夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「がん・糖尿病・アルツハイマー・・万病から身を守る『理想的な睡眠』の新常識」、遅ればせながら私は学び、やがて微苦笑して・・。

2017-04-15 17:07:52 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの【デイリー新潮】を見たりしていた中で、
【「がん・糖尿病・アルツハイマー・・万病から身を守る『理想的な睡眠』の新常識」】と題された記事を見た。

平素の私は、ここ半年は布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、
目覚めるのは朝の7時頃が多くなっている。

こうした中で、現役サラリーマン時代だった時と違い、悩みは激少している為か、
たとえ震度3ぐらいの地震でも、 目覚めることなく熟睡している。

たまたま深夜まで読書をしていた時は、目覚めた時は少し眠いが、
やはり朝の7時頃に、人生は気合だ、と心の中で呟きながら、起床したりしている。

こうした時、昼食後まもなく、二階の寝室に行き、布団にもぐり、本を読みながら、まもなく寝てしまう・・。
                          
やがて一時間半過ぎた頃、ぼんやりと目覚め、まどろみながら、
この世で何より倖せ・・と感じながら甘受したりしてきた。
             
私は現役サラリーマン時代の大半は、睡眠時間を削りながら、
多くの諸兄と同様に奮戦してきたが、退職後の年金生活をしている私としては、
もとより昼寝ができることは、夢のような甘受のひとときとなっている。

そして富も名声も無縁な私としては、よく眠れる老ボーイかしら、と微笑んだりする時もある。
             

このように私は年金生活を過ごしてきた中、睡眠は漠然としながらも大切と知っているが、
どのようなことですか、と改めて思いながら、記事を読んでしまった。

この記事の原文は、『週刊新潮』の2016年12月1日号の記事のひとつであり、
【デイリー新潮】に三回に分割されて配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・バランスのよい食事を心がけ、適度に運動し、飲酒も控えめにし・・と健康に留意する人は増えているが、
実は、それだけでは病気は防げない。

万病を防ぐには、寝ないことには始まらないのだ。
「理想的な睡眠」をとるための新常識を身につけたい。
             

短時間の睡眠ですませていた人として、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、ナポレオン・ボナパルトだろう。
言い伝えのように、本当に3時間しか寝なかったのかというと、時間があれば、たっぷり寝ていたようだが、
生活は不規則で、必要とあれば徹夜もいとわなかったという。

軍人として連戦連勝し、皇帝にまで登りつめた男が、そんな生活を送っていたことから、
なにかを成し遂げるには、睡眠を削らなければだめなのだ、と思っている人もいるだろう。

だが、ナポレオンは51歳で病死している。
毒殺説もあるが、近年では胃がんが死因だったという説が有力だ。

なにゆえこんな例を引いたかというと、睡眠時間とがんとの間には今日、医学的に因果関係が認められているからだ。
つまり、ナポレオンはちゃんと寝なかったがゆえに、長生きできなかった、という可能性は否定できないのである。
             

医師でハーバード大学教授の根来秀行氏が言う。

「私たちの身体は、睡眠中に副交感神経が優位になることと、成長ホルモンが出ることの二つが重なって、
相乗効果で免疫機能が高まるんです。

通常、起きている間は、交感神経が優位になり、免疫系のなかでも顆粒球系が増え、
細菌と戦い、外傷を負った場合にそれを治すことが優先されます。

一方、睡眠中は、副交感神経が優位になることで、
ナチュラルキラー(NK)細胞やT細胞などのリンパ球系が増え、活性化します。

リンパ球系には細菌よりも小さなウィルスや、がん細胞を倒す役目があるので、
睡眠をしっかりとれていないと、風邪やインフルエンザに、かかりやすくなります。

また、がん細胞は寝ている間に増えやすく、そのときにリンパ球系がしっかり戦って抑えると、
がんにかかりにくくなるというわけです」

裏返せば、睡眠不足だと、がんにかかるリスクが増えるというわけだ。
             

☆睡眠時間と病気に関する調査

実際、北海道のある地域で約420人を5年間追跡したところ、
不眠の人のほうが、約6倍もがんにかかりやすく、なかでもすい臓がんと大腸がんにかかった人が多かった、
という調査結果もあるのである。

日本大学医学部精神医学系の内山真教授は、
「私も加わってまとめた厚生労働省の『睡眠指針2014』は、
睡眠に問題があると結果的に起こる精神や身体の問題から、睡眠の善し悪しを見る、という考えで編集しました」
と言い、「善し悪し」の基準についてこう続ける。

「6時間台ないし7時間台の睡眠をとっている成人が、糖尿病や高血圧になるリスクが最も少なく、
6年後の死亡率も低いことが、明らかになっています。
そのうえ、8時間を超えて睡眠をとると、かえって生活習慣病リスクが高まることもわかりました」

それについては、根来教授もこう語る。
「アメリカで100万人を対象に、睡眠と寿命の関係を調査したところ、
死亡率が最も低くて長生きだったのは、7時間睡眠の人で、
睡眠時間が7時間を超えていても、それ未満でも、死亡率は上がりました。

私が拠点としているハーバード大学の関連病院が、心臓病でない女性7万人を調査した結果でも、
8時間睡眠の人の心臓病発症率を100%とした場合、
睡眠時間が5時間以下の人は182%、6時間以下の人は130%、9時間以上でも137%でした。
ここからも、7時間から8時間の睡眠時間がよいと言えます」

7時間程度の睡眠時間が本当に理想的なのか、のちにもう一度検証するが、
いずれにせよ、われわれの健康維持に睡眠が大きく関わっているのは疑いない。
そうである以上、まずは睡眠の仕組みを解き明かしておく必要があるだろう。
             

☆睡眠の質の低下で高まる「がん」「高血圧」のリスク

「人間の眠りには、深いノンレム睡眠と、浅いレム睡眠があります。
ノンレム睡眠では、脳が休められ、一方のレム睡眠では、脳は活発に動いているけれど、
筋肉が弛緩して無動状態となっている。

筋肉を動かさないので熱が発生せず、エネルギー消費量が低下して、身体を休ませられるのです」

そう解説するのは、国立精神・神経医療研究センター部長の三島和夫氏だ。
「人間の睡眠は、もともとレム睡眠だけでしたが、大脳皮質が発達して高等動物になると、
脳を冷やして休ませたり、記憶を定着させたりするために、ノンレム睡眠が生まれました。

人間の睡眠のリズムは、最初の2、3割で深いノンレム睡眠をとり、その後、浅いレム睡眠になります。
そして一晩に、このサイクルを4、5回繰り返します」

ここまで語ったうえで、三島氏は警鐘を鳴らす。
「短時間睡眠法を勧める人は、“4時間眠れば、深い睡眠をとれるから大丈夫”と言いますが誤りです。
睡眠時間を削ると、最初に訪れるノンレム睡眠はとれても、レム睡眠は削られてしまう。

深い睡眠と浅い睡眠のバランスがしっかりとれていないと、
睡眠の役割が阻害され、代謝のほか、ストレスに関わるホルモンに影響が出るようになるのです」
             

それは具体的には、どんな影響だろうか。
「睡眠の質の低下で、乳がんや前立腺がん、大腸がんの発症リスクが高まるという調査結果があります」
と、雨晴クリニック副院長の坪田聡氏が説明する。

「大腸がんについては、まだ理由が明らかではありませんが、
深夜勤務を含む交代制の仕事の従事者は、乳がんの発症リスクが1・5倍に、前立腺がんは3倍になるという。
これにはメラトニンが関係しているとみられます。
眠りを促すホルモンとしてよく挙げられるメラトニンには、性ホルモンの働きもあります」

その結果、なにが起きるのだろうか。
「メラトニンの大本はトリプトファンというアミノ酸で、これが太陽光に当たるとセロトニンになり、
さらに夕方から夜にかけてメラトニンに変化、

私たちが眠りについている夜中に、分泌のピークを迎えます。
ところが夜遅くに働いていると、メラトニンの分泌が阻害され、体内に十分に行き届かない。
結果、性ホルモンのバランスが崩れ、乳がんや前立腺がんの発症リスクが上がると考えられます」

しかも、リスクが高まるのは、がんだけではない。
高血圧のリスクについて坪田氏が続ける。

「睡眠時に副交感神経が優位になって、身体がリラックスすると、血管も広がって血圧は10〜20ほど下がります。
ところが、睡眠時間が少なくて、身体の緊張状態が続いたりすると、
睡眠中も交感神経が優位のままになり、血管の緊張が続いて血圧が下がらないのです」
             

糖尿病については、前出の三島氏がこう説く。
「データでみると、日本人の睡眠時間短縮のカーブと糖尿病患者の増加数は関係していて、
わずか2日間睡眠が短くなっただけで、インスリンの分泌量が減ってしまう。
睡眠不足はあっと言う間に身体に変化をおよぼし、それが長期間になればリスクも大きい」

睡眠不足が引き起こす病気はこれ以外にも。
             

☆リスクを減らす理想の睡眠

前回は、睡眠の質の低下によって、各種がん、高血圧、糖尿病などの発症リスクが高まることを取り上げた。
また、睡眠不足は肥満にも直結するので、相乗効果で生活習慣病のリスクも高まるという。

「満腹中枢を刺激し、食欲を抑制するレプチンと、食欲を亢進させるグレリンというホルモンがあって、
十分に寝ると、レプチンが分泌されるのに対し、睡眠時間が短いとグレリンの分泌量が増える。
このため食べる量が増えてしまうのです」

こう説明するのは、管理栄養士で順天堂大学医学部助教の丸山広達氏だ。

「2011年に発表された調査では、男女30人に4時間睡眠と9時間睡眠をそれぞれ5日ずつ体験してもらった結果、
4時間のときは1日平均2813・6キロカロリー分食べたのに対し、
9時間のときは2517・7キロカロリーと、300キロカロリーも差がありました。

成人女性を16年間追跡調査したら、7時間睡眠の人の体重が15キロ増えるリスクを1として、
5時間の人は1・3だったという海外の調査結果もあります。
筋肉の量を維持、増加させたり、代謝を促進したりする成長ホルモンも、寝ないと十分に分泌しません」
             

☆分泌の相乗効果を

それでは、病気のリスクを減らす理想の睡眠とはいかに。

医師でハーバード大学教授の根来秀行氏は、
「地球の自転に合わせて、生きてきた人間には“体内時計”が備わり、
それにもとづいて、身体の制御機能である自律神経と一部のホルモンは動いている。
この二つを最大限に活かすのが理想の睡眠です」

と言って、こう具体的に掘り下げる。
「自律神経は、交感神経が優位になる昼は、身体の中心部にある脳や心臓などの深部体温が高くなる。
一方、夜に副交感神経が優位になると毛細血管が開き、身体の末端は血液が集って体温が上がり、
逆に、深部体温は1度ほど下がる。

すると血液が身体の隅々にまで行きわたり、ホルモンや免疫細胞を届け、傷なども修復してくれるのです」

次にホルモンだが、
「朝起きて朝日を浴びると、体内時計がリセットされて、眠りを誘発するメラトニン分泌開始のタイマースイッチが押されます。
そして15〜16時間後に分泌が始まり、さらに数時間後にピークを迎えます。

だから起きたら5分でも10分でも朝日を浴びて、前日に作られたメラトニンの働きを抑え、
その日の夜にメラトニンとなるセロトニンを作り始めるスイッチを入れてあげるのです。
             

日中、日光を浴びることができない人は、
ガムをかんだり腹式呼吸をしたり、リズム運動でセロトニンを分泌させてください」

ちなみに、身体を修復させる成長ホルモンは、体内時計に従わず、
何時に眠っても、深いノンレム睡眠に入るとき、入眠して1、2時間で分泌されるという。

だから、「朝6時に起きると、メラトニンの分泌が始まるのが21〜22時。
だんだん眠くなって23時に就寝すると、2時間後の午前1時ごろにメラトニンが分泌のピークを迎え、
そのころ深い眠りに落ちていれば、成長ホルモンも分泌されます。

それぞれのホルモンはたがいに働きを促し、相乗効果が期待できます」(同)
             

☆理想的な夜の過ごし方は

しかし忙しい現代人、眠る時間がとれないのも、さることながら、眠りたくても眠れないことも。

そこで理想的な夜の過ごし方を根来氏に尋ねると、
「食事は就寝の3、4時間前までに、済ませておきたいです。
寝る前に食べると、胃に固形物が残り、交感神経を刺激してしまいます。

ウォーキングなどの運動も交感神経が優位になるので、夕食前後に終えてください。
お風呂は寝る1時間前には、上がりましょう。

睡眠は深部体温が下がると誘発されるので、入浴で体温を上げ、下がったところで寝ると寝つきがよくなります。
また、リラックスするのはいいけれど、寝る前にカフェインやアルコールをとるのはNGです」

日本人は寝酒の習慣がある人が多いが、
「脳波を見ても、アルコールをとって寝たときのものは、ちゃんとした睡眠ではなく、意識を失った気絶に近い状態。
アルコールが分解されて生じるアルデヒドにも覚醒作用があり、身体が休めません」(同)

就寝前の喫煙も同様に、避けるべきだという。
             

☆テレビ、スマートフォンに注意

一方、入浴と似た効果がある飲み物が、
「ホットミルクです。
飲むと身体の深部体温が上がって、その後、身体が体温を下げようとするので眠くなります。
牛乳に含まれるカルシウムにも、リラックス効果があります」

そう話す雨晴クリニック副院長の坪田聡氏は、寝る前の環境も大事だと語る。

「明るい光を浴びると、メラトニンが減るので、
寝る前には、テレビやスマートフォンなどの明るい画面を見るのを避けたほうがいいです。

また、日本のオフィスビルやコンビニの明るさは500ルクス以上あって、
メラトニンを減らしてしまうので、就寝前には近づかないようにして、
寝室はブルーライトだとメラトニンが減るので、暖色系のライトを使うことを勧めます」

とはいえ、無理は禁物だと日本大学医学部精神医学系の内山真教授はこう話す。
「とくに不眠症を予防するためにも、眠たくないのに無理に眠ろうとして床に就かないことが重要です。
身体が眠る準備を始める時刻は、体内時計によって人それぞれだいたい決まっているので、
眠たくなってから就床するのが一番。

早く眠れるようにするには、起床時間を早めることです」
             

☆睡眠時間とアルツハイマー型認知症との関係

ここまでは、睡眠不足や睡眠の質の低下によってもたらされる様々な病気のリスク、そして理想の睡眠方法について紹介してきた。

もうひとつ怖い話に触れておくべきだろう。睡眠時間とアルツハイマー型認知症との関係である。

「神経細胞を取り囲んで支えているグリア細胞とリンパ球を合わせてグリンパと呼び、
グリンパが行う脳内の老廃物排出システムをグリンパティックシステムと呼びますが、
最近、これとアルツハイマーとの関係性が見えてきたのです」

国立精神・神経医療研究センター部長の三島和夫氏はこのように語って、続ける。

「細胞から排出された老廃物を含む体液は、リンパ液となって全身に張り巡らされたリンパ管に入り、
最終的には血管に流れ、腎臓で尿となって処分されます。

これまで脳内には、このリンパ系システムが見つかっていませんでしたが、実はグリア細胞の働きが関係していた。
脳は神経細胞とグリア細胞で埋め尽くされていますが、
睡眠中はグリア細胞が小さくなって細胞間の隙間を広げ、そこに脳脊髄液が入り込み、
リンパ液として老廃物を含んで脳外に運び出される。

そのことがわかり、このリンパ液がアルツハイマーの原因のひとつ、タンパク質のアミロイドβも捨てているようなのです。
実際、睡眠効率が低い人ほど、アミロイドβの髄液中濃度が、異常に高い数値を示すという論文も発表されています」

また、うつ病との関係を述べるのは雨晴クリニック副院長の坪田聡氏で、
「不眠症の人が治療をせずに放っておくと、健康な人とくらべ、うつ病になるリスクが35倍になると言われています」
             

☆睡眠時間と年齢の関係

とまれ、われわれが最も避けたい数々の病気のリスクを考えたとき、
3時間睡眠のナポレオン式が最悪であることは、火を見るより明らかだ。

先に睡眠時間は7時間程度が望ましい旨を書いたが、三島氏は必ずしもそうではないと話す。

「疫学調査をすると、7時間睡眠の人が病気のリスクも死亡率も低いという結果が出るのは、
経済的に最も問題がなく、アクティブに活動できている人の睡眠時間がそれくらいだ、ということ。

長時間寝ている人のなかには、無職ですることがなく、惰眠をむさぼっているだけの人も入っているはず。
“仕事があるから十分に眠れない”という社会的制限を外せば、
健康で8時間以上眠っている人はもっと増えるはずです」

それでも、睡眠不足が万病の元であることには、変わりはない。
ただし、睡眠時間と年齢の関係は考慮したほうがよさそうだ。

「年齢を重ねるほど、人は眠れなくなります。
脳の奥にあって寝たり起きたりという指令を出す脳幹の力が弱まって、眠る力が衰えることが理由のひとつ。

もうひとつは、若いころほど体力も頭脳も使わなくなって疲労度も低くなり、
そんなに寝る必要がなくなるから。

若いころ長時間寝た記憶があるので“昔は長く深く寝られた”と考えてしまいますが、
健康で病気がない人は、20年に30分ほどの割合で、睡眠時間が減少していくとされています」(坪田氏)

6時間台から8時間台の間で、年齢も考慮して、いまの自分に合った睡眠時間を規則正しくとる。
それが最大の健康法であることは疑いなさそうだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は現役サラリーマン時代、多忙な時は徹夜をしたり、毎日4時間前後で睡眠をして、
休日に昼寝をしたりして補(おぎな)って、過ごすことが多かったりした。

こうした時、ビタミン剤のような錠剤で、毎晩たった一錠を吞めば、睡眠時間はわずか一時間で、
誰でも充分に身も心も満足する人類初めての名薬が販売されれば、
開発された御方はノーベル賞の栄誉は確実だよなぁ、と夢想したりした。

しかしながら睡眠中、夢をみることは富貧に関係なく、その御方の日々の思い、念願など、
さまざまな思いが交差される現象かしら、と思う時もある。

私は今でも、あたかも映画館で三作品が一挙に上映されたかのように、
昨夜は二本立て、或いは3本立て、の夢をみた、と微苦笑する時もある。

今回、「がん・糖尿病・アルツハイマー・・万病から身を守る『理想的な睡眠』の新常識」、
遅ればせながら高齢者の私は学び、睡眠は多岐に及び深く身体に関連して、生かされていることを
多々教示されたりした。
             

そしてここ半年は、布団にもぐるのは、真夜中の12時前後であり、やがて目覚めるのは朝の7時頃が多くなっているが、
ときおり家内と共に旅行をして、観光ホテルなどに滞在する時は、夜の9時に寝始めて、
翌朝は朝4時半過ぎに目覚めて、早寝早起き元気な児として、ふるまってきた。

こうした関係で、これからの平素は夜11時に寝始めて、
翌朝は朝6時に目覚めるのも、健全な高齢者かしら、と微苦笑をしたりしている。

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運動するほど老化が進む!?、高齢者の私は戸惑いながら、多々学び、やがて少し安堵を重ねて微笑み・・。

2017-04-14 15:48:17 | ささやかな古稀からの思い
先程、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 運動するほど老化が進む!? 
       「1日1万歩」ウォーキングはキケン 一生懸命、毎日実践しても・・ 】 
と見出しを見たりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

こうした中で、過ぎし2004年(平成16年)晩秋より、私は多々の理由で年金生活を始めた当初より、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
             
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか腰痛の再発、或いは認知症、脳梗塞などの難病に遭遇したら、
もとより困窮するので、歩くことが多くなっている・・。

このように殆ど毎日、歩き廻っている私は、《・・運動するほど老化が進む!?・・》戸惑いながら、
今回の記事を精読してしまった・・。
             

この記事の原文は、『週刊現代』の2017年4月15日号に掲載された記事のひとつであり、
【現代ビジネス 】に4月13日の配信された記事のひとつであり、無断ながら転載させて頂く。

《・・
☆「歩数自慢」に意味はない

60過ぎたら健康のため「一日一万歩」歩かなければと思い込み、一生懸命、毎日実践している人も多い。

だが、『やってはいけないウォーキング』(SB新書)の著者で、
東京都健康長寿医療センター研究所の青柳幸利氏は、「それは大きな間違いだ」と語る。

「私たちは、17年間、群馬県の中之条町に住む65歳以上の方、5000人を対象に調査し、
その内500人には、24時間活動量計をつけてもらい、モニタリングしてきました(現在も調査は続行中)。

その結果、一日8000歩が健康効果の最大値で、それ以上は、頭打ちになることが分かったのです。
頑張って一万歩以上歩いたとしても、ほとんどすべての病気において、効果が見られませんでした。

それどころか60歳を過ぎてのウォーキングのし過ぎは、身体に弊害すらもたらすことが分かってきました」

弊害の代表的なものが、膝や腰などの「関節痛」だ。
高齢者の中には、過度なウォーキングによって、膝の軟骨が擦り減ってしまい、
関節を痛め、人工関節手術を受けざるを得なくなった人もいるという。
             

健康運動指導士で「一般社団法人ケア・ウォーキング普及会」の代表理事を務める黒田恵美子氏もこう語る。
「よく『私は一日2万歩歩いています! 』、『私は2万5000歩です! 』と自慢される方がいますが、
それはやりすぎだと思います。

そういった人の多くが、歩きすぎによる膝痛、腰痛だけでなく、
外反母趾や開帳足、魚の目といった足のトラブルを抱えています。

さらに間違った歩き方のまま長時間歩くことで、神経を痛めてしまう人もいます。
せっかく健康のために歩いているのに、日常生活に支障が出てしまっては、元も子もありません」

たとえばガニ股で歩き続けていると、インナーマッスル(深部の筋肉)や骨盤底筋が弱り、
尿漏れが起こりやすくなる。

女性の場合、内股で歩く人も多いが、それにより膝が変形し、将来寝たきりになる可能性もある。
             

☆運動するほど老化が進む

「ウォーキングを始めた当初は、アクティブに動けても、ある時を境に活動量がガクンと落ちる人もいます。
運動は健康にいいと言いますが、『すぎたるは及ばざるがごとし』という格言があるように、やりすぎはよくない。
長い目でみるとマイナスになることもあるのです」(前出の青柳氏)

さらに青柳氏によれば、運動をしすぎると、
健康になるどころか「逆に免疫力が低下する」ことも、分かっているという。

「昔から『スポーツ選手は風邪を引きやすい』といいますが、あれは免疫力が下がっているからです。

かつてイアン・ソープ(オーストラリアの水泳選手で五輪金メダリスト)の血液を分析したところ、
免疫機能、特にガン細胞を殺すNK細胞の活性レベルが、普通の人より低いことが分かりました。
インフルエンザなどにもかかりやすい状態になっていた。
トレーニングのしすぎで免疫力が低下していたのです。

これは一般の人にも、当てはまります。
要するにスポーツでパフォーマンスを発揮する体力と、病気を予防する体力は、全然違うということです」

特に高齢者の場合、免疫力が低下すると、風邪をこじらせて肺炎を発症し、
そのまま亡くなるといったケースもあるので、注意が必要だ。
             

運動をしすぎると活性酸素が溜まり、それが「ガン」の原因になる。
活性酸素は運動過多だけでなく、紫外線によっても作られる。

「長時間、紫外線を浴びながらのウォーキングは、活性酸素を大量に生成することになってしまう。
活性酸素は、肺ガンや大腸ガンの原因となるだけでなく、アトピーやリウマチ、膠原病などの難病も誘発します。

毎日運動して、真っ黒に日焼けしている人がいますが、自ら寿命を縮めているようなもの。
見た目は健康そうに見えても、体内では不具合が起こっている可能性がある」(土佐清水病院の丹羽耕三氏)

過度な運動により、体が疲れすぎると腸の動きも悪くなるため、便秘や下痢になりやすくなる。
これがひいては、大腸ガンの遠因にもなっている。

さらに長時間のジョギングやウォーキングは、「動脈硬化も悪化させる」と前出の青柳氏は言う。

「適度な運動は、血流を改善し動脈硬化を予防しますが、やりすぎると逆に作用します。
運動のしすぎで、血圧の高い状態が続くと、血管の修復機能が追いつかなくなり、
血栓がプラーク(血管内の壁、コブ)にひっかかり、血流がさえぎられ、心筋梗塞や脳卒中を起こすのです」

適度な運動は、認知症予防にも効果的だが、
それを超えると、より認知症が進行してしまう危険性がある。

「活性酸素によって攻撃された細胞は、一部がガンになり、それ以外は死滅します。
これにより脳細胞が減っていくので、認知症が進行するのです。

さらに、運動のしすぎで、疲れすぎると睡眠が浅くなり、脳の中にアミロイドβやタウタンパク質と呼ばれるゴミが溜まります。
これがアルツハイマー型認知症の原因となるのです」(青柳氏)

運動しなさすぎるのも問題だが、間違ったウォーキングは「老化」を進行し、健康寿命を縮める。
             

では理想的なウォーキングとは、一体何なのか。

青柳氏によれば「一日8000歩で、その内、早歩きを20分することが一番望ましい」という。

「中之条町の人たち5000人を調べた結果、これくらいが一番健康に効果的であることが分かりました。
だらだらと歩数を歩いても効果は薄いので、その内20分ほど早歩きして『中強度』の活動を入れることが大切です。

冬場は、歩く歩数が減っても構わないし、毎日必ずやる必要もない。
70歳を過ぎれば『5000歩で、その内、早歩きを7分』でも問題ありません」
                           

☆朝、歩いてはいけない

もう一つ、重要なのが、ウォーキングを行う際の時間帯だ。
「朝は、脳卒中や心筋梗塞の死亡率が、一番高い時間帯です。
血液がドロドロの状態で、水も飲まずに歩き出すと、命取りになる。

また朝は一番体温が低く、筋肉や関節が固くなっています。
もしウォーキングをするのなら、夕方が望ましい。

そうすると体温が上がり、寝る時には下がるので、深い睡眠を取ることができ、
認知症の予防にもつながります」(青柳氏)

早稲田大学スポーツ科学学術院教授で医学博士の赤間高雄氏は
「高齢者がウォーキングを始める場合、その方のそれまで長年の生活習慣をベースにして、
運動量や強さを考えなくてはいけない」と語る。

「たとえば心筋梗塞の原因となる動脈硬化の危険因子を持っている人もいれば、そうでない人もいる。
それでなくとも、高齢者の場合、加齢という危険因子がひとつ増えるし、
運動するための身体的機能にも個人差があるので、初めから『これくらい歩かないといけない』と一律に決めつける必要はありません」
             

青柳氏も続ける。
「『こんなに歩数が、少なくていいの』と物足りなく思う人がいるかもしれませんが、
実は健康な人は、家事や買い物など日常生活だけで、5000歩ほどは歩いているんです。

あとは小一時間外出したり、犬の散歩でもしたりすれば、それで十分。
ウォーキングは、しなくていい。
それより『一万歩以上、歩けば歩くほどよい』と変な強迫観念に駆られて、無理に歩くほうがよっぽど危険です」

難しく考えすぎるのではなく、自然体で気楽に捉えることが「一番の健康法」になのだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイの責務を終えた後、
帰宅後も私は独りで外出して、自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策している。

こうした時の私は、紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。
             

こうした根底には、何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

今回の記事で私は多々教示されたりした。
特に《・・実は健康な人は、家事や買い物など日常生活だけで、5000歩ほどは歩いているんです。・・》、
そして《・・70歳を過ぎれば『5000歩で、その内、早歩きを7分』でも問題ありません」・・》、
と教示されて、私は少し安堵を重ねて、微笑んだりした・・。

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ペギー葉山さんの歌、高齢者の男性の私でも、心の片隅で残っている名曲は・・。

2017-04-13 16:21:37 | ささやかな古稀からの思い
私の住む世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域では、
桜花に関しては、平年は3月下旬から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、平年の習わしとなってきた。

そして今年は、二月下旬から早咲きの河津桜を観たりしてきたが、
3月下旬から染井吉野(ソメイヨシノ)、山桜(ヤマザクラ)に見惚れて散策してきた。

本日、いつもように平素の買物を終えた後、自宅の近くに流れる野川の桜並木の遊歩道を歩いたりした。
そして満開の情景を過ぎ、歩道の脇には花びらが散乱して、絨毯のように花びらが重なったりしていた・・。

私は立ち止まり、数多くの桜花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり音もなく、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
やがて地上に落下していた。

古来より、桜の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきたことに、
思いを重ねたりした・・。

そして近く池には、桜花が重なっていて、水面にゆったりと流れ、花筏(はないかだ)のように情景となっていた。
             

私は近くのベンチに腰を下ろして、花びらが小枝から離れ、さまようように舞いながら、
地上に落下している情景に見惚れたりしていると、今朝読んだ記事が甦(よみがえ)ってきた・・。

歌手のペギー葉山さんが亡くなり、読売新聞の編集委員・西田浩さんが、[評伝]として記事を綴られていた。

《・・[評伝]ペギー葉山さん死去/渋々歌った「南国土佐」

12日に83歳で亡くなったペギー葉山さんに、最後にお会いし、話をうかがったのは今年2月20日だった。
9月にはデビュー65周年記念リサイタルが予定され、
「これだけ長い間、歌い続けていられることへの感謝を込めて一曲一曲を大切に披露したい」と、
よく通る声で熱っぽく語っていた。

それから、わずか2か月弱。突然の訃報(ふほう)に言葉を失った。

幼い頃から歌が大好き。
高校時代に、アルバイト感覚で進駐軍キャンプで、ジャズを歌うようになった。
「米兵が私の歌で盛り上がってくれるのが快感だった」という。
これがプロを目指すきっかけとなった。

1952年にデビューし、2年後にNHK紅白歌合戦に出場するなど、順調に歩を進めた。
そこには、10か月早く同じレコード会社からデビューした江利チエミの存在が大きかった。

「同じジャズ畑で、私がデビューした時に、彼女はすでにスター。
負けたくないという一心で頑張った。切磋琢磨(せっさたくま)する良きライバルで、友人でした」と述懐していた。

外国曲を中心に歌ってきたペギーさんに転機が訪れたのが、1958年だった。
高知で生放送するテレビ番組で、地元ゆかりの「南国土佐を後にして」を披露した。
最初は「民謡調の曲を歌うのは嫌」と断ったが、番組ディレクターの説得に負け、渋々歌ったという。

ところが放送後に反響が殺到、レコード化され大ヒットした。
これを機に歌手としての幅を広げ、以後、正統的な歌謡曲「学生時代」、米国のミュージカルの舞台で出合い、自ら訳詞した「ドレミの歌」など、
様々なタイプのヒット曲を生んだ。

ジャンルにとらわれぬ姿勢が、息の長い人気へとつながり、明るく飾り気のない人柄も愛された。
             

小学生の時、自分をいじめた男子同級生を上履きを振り回して撃退したと笑いながら話してくれたのがまぶたに浮かぶ。

はつらつとした声による骨太の歌唱が持ち味で、リズムに乗った曲との相性は抜群だった。
米国の名歌手、ドリス・デイを敬愛し、彼女のレパートリーだった「ドミノ」でデビューできたことは、本当にうれしかったという。

「でもね、後年、彼女に会った時に『この曲でデビューしました』って伝えたら、
『私、そんな曲歌ってたかしら』だって。私にとっては大切な曲だったのにね」。
インタビューで語ってくれた逸話が心に残る。そんなデイやライバル・江利のいる天国へと旅立って行ったのだ。

昨年出した最後のシングル曲「おもいでの岬」は、叙情的な曲調に乗せ、今はいない人への思慕を歌った。
改めて聴くと、重鎮を失った歌謡界、そして多くのファンの気持ちと重なるかのように響いた。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は歌を聴くのは好きであるが、ペギー葉山さんに関しては余り愛聴していないが、
しかしながら今でも、心の片隅で残っている曲がある・・。

私はペギー葉山さんの歌を初めて聴いたのは、『ケ・セラ・セラ』で、
確か私が小学6年生の1956年(昭和31年)の頃で、ラジオで盛んに流れていた。

やがて私が高校2年生の1962年(昭和37年)の頃、『ラ・ノビア』を聴き、私は瞬時に魅了されたりした。
この当時は、日本ではカンツォーネ・ブームで、私はカンツォーネの歌に夢中となり、
イタリアの歌手トニー・ダララさんが唄われた『ラ・ノビア』をレコードで、何10回も聴いたりしていた。

そして日本では、ペギー葉山さんが唄われて、私はときには感きわまり、涙を浮かべながら、感動したりした。
やがて後年になると、『ラ・ノビア』は、チリの音楽家ホアキン・プリエートさんが、1958年に作詞作曲した歌曲と、
学んだりした。
             

私が大学2年の1964年(昭和39年)、ペギー葉山さんは『学生時代』を唄われ、
街の中で盛んに流れたりしていた。

私はワンピースかツーピースを召した女子大生が、学生生活を謳歌しているイメージで、
素直に私と同世代のさまざまな心情を重ねて、圧倒的に好感した歌である。


私は『南国土佐を後にして』、『ドレミの歌』は聴いたりしたが、一時的に聴いたりする程度であった。
ただし、『ドレミの歌』は後年、私はレコード会社に勤めている中、
風の噂として、他社の専属契約のペギー葉山さんの伝説を聞いたりしてきた。

1960年8月、ロサンゼルスの日米修好百年祭に日本人代表として招かれ、
この際にミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞。

そして劇場の売店で譜面とオリジナルLPを購入し、そのままホテルへ直行し1番の訳詞を手がけ、日本に持ち帰った・・。

帰国後、自身の作詞で同ミュージカルの劇中歌、『ドレミの歌』をペギー自身の訳詞で紹介し、
ペギーの訳詞・歌唱による『ドレミの歌』は、NHK『みんなのうた』でも使用され、
音楽の教科書にも掲載されるなど、広く知らししめた御方と知ったりした。
             

このように、私は今でも、心の片隅で残っている曲は、『ラ・ノビア』と『学生時代』である。

そして私は、ペギー葉山さんのご冥福を祈りながら、久々に『ラ・ノビア』と『学生時代』の名曲を聴こう、
と思いながら、ベンチから腰を上げて、帰宅に向かったりした。

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女性が許せないオトコのムダ毛は、鼻毛、耳毛・・、老ボーイの私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2017-04-12 15:19:15 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ネットでニュースを見ている中で、
【 許せないオトコのムダ毛 ダントツの1位は○毛! 】と見出しを見たりした。

私は何かと好奇心は旺盛で、どのようなことなの、と思いながらクリックしてしまった。

そして話題の情報を発信するサイトとして名高い【OVO [オーヴォ]】が4月12日に配信された記事で、
無断ながら転載させて頂く。

《・・すごくイケメンだけど、ムダ毛が気になるからドン引き! なんてことあるよね。
脱毛に関するノウハウサイト「NII─NA(ニーナ)」を運営するNII─NA編集部は、
女性152人を対象に「男性のムダ毛」に関するアンケートを実施した。

それによると、「夏に向けて、男性のムダ毛、気になりますか?」と聞くと、
何と92%が気になると回答!

出てきたコメントも「見ていて不快に感じる」、「不潔でだらしなく見える。汚い」、
「耳毛や鼻毛が出ているのは常識的に考えられない。気持ち悪い」──などなど、
シビアなものばかりだった。

彼氏やパートナーは大丈夫かな?

それでは、どんなムダ毛が許せないのか。
「夏の男性のムダ毛で、許せないと思う箇所」は、1位が鼻毛、2位が耳毛、3位が胸毛という結果に。

特に、鼻毛はダントツのトップで、「鼻毛が出ているなんて、身だしなみとして論外」、
「鼻毛を処理するのはマナー」など、人間性を疑うほど、許せないムダ毛とみている女性が多い。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
                           

私は記事を読み終わった後、微苦笑を重ねてしまった・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で古ぼけた戸建に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は家内より、高齢者は何よりも清潔が大事ょ、と何かと叱咤激励を受けたりしている。

平素の買物は、家内から依頼された買物メール老ボーイの私は、
家内が洗濯してくれたスポーツシャツを着て、颯爽と歩いたりしてスーパーなどに、
程んど毎日行ったりしている。

そして私は、夕食前に必ず入浴している。

ぬるめのお湯のシャワーを全身を清めた後、ぬるめのお湯の湯船に5分ぐらい身も心もあずけた後、
やがて洗い場で、洗いタオルに石鹸を付けた後、全身を洗い清めたりする。

そして髪の毛も毎日シャンプーで洗い、やがてぬるめのお湯のシャワーを全身を清めた後、
ぬるめのお湯の湯船に5分ぐらい身も心もあずけたりする。

やがて洗い場で髭(ひげ)を剃った後、少し熱めのお湯の湯船に5分程ゆったりと身も心もあずけた後、
浴室が出る。

そして洗面所で、タオルで全身を拭(ふ)いた後、顔には髭(ひげ)剃り後ようにローションで、
髪の毛はヘアートニックでうるおし、そしてヘアークリームで整(とと)のえたりしている。

恥ずかしながら髪の毛は、もみあげ部分は白髪(しらが)となってしまい、
髪の毛は若き青年時代のように豊富にあるが、一割ぐらいは白髪(しらが)となってしまっているが実態である。

そして私は苦手の加山雄三さんのように胸毛はあるが、
ここ数年で殆ど白髪(しらが)となってしまい、俺も齢だよなぁ、と苦笑する時もある。

そして鏡を見て、鼻毛に気付くと、こっそりと抜いたりするが、
大半は白髪(しらが)となっている。

耳毛に関しては、私は4週間ごとに、散髪屋(理容室)に行き、
ここで耳たぶ、耳の穴にある毛を丁寧に剃ってくれるので、私はここ25年ばかり、
ここの散髪屋(理容室)を愛用している。
             

このように私は裕福には無縁であるが、こざっぱりとした容姿で、
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

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漫画家・弘兼憲史さんの『人生、楽しんだもの勝ち』 、つたない人生航路を歩んだ私でも、瞬時に微笑みながら・・。

2017-04-11 14:30:30 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
小雨降りしきる朝、いつもように配達された読売新聞の朝刊を読んだりした。

こうした中で、17面には新たな『ミドルらいふ』と特集が新設されて、
何かしら50歳前後の時代を著名人に語ってもらうコーナーで、勤め人なら、そろそろ先が見えてくる頃。
豊かな収穫期を迎えるためのヒントを探ります。

初回は、漫画家の弘兼憲史(ひろかね・けんし)さん(69歳)に、
ミドル時代が人生の後半戦のカギを握る理由や心得を聞く内容で、
社会保障部・小沼聖実さんが弘兼憲史さんにインタビューされて、纏(まと)められた記事であった。

私は青年期から漫画に興味は失くしてきたが、散髪屋(理容店)の待合室で、
弘兼憲史さんが創作された『島耕作』シリーズを長らく見かけたりした。

そして1947年、山口県生まれ、早稲田大卒業後、松下電器産業(現パナソニック)を3年で退社し、
翌年、漫画家デビューされて、漫画界で成功されて、やがて栄達された御方と知っているぐらいであった。

このような私でも、弘兼憲史さんが創作された漫画は読んだことがないが、
やはり人生の後半戦のカギを握る理由や心得を学びたく、記事を精読してしまった。

読売新聞45年以上、購読してきたよしみに甘え、記事を転記させて頂く。
             

《・・50歳代は、第二の人生のスタートを切るための準備期間だと、かねて言い続けてきました。

サラリーマンであれば、60歳で定年を迎え、突然、会社を離れた新しい人生が始まることが多い。
いま50歳の男性なら、平均余命は約32年。
定年を迎えてからも、22年あります。

有効に使えばじっくり味わえますが、無駄に過ごせばあっという間。
定年後もあわてないよう、第二の人生をどう生きたいか、早いうちに考え、その準備を始める必要があります。

では、どう生きるか。
会社では、50歳を過ぎてからも出世していく人は、一握りです。
大半の人は、「ここまでかな」という打ち止め感があるのではないでしょうか。
そこで、人と自分を比べても意味はありません。

仕事観や幸せの尺度は、人それぞれですし、仕事をやめれば、肩書も関係なくなります。
50歳からの人生は、自分自身のなかに「生き方のものさし」を持つことが大切なのです。
             
 
僕が大切にしてきた「ものさし」は、楽しさを追求すること。

会社員生活をやめたのも、「これは俺の仕事じゃない、やっぱり漫画を描きたい」と思ったからです。
昼過ぎから未明まで原稿を描き、4時間ほど眠り、午前中は近所のファミレスで漫画のアイデアを練る・・。
仕事のスタイルは、その頃からほとんど変わりません。
毎日、締め切りに追われて自転車をこぎ続け、気づけばここまで来たという感じ。

でも、振り返ればいつでも、人生の満足度は100%です。
それは、自分がおもしろいと思うことを続けてこられたからです。

40歳代頃から、テレビに出演したり、大学で講演したりと、漫画を通じて、仕事の幅が広がりました。
それはおもしろかったんですが、仕事が増えすぎて、本業を圧迫するようになってしまった。
僕にとって楽しいのは、やはり漫画を描くこと。
あるときから、テレビの仕事はすべて断るようにしています。
             

☆人生、楽しんだもの勝ち

これから60歳を迎える世代には、「人生、楽しんだもの勝ち」と伝えたい。
これまで家族のために、頑張って働いてきた人も、60歳になれば、子どもも独立し、お役目が終わる頃でしょう。
その先の人生は、自分のために生きたらいい。

もしかしたら、金銭面や親の介護など、様々な事情で好き勝手をできない人も、いるかもしれません。
でも、どんなに大変な状況にあっても、その環境のなかで「どうやったら一番楽しく生きられるか」を、これからは考えていってほしいのです。

起業するのも良し、地域でボランティア活動に精を出すのも良し。
趣味を極めるのもいいでしょう。

目指す生き方が決まったら、土日を活用して、その準備を始めることを勧めます。
資格を取る勉強や、そば屋を開きたいならそば屋をめぐって研究するなどです。

会社で管理職だった人が、地域のコミュニティーでやりがちなのが、上から目線で接すること。
50歳代のうちから、肩書の関係ない世界を体験しておくのもいいかもしれませんね。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、つたない人生航路を歩んだ私でも、
『人生、楽しんだもの勝ち』という名言に、瞬時に微笑みながら、そうですよねぇ・・、と同意を深めたりした。

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて兄2人、そして妹二人の間(あいだ)で、サンドイッチのように育ったが、
何故かしらいじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして母屋の宅地の外れには土蔵、納屋小屋にあったりし、周辺には竹林、雑木林に囲まれた農家であった。
 
こうした中、この当時の周辺の情景は、京王腺の駅付近には商店街があるだけで、
周辺は田畑、竹林、雑木林など拡がり、緑豊かな村里の情景であった。
       
このような状況で、私が小学生の前半までは、父、翌年には祖父が病死されるまで、農家の児として育てられた。

そして祖父が亡くなった後は、大黒柱をなくした農家の我家は没落しはじめた・・。

母、そして父の妹の未婚の叔母、そして私たち兄、妹の5人の子供が残され、
私たち子供は母と叔母に支えられ、そして親類に見守り中で、貧乏な生活が始まった。

数年後、母は農業を断念して、やがて多大な借金をして、モルタル造りのアパートを経営して、
私たち兄妹は育てられた。
             

私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
         
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
             

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。
                           
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
                          

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。

こうした中で、私たち夫婦は雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごし、年金生活も早や丸12年半が過ぎてきた・・。

そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                        

年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。

そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。

やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、  
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
        
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
                          

このような心情の片隅みに秘めながら、私は60代の年金生活は、つたない我が人生の中で、
最も安楽な日々を過ごして、享受してきた。

過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

そして私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。
                          
        
定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
私は今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、長らく住み、
戦後から今日まで急速に変貌してことに、愛惜感もある。

そしてイギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をして、歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                          

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

たとえば私が勤めていたあるレコード会社のOB会と称せられる懇親会に出席したりすると、
上司だった御方たち、或いは同世代の数多くの人と談笑したりしている中、
数人から、XXさんは感性もお若いですょ、と私は言われたりした。

私は照れながら、テレビ朝日の『じゅん散歩』で主演されている高田純次さんが、
私の当面のライバルです、とワインの勢いに乗(じょ)じて、私は応じたりした。
            
或いは女性グループの中で談笑している中、たまたま音楽の話題となり、
他社の『いきものがかり』を定年後に偶然に聴き、
何かと吉岡聖恵(よしおか・きよえ)ちゃんの歌声に、励まされていますょ、
特に『YELL(エール)』は、高齢者の私でも心身のビタミン剤ですょ、と私は言ったりした。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。
                          

この間、私が定年退職後、年金生活を始める直前に、家内の父が病死され、家内の母は独り住まいとなったりした。

この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。

ここ数年は、家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となっている。

いつの日にか私たち夫婦は、どちらかが片割れとなり『おひとりさま』となる。
まさかの出来事で、私を残して家内があの世に旅立たれることもあるので、
私は特別演習だ、と思いながら過ごしている。
             

このように年金生活を過ごしているが、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。

たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体と信愛して、年金生活を過ごしている。

このように私は過ごし、つたない定年までの半生を過ごした私でも、年金生活は予測した以上に享受している。

そして私たち夫婦は、いつの日にか、どちらかが介護を受ける身まで、
ささやかながら年金生活の楽しき日々を甘受している。

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健康長寿を願うならば、腸内細菌と、その群生である腸内フローラが肝要、遅ればせながら私は多々教示させられて・・。

2017-04-10 16:44:59 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読しているネットの【ダイヤモンド・オンライン】を見ていたら、
【 「腸内細菌」は肥満、動脈硬化、がんの毒にも薬にもなる 】と見出しを見た・・。

私は年金生活13年生であるが、恥ずかしながら腸内細菌と云われても全く無知であり、
どういうことですか、と思いながら遅ればせながら学ぼうとして、こっそりと真摯に精読してしまった。

この記事は、【ダイヤモンド・オンライン】の中で、
『医師が教える!男性のための「心と体のアンチエイジング」』と称せられた連載があり、
今回の記事は、第9回として、北青山Dクリニック院長・阿保義久さんの寄稿文であり、4月5日に配信されていた。

私は読み終わった後、初めて健康長寿を願うならば、必要不可欠な腸内細菌と、その群生である腸内フローラが肝要、
と多々教示され、特に下記のことを学んだりした・・。
             

《・・「腸内細菌」とは、「人や動物の腸の中に棲み着いている細菌」のことです。

これが、腸の健康のみならず、人の生体機能全般に大きな影響を与えていることが、昨今大変注目されています。

腸内細菌の乱れが、風邪や食中毒などの感染症に加えて、
アレルギー、肥満、糖尿病、動脈硬化症、そして、癌までも誘発することがわかってきました。

最近の研究では、うつ、自閉症やパーキンソン病など脳に対しても、
腸内細菌が大きく影響していることが報告されています。

・・人の腸内には回腸(小腸の末端)から大腸にかけて様々な種類が、種別にまとまってビッシリと腸内の壁面に生息しています。
数にして100~1000兆個、3万種類、質量にして2㎏にもなります。

細菌は1個の細胞から成り立っていますが、人の身体の細胞数は60兆個程度ですので、
腸内細菌の細胞数の方が、人の細胞数よりもはるかに多いということになります。

その様子は、植物が群生している「お花畑」に例えられて、「腸内フローラ」と表現されます。

人間の健康長寿を全うするには、腸内細菌と腸内環境の健康を保つことが、必要かつ十分かもしれません。
             

人の腸内フローラは、一人ひとり異なっており、指紋と同じように、世界中でその人にしかない唯一無二のものです。
人種や住む地域によっても、腸内フローラのパターンは異なり、
双子や親子でさえそれほど似通っていないということもわかってきました。

では、いつ、固有の腸内フローラが組成されるのでしょうか。
日頃の食生活によって、細菌が全面的に入れ替わるかと思えば、実際は異なります。
なんと、幼少期に決まるというのです。

(略)こうして幼少期に獲得された腸内細菌の組成は、生涯ほぼ変わらないようですが、
その中でどの菌が繁栄して、どの菌が抑えられるか、
腸内細菌の生息のバランス(このバランスのことを腸内フローラと表現することもあります)は、
その時々の生活の仕方で変動します。

腸内細菌は善玉菌、悪玉菌、どちらとも言えない日和見菌の3つに分類され、
それぞれが共生していて、腸内細菌が全て善玉菌であればいいという単純なものではないのです。

もちろん善玉菌が悪玉菌に比べて、優位である方がいいのですが、
何より重要なのは「菌の多様性とバランス」です。

食生活が乱れると、腸内フローラは荒れてしまいます。
それにより体に有害な細菌が激増して、優良な菌が激減する、ということがしばしば起こります。
よくある「おなかの調子が悪い」という状況は、こうして引き起こされることもあるのです。
             

適切な消化吸収と排泄には、腸内細菌の手助けが必要不可欠です。
腸に入って来た食べ物を吸収しやすくなるように分解してくれるのが、腸内細菌ですし、
便を形成して排泄を促すのにも、腸内細菌が役立っています。

病原体の多くは腸から、体内に吸収されますが、
腸内細菌は自らの生息場所を奪われないように、外から侵入してくる細菌を攻撃して病原体を排除します。

さらに、腸内細菌は腸の免疫細胞を活性化させるので、
免疫力を高めるには、腸内細菌を増やすことが大切ということもわかっています。
このように、腸内細菌(腸内フローラ)は、消化・吸収・排泄・免疫の点で多大な役割を担っているのです。

しかも、腸の活動とは一見離れているように思われる、肥満体質、動脈硬化、癌、脳の発達にも
関連がありそうだということがわかってきました。
(略)

腸内フローラは、多様性とバランスが重要なのですが、これは癌の発症と予防にも影響しています。

不規則でバランスの悪い食事や抗生物質の乱用などにより、腸内フローラの構成バランスが乱れると、
腸に炎症反応が生じてバリア機能も低下し、大腸がんが発生しやすくなります。
しかも、大腸のみではなく、他の臓器のがんの発症にも関与するのです。
             

先ほど腸内細菌の影響で、肥満体質になることに触れました。
反対に、肥満が腸内フローラを乱し、それが全身のがんの発症を引き起こす可能性があることもわかっています。

例えば、肥満により、肝臓がん、前立腺がん、乳がん、子宮がん、食道がんなどの発症が増えるのですが、
これは、肥満によってバランスを崩した腸内細菌が産み出す毒素や代謝産物が、
正常細胞の老化を誘導するためと考えられています。

また、腸内細菌の中には、がんを誘発するのではなく、逆にがんの発生を予防するものもあります。
予防には、がんの発生を促す腸内細菌を減らして、がんの発生を抑える菌を増やせばよいのです。
そのためには、高脂肪食を避けて、食物繊維を豊富に摂ることが大切です。・・》
             

このようなことを私は多々学び、最終章として、薬や医療に頼らず、健康長寿を全うされるには、
『腸内細菌を整える食事6つのポイント』が掲載されていた。

《・・このように、腸内細菌は、人の生命活動に大きく寄与しています。
むしろ人を支配していると言えるかもしれません。

だからこそ、健康長寿のためには、腸内フローラが喜ぶことをする必要があります。
そのためには今までも様々なテーマで触れてきたように、「食事」と「運動」がポイントになります。
最後に腸内細菌を整える6つのポイントをまとめます。

(1)食物繊維を豊富に(1日20g以上)摂る
      生野菜、大根、ごぼう、イモ、豆、キノコ、海藻などに含まれる食物繊維は、腸内細菌の好物です。

(2)1日350g以上の野菜を摂る
      できれば毎食サラダを摂りたいものです。野菜の品数は多ければ多いほど腸内フローラは喜びます。
      煮物、野菜スープなどを加えれば効率的に豊富な野菜が摂れます。

(3)納豆、みそ汁、ぬか漬けなどの発酵食品を摂る
      腸内細菌の多くは、善玉菌でも悪玉菌でもない日和見菌です。
      日和見菌はその時の腸内環境によって善玉菌に加担したり、悪玉菌に加担したりするので、
      日和見菌をどのように働かせるかが腸内環境を改善する重要ポイントです。

      腸内の日和見菌の多くは土壌菌で、発酵食品に豊富に含まれています。
      ただし、塩分の過剰摂取にならないよう注意が必要です。

(4)乳酸菌が喜ぶオリゴ糖を摂る
      腸内フローラをより豊かにするには、善玉菌の代表格である乳酸菌を増やす必要があります。
      乳酸菌の種類は数百個以上あるとされ、人それぞれ棲み着いている乳酸菌が違います。

      いずれの乳酸菌もオリゴ糖を好むので、大豆、ゴボウ、玉ねぎなどオリゴ糖を豊富に含む食材は毎日摂取したいものです。
      ただし、オリゴ糖のみを大量に摂ると高血糖になるので注意が必要です。

(5)プロバイオテクス、バイオジェニックスを摂取する
      ヨーグルトや発酵乳など生きた乳酸菌を含むもの(プロバイオテクス)や、
      死菌を含めた乳酸菌生産物質(バイオジェニックス)などは、腸内フローラの機能活性を整えてくれます。
      食物繊維やオリゴ糖など、腸内細菌の好物となるプレバイオテクスと合わせて、日々摂取したいものです。

(6)ウオーキングは腸内フローラを健康にする

      ウオーキングは以前解説したサルコぺニアや認知症の予防になるだけでなく、
      腸内フローラの機能を改善することもわかっています。
      少し速めの速度で毎日20分ウオーキングを実践しましょう。


どんなに医薬が進化しても薬には副作用があります。
しかし、腸内フローラを利用した健康法には、副作用はありません。
自分の腸の中に綺麗なフローラを保ち続けることをイメージして健康管理に努めましょう。

腸内フローラに着目した健康管理法は、今後の医療に革命をもたらすかもしれません。・・》
             

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
年金生活をして丸12年半が過ぎている・・。

食事に関しては、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、
大きな皿に盛大に食べたりしている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。

家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食は私はホット・コーヒーか煎茶を飲みながら、小さな塩フランスバンを三ばかり食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。

そして昼食は、お互いに自由な時間を過ごしているので、
それぞれ自在に食べることが多いのが、実態となっている。
                                                               
やがて夕食の時は、私は前菜として、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

このような食事内容が、真実一路のように、ここ三年は変わらず続いている。
          

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、 私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、
男の癖におしゃべりで、家内と談笑をしたりしている。

こうした日常生活の食事となり、ときおり駅前に買物とか旅行の旅先の時は、
家内の要望を聞いて、食事処で少し背延びした料理も頂いたりしている。
                          
ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど食事内容が変わらなく過ごしたりしている。
             

過ぎし12年半まえ、定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、歩くことが多くなっているが実態となっている。
             

今回の記事を読み終わった後、誰しも健康でなければ、人それぞれの日頃のささやかな願いも叶わないので、
大切なこと、と改めて思い重ねたりした。

せめて拙(つたな)い私は、歩くこと、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体と信愛し、過ごしたりしている。

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高齢者の男性の私が、いつの日にか『おひとりさま』になった時、思い馳せれば・・。

2017-04-09 14:10:40 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている身であるが、
雑木が多い小庭の中で、古惚けた戸建てに住んでいる。

そして私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし2004年(平成16年)秋、定年退職となった私は、
現役のサラリーマン時代に於いては数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。

そして定年後に多々の理由で、年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、季節のうつろいを享受している。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
                                                   
こうした中、家内は相変わらず専業主婦の延長戦として料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか濃い水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と私は家内を誘い、日本の四季折々の各地を遊学したりしてきた。
                                

この間、私が定年退職後、年金生活を始める直前に、家内の父が病死され、家内の母は独り住まいとなったりした。

この当時の家内の母は、日常生活の身の廻りはある程度は出来ているが、
長女の家内は季節の変わるたびに、大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行ったりし、この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となったりしてきた。

ここ数年は、家内の母の老化と病状で、家内と家内の妹は交互に、
大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となっている。
             

私はタバコを喫う愛煙家だし、スポーツはしていないし、散策する程度であり、
私は家内より先にあの世に旅立つと99%と確信したりしてきた。

私は家内と日頃から、子供がいない一代限りの為か、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は兄妹などの親族関係だけの家族葬とした後、お墓は、亡くなわれた方は土に還ると思いが強く、
樹木葬として、遅ればせながら昨年の5月に埋葬できる墓地を買い求めたりしてきた。

そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、とお互いに確認し合っている。
                       
或いは残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したりしてきた。

そして家内に我が家を処分して、小さな2DKのマンションに転居し、
趣味を基軸に過ごされれば・・と私は幾たびも家内に言ったりしている。

いつの日にか、私は大病に遭遇して、やがて危篤時に、
家内からは、『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば、私は充分である。
                         

しかしながら、この世はまさかの出来事に遭遇することもある。

私が60代のなかば、知人の奥様が病死されたので、妻が夫を残して先立たれことに、
私は動顛させられたりした。

こうしたこともあり、いつの日にか、家内が私を残して先立たれ、
私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活になってしまうことを、思案する時もある。
             
                     
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。

やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の路線バスなどの利便性のある場所を選定するだろう。
                                                                     
この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

そして6畳はベットの下には、収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・
付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                                                                                             
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。
              
こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、少なくとも年に4回ぐらいは2泊3日前後で、各地を訪れるだろう。

劇作家のチェーホフの遺(のこ)された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》
と人生の哲学のような名言は、どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。

やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。

そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの・・、と天上の人となった家内に呟(つぶや)きながら、眠るだろう。
                          

このようなことを私は、ときおり思案してきたが、こればかりは、
その時になって初めて実感されことだよねぇ、と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。

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断捨離しすぎは認知症リスクがあがる!?  何をどう残すべきか脳科学者が解説、私は多々教示され、苦笑して・・。

2017-04-08 15:07:35 | ささやかな古稀からの思い
先程、『みんなで考える、家族のこと、自分のこと』と明記された公式ネットの【介護セブンポスト】を見たりした中で、
【 断捨離しすぎは認知症リスクがあがる!?  何をどう残すべきか脳科学者が解説 】
と題された見出しを見たりした。

我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、家内の母は我が家より遠方の処で、
戸建ての独り住まいの生活をされて、早や12年半が過ぎている・・。
                         
過ぎし6年前、家内の母は81歳を過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、
杖(つえ)を突いて歩く身となり、やがて市の福祉課を通して、『要支援2』と認定されたりした。

やがて一昨年の5月下旬より、家内の母は膝(ひざ)、腰も悪化して、大学病院に入院した後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、
或いは通院の付き添いなどしているので、必然的に多くなり、
昨年の5月下旬、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。

こうした中で、家内の母は長年生活してきた衣服、生活用具、雑貨品などが多く、ときおり家内と家内の妹は、
お母さん・・もう着ることもないし、この品だって使うことがないから・・と捨ててもいいわねぇ、
と言ったりしてきたが、まだ使うことあるから・・と母は抵抗して、娘のささやかな論争が繰り返している・・。
             

このようなことを私は幾たびも、家内から聞いたりしてきたが、
余りにも断捨離してしまうと、家内の母が認知症になったら、もとより私たち夫婦も困苦するので、
私は今回の記事を精読してしまった。
        
この記事の原文は、『女性セブン』の2017年3月30日・4月6日号に掲載された記事のひとつであり、、
関連公式サイトの【介護セブンポスト】2017年4月5日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・断捨離しすぎは認知症リスクがあがる!?  何をどう残すべきか脳科学者が解説

年老いた親の代わりに、溜め込んだ不用品の処分を・・という人はちょっと待って! 
「“断捨離”によって、思い出を振り返る機会を失うと、
脳の機能が衰え、孤独感からも認知症のリスクを高める可能性が」と警告するのは、脳科学者の加藤俊徳さん。

認知症にならないために、捨てすぎない片付けを心がけたい。

思い入れのあるものは、手元に残したいけれど、
何10年と生きるとそれだけ思い出の品も増え、収納スペースにも限界が。

そこで、どんなものが記憶を呼び戻す糸口になるのか、また、どう残せばよいのか、いつ見返すとよいか、
脳科学者の加藤俊徳さんに聞きました。
             

Q1:楽しい思い出は忘れにくい?

A:「記憶系脳番地は、感情系脳番地のすぐ近くにあり、喜怒哀楽を感じて感情を刺激することで、
  記憶は定着しやすくなります。
  特に楽しい気持ちは、脳内物質のセロトニンを活発化させるため、脳の働きが活性化され、より記憶に残りやすくなります」

   また、セロトニンを活発化させると免疫力が上がるなど、認知症以外の病気にもうれしい効果が期待できる。


Q2:部屋の収納が狭いのですが、思い出のものを残す優先順位は?

A:収納スペースに合わせて、思い入れの強いものを厳選する。
  かさばって保管場所に困るものは、写真に撮ってそのもの自体は処分してもOKだ。

  「ただ、新品では替えがたい思い出が詰まっている場合、
  たとえば本なら、何年も読み込んでボロボロになっていたり、書き込みがある方が、読んでいた時のことを鮮明に思い出せます。
  新品の本とは違うので、表紙や書き込みのあるページだけ残すのも1つの方法です」
             

Q3:見るとつらい思い出がよみがえるものも残した方がよい?

A:つらい気持ちになると脳の働きが停止しやすいので、捨ててもいい。
  ただ、時間の経過で、つらさを乗り越えていたり、つらくても前向きな気持ちになれるものは残した方がよい。

  「たとえば、受験勉強の時に使って短くなった鉛筆を見たら、
  “あの時があったから今の自分がある”“あの時に比べたら今の困難はたいしたことはない”など、
  思い出だけでなく今を生きる原動力にもなり得るのです」


Q4:見たもの、聞いたこと、香り・・最も記憶を呼び戻すものは?

A:思い出の品は見るものだけが記憶を呼び戻すのではなく、
  昔使っていた香水、よく聴いていた音楽など、五感すべてが記憶につながる。
  人により、記憶が呼び戻されるものはさまざまだが、多くの人に鮮明に思い出されるものは母親の愛用品だ。

  「母のお気に入りだった着物など、見ると一緒に出かけた思い出から始まり、さまざまなことが思い出されます。
  懐かしいという気持ちも、記憶に定着されやすいのです」
             

Q5:思い出の品をトランクルームなどに保管してもよい?

A:思い出の品は、ふと思いついて手に取ることの方が多いため、
  預けた場所に出かける手間が増えると、思い返す頻度も減り、そのもの自体の存在を忘れてしまう可能性も。

  「思い入れの強いものほど、手元に置いて見返すことが大切です。
  トランクルームなどに預ける場合は、通いやすい場所を選び、半年に1度訪れるなど、頻度をルール化するのがおすすめです。
  何を預けているか記録することも忘れずに」


Q6:大量の写真はどう残せばいいの?

A:過去の写真が大量にあったり、昔ながらの厚いアルバムに写真を収めていると、取り出して見返すのも億劫になるもの。
  また、デジカメで撮影した写真は、現像すらしないことも多く、
  プリントした写真よりも見返す機会が極端に少ない傾向にあり、記憶に残りにくい。

  「すべて保存しようとせず、厳選して目に見えるように整理するといいですね。
  また、1人で見るだけでなく、家族や友人と見返して思い出話に花を咲かせると、
  自分では忘れていた出来事を思い出したりして、さらに効果的。

  年に1度くらいはアルバムを整理し直すと、当時を振り返れて記憶として定着します。
  また、その作業自体が脳を活性化させて認知症予防にピッタリ! 
  時系列に整理することで記憶も正しく整理されます」

  最近は写真を選んで本にしたり、写真データをテレビ画面でスライドショーのように見られるサービスもあるので、
  利用してみるのもおすすめだ。
             

Q7:捨てるものは忘れてもよいものなの?

A:捨てると決めたものにも、何かしら思い出があり、捨てようと決めた時に、何らかの心境の変化があったのかもしれない。

  「何を捨てたのかだけでもノートに記録しておくと、それを使っていた時のことと、
  捨てようと整理した時の状況が記憶に残せます。

  捨てることも人生の1ページ。
  記憶の蓄積になりますよ」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は読み終わった後、多々教示されたが、人それぞれ長らく人生航路を歩んでいるので、
思いでの品、愛惜の深さは解らないで、とても第三者からは、これを捨てたほうが良いですょ、とは言えない・・。

私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている身であるが、
雑木が多い小庭の中で、古惚けた戸建てに住んでいる。

そして私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、断捨離に関しては、家内が先導となって、衣服、靴などは3年ごとにしてきた。

しかしながら、これ以外は何かをきっかけに破棄をしたりしてきた。

過ぎし2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災に動顛させられ、
やがて我が家も保存している物を見直したりした・・。

そして自宅の本棚、押し入れを整理し、大幅に処分をしたりした。
             

若き頃の私は、映画・文学青年の真似事をした体験もあり、小説、随筆、歴史書、現代史など本は5000冊前後、
映画作品としてビデオ・DVDが1000本前後あったりした。

そして現役サラリーマン時代は、音楽業界のあるレコード会社に35年ばかり勤め、
製作畑ではなく、管理畑の片隅に勤めていたが、少しづつ買い求めた結果として、レコード、カセット、CD、DVDの総数として
3000枚前後となったりした。

こうして家の中の本の整理を主体にして、押入れに収納していた単行本を整理をし始めたのであるが、
主に私が東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年前後の5年間ぐらいで購入した
小説・文学評論が圧倒的に多かったりした。

たとえば石川達三、丹羽文雄、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎などの各氏が多く、
そして福永武彦氏の本は、殆ど所有していたのには、微苦笑させられたりした。

この方たち作家の作品は、今後は読むこともないだろう、市の資源ゴミにだすことに決めたりした。
             

数年前、自宅から徒歩10分ばかりのある古本屋のチェーンの支店長と私は話し込んでいた時、
私は思いついたように、自宅の本を思い浮かべて、
もしも古本屋に売却したら、と小説、文藝評論の数々の名を上げたら、
『信じられいような廉(やす)さと思いますよ・・ご愛読された本と思いますので、ご自宅で保管された方がよろしいかと思います・・』
と私は支店長から言われてしまったりした。

その後、やむなく市の図書館に寄贈しょうと思ったりしたが、
友人にこのようなことを話したら、昨今は図書館でも過剰で困り果てているのが多い、と教えられた。

私が保有している小説、随筆、評論などは、市の図書館の本館に、八割方ぐらいあるが、
今現在としては、全ての本を処分する気にはなれないので、結果として、図書館に寄贈は断念したりした。

結果として、押入れにあった本は、3冊だけ保存することにして、
500冊ぐらい処分とした。
そして石川達三、丹羽文雄、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎、福永武彦などの各氏、さよならを告げたりした。

この後も、本棚も整理して、1500冊ぐらい処分し、3000冊前後が愛着を秘めて保管している。

そして映画作品の収容棚、音楽作品の収容棚も整理したりした。
             

このようなささやかな断捨離を我が家としてはしてきたが、やはり何かをきっかけにしなければ、
難しいよねぇ、と私は苦笑したりしている。

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テレビが「バカにしていた」ネットに頼る皮肉の到来、時代の変貌に多々教示され、微苦笑を重ねて・・。

2017-04-07 15:54:30 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 テレビが「バカにしていた」ネットに頼る皮肉
           ~情報番組の2割を「ネット発」が占める実態も~ 】と題された記事を見た。

この記事を書かれた御方が、ネットニュース編集者として名高い中川淳一郎さんであり、
私は信頼しているひとりである。

過ぎし2009年(平成21年)5月下旬、
中川淳一郎・著の『ウェブはバカと暇人のもの ~現場からのネット敗北宣言である』(光文社新書)を購読した。

私はこの本を数週間前に店頭で見かけたが、
《・・どいつもこいつもミクシィ、ブログ
    インターネットは普及しすぎた

  「頭の良い人」の話はもういい。
  「普通の人」「バカ」の話をしょうじゃないか。》

と本の帯に明示されたり、

本書の中で第一章として、
《 ネットのヘビーユーザーは、やっぱり「暇人」 》と題されていたので、
私は少し不快な気持ちとなり、敬遠したりした。
             

私は遅ればせながら定年退職の数ヶ月前にインターネットを自宅に開設した身で、
その後は梅田望夫、佐々木俊尚の両氏をはじめとするウェブに関する数多くの本を読み、学んできたひとりである。

この当時の私は、屈折の多い人生を過ごしてきたので、この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、と思ったりしていた・・。

そして、定年後まもなくしてブログの世界を知り、
文章修行と思いながら、ブログ、ブログに準じたサイトに投稿文を日々重ねてきた。
そして、亡くなるまでに、歴然とした随筆をひとつだけは残したい、
と人生の敗者復活戦のような思いで、投稿していた時であった。

こうした深い思いのある私は、《 ネットのヘビーユーザーは、やっぱり「暇人」 》
と明記されれば、私は心の純潔を穢されたようで、不愉快な心となり、購入を見送ったりした。

しかし、やはり気になり読んでみたくなり、買い求めたし、
中川淳一郎・著の『ウェブはバカと暇人のもの ~現場からのネット敗北宣言である』を読んだりした。

そして著作者は、ウェブの前線で奮闘されている方で、
日本のウェブの現状を怜悧に描き、企業と個人の利用の実態と問題点を提示され、
私は微苦笑しながらも数多く学んだりした。

何よりも著作者は、ウェブに対する人々の理念と実質は大いに違う実情に憂いながらも、
根底には限りなく愛(いと)おしさを秘めた良書でもある。
             

やがて2014年(平成26年)初夏、中川淳一郎さんが、
【ネットで賢く生きる方法 SNSでいかに自分が弱者かアピール】と題された
『NEWS ポストセブン 』の8月9日(土)に於いて配信された寄稿文を読み、
多々教示されながら、微苦笑をしたりした。

《・・ネット社会でどう生きるかは多くの人にとって重要なテーマだ。
ネットニュース編集者の中川淳一郎氏はこうアドバイスする。

2014年、ネットで賢く生きる方法を紹介しよう。
【1】いかに自分が傷ついたかをアピール
【2】いかに自分が弱者であるかをアピール
【3】正義感をふりかざし「○○に謝れ!」と言うことの3点だ。

これをネットでやっておけば、まぁ、強い強い! 【1】~【3】のコンボを出されてしまったら、もはや勝てない。
「弱者の強者化」である。

【1】、【2】については、持病があること、貧乏なこと、父親からDⅤを受けたことなどを
SNS等のプロフィール欄などに書いておくことが重要だ。
これにより「弱者様」になれるし、この方々を批判すると人でなし扱いされ、
「彼女は心の傷を負ってるんですよ! 彼女に謝ってください!」なんて話になる。

(略)重要なのは、自分の努力ではどうしようもならないことを書いておくことです。(略)・・》

このような3つのネット上の哲学のような記事を読み終わった後、私は微苦笑してしまった・・。
                       

こうした心情を中川淳一郎さんに秘めてきた私は、やはり今回『東洋経済オンライン』に4月5日に、
配信されて寄稿文を精読し、無断であるが一部を転載させて頂く。

《・・ほんの10年ほど前まで、テレビや新聞、雑誌といったマスメディアの中には、
「ネットネタ=忌避すべきもの」という風潮があった。

ところが、いまや時代は大きく変わった。
NHKの朝のニュースやフジテレビの「情報プレゼンター とくダネ!」のような高視聴率の人気情報番組が、
YouTubeに投稿されたおもしろ動画を流し、番組の一構成要素にしている。

「情報7days ニュースキャスター」(TBS系)では、
「ニュースワードランキング」と題し、ネットで話題となったニュースをトップ20形式で紹介。

同番組に限らず、2013年はいわゆる「バカッター騒動」といって、
若者が自身の愚行をネットにさらす行為を連日のように取り上げた。
コメンテーターがしたり顔で分析コメントを述べたものだ。
             

☆ネット発の情報が、番組の重要構成要素に

2015年2月の「つまようじ少年」、昨年12月の「おでんツンツン男」、今年1月の「モノレール線路飛び降り喫煙少年」。
テレビが連日、時間を割いて取り上げるネット発の珍事報告の事例は、枚挙にいとまがない。

覚せい剤取締法違反などで逮捕・有罪判決を受けたミュージシャン・ASKAのブログも
マスメディアにとっては、重要な情報ソース。
ブログの書き込みがメディア関係者からつねにウォッチ対象となり、内容がニュースとなった。

こうした衝撃的な告白だけでなく、有名芸能人のブログでの結婚報告や出産報告も頻繁にメディアで紹介されるし、
ドナルド・トランプ米大統領や橋下徹氏、松井一郎氏といった政治家が、
ツイッターでつぶやいた内容(ツイート)もマスメディアで紹介されている。

最近では籠池泰典・森友学園前理事長の証人喚問の内容に
安倍昭恵・首相夫人が自身のフェイスブックで反論したが、その内容も記事・番組の重要構成要素となった。

もはやいくらでも、ネット上の騒動がマスメディアに反映される例を挙げることができる。
それは数字で見ても明確に現れている。(略)
             

☆ネット広告市場はテレビ広告に迫る規模

1990年代後半に勃興したネット広告市場は、2006年に雑誌、2010年に新聞を抜いた。
2014年に1兆円を超え、2016年は約1.3兆円。同2兆円弱のテレビ広告に迫る規模になっている
(2016年の新聞広告市場は約5400億円、雑誌は約2200億円、いずれも電通調べ)。

アップル「iPhone」をはじめとするスマホの爆発的普及や高速通信網の整備などに伴って、
「いつでもどこでも」ネットにつながる環境が整ったことが要因として大きいが、
いまや「ネット=社会のⅠつ」となっている。

マスメディアの企画の立て方も、いろいろと変わってきている。
ネット上での諍(いさか)いやら、ほのぼの動画、
あとは「大学生協がプリンを大量に発注し、ツイッターでSNSを出したら、
近隣の大学からも学生がやってきて見事売りさばけた」といった美談もメディアの企画のネタになる。

テレビマンはいかにしてネットを活用しているのか。

とある民放の情報番組のディレクターはこう語る。
「ネットは、1次情報として非常に活用しています。
新聞サイトもそうですし、NHKのサイトもそうですし、ツイッターとか、
あとはライターやジャーナリストの発信する情報なども、かなり活用しています。

それを後追い取材したり、社内のシステムで裏付けを取り、放送に乗っけていったりする手順を取っています。
ただし、一個人の炎上とか、ニュースバリューとしては低いと思いますね。」
             

☆かつてマスメディア人が「バカにしていた」ネット

「記者は、足で稼いでなんぼでしょ?」
「ネットなんて、まだまだサブカル以下でしょ?」
「そんなものをニュースにする感覚がわからない」――

2000年代中盤、J-CASTニュースやITメディアニュース、
私も関与している(いた)アメーバニュース、R25は、
「ネットも“社会”の1つ」という考えの下、「ネット事件簿」的なものも記事として紹介していた。

それこそ、「豚丼を牛丼店の店員が、山盛りにして『テラ豚丼』を作り、それを動画配信して炎上」といった記事である。

当時、新聞記者やテレビマンとの会合などで、こうした話をすると鼻で笑われたものだ。

かつてのマスメディア人は、「ネットはあくまでも、オタクが集う場所であり、
世間に顔出しできぬ臆病者が、傷をなめ合ったり、
匿名で立場ある者を罵倒したりする異常空間である」ととらえていたフシがある。

悪い言い方をすれば「バカにしていた」といえる。

ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は「2ちゃんねるは、ゴミため」という趣旨の発言をしたことがある。
同じくジャーナリストだった故・筑紫哲也氏も「ネットの書き込みは、便所の落書きのようなもの」と言っていたものだ。

そんなふうに揶揄されていたネット発の情報だが、テレビ関係者も無視できない存在になったどころか、
ネット頼みになっているテレビ人も、少なくない。

それは新聞や雑誌も同じだ。
ネット発の情報が、いまや世間を大きく騒がせ、時代を動かすこともある。

黎明期からのネットニュースを知っている編集者としては感慨深い。皮肉なものだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えない拙(つたな)い身である。

その上にフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら、有線の据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用している。
          
私は定年退職した2004年(平成16年)秋の数ヶ月前にインターネットを自宅に開設した身であるが、
この当時は、ネットが今日のように、まさに誰しもが発信できる時代となり、
そしてネットを殆どの人々が活用することは、予測できなかった。

今回の新聞、雑誌、そしてテレビ業界の殆どの人々が、ネット記事を小バカにしてきたことは、
私も風の噂で数多く学んできた・・。

東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の数年前の当時、
映画界の有数な俳優さんが、テレビのドラマに出演するなんて・・と軽蔑していた時代もあったりしたが、
こうしたことに私は思いを重ねたりして、時代の変貌に多々教示され、たかがネットされどネット・・と微苦笑を重ねたりしている。

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なぜ「雨ニモマケズ」は国民的な文学となったのか、遅ればせながら私は、多々教示されて・・。

2017-04-06 15:23:52 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NHKテキストビュー』を見ていたら、
【なぜ「雨ニモマケズ」は国民的な文学となったのか】と題された見出しを見たりした。

私は過ぎし2006(平成18)年11月3日に於いては、
嵐山光三郎・著の『追悼の達人』(新潮文庫)を読んでいる中に於いて、
特にこの中で教えを受けたのは、宮沢賢治は追悼によって世に出た、と読んだ時は驚いたりした。
             

著作者の嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)氏の格調たかい名文を引用させて頂く。

《・・昭和8年、花巻で無名の詩人が急性肺炎で死んだ。
・・・
(宮沢)賢治の死は、詩人仲間の草野心平の手で友人たちに知らされたのみであった。
・・・
没後、唯一、次郎社より「宮沢賢治追悼」雑誌が出た。
草野心平が逸見猶吉と企画した同人雑誌「次郎」が形を変えて出版された追悼集で・・・
この薄い一冊の追悼文集に寄り、宮沢賢治への評価の起爆剤となった・・》

そして、著作者の嵐山光三郎さんは、いまの日本詩壇に、無名詩人を発掘する第二の草野心平がいるだろうか、
と結びの文として綴っている。

私は宮沢賢治さんに関しては、無知なほうである。
定年退職する数年前、雪の降る時節に、花巻温泉に滞在して、
その折、宮沢賢治記念会館に行き、見学し、多少学んだ程度である。

東北地方の観光面に携わる関係者は、何かと松尾芭蕉、宮沢賢治の両名を活用し、
知名度の向上を果たしたりしているのが、昨今の実態である。

いずれにしろ、無名で亡くなった詩人が、詩人達の好意により薄い追悼文集が起爆剤となり、
詩壇はもとより文化のひとつとして足跡を残させた史実に驚いている。

このように私は宮沢賢治さんには、ささやかな思いを秘めてきたが、
改めて「雨ニモマケズ」を学びたく、【NHKテキストビュー 】4月6日に配信されていて、精読した・・。
             

《・・なぜ「雨ニモマケズ」は国民的な文学となったのか

教職を辞した宮沢賢治は大正15年、農村における芸術の実践という理想を掲げ、
死去した妹トシが療養した実家の別荘を改装して、ひとり暮らしを開始。

畑を耕したり、近くの村へ農業指導や肥料相談に出かけたりする日々をスタートさせます。
そして八月には、羅須地人協会を立ち上げます。

ときