
テレビの健康番組で、耳にした言葉が記憶に残り、リタイアを目前にした60代から、筋トレを始めた横山さん。
高い料金を払ってスポーツジムに行くこともないと、自宅で腹筋運動を続けていた。

初めこそ苦しかったが、次第にできる回数が増え、
中年以来、ぽっこり出ていた腹も引き締まり、調子は上々と思っていたという。
だが70を過ぎて、急激に体力の衰えを感じるようになる。
            

メディアで健康情報が、溢れる時代。
テレビなどが勧める方法を実践しているのに、どうも調子がよくない、
かえって具合が悪くなったという人が、急増している。

いったい何が間違っているのか。
横山さんの証言について、『やってはいけない筋トレ』などの著書があるスポーツ・トレーナーの坂詰真二氏は、こう指摘する。

「筋トレが健康の秘訣というのは本当ですが、どういう筋トレをするかが問題です。
テレビのCMで盛んに腹筋マシンの宣伝が流れるせいか『筋トレと言えば、まず腹筋』と考える人が多いのですが、
これは大間違い。

腹筋運動ばかりを続けても、60代以上の方に重要な足腰の筋肉は、ほとんど鍛えられません。
長寿のために始めるなら、まずスクワット。

週に2~3回でよいので試してみてください。
90歳を過ぎて現役だった女優の森光子さんも、スクワット運動だけは、欠かさなかったといいます」
            

間違いだらけの健康常識。
足腰を鍛える運動としてブームとなっているウォーキングやジョギングについても、勘違いしている人が多いという。

長寿を司る細胞内の物質テロメア研究の第一人者で、
日本各地で100歳を超えても、健康な人々を調査してきた白澤抗加齢医学研究所所長の白澤卓二医師は、こう話す。

「私自身、朝に1時間のウォーキングをするよう心掛けていますが、
ウォーキングやジョギングをしている人を見かけることが、本当に増えました。

ただ、私は中高年の方には、ジョギングよりウォーキングを勧めています。
身体に強い負荷をかける激しい運動は、健康長寿のためには、よくないと考えています」

運動は筋力を高め、血行をよくするだけでなく、
長寿遺伝子のスイッチをオンにする効果もあると白澤医師は指摘する。

「ただし、それに必要な運動強度は、『うっすら汗をかく程度』。
長年、運動を続けてきた人ならともかく、これまでとくに運動していなかった人が、
いきなり心拍数を上げて激しい運動をすることには、リスクがあります。
ウォーキングやヨガなどが、ちょうどいいのです」

長生きのためと意気込んで、無理をして走ることは、かえって命取りになる。
実際、『奇蹟のランニング』というベストセラー本の著者で
「ジョギングの教祖」と呼ばれた米国のJ・F・フィックス氏は、ジョギング中に心筋梗塞を起こし52歳で急死している。

だが、白澤医師はさらに、歩くだけと思いがちなウォーキングにも、注意点があると指摘する。
「週に3回、1回30分歩けば、骨粗鬆症を防げるといったデータもあり、
ウォーキングはお勧めなのですが、実は身体によくない時間帯があります。

身体の機能が目覚めていない起き抜けや、空腹時、食事の直後。
そして気温が下がる時期には、血圧の上がりやすい寒い時間帯です。
気候のいい日、食後1時間ほど経った頃に、歩くのが一番です」

朝起きて一番に、ウォーキングに出かけるという方も、少なからずいるだろう。
だが、そのタイミングで、歩いてはいけない。
            

早朝の運動といえば、学校や公園で行われるラジオ体操も一般的だが、これはどうなのか。
「ラジオ体操のような動きは、筋肉を傷める」という主張も近年、インターネットを中心に広がっている。

その真偽について、前出の坂詰氏はこう語る。
「ストレッチの専門家たちの間でも『反動をつけて行うストレッチはよくない』と、
ラジオ体操のような動きを否定する意見があったことは、確かです。

反動をつけると筋肉が、反射的に縮もうとする『伸張反射』という現象が起こります。
それにあらがって、無理に伸ばすことで、ケガをする可能性があるとされたのです」

しかしこの伸張反射、実はゆっくりと筋肉を伸ばした場合にも、
発生していることが次第に分かってきた。

坂詰氏は続ける。
「過剰に勢いをつけるのでなければ、ラジオ体操は、とてもお勧めの運動です。
ラジオ体操には多くの人が、子供の頃から慣れ親しんでいて手軽です。

その上、腕を回す、胸を反らす、身体を前後左右に曲げる、跳ぶなどさまざまな動きが含まれ、有酸素運動、バランス運動にもなる。
脂肪燃焼や筋力向上が期待できます」

ただし、ラジオ体操がもっとも効果的な時間帯は、早朝ではない。
「人間の体温が一番高くなるのは、夕方の4時から6時頃です。
筋肉を伸ばしたり、カロリーを消費するためには、この時間帯に行うほうが効果は高いでしょう」

歩くにしろ、ラジオ体操にしろ、無理に早起きをして、
身体の硬い起き抜けに行うのは、百害あって一利なしなのだ。
            

早寝・早起きは、昔から健康の秘訣と思われてきた。
だが、この「常識」も最新医学の見地からは間違いだ。

スリープクリニック調布院長の遠藤拓郎医師はこう話す。
「子供ならば『早寝・早起き』は、間違いではありませんが、
60代、70代になってくると、『遅寝・遅起き・だらしなく』がよいと私は勧めています。

人間の睡眠は、残念ながら歳を取るほど、質も落ち、長さも短くなる。
2歳児は12時間、20歳でも8時間は眠れますが、
70歳になると健康な人でも、睡眠時間は6時間程度になってくるのです」

ところが、早寝・早起きが正しいと思いこんでいることで、
かえって生活のリズムが、くるってしまう人が多いという。

「私の患者さんにも、70代で夜7時に寝るという人がいました。
すると6時間しか寝られないので、夜中の1時頃には目が覚めてしまう。

それからずっと起きていて、早朝に散歩に出る。
早起きしているので、次の日はより早く眠くなる。
夕方6時に寝て深夜0時に目が覚めて・・と次第次第に、睡眠のリズムがくるっていくことになってしまう」

よく「寝過ぎるとボケる」などと言うが、年齢を重ねると「長時間寝続ける」ことは通常、難しい。
よく見られるのは「昼間でも、ウトウトしている」人だが、これも危険な状態だ。

遠藤医師は言う。
「たとえば深夜の1時などに目が覚めてしまっていると、昼には疲れ切ってウトウトする。
すると夜はかえって眠れないのです。

私は、歳を取っても仕事やボランティアなどをして用事を作り、
とにかく深夜0時から6時に寝るようにしなさい、と言っています。

遅寝でいいから6時間寝て、昼間はウトウトしない。
そういう生活がよいのです」
            

☆半身浴? それとも全身浴?

早寝・早起きほど「常識」にはなっていないが、近年、ブームになった健康法の中にも、落とし穴はある。
東洋医学を積極的に取り込む「統合医療」に取り組んできた、東京有明医療大学教授の川嶋朗医師はこう指摘する。

「ふくらはぎを揉むという健康法が近年、大きな話題を集めました。
高血圧、糖尿病、アトピーやがんなど、万病を遠ざけるというのです。
しかし、これは危険な極論です。

ふくらはぎを揉むこと自体は、健康法としては理に適っています。
心臓から送り出された血液は、ふくらはぎの筋肉がポンプの役割を果たして、足先から心臓に戻される。
ですから、ふくらはぎを揉めば血液の巡りは、よくなるでしょう。
しかし、それで病が治るというエビデンスはありません。

血圧の薬などをやめてしまったりすれば、かえって命の危険もあります。
純粋に日頃から血行をよくする健康法だと受け止めるなら、取り組んで損はないでしょう」


他にも、免疫を高め、美容にもつながるとしてメディアでたびたび紹介される「半身浴」も、疑わしいと川嶋医師は話す。
「半身だけお湯に浸かったほうが、身体が温まる、などと言いますが、これはまったくのウソです。

血行について考えても、全身浴なら水圧で、全身の血管が圧迫され、
心臓に戻る血液の量が増えることで、自然と血流がよくなります。
しかし半身浴では、その効果も半減します。

熱めのお湯で半身浴をするより、ぬるま湯にゆっくり、全身で浸かるほうが断然、健康にはいいでしょう」
            

「長寿には粗食が一番」とした健康法も多く流布している。
そうした健康法では一汁一菜、肉や脂は極力避けるなどと「ヘルシー」と称される献立が推奨される。

だが前出の川嶋医師はこう話す。
「肉や脂肪分を極端に避けることが、健康につながるというのは、大間違いなのです。
一般的に、肉や脂肪を食べることで心配されるのは、コレステロールの増加です。

しかし実は、血中のコレステロール値が高いほうが、肺炎やがんになりにくく、
むしろコレステロール値が低い人のほうが、死亡率が高いことが統計から分かってきたのです」

もちろん、あまりの暴飲暴食は、胃や腸を疲弊させるが、肉も魚も、思うさま食べてよいのだ。

あなたが健康のためにと心がけていることは、実は大きな間違いかもしれない。
本当に健康な生活を目指すためには、常に新しい情報に接して、自分の習慣を見直すことが大切だろう。・・》

注)記事の原文を、あえて改行を多くした。
            

私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

こうした後、独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりし、
私の容姿は、上半身は夏帽子を被り、長袖のスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズとなっている。

そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された状景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

こうした中で、ひたすら歩く根底のひとつには、何よりも認知症になることが恐れているひとりである。
                         

今回、歩く時間は《・・気候のいい日、食後1時間ほど経った頃に、歩くのが一番です・・》とは学んだりした。

以前の私は風の噂として、起床後の空腹時に、ひたすら歩けばダイエットになる、と学んできたが、
私は実行力に欠けて、午前中の買物メール老ボーイの責務を終えた後、歩いたりしているが、
《・・食後1時間ほど経った頃・・》が最適と今回学び、11年半続けてきた習性・・どうしょうかしら、と苦笑したりした。

早寝・早起きに関しては、ここ数週間は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、たとえ震度3ぐらいの地震でも、
目覚めることなく熟睡していて、やがて朝食の時に家内から教えられ、微苦笑することが多くなっている。
            

自宅での入浴に関しては、多くの御方が適温と称している42度前後より、
私は少しぬるま湯にゆっくり、全身で浸かるタイプであるので、
今回の記事で指南された説と同様であった。

「長寿には粗食が一番」に関しては、年金生活の身ながら、程ほど食事は肝要と思ったりしている。
そして高価な数多い栄養剤よりも、美味しく食べられる料理の方が、心身に圧倒的に良い、と信愛している。

私は特にスポーツもしていないグウダラな身であるが、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くこと、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、過ごしている。

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1日1食生活 タモリ、たけし、水谷豊、千葉真一らの心がけを学び、老ボーイの私は微苦笑して・・。

2016-06-09 14:17:03 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼食後、ネットでニュースを見ている中で、
【 1日1食生活 タモリ、たけし、水谷豊、千葉真一らの心がけ 】と見出しを見て、
どういうことなょ、と私は好奇心に負けて、クリックして読んだりした。

やがて読み終わった後、無名な私と有名人それぞれ御方は人生観が違うよなぁ、
と私は微苦笑をしたりした。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の2016年6月17日号に掲載された記事のひとつで、
関連の『NEWS ポストセブン 』に於いて、6月9日に配信された記事であり、
無断であるが転載させて頂く。

《・・高齢者の栄養失調やダイエットの弊害が問題になる中で、「1日1食が長寿の秘訣」といわれても、にわかに信じ難い。
だが、実は「1日1食生活」を実践している有名人は少なくない。
            

☆タモリも「1日1食」派

「1日1食派」の代表格とされるタモリ(70歳)は、
32年間にわたって司会を務めた『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の番組内で
「オレ、1日1食しか食べない」と発言している。

『とんねるずのみなさんのおかげでしたSP』(フジテレビ系・2014年3月27日放送分)では、
『27時間テレビ』の間も「食べるとね、絶対にバテると思ったの」と、一切食事を取らなかったことを明かした。

☆ビートたけし

ビートたけし(69歳)は、本誌の連載記事『ビートたけしの21世紀毒談』(2013年7月12日号)の中でこう語った。
〈オイラの本当のダイエット法? まァ強いていえば、「炭水化物制限」と「1日1食法」だな。

朝起きたらまず、野菜ジュースをタップリ飲んで、その後は晩飯まで、何も食わない〉

☆水谷豊

水谷豊(63歳)は『徹子の部屋』(テレビ朝日系・2014年4月25日放送分)で、
「僕は基本的に、朝とお昼、食べないんですね。
ですから、夜に賭けてますから、夜になると野生に戻るんですね。食べたいほうだいね」
と話して黒柳徹子(82歳)を驚かせた。

☆千葉真一

さらに千葉真一(77歳)も本誌の密着記事(6月3日号)で健康を維持するための秘訣として、
「8年くらい前から、食事は1日1食」と語っている。・・》

注)記事の原文を、あえて改行を多くした。
            

私は年金生活11年半を過ごしている身であるが、1日3食を頂いているので、
驚きながら読んだりした・・。

私は現役サラリーマン時代で、若き40代の前半期は、中小業で配属は情報畑であった。
システム開発、部分改定などの時は、深夜とか徹夜で奮闘していたが、
こうした時は朝はコーヒーだけ飲み、昼食、夕食だったので、1日2食の時代もあったりした。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
            

こうした中、もとより食習慣は大切であり、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
ここ三が月は、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。
        
家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食は私はフランスバンを三分の一ぐらいを食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。
そして昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
            
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
            

私は中小業の民間会社に奮戦している50代の時、同僚が病死されたり、
そして知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
           
やがて年金生活を始めて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
まもなく、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
            
私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇せず、今日を迎えているが、
いつの日にか介護の施設にお世話になると思われる。

それまでの期間は、私たちはそれぞれ自身が食べたいもの、或いは料理を、自身の口で頂き、
食事の楽しみを享受したいと思い、過ごしている。
            

今回、有名人の一部の御方が、1日1食で生活をされている学んだりし、
亡き俳優の高倉健(たかくら・けん)さんが、人様に見られる商売だから・・、このような意味合いの言葉を私は思い重ねて、
やはり有名人の御方は容貌、容姿は大切にされるから、何かと大変だなぁ、と無名な私は微苦笑したりしている。

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年金 世代間格差の難題、改めて年金生活の71歳の私は、溜息ばかり重ねて・・。

2016-06-08 16:50:48 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
一昨日の夕方、門扉の近くにある郵便受入箱に日本年金機構より私宛に葉書が郵送されていた。

そして私は居間で、密封された葉書を開くと、左側には『国民年金 厚生年金保険 年金額改定通知書』と標題されて、
年間の『国民年金(基礎年金)』と『厚生年金保険』の金額が明記されていた。

そして右側には『年金振込通知書』と標題されて、『年金支払額』、『介護保険料額』、『国保保険料(税)額』、
『所得税額および復興特別所得税額』、『個人住民税額』、『控除後振込額』が明示されていた。

そして《・・平成28年6月から平成29年4月の各支払月額(2月支払期を除く)》と付記されていた。

この後、私は前回頂いた『年金振込通知書』を取り出して、こっそりと金額を比較した・・。
やがて『年金支払額』と『控除後振込額』だけが変動して、何故かしらプラス6円となり、私は微苦笑した。

昨日も家内宛に同様な通知が郵送されて、結果的には『年金支払額』と『控除後振込額』だけが変動して、
何故かしらマイナス7円となり、我が家としては昨年と同一の年金支給額だねぇ、私は家内に微苦笑しながら言ったりした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

このような我が家の収入の殆どの基盤は、厚生年金(国民年金(基礎年金)と厚生年金保険』)に頼っているので、
私たち夫婦は注視している。
            

今朝、配達された読売新聞の朝刊を読んでいる中、11面の【解説】面の恒例連載【解説スヘシャル】に於いては
【 年金 世代間格差どう思うか 】と標題を掲げて、
《 あなたは 負担額の何倍受け取れるか? 》、《 70歳と40歳以下 2倍の差 》と見出しされていた。

私は編集委員の石崎浩さんが寄稿された記事を精読して、やがて私は溜息を重ねたりした。
そして年金の世代間格差の難題に関しては、多くの御方と認識は共有致したく、長文であるが、
あえて転記させて頂く。

《・・消費増税の延期で、年金、医療、介護や子育て支援など、社会保障制度の先行きに、注目が集まっている。
このうち公的年金は、後に生まれた人ほど不利になる「世代間格差」が大きく、
若い世代が制度に不満を抱く原因になっている。

初めて18、19歳の人が選挙権を持つ7月の参院選を前に、改めて世代間格差の問題を考えてみたい。(編集委員 石崎浩)
            
 
☆保険料の5.2倍

公的年金には、どのぐらい世代間格差があるのか。
厚生労働省が昨年公表した試算結果を見てみよう。

まず、厚生年金に加入するサラリーマンと、専業主婦の夫婦世帯はどうか。
現在70歳の夫婦は、現役時代に納めた計1000万円の保険料負担で、総額5200万円の年金を受け取ることができる。
受給額は、納めた保険料の5・2倍だ。

ところが、この倍率は、後に生まれた世代ほど低くなる。
現在30歳と20歳の世帯は、それぞれ2・3倍に下がる。

「5・2倍」と「2・3倍」。
倍率同士を比べてみると、高齢世代は若い世代より、2倍以上も有利だという結果になっている。


国民年金(基礎年金)に加入する自営業者の場合、現在70歳の人は、納めた保険料の3・8倍を受給できる。
ところが、40歳以下の世代では、この倍率がやはり、半分以下の1・5倍に下がる。
            
 
☆なぜ生じたか

これほどの格差が生じた大きな原因は、今の高齢者が若いころ、保険料の水準が、まだ低かったことだ。
厚生年金の保険料率は現在、男女ともに17・828%。
だが、現在70歳の人が、20歳だったころの厚生年金保険料率は、男性が5・5%、女性は3・9%だった。

これは1948年の年金改革で、敗戦によって、国民に保険料を納める余裕が乏しくなったことに配慮して、
保険料の大幅な引き下げが、行われたからだ。

高度経済成長期に入ると、厚生省(当時)は保険料の引き上げをたびたび計画した。
だが、与野党がともに有権者の批判を恐れて、負担増に及び腰だったため、なかなか引き上げが進まなかった。

一方、年金の給付水準については、高度成長期に与野党が競って、引き上げを求めた。
年金財政の実力に見合わない増額などが相次ぎ、そのつけが、後に生まれた世代に回された。

少子高齢化が進み、年金財政は、このところ厳しさを増している。
保険料は今後も引き上げが、予定されているが、すでに退職した高齢者は、その影響を受けない。

さらに、厚生年金の支給開始年齢は、60歳から65歳に段階的な引き上げが進んでいる。
2030年度までに、男女とも65歳からの支給となるが、いま70歳の人は、60歳から受給できた。
            
 
☆損得論の是非

これだけの大きな格差について、若い世代から見れば、確かに釈然としないところがあるだろう。
だが、「自分たちは損だ」と性急に決めつけないほうが、よいかもしれない。

まず、現在の高齢者が若いころ、その親世代が受給する年金は、今ほど充実していなかった。
保険料が低くても、「それとは別に、親との同居や仕送りで、経済的に支えていた人がかなりいた」
(松山市の主婦 72歳)という実態がある。

厚労省の国民生活基礎調査によると、65歳以上の高齢者がいる世帯のうち「3世代同居」の割合は、
1975年には、54%にのぼっていた。
現在は13%に激減し、高齢者だけの世帯が増えている。

家庭の状況は様々だが、社会全体で見ると、
現役世代が高齢の親を支える経済的な負担が、軽くなったことがうかがえる。
年金の充実が、こうした変化をもたらした。

厚労省は「かつて保険料は低かったが、収入も少なく、負担感は、それなりに重かった」とも説明している。
さらに、年金は長生きしても一生受給でき、物価の上昇に対応した増額もある。
社会全体で助け合う仕組みが、単純な損得論に、なじみにくいことは確かだ。
            
 
☆格差が拡大

しかし、それでも世代間格差には、注意を払う必要がある。
さらに広がれば、若い世代の年金不信が、強まりかねないからだ。

厚労省は今から12年前の2004年にも、世代間格差の試算を公表している。
その結果と、先に紹介した最新の試算結果を比べると、ここ10年ほどで格差が、一段と広がってきたことがわかる。

大きな原因は、高齢者に対して、過剰な政治的配慮が働いた結果、
年金を実質的に目減りさせる「マクロ経済スライド」の実施が遅れたことだ。

この仕組みは、04年の年金改革で導入された。
だが、「高齢者の年金が、あまり減らないように」という配慮から、
物価や賃金が下落するデフレの時などには、発動しないルールが設けられ、
導入から10年以上も実施されなかった。

この結果、高齢者の給付抑制が進まず、年金が想定より、高止まりしている。
厚生年金を受給する現在70歳の世帯では、払った保険料に対する受給額の倍率は、
04年に想定されていた4・6倍から、5・2倍に拡大している。

そのつけは、後に生まれた世代に回される。

特に、財政が脆弱(ぜいじゃく)な国民年金は、将来の給付水準が大幅に下がる。
現在20歳の人が受給できる倍率は、04年改革時に想定されていた1・7倍から、1・5倍に低下した。

格差のこれ以上の拡大を防ぐためには、デフレでもマクロ経済スライドを実施できるようにする、
などの改革が不可欠といえる。
            

☆高齢者の影響力増大

政治家が高齢者に過度の配慮をしがちな背景として、高齢者の政治的影響力が、
しだいに増大する「シルバー民主主義」の傾向が指摘されている。

65歳以上が有権者に占める割合は、2000年には約2割だった。
高齢化が進み、7月の参院選では約3割となる見通し。
40年には4割程度に増えると予想されている。

しかも、高齢者の投票率は、若い世代より高い。
14年12月の前回衆院選では、70歳代の投票率が70%を超えた一方、20歳代はわずか約33%だった。

「政治家が高齢者の反発を受ける政策に、手を出さなくなり、
将来世代に負担が先送りされる傾向が強まっている」
と小塩隆士・一橋大教授(公共経済学)は警鐘を鳴らす。

高齢者の暮らし向きは、実際には格差が大きい。
一律の配慮ではなく、年齢にかかわらず、本当に困っている人を重点的に支援する社会保障制度に変えていく必要がある。
18~19歳の人が棄権せず、投票所に足を運べば、政治家が将来世代の利害を考えるきっかけになるのではないか。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
            

そして別枠として、【 私たちの思い 】が掲載されている。

《・・【18歳】豊かさ 高齢者のおかげ・・・東京外語大1年 長尾泉実さん

今の高齢者のほうが、受給できる倍率が高いと聞くと、不公平な気もする。
でも、その世代が苦労したおかげで、日本は豊かになった。

年金のことだけ考えて「私たちは損だ」と簡単には言えない。
年金制度は少子化で苦しくなるので、参院選では待機児童問題についての各党の公約に注目して投票したい。


    【70歳】政策の失敗 若者につけ・・京都市 無職 瀬下俊一さん

終戦直後に生まれ、会社に40年勤めて、厚生年金に加入していた。
受給額は決して十分とはいえず、暮らしはしんどい。

私たちの世代が、有利だなどという実感は、全くない。
でも、後に生まれた世代の年金も心配だ。

政策の失敗が原因で、今の若い人につけが回っている面もある。
政府はしっかりしてほしい。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
            

私は2時間半近く転記に要したが、途中で幾たびも溜息を重ねたりした。

敗戦後の荒廃した日本は、敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代は、諸先輩を見習い、そして少し齢下の団塊の世代も奮闘してきた。

こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
                       
私たちが過ごしてきた昭和の時代は、日本の多くの人たちは一生懸命に働けば、年収も毎年増え、
そして家族で明日に希望が持て、実感できた総中流社会であった。
            

こうした中でバブルが終息し、そして平成元年(1989年)11月10日からベルリン市民に寄る『ベルリンの壁崩壊』した後、
やがてソ連が崩壊し、世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済、やがて社会が一変した。

そして世界の経済が自由主義経済の一色となり、やがて日本は失われた15年で、
主要各国や躍進してきた中国などに国際競争力に敗退し、かっての高度成長の総中流社会の再現は、
見果てぬ夢となった。
          
殆どの民間会社は、社員が一家を養(やしな)うだけの給与を支払う余裕もなく、低下してきた。
そして私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。
                         

こうした中で、少子高齢化が増す社会となり、年金、医療、介護などの社会保障費は膨張し、
やむなく年金の削減、医療、介護の見直し改定が実施されてきた。

そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。
       
更に昨今、国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、平成26年には415.0万円と知ったりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしている。

こうした思いを秘めている私は、今回の【 年金 世代間格差どう思うか 】に対して、
明解の答えもだせず、溜息ばかりしている。

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認知症の専門医開発の「様子の観察」、ネットで老ボーイの私は、こっそりと受験して、やがて・・。

2016-06-07 16:04:16 | ささやかな古稀からの思い
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
その後は多々の理由で年金生活を始めた身である。

そして定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

こうした後、独りで我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園をひたすら歩いたりし、
私の容姿は、上半身は夏帽子を被り、長袖のスポーツシャツが多く、下半身はアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズとなっている。

そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された状景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

こうした中で、ひたすら歩く根底のひとつには、何よりも認知症になることが恐れている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くこと、睡眠、程ほどの食事がセカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごし、11年半が過ぎている。
                         

こうした心情を秘めている私は、昨夜ネットを見ていたら、
【 認知症!?の疑いがあったら、専門医開発の「様子の観察」から 】と題された見出しを見て、
どういうことなょ、と思いながら、クリックしてしまった・・。

そしてこの提供したサイト元が『OurAge 』と公式サイトであり、
確か私は二度目であり、苦笑してしまった。

もとより『OurAge 』公式サイトは、《・・集英社の雑誌MyAgeのオンラインメディア、「OurAge」のサイトです。
OurAgeは、女性の美と健康を応援します。》と記載され、麗(うるわ)しき女性の向けであったが、
老ボーイの私でも、 恥ずかしながらも、「認知症」の疑いがテーマだったので、こっそりと読んでしまった。
                       
この記事は、【OurAge】 6月6日に配信された記事のひとつであり、
無断ながら転載させて頂く。

《・・日本で先陣を切って「もの忘れ外来」を開設し、これまで3万人以上の認知症患者の診療にあたってきた、
「医療法人三歩会 おくむらメモリークリニック」院長の奥村歩さん。

「認知症の治療の決め手は、先手必勝!」と断言する奥村医師が開発したのが、以下の「おくむら式チェックリスト」。
親や親戚など、ちょっと気になる対象がいたら、本人の様子をさりげなく観察して。
            

☆「今までできていたのに、できなくなったこと」について

*今までできていた仕事や家事が、こなせなくなった
*料理の味が変わった、メニューが単調になった
*部屋が片付いていない、風呂やトイレが前より汚れている
*以前に比べておしゃれをしなくなった(女性の場合、外出時もお化粧をしなくなった)
*テレビのリモコン操作ができなくなった
*栓抜きで瓶のふたが開けられず、缶切りで缶詰のふたが開けられなくなった 
*よく行く場所なのに道に迷うようになった
*薬の管理ができなくなった
*今まで好きだったもの、ことに対して興味や感心がなくなった
*テレビドラマの内容が理解できなくなった
*頻繁に車の事故を起こすようになった
            

☆「本人のもの忘れ」について

*同じことを言ったり、聞いたりする
*人と会う約束やその日時を忘れる
*最近の出来事で、印象的だったはずのことが思い出せない
*電話で受けた内容が、伝達できない
*大切なものをなくしたり、置き忘れたりすることが多くなった
*水道やガス栓の閉め忘れが目立つようになった
            

☆「性格の変化」について

*夫婦喧嘩が、多くなった
*怒りっぽくなった
*以前より、ひがみっぽくなった
*よく愚痴を言うようになった
*ひとつのことに、執着するようになった
*憂鬱そうになった
*元気がなくなった

3項目とも、当てはまる項目が1以下なら青信号、2~3なら黄信号、4以上なら赤信号。
            

☆「変な様子」について

*財布を盗まれたと言って騒ぐ
*幻視を見る
*尿失禁などの排泄トラブルがある
*歩行の状態がおかしい

1つでも当てはまれば赤信号。
ただし、もし問題が見つかったとしても、決して認知症扱いはしないこと。
本人の自尊心を傷つけないようにすることが、何よりも重要だという。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
            

私は今年の9月に誕生日を迎えると72歳になる身であり、読んだ後、
こっそりと「おくむら式チェックリスト」の「様子の観察」、こっそりと受験してしまった・・。

やがて、甘く判定すると、幸いにも該当する項目がなく、安堵しながら微苦笑したりした。

私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

こうした影響かしら、と微笑んだりした・・。
            

しかしながら私は、年金生活の中で齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑したりした・・。

家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。
       
私はサラリーマン時代は音楽業界のあるレコード会社に勤めて、
50代の前半時期は、営業本部の片隅で奮闘していた・・。

こうした中で、発売しているCDシングル、CDアルバム、DVDなどの1万5000作品に於いて、
主要作品の1000作品ぐらいのタイトル名、発売年月日、そしてアーティスト名などは、
時系列で記憶し、いつでも言葉に出来たりしていた・・。

そして他社の作品でも、売上ランキングのベスト10になる作品ぐらいは、
タイトル名、発売年月日、アーティスト名なども覚えて、自宅でときおり聴たりしてきた・・。

もとより給与を頂いている身であったので、職責のひとつとして覚えざる得ない、
というのが本音でもあったが・・。
                    

そして2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始め、
やがて多くのことは忘れてしまったが、
私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

祖父と父が健在だった頃、所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、1950年(昭和25年)の夏、『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、
今でも心の片隅に残っている・・。

ここ数年、物忘れが多くなり、溜息を重ねたりしているが、確か私が小学3年生の頃、
亡き脚本家の菊田一夫(きくた・かずお)さんの『・・忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ・・』と、
名作の『君の名は』で遺(のこ)された名言に、私は独り微苦笑したりしている。

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家で看取るには、実はこんなにカネがかかります、と71歳の私は遅ればせながら学び・・。

2016-06-06 15:57:43 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年の古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で、セカンドライフと称される年金生活を始めて、早や12年生となっている。
 
こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇しないで、今日に至っている。

しかしながら、いつの日にか、どちらかが介護を要する身となった時、
介護施設に入所するか、或いは自宅で看取るか、ときおり漠然としながら、話し合ったりしている。
            

昨夜、ネットで愛読している【現代ビジネス】を見ていた時、
【 必読! 家で看取るには、実はこんなにカネがかかります
         ——「老衰なら病院代がいらない」は大間違い! 】と見出しを見て、
何かと私は無知であったので、真摯に読んだりした・・。

この記事の原文は『週刊現代』2015年10月17日号に掲載された記事のひとつであり、
『現代ビジネス』に2015年10月15日に配信された古い記事であるが、
私は多々教示されて、多く御方の晩年期の難題と深く思い、無断ながら転載させて頂く。

《・・寒々しい病室でダラダラと延命治療を受けるより、長年暮らしてきた家で自分らしく逝きたい。
きっとそのほうが、安上がりだし—だが、本当にそうだろうか。「在宅死」の語られざる現実を書く。
            

☆看取るほうの収入も減る

「昔はほとんどの人が『在宅死』でしたが、'76年に病院で亡くなる人が『在宅死』の数を上回り、
いまでは皆が『病院で死ぬのが当たり前』と思い込んでいます。

しかし、高齢者はほぼ例外なく『住み慣れた家で最期を迎えたい』と思っているものです。
『病院のほうが快適だよ』と言う高齢者は、家族に迷惑をかけまいとしていることが多いのです」

こう語るのは、尼崎市の長尾クリニック院長で、在宅医療の第一人者として知られる長尾和宏氏だ。

いま、日本は再び「在宅死」の時代を迎えている。
高齢化が進み、病床不足・医療費高騰が深刻さを増す一方、「自宅で最期を迎えたい」という人が、急増しているのである。

世界のどこにも負けない高い医療技術は、日本の誇りだ。
だが、高度な延命治療が「幸福」とは限らない。

狭い病院のベッドの上で、生命維持装置と栄養チューブにがんじがらめになって、
身動きもとれず、口もきけず死んでゆく・・
そんな家族の姿を目の当たりにし、後悔する人も多い。

「そうなるくらいなら、思い出のつまった自分の家で、家族に見送られて死にたい」
「無理な延命はいらない。できれば、苦痛の少ない老衰で、穏やかに逝きたい」と考えるのが人情だろう。
また看取る側にも、その思いに応えてあげたいという人が多いに違いない。

しかし、漠然と「家で看取るほうが、病院や施設のお世話になるよりは、ずっと安上がりのはず」
「大きな病気をせず、老衰で亡くなれば、医療費も大してかからない」と甘く見ていると、
思わぬ出費に泣かされる。
            

介護事業サポート会社「地暮」代表の中村聡樹氏が言う。
「確かに、長期間入院ができる療養型の病院に入院したり、広々とした個室の老人介護施設に入るよりは安上がりです。
ですが、介護を家族の力だけで、やりきるのは、不可能ですから、結局、思った以上におカネがかかります。

高齢者が施設で過ごす年数は、4年から最長で7年。
少なくとも、それと同じだけの期間を、自宅で過ごさなければならないわけです」

がんなどの大きな病気を患っておらず、ゆるやかに老衰が進んでゆく場合には、
いつまで介護を続けなければならないのか、見通しを立てるのが難しい。

5年、10年と続く場合、介護する側もまた老いて、収入は減り、年金やなけなしの貯金を切り崩してゆくのだ。

それでは、「家で看取る」と決めた瞬間から、いったいどれだけのカネが必要になるのだろうか。
            

☆スタートは肉親が「倒れた日」

スタートラインは、肉親が「倒れた日」だ。
高齢者の場合、脳梗塞や心臓病、あるいは骨折などで一度入院してしまうと、たとえ退院に漕ぎつけても、
以前のように全快というわけにはいかず、何らかの介護が必要になる。
その日から「看取り」は始まっていると言っても、過言ではない。

「入院と同時に、要介護認定の審査を受けるための申請をしましょう。
用紙は市区町村役場でもらえます。
この申請書を出さないと、介護保険のサービスを受けることができません。

介護認定を受けるまでに約30日かかるため、退院してすぐにサービスを使えるよう、
なるべく早めに提出したほうがいいのです」(前出・中村氏)

書類を出した後、自治体の調査員との面談、主治医による意見書の提出を経て、要介護認定が下される。
この時に遠慮せず、きちんと「どのくらい体が、不自由で困っているか」を主治医に伝えておくことが大切。
要介護度を低めに見積もられると、負担が大きくなってしまうからだ。

「せっかく家で面倒をみると決めたのに、最初から保険を頼ろうとするなんて、何だか後ろめたい」
そう思う人もいるかもしれない。

だが、素人が何もかも抱え込むのは、無謀なだけでなく危険ですらある。
女性が男性を介護しなければならないケースだと、
寝返りを打たせ、体を抱き起こすだけでも、かなりの重労働だ。
            

近年は、介護疲れによる虐待・暴力事件も後を絶たない。
無理をして家族関係が険悪になっては、本末転倒である。

要介護度は「要支援1・2」「要介護1~5」の全部で7段階に分かれている。

たとえば「要介護1(歩けるが、トイレや入浴で介助が必要)」に認定された場合、
月に16万6920円分まで介護サービスが利用でき、うち1割、最大で1万6692円を自己負担することになる。

ただし、この限度額を超えた分については、全額が自己負担となるので注意が必要だ。
            

☆総額数百万円に膨らむ

'09年5月に自宅で84歳の父親を看取った、埼玉県に住む幸田好行さん(51歳・仮名)は、
介護保険の枠内で、やりくりしながら、最期の日を迎えることができたという。

「父は悪性リンパ腫で'08年に入院していたのですが、
『病院はイヤだ。家に帰りたい』と言うので、家族で相談して自宅で看取ろうと決めました。

退院前に『要介護2』の認定を受けていたので、利用できる介護サービスは月額19万4800円分でした。
自己負担金の内訳は、週に1度の部屋掃除が253円、数日に1度体を拭いてもらうのが445円。
自宅にヘルパーや医師を呼ぶ訪問介護・訪問診療は、それぞれ1回500円ほど。

このほかに月に1度の通院費や薬代がありましたが、おおむね限度額内に収まったので、負担額は月々約2万円でした」
            

☆一回数百円が馬鹿にならない

30分ほどホームヘルパーや介護福祉士が自宅を訪問し、
いろいろな生活支援をしてくれる訪問介護は、介護サービスの中でも最もオーソドックスなもの。

ヘルパーに頼める内容は、「起床・就寝の介助」「食事・服薬の介助」「着替え・洗面の介助」「入浴の介助」
「トイレの介助」「体位を変える」「車いすに乗せる」「病院へ付き添う」など、
「本人が自力では、できないこと」ほぼ全般にわたる。

自宅に家族がいる場合は、調理や洗濯などの家事を代わりにしてもらうことはできないが、
自己負担額はそれぞれ1回300円程度から、最も高価な入浴介助で1200円ほど(要介護度や、住んでいる自治体によって少しずつ異なる)。

これだけ見れば、「なんだ、思ったよりは安いな」と感じる人も多いだろう。

ただし、前出の幸田さんの父親の場合は、自宅介護の期間が、約半年と短かった。
たとえ月々の出費を数万円以内に抑えることができても、それが何年も続けば総額数十万円、数百万円にふくらんでゆく。
体が不自由になるにつれ、年々かかるカネは増え、介護そのものの負担も重くなる。


さらに今年8月、介護を受ける本人の年金収入が年額280万円以上の場合に、自己負担割合が2割に引き上げられた。
負担額は、ひと昔前の倍にはね上がっている。

「一度に数百円の訪問介護でも、週に3回使えば3000円ほど、月額で1万2000円にもなるので、バカになりません。
『要支援1』の方の場合は、自己負担の限度額が約1万円ですから、あっと言う間に超えてしまうでしょう」(前出・中村氏)
            

もうひとつ、在宅介護をするうえで欠かせない、訪問介護と並ぶ「車の両輪」になるのが、
デイサービスとデイケア—つまり「本人が施設に出かけて、介護してもらう」タイプのサービスだ。

施設にいる間は、トイレや食事の介助を受けられるうえ、
レクリエーションに参加したり、友人とカラオケをしたりと、気分転換のチャンスにもなる。

来る日も来る日も自宅で過ごしていては、介護を受ける側も気詰まりだし、認知症などの進行を早めかねない。
介護をする側の家族も常に拘束され、疲労とストレスをため込む一方である。
            

デイサービスを利用すれば、7~9時間は介護から解放されるので、
その時間を家事や自分の用事にあてることができる。

2~3日の間、施設に宿泊する「ショートステイ(短期入所生活介護)」というサービスも、
ただ「介護する家族が、休むため」という理由でも利用することが可能だという。

ただし、こうした滞在型のサービスは単価がそれなりに高く、1日あたり900円~1300円ほどの自己負担が課される。
しかも、おむつや食事の代金は、別途支払わなければならないので、頻繁に使うと、月に2万円ほどの負担額になる。

「『要介護3』の方の場合、月額26万9310円分のサービスを受けることができる(自己負担額はその1割の2万6931円)のですが、
実際には、その6割程度しか利用しない人が多い。
つまり、多くの家庭では月々2万円ほどに介護費用を抑えたい、と考えているのです」(前出・中村氏)

常に限度額を頭に入れながら、どの介護サービスをどのくらい使うべきか考え続けるのは大変だ。
ここは介護を受ける本人とよく相談し、年金の受給状況も考慮しつつ、納得できるラインを見つけ出すほかない。
            

☆結局、1000万円近くに

一方、医療費に関しては、これまで見てきた介護サービスとは、別に考慮しなければならない。

前出の長尾医師が言う。
「基本的には、在宅医療は、入院より経済的です。
『医師をわざわざ自宅まで呼ぶのだから、割高だろう』と思っている人が多いですが、実はかなり保険で、まかなえます。

例えば、訪問診療は1回830円、夜間の往診が2220円、深夜が3220円。
週1回の訪問診療と月1回の夜間診療を受けた場合には、負担額は月額1万円ほどになります。
訪問診療や往診を何回受けても、高齢者(高所得者を除く)は自己負担額の上限が決まっていて、月額1万2000円の支払いで済みます」

ただし、24時間の緊急対応も含めたきめ細かい訪問診療を受けるためには、
近くの「在宅療養支援病院(診療所)」認定を受けている病院と契約する必要がある。

その場合、「月2回の訪問診療」と、「在宅時医学総合管理料」といういわば「管理費」をあわせて、
月額6000円~7000円程度が別に課されることが多い。
当然ながら、容体が変わったときには、家族が医師を呼ぶ手間もかかるので、必ずしもいいことばかりとは言い切れない。
            

最後に、生活用品やその他の支出をまとめて見てゆこう。

医療法人社団悠翔会理事長の佐々木淳氏が解説する。
「車いす、ベッドや床ずれを防ぐためのマットなどは、
介護保険を利用して、月に500円から高くても2000円程度でレンタルできます。

また酸素吸入器と人工呼吸器は、医療保険が使えますが、
なぜか痰を吸引する機械は、介護保険も医療保険も使えないので、全額自費負担になります。
レンタルなら月5000円くらい、買い取りだと1台5万~10万円です」
            

☆自宅か、病院か。究極の選択

「あと数ヵ月」という場合は、レンタルが安上がりだが、2年、3年と使い続ける場合は、買い取ったほうが得になる。

大きなベッドや機材を家に置く場合など、部分的なリフォームが必要になることもある。
「住宅の改修は、要介護認定を受ければ、20万円まで支給されます。

ただ、玄関口の段差をなくしたり、手すりを取り付けたり、
ベッド搬入のために床や壁の補強をしなければならない場合は、結局50万円、100万円とかかることも多い。

介護費、医療費、そしてこうした雑費をすべて合わせると、月々の支出は10万円ほど。
5~7年間介護生活が続く場合には、一人の親を看取るのに最低でも500万円、
多ければ1000万円近くかかるのを覚悟したほうがいいと思います。

それでも有料老人ホームに入居したり、
療養型病院に入院する場合には、1500万~2000万円かかるので、在宅が割安なのは確かですが……」(前出・中村氏)

苦労をしてでも節約し、自宅で看取るか。
カネはかかっても、施設や病院で最期の日を迎えるか。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
            
         
私たち夫婦は子供に恵まれず、もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、
いつの日にか介護を要する身となった時は、介護施設に入居するか、或いは自宅でするか、
漠然としながらも思案し、ときおり私たち夫婦は話し合ったりしている。
        
ここ数年、私が何よりも恐れていることは、認知症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで認知症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が認知症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。

或いは逆に家内は認知症となり、私が看病する場合も同様である。

認知症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
                                     

このような私の思いから、認知症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。

過ぎし6年の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
      
そして、いつものように木のベンチに私は座り、煙草を喫いながら、少し休息をした・・。

この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。

この遊歩道で、独りで歩き、好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、
といった状況を願ったりしたのである。
                                              

或いはいつの年か身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化を増す中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。

そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

やがて私の葬儀の中、家内が私の兄妹、知人に、
『一週間前の頃は・・いつものように買い物に行ったり、散歩もしていたの・・』
と家内が言ったりしてくれれば、私はあの世で満足していると思われる。
                         
          
こうした心情を重ねてきた私は、数年前に「ピンピンコロリ」は難しい、とネットの記事で学んだりした・・。

がん医療の権威で終末期医療に詳しい大野竜三医師(愛知県がんセンター名誉総長)は、
『・・ピン・ピン・コロリ。それは中高年なら、誰もが願う生き方でしょう。
でもそう簡単なことではありません。

現実的に60歳以上の日本人がコロリと逝くとしたら、心筋梗塞か、脳出血か、脳血栓かと思いますが、
救急搬送されれば、救命措置が施されるでしょう・・』
と私は学び、やがて微苦笑したりした。
          
このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした「ピンピンコロリ」と突然にこの世とお別れになるか、
或いは入院もわずかで死去したい、と念願しているが、どのようになるか、今の所は漠然としている。
            

そして今回の自宅での介護を遅ればせながら学び、介護する方の心労も何かと大変だし、
費用も結構・・要するなぁ・・と私は溜息したりしている。

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マイクロソフトはなぜWindows10へのアップグレードを“強制”するのか、老ボーイの私は読み微苦笑し・・。

2016-06-05 15:46:17 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの身であるが、
私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
          
このように無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。

我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、もとより息子、娘もいなく、
モバイル情報機器に関しても疎(うと)く、昨年の春に遅ればせながら家内専用の携帯電話を買い求め、今日に至っている。

そして私はパソコンを日常の友のひとりとして、愛用している。
            
            ☆左側が現在愛用している『ウィンドウズ7(セブン)』、そして右側は予備機『ウィンドウズ 8.1』☆
          
こうした中で、私はネットで【ダイヤモンド・オンライン】、【プレジデント・オンライン】などの愛読者ひとりとなり、
多々教示されている。

或いは過ぎし年の2004年(平成16年)の秋に定年後、多々の理由で年金生活を始め、
まもなくブログの世界を知り、国内旅行とかパソコンの故障がない限り、毎日に一通は投稿し、丸11年半が過ぎている。

私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
そして私は愛読しているブログの数多くの御方の投稿文を読ませて頂いたり、
コメントを頂戴したり、返信をしたりしている。
或いは数多くの御方の投稿文を読ませて頂く中で、ときおりコメントをしたりしている。

こうして私はブログに関しては、ほぼ毎日3時間前後は要して、過ごしている。
            

このように私はパソコンを愛用してきたが、昨年より、『ウィンドウズ7(セブン)』、『ウィンドウズ8.1』に関して、
最新の『ウィンドウズ 10』に無償でアップグレードできる、とパソコンを立ち上げるたびに表示されてきた・・。

私は、『ウィンドウズ7(セブン)』には、充分満足して主力機として愛用している。

一昨年にパソコンが故障した時は、修理期間に、やむなく『ウィンドウズ 8.1』を買い求めて利用したが、
長年使い慣れた『ウィンドウズ7(セブン)』の心身波長が合い、やはり『ウィンドウズ 8.1』は補助機となっている。

こうした中で、風の噂として、『ウィンドウズ 10』一部に不安定な要素があると学び、
何かとパソコンの技量に乏しい私は、ためらっているひとりとなっている。
            

昨夜、ネットで愛読している『プレジデント』を見ていたら、
【 マイクロソフトはなぜWindows10へのアップグレードを“強制”するのか 】と見出し記事を見て、
クリックして読んだりした。
http://president.jp/articles/-/18133
☆【プレジデント・オンライン】==>『IT・ツール』==>2016年5月31日
       ==>著者・大河原 克行『 マイクロソフトはなぜWindows10へのアップグレードを“強制”するのか 』☆

私はITジャーナリストの大河原克行さんが寄稿された記事を多々教示された。

『ウィンドウズ10』への“強制的な”アップグレードで、マイクロソフトの思惑、
そして『外向き』、『内向き』の2つの理由を学び、微苦笑させられた・・。
            

《・・「数年に1度メジャーバージョンアップしたOSを販売する」というビジネスモデルから、
「ウィンドウズ10をベースに、常に最新機能のOSを提供する」という形へ、マイクロソフトは大きく方向転換しようとしている。

☆外向きの理由

外向きの理由としては、「ユーザーの利益」が考えられる。

マイクロソフトは“Windows as a Service”という考え方を打ち出し、
これまでのように3年に1回のメジャーアップグレードで機能を進化させるという手法から、
最新機能を随時提供する仕組みへと転換する姿勢を見せている。

そして、ウィンドウズ10は最後のメジャーバージョンアップと言われており、今後の機能強化は、これをベースに行われることになる。
つまり「無償でウィンドウズ10に上げておけば、今後、常に最新の機能の提供が行われる環境へと移行できますよ」という提案である。

また強固なセキュリティ機能によって、最も安心な環境を提供できること、
ウィンドウズ10にアップグレードするだけで、起動時間やWebブラウジングの高速化などができること、

さらにスタートボタンの復活など、ウィンドウズ7とウィンドウズ8.1のいいところどりをしたユーザーインターフェースによって、
ウィンドウズ10は使い勝手が向上している、と訴求している。

そして、互換性の問題についても、アメリカ本社の開発部門と連携して解決している。
とくに日本固有の周辺機器については、「米本社の開発部門が、1カ月間にわたり、日本に常駐して対応を行った」という。

こうした数々の利便性を得られウィンドウズ10に、いまならば無償でアップグレードできる、という“お得感”を強く打ち出し、
「アップグレードしない手はない」という提案につなげているわけだ。

日本マイクロソフトでは、「2016年7月29日にウィンドウズ10無償アップグレードの提供期間を終えるにあたり、
より多くのユーザーが、その期限前に、さらに簡単にアップグレードしていただけるようサポートしたい」と語る。
            

☆マイクロソフトにとって、ウィンドウズ10環境をできるだけ広げておくことは死活問題

一方で、「内向き」の理由としては、サポート対象となるOSを絞り込むことで、サポートコストの削減効果を狙う理由がある。

ウィンドウズ7の延長サポート期限は2020年1月まで、
ウィンドウズ8.1の延長サポート期限は、2023年1月までと、いずれもまだまだ先は長い。

その間、複数のOSをサポートする体制を維持するよりも、なるべく1つのOSへとサポートリソースを集中した方が、
マイクロソフトにとって、メリットがあるのは明らかだ。

そして、新たなOSを使う環境に移行することで、PC本体の買い換えを促進し、
デバイスの販売増加による市場活性化する狙いもある。

とくに日本の場合は、欧米に比べて、PCの買い換えサイクルが、長いという傾向がある。
欧米のPCの買い換えサイクルは3~4年。
だが、日本では7年弱と2倍近い。

古いPCが数多く使われているのは、日本市場の特殊性のひとつだ。
            

日本マイクロソフトは、ウィンドウズ10の魅力訴求と、アップグレードに関する質問に答えるため、
キャラバンカーを用意して、全国を巡回している。

日本マイクロソフトでは、「スマホは2年で買い換えるのに、PCは7年。
ITの進化を、業務の生産性に生かせていないのが、日本の状況。

その背景には、PC投資をコストと考えてしまう企業が多いことがあげられる。
日本マイクロソフトは、そこに危機感を持っている」とする。

ウィンドウズ10の新たな機能を活用してもらうことで、
それによって、その機能を最大限に生かすことができる最新PCに買い換えてもらおうという目論見があるのだ。


一方、新たなPC環境のなかで、新たな製品やサービスを提供していく環境を、早期に創出する狙いがあることも見逃せない。

マイクロソフトでは、iOSやAndroid環境に比べて、品揃えが遅れているウィンドウズ・アプリの存在感を高め、
将来の成長へとつなげる方針を掲げながら、最新のアプリやコンテンツを、ウィンドウズ・ストアを通じて、販売する仕組みの構築を急いでいる。

これは、まさにアップルが「AppStore」で、グーグルが「Google Play」で、成功しているのと同じビジネスモデル。
これを実現するには、最新のWindows 10の環境を広げておくことが前提となる。
新たなOS環境へのシフトは、今後のマイクロソフトのビジネス基盤を作る上で、重要なものとなるのだ。
            

☆ウィンドウズ7/ウィンドウズ8.1ユーザーは、ウィンドウズ10にアップグレードすべきか?

ところで、ウィンドウズ10へのアップグレードに迷っている読者もいるだろう。

筆者の個人的な感想だが、現在ウィンドウズ8.1を利用しているユーザーであれば、
まずはウィンドウズ10に移行してみるのがいい。
操作環境は、ウィンドウズ10の方が、優れていると感じるからだ。

ただ、ウィンドウズ7の環境に慣れているユーザーの場合は、少し慎重さが必要かもしれない。
ウィンドウズ7の比較的シンプルな操作環境からだと、ウィンドウズ10特有の操作には、少し慣れが必要だからだ。

細かいところでの操作に、戸惑うことが最初はあるだろう。
だが、いつかは、ウィンドウズ7から脱却しなくてはならない、ということを考えるのであれば、
早めに移行し、ウィンドウズ10で提供される新たな機能を早い段階から使っておくほうが、いいという判断もできる。

それならば、あと2カ月を切ったこの無償期間に、アップグレードしておいた方が得策だ。

日本マイクロソフトでは、7月29日を過ぎた後は、有償でのアップグレードになると明言しており、
無償アップグレードの期間延長はなさそうだ。

また、31日以内であれば、元のOSに戻すこともできる。
ウィンドウズ10を一度使ってみて、不具合を感じるようであれば、時間はかかるが、改めて元に戻すことも可能だ。

筆者はすでに約10台のPCやタブレットを、ウィンドウズ10環境に移行したが、
実は1台だけ、アップグレードに失敗し、そのPCに格納されていたデータが、すべて飛んでしまったケースがあった。

その点では、事前にデータをバックアップしておくなどの準備も必要だ。
OSの入れ替えは、PCの心臓外科手術を行うようなもの。
準備には時間をかけて、細心の注意を払って、取り組んでほしい。・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
            

私はウィンドウズ7のパソコンは、外部記憶装置(2テラ)を連結させて、殆ど毎日愛用している。
基本ファイルとして、『ドキュメント』には私の文書、家計簿など、大量となっている写真を『ピクチャ』、
或いはブログに添付している為に、写真を縮小する為に『ペイント』機能を活用している。

このようにウィンドウズ10に昇格した時、どのような具体的な表示、使用方法が、
無念ながら解らないである。

今回、ウィンドウズ7の延長サポート期限は2020年1月まで、と学び、
これからの3年半の間に、ウィンドウズ10のシステム管理のOSが更に安定、そしてアプリ関係のファイルの更なる安定など、
ウィンドウズ10の普及の状況などを学んで、やむなくウィンドウズ10に、と思ったりしている。

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7月の参院選、舛添都知事の悪業が全国的に波及し、自民党は惨敗、と私は妄想を重ねて・・。

2016-06-04 16:58:55 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後38年の古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は民間会社の中小業に35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で、セカンドライフと称される年金生活を始めて、早や12年生となっている。

今朝いつものように配達された読売新聞の朝刊を読んでいたら、
やがて3面に掲載された定例特集【スキャナー】に於いて、
自民党が3日発表した参院選公約は、安倍首相の経済政策「アベノミクス」の推進を前面に掲げた記事を読んだりした。

そして2012年の第2次安倍内閣発足後に雇用や賃金、企業収益などが改善した「成果」を掲げ、
4月に初めて全都道府県で1倍を超えた有効求人倍率や、3年連続で上がった給与など、具体的な経済指標を公知し、
今後の経済政策については、保育士の2%賃上げなどの少子化対策や、介護職員の月額1万円賃上げなど、
政府が2日に閣議決定した「ニッポン1億総活躍プラン」などを反映させた、と報じていた。

日本の現状を思い馳せると、難題もあるが、これだったら自民党の思案も達成できるかしら、と私は解釈した。
            

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉の秋に満二十歳となり、
選挙の有権者となった。

こうした中で、国政選挙の衆院選、参院選の有権者の身でありながら投票されない人は、
たとえ日常生活で不満があっても発言権がないと、有権者となって以来から信じているひとりである。

前提条件として、もとより日本は民主主義の国であるから、
多少の不満があっても党の選択、そして立候補された中で選択をせざるを得ない。

しかし有権者の判断の結果、今後の日本のゆくえに多大に影響するので、有権者の責任も重いが、
何より有権者から託(たく)された議員一人ひとりの言動は重責である。

私は高校生から歴史が好きで、特に近代史の書物を乱読してきた。
ここ20数年は、塩野七生、徳岡孝夫、櫻井よしこ、中西輝政などの各氏を読み、
根幹の私の思想は、塩野七生さんの真似事をすれば、現実的理想主義である、と思ったりしている。

こうした関係で、私は25歳の頃から、自民党に投票をしてきた。

やがて2009年(平成21年)8月30日、第45回衆院選に於いて、
自民党が歴史的惨敗となり、民主党に政権が移行した時でも、
私は自民党の国家議員の諸兄諸姉の低落した言動に嘆きながらも、自民党に投票してきたひとりである。

こうして私は自民党を信愛してきたひとりであるが、今回の参院選に伴い、
小心者の私は、舛添都知事の悪業が全国的に知れ渡り、国政の参院選に影響して、自民党は惨敗、
と妄想されてしまうのである・・。
            

新聞、雑誌、テレビで、ここ一か月前後、舛添都知事の悪業が報じられてきた・・。
高額な海外出張費や公用車での別荘通いも含め、何かしらケチくさい所業お金の問題をはじめ、
結婚3回、離婚2回、子ども2人と愛人の子3人を抱え、「隠し子の養育費減額をめぐって係争中」と報じられたりしてきた、

そして元愛人の母より『娘をだまし、障害のある自分の子まで捨てた』とも報道された。

こうした舛添要一・東京都知事の人格に欠けた言動を初めて知り、唖然とさせられたりした・・。

私は前回の知事選に於いて、立候補者を見て、舛添要一さん、宇都宮健児さん、細川護熙さん、田母神俊雄さん等の中で、
これからの東京都・・と思いながら、消却法として、舛添要一さんに清き一票を投票した。

私は消却法ながら舛添要一さんに投票したひとりであり、責任を感じながら、
昨今に報じられた舛添都知事の言動に、もとより信頼も失くして、品格の欠如を深めて、軽蔑まで感じることがある。

こうした御方が、聳え立つ都庁で、約13,574千人の都民をあずかる東京都の執行最高責任者として、
そして都の約16万5千人の職員の最高責任者として、昨今より多くの都民から信頼を失くし、
オリンピックに向けても、指揮者のひとりとして無理がある。
            

そして前回の知事選は、自民党が強力に舛添要一さんを推薦して、公明党も協力して当選させ、
この後も舛添知事を知事与党として、圧倒的な多数で自民党(56人)と公明党(23人)都議諸兄諸姉は支援している、
とマスメディアで報じられてきた。

このようなことが、マスメディアは報じてきたので、テレビなどで全国的に波及してしまい、
単なる東京都の舛添都知事の悪業、そして自民党は立候補者として推薦した、という問題でなく、
全国的なニュースとして、多くのテレビを視聴された方に公知されてしまっている。

もとより選挙の有権者は、女性票が約半分あり、数多くの女性から険悪されたら、
立候補者は当選できない、と私は書物から学んだりしてきた。

そして人の噂も75日と言われたり、或いは全国的なニュースが山積すれば、
人は舛添都知事の悪業などは忘れ去る、と思ったりするが、7月の参院選は、余りにもまじかである。

このような理由で、私は舛添都知事の悪業が全国的に波及して、自民党は惨敗、と私は妄想を重ね、憂いている。

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舛添都知事に対する百条委員会、都議の与党の諸兄諸姉は、人格まで問われることであり奮起し、開催を。

2016-06-03 15:07:42 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であり、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、早や66年が過ぎている。

昨今、新聞、テレビでニュースを見ていると、
舛添要一都知事は、政治資金の流用疑惑が噴出し、自身の見解を明かすことなく、都知事の椅子にしがみついている、
と幾たびか報じられて、やはりこの御方は我ら都民の多くから信頼を失くし、
そして私は心の節度を失くして人格まで欠落している御方、とニユースに接せるたびに深めてきた。


たまたま先程、ネットで【 舛添都知事の税金逃れ資産運用テクニック 】と見出しされた記事を読んだりした。
【デイリー新潮】が6月3日に配信された記事で、
原文は『週刊新潮』2016年6月2日号に掲載された記事のひとつである。

そして記事は【特集 税金を払いたくない気持ちは日本一! ケチの王様『舛添都知事』をさらに褒めよ!」】
と題された記事のひとつであり、無断ながら転載させて頂く。
            

《・・舛添都知事の税金逃れ資産運用テクニック…資産公開額2億円、新人議員で2位だったことも

税金にたかっても税金は払いたくない――。
政治資金にまつわる疑惑を追及されている舛添要一都知事(67)は、第三者に自身の調査を依頼しているという。
時間を稼ぐように見えなくもないが、そんな舛添氏、過去には以下のような“税金を払わないための資産運用”を行っていた。
 ***
舛添氏は90年、世田谷区内に地上3階地下1階の邸宅を約3億円かけて新築した。
その4年後、「舛添政治経済研究所」に所有権を移転させている。

その理由について推察するに、1人目の愛人A子さんが88年に長男を、
2人目の愛人B子さんが90年に長女、95年に次女を出産しているため、
個人所有のままでは、財産分与をもとめられかねない、と考えたのかもしれない。

さらに、ファミリー企業名義にするメリットを、税理士の浦野広明氏が解説する。

「まず、固定資産税を個人が負担するのではなく、会社の経費に算入することができる。
また、不動産の登記簿謄本を見てみると、ファミリー企業は銀行から約3億円の借金をして、
舛添さんから自宅を買い取った格好になっています。

不動産の減価償却費を会社の利益から差し引きすることができるので、
ファミリー企業にプールされていた舛添さんの講演のギャラなどで、
税金の支払いを圧縮することが可能なのです」
            

■兼職禁止の規定にも引っかからず

2001年、舛添氏は、自民党比例区で参議院議員に初当選する。
それに伴い、資産公開を行うと、総額約2億1800万円、新人議員で2位の資産家であることが明らかになった。
だが、その預金のほとんどは、ファミリー企業が抱える借金の担保に入っていた。

しばらくすると、今度はファミリー企業が発行する社債を約2億9000万円分、引き受けていたことが、
同じく資産公開によって判明する。

一方、舛添氏が代表を務める複数の政治団体は、世田谷の邸宅を所在地にし、
大家であるファミリー企業に、この6年間だけ見ても、少なくとも3500万円以上の家賃を払っている。
むろん、その原資は税金である。

「もし、ファミリー企業から、舛添さんが報酬を受け取れば、そこには税金がかかります。
ところが、社債の返済金というかたちなら、無税です。

さらに、厚労大臣などの閣僚に就任すると、
兼職禁止の規定で、会社の役員は辞めなければなりませんし、報酬も得られない。

ですが、この方法ならば、堂々と返済金名目で、キャッシュを手にすることができるのです」(同)

政治資金は家族サービスや美術品の購入だけでなく、家賃にも使われていた。
しかも、舛添氏は、それをわが物とするに当たって、税金を納めずに済む方法を駆使していたのである。
            

舛添氏の今後について、都政担当記者に聞くと、 
「自民党が今後も支える意向を示しているので、舛添さんの本心は余裕綽々です」
と太鼓判を押す。

「6月の末には、約380万円のボーナスが支給されますし、すぐに都知事の職を投げ出すわけがない。
それどころか、権力欲が旺盛で、目立ちたがり屋の舛添さんのことですから、
2年後の都知事選にも出馬し、東京五輪まで居座り続けようとするはず。

今回の問題は、都議会の定例会が終わる6月15日過ぎに、お手盛りで選ばれた第三者委員会が違法性はないと発表し、
幕引きを図るに違いありません」・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
            

私は舛添要一さんの足跡を学び、《税金にたかっても、税金は払いたくない》御方を知り、震撼させられた。
もとより民間企業は法人税、国民は所得税、地方税そして消費税など税金を支払って、
日本は予算を組み、成り立っている。

こうした前提で、働いて下さる方、或いは不幸にして非正規社員、アルバイトなどで冷遇されている方達、
そして年金生活の方まで、程んどの多くはやむなく税金を支払って、国民のひとりとして責務を果たしている。

そして今回の舛添要一さんの場合は、責務から逸脱している行為は、非国民であると、感じ深めている。
まして公職のある身である。

やはり都の代表である都知事は、舛添要一さんは相応しくなく、辞任して頂きたい。

今回の記事で学んだことは、《・・すぐに都知事の職を投げ出すわけがない。
それどころか、権力欲が旺盛で、目立ちたがり屋の舛添さんのことですから、
2年後の都知事選にも出馬し、東京五輪まで居座り続けようとするはず。・・》と知り、動顛させられた。

心の節度もなく、人格まで欠落し、その上に税金の責務から逸脱した非国民が、
これからの都知事は、やはり都民のひとりとしては、恥ずかしく、
やはり辞任させる方法のひとつとして『百条委員会』と思ったりした。
            

百条委員会は真相究明の場として有効であるものの、直接辞任を迫る委員会ではなく、
都議会が知事の進退を問うには、不信任決議という手段があり、決議の要件は、
(1)議員数の3分の2以上の者が出席、
(2)出席議員の4分の3以上の者が賛成、の2つが必要とされている。

そして不信任決議を受けた首長は、10日以内に議会を解散するか、10日が経過した時点で失職します。
議会を解散した場合、首長自身は失職せず、議員選挙の後に再び不信任決議案が提出された場合、
決議要件は出席議員の過半数で成立となり、首長は自動的に失職します、と新聞などで学んだしてきた。

もとより都議会は、与党の自民党(56人)と公明党(23人)の諸兄諸姉議員が圧倒的が多い、
実態となっている。

しかしながら舛添都知事は多く都民から信頼を失くし、更に心の節度もなく、人格まで欠落し、
その上に税金の責務から逸脱した非国民を、百条委員会を開催して疑惑解明をさせなければ、
与党の自民党、公明党の諸兄諸姉議員の責務として、見過ごせば人格まで疑われることである。
            

私は前回の知事選に於いて、立候補者を見て、舛添要一さん、宇都宮健児さん、細川護熙さん、田母神俊雄さん等の中で、
これからの東京都・・と思いながら、消却法として、舛添要一さんに清き一票を投票した。

私は消却法ながら舛添要一さんに投票したひとりであり、責任を感じながら、
昨今に報じられた舛添都知事の人格に欠けた言動に、もとより信頼も失くして、
品格の欠如を深めて、軽蔑まで感じることがある。

こうした御方が、聳え立つ都庁で、約13,574千人の都民をあずかる東京都の執行最高責任者として、
そして都の約16万5千人の職員の最高責任者として、昨今より多くの都民から信頼を失くし、
オリンピックに向けても、指揮者のひとりとして無理がある。

そして都議会の自民党の宇田川聡史幹事長と公明党の長橋桂一幹事長が先導されて、
舛添都知事に対する百条委員会を開催できるように、無力な都民のひとりとして念願している。
            

余談であるが、やがて舛添都知事が辞任された後、都知事候補には、風の噂として、
東京10区選出の自民党・小池百合子衆院議員、東京選挙区選出の衆院議員で安倍首相と親交がある石原伸晃経済再生相、
そして下村博文前文科相、舛添氏の元妻でもある片山さつき参院議員など、多彩な人材がいる。

私は個人として、ジャーナリストの櫻井よし子さんが、知性はもとより、文化や歴史観もある御方であるが、
ご当人が政治家には興味がない、と櫻井よし子さんの御著書で私は学び、残念と思ったりしたのが5年前であったりした。

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ときおり『おひとりさま』になる老ボーイの私は、優雅な生活かしら、と微苦笑したり・・。

2016-06-02 14:17:08 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

過ぎし年、私の父は私が小学2年の時に病死し、母は1998年(平成10年)1月に死去され、
私は53歳の時であった。

そして家内の父は、私が定年退職する2004年〈平成16年〉の秋の直前に病死され、
このような状況となり、我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

家内の母は我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県の八千代市で、
一戸建ての独り住まいの生活をされて、早や11年半が過ぎている・・。
                        

長女の家内は、家内の母が独り住まいとなった当初から、
安否を含めて、殆ど毎晩30分前後ぐらい電話連絡をしたりしている。

そして私たち夫婦は7年前の頃までは、年に数回は国内旅行に誘い、
やがて、家内の母の『母の日』には、やはり温泉ね、と要望され温泉滞在旅行が多かった。

家内の母は、平素は女友達のグループで小旅行をしたり、街歩きをしたり、
或いは独りで実家の上越市に訪れたりすることが多い。

この間、やはり後期高齢者の身であるので、内科、眼科、整形外科などに通院してきた。

このような中で、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっていた。

この間、私は『おひとりさま』の生活となっているが、
私たち夫婦は無念ながら、いつの日にか片割れとなり『おひとりさま』となるので、
特別演習かしら、と思いながら私は過ごしている。
           
こうした中で年末年始は、独り住まいになっている家内の母を我が家に来てもらい、
私たち夫婦と共に年末年始を共に過ごすのが、ここ11年の恒例行事のようになっている。
                       

独り住まいとなった家内の母は、千葉県の八千代市に一戸建てに住み続けて、
年金を頼りに程ほどの貯金を崩しながら、おひとりさまの生活をしている。

確か8年前の頃だったと私は記憶しているが、
年金は月平均14万円前後で貯金を少しづつ崩しているが、長生きを考えると心ぼそいわ、
と家内の母はこのような意味合いの言葉を、長女の私の家内に言った。

そして私は家内から聞いて、毎月少し融資を受けられる『リバースモーゲージ』を本格的に調べたりした。
『リバースモーゲージ』は、老後資金がどうしても不足してしまう場合には、自宅不動産を活用し、
自宅を担保にお金を借りて、慣れた自宅を手放さず、死亡後に担保を売却して元本を返済する方法である。

やがて家内は孤軍奮戦した結果、家内の母の住む八千代市の社会福祉協議会より、
家内の母は、毎月3万円の融資を受けている。

この間、社会福祉協議会より一戸建ての査定をして、相場の70%前後の融資総額となり、
家内の母の相続人の長女の家内、そして次女などの承諾書を提出したりしてきた。

家内の母は、家内に、お父さんの遺(のこ)された一戸建て・・私の老後で喰いつぶしてしまうけれど、
とこのような意味合いの言葉を家内に言った、と後日に私は家内から聞いた。
                       

私は家内に結婚してまもない時に、
お義父(とう)さんとお義母(かあ)さんが築きあげてきた財産に関して、
どのようにお使いになっても、僕は関係ないょ・・と私は家内に言ってきた。

こうした私の根底には、私が結婚する時、私の母から、
男子(だんし)たる者は、奥さんの実家の財産をあてにするのは、最低の男だからねぇ、
と私は叱咤激励されたので、もとより家内の母のいつの日にかの遺産は、あてにしてこなかった。

やがて家内の母は、年金に毎月3万円頂くので助かるわ、と家内に言ったと、
と私は家内から聞いたりして、悦んだりした。

そして家内の母は、自身の葬儀代を預けるから、と家内に程ほどの金額を振り込んだ、
と私は家内から聞いたりして、私は微苦笑しながら、
お義母(かあ)さんらしいねぇ、と家内に言ったりした。
                                          

やがて家内の母は、5年前の81歳を過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、
杖(つえ)を突いて歩く身となった。

まもなく市の福祉課を通して、『要支援2』と認定されて、
市の福祉課からのアドバイスにより、住まいの一部を補修したりしたが、
介護の助成金のお蔭で、たった一割負担で済んだりした。

そして私たち夫婦は、お醤油、ソースなどの調味料、洗剤、雑貨品などの重い品物と感じられる品の数々を、
積極的に宅配便を活用して送付したりしている。
            
      
やがて昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなっている。

やがて数週間前、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

何かしら身だしなみや掃除などの身の回りの世話に手助けが必要で、
立ち上がり、歩行、移動の動作に支えが必要とする時があり、
排泄や食事は殆ど自分でできるが、問題行動や理解の低下がみられることがある方が対象されている。

こうした状況を家内から教えられた私は、いよいよ老々介護の時代に私たち夫婦はなった、と実感した。
                       

たまたま過ぎし5月31日の早朝、家内は独り住まいの家内の母宅に、3泊4日で介護に行く日であったので、
私は平素より2時間半ばかり早く、4時少し前に起床した。
やがて私たち夫婦は朝食後、まもなく玄関の軒下に降り立った。

そして6時少し前、私は門扉の近い道路に降り立って、
『お義母(かあ)さんに、よろしく・・』
と私は家内に言った後、家内を見送くったりした・・。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

私は『おひとりさま』になる生活は、何かと単細胞の性格の為、余り変化はない。
            

平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしていたので、
恥ずかしながら初心者の若葉マークのような身であり、戸惑いながら行っているのが、実態となっている。

朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉に置いたりした。

そして、台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、冷茶とアイスコーヒーを飲んだりする。

前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
やがてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰かシャケの瓶づめとしてきた。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、冷(さ)ました後、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
                       

やがて朝食後、台所で皿洗いなどをして、水遊びをした。
          
昼食はフランスパンを三分の一に、少しだけマーガリンを付けて、
アイスコーヒーを飲んだりしながら頂いたりしている。

そして夕食は、前菜として冷凍ブロッコリーを電子レンジで温めた後、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、盛大に食べたりした。

こうした中 殆ど毎日、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、冷茶を飲みながら食べたりしてきた。

しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、缶ビール500mlを2本だけ呑んだり、
ときにはウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、テレビのニュース、
或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
                            

日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って呟(つぶや)いたりした。

そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、埃は多少あっても生活には困らないよなぁ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、掃除機を曳(ひ)いて、各部屋を廻り、孤軍奮闘したりした。
                      

夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

或いは私たち夫婦が外出する時は、玄関などの鍵は二か所にしている。

平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。

私たち夫婦は何かと、二人で一人前と思ったりする時がある。

このような思いから、私は家内の留守の間に、空き巣、放火に遭遇したりすると、
もとより私たち夫婦の残された人生に困苦するし、
まして私の不手際で火災を発生させたら、我が家の老後の人生設計は根底から悲惨になる。

このように私は戸締りは、たとえ『おひとりさま』であっても、真剣に執り行っている。

平素は朝食と夕食は殆ど定時で、私は家内と談笑しながら頂いているが、
私が『おひとりさま』の生活をしていると、自由気ままな食事時間となったりしている。

家内はもとより家内の母宅で、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどで奮戦しているが、
これに比べれば、私は勝手気ままな優雅な生活をしている。
            

こうした中で、私は家事は手抜きながら、専業主婦は何かと大変だ、と改めて気付かされて、
微苦笑したりしている。

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瀬戸内寂聴さんの御著作から、つたない私でも、教示された人生の格言は・・。

2016-06-01 14:54:21 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昼食後、ぼんやりとネットを見ていた中で、
【 瀬戸内寂聴さんが94歳に 闘病で「ウツになりかけた」 】と見出しを見て、
あの気丈夫な御方が、どうしてと思いながらクリックして、記事を読んだりした・・。

私は遅ればせながら読書に目覚めたのは、高校に入学してまもない時期であり、
1960年〈昭和35年〉の春であった。

創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力であった。

これ以来、小説、随筆、ノンフィクション、近代史、歴史書など乱読をしているので、
早や55年過ぎている読書好きのひとりである。

年金生活をしている私は、過ぎし2008年〈平成20年〉の初夏の頃、
たまたま石原慎太郎、瀬戸内寂聴の両氏に寄る『人生への恋文~往復随筆~』(文春文庫)を読み、
両氏から人生の哲学のようなことを数多く学んだりした。

この中で、特に瀬戸内寂聴さんの一節が深く心に残り、
温かみのある助言を頂ただけた、と私は今でも心の片隅に残り、感謝している。
            

私は瀬戸内寂聴さんとは、もとより未知の人であり、
東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年の頃には、
この当時は瀬戸内晴美さんの名で上梓された初期短編集を読み終えた後、
この後の『夏の終り』の作品は、友人、知人に絶賛したひとりである。

その後、1970年〈昭和45年)に大手の民間会社に中途入社する時までは、
ある程度この御方の作品を読んでいたが、
その後は私なりに企業戦士の一員となり、この御方の作品を読むことなく過ぎていた。

やがて2004年〈平成16年〉の秋に、私は定年退職した後、
まもなく水上 勉さんとの共著の『文章修業』(岩波書店)で、
両氏の純文学の熱く深い思いを改めて学んだりした。

このように瀬戸内寂聴さんの愛読者とは、いえない立場の私であるが、
『人生への恋文~往復随筆~』を読んでいる一節に深く考えさせられ、
限りない人生の助言を頂けた、と思っている。
            

無断であるが、この『人生への恋文~往復随筆~』の中からの一節には、
《・・人間はひとりひとりが、この世に自分ひとりしか持っていない、
かけ替えのない個性と資質に、誇りを持って、世俗の常識に巻きこまれず、
わが道を独りでも行くという気概を失わないことが大切だと、
わたしもかねがね思っていました。

お釈迦さまの教えの中にも
「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
というのがあります。
わたしはの大好きなことばです。・・》
注)「心に光を」ページ224から引用。原文よりあえて改行を多くした。

私の定年退職するまでの半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
この一節の文章から、つたない身ながら、
セカンドライフの残された人生の日々に、陽光を頂いた、と思ったりした。

そして、私は高校生の初め、読書に熱中し始めた頃、
古文の先生が授業の合間で、どのような本でも必ず学ぶ一行はあり、読書は心の栄養である、
と私たち生徒に明言されたことを思い馳せながら、
確かにそうですよねぇ、と齢を重ねた私は、心の中で呟(つぶや)いたりしている。
            

今回の記事は瀬戸内寂聴さんが著作された『老いも病も受け入れよう』(新潮社)を発刊に伴い、
『デイリー新潮』の編集部が、今回の御著作を紹介するような内容であった。
無断であるが、転載させて頂く。

《・・5月15日、作家の瀬戸内寂聴さんが、京都市の寂庵にて、およそ160人を前に法話を行った。

この日、94歳の誕生日を迎えた寂聴さん。
「まさかこんなに生きるとは」「(法話をするのは)これで最後だと思っているの」など自虐発言で会場を沸かし、
「愛するために人は生きるの」と語った。

法話は1時間半ちかくに及び、安倍政権への批判、
先ごろ呼びかけ人に名を連ねた女性支援のためのネットワーク「若草プロジェクト」についてのほか、
自身の健康にまつわる話題も。

88歳で腰椎圧迫骨折、92歳で再び背骨の圧迫骨折、胆のうガン切除手術を経験し、
二度の寝たきり生活の経験がある寂聴さんは、“さすがに、ウツになりかけた”と闘病を振り返る。


「普段、身の上相談されているから(自分がウツだと)わかるの。
“もう嫌だ”とか“早く死んだほうがマシ”とか思ってね。
なにか陽気なことを考えよう、って」(寂聴さん)

こうした経験に基づいて書いた『老いも病も受け入れよう』(新潮社)が、5月31日に出版される。
            

94歳を迎えた寂聴さんが、若さと長寿について初めて綴ったその思いは、本のタイトルにもこめられており、
「人間は老いるし、病気にもなる。
なりたくなかったら、早く死ねばいいの。

結局、反対したってなる。
いかに私が病気の時に嫌な思いをしたか、苦しかったか、
友達から優しくしてもらって嬉しかったか、その辺を全部書きました」

すべてを受け入れたという寂聴さんは、闘病中も、“仕方ないから戦わなかった”という。
法話では質疑応答の場が設けられ、参加者からの人生相談が寄せられたが、そんな人々に寂聴さんはこう説くのだ。

「お釈迦様は、この世は苦だと、おっしゃってらっしゃいますからね。
苦しみがないっていうのは、ちょっとおかしい(笑)。
でも、それが人生ですからね。
私一人がこんな目にと思わないで、これが人生だと思って生きてください」・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。
                        

私は過ぎし日に確かテレビ番組で、瀬戸内寂聴さんは介護士に伴われて、リハビリの状況、
或いは執筆されている状態、或いは秘書の方たちと談笑されているご様子など、視聴したりした。

今回の瀬戸内寂聴さんの発言でも、《お釈迦様は、この世は苦だと、おっしゃってらっしゃいますからね。
苦しみがないっていうのは、ちょっとおかしい(笑)。
でも、それが人生ですからね。
私一人がこんな目にと思わないで、これが人生だと思って生きてください」》
こうした晩年期の人生哲学を私は学んだりした。

そして確か亡き作家・渡辺淳一さんは、その年にならないと解らない、
とこのような意味合いを記載されていたことを思い重ねて、私は学んだりした。

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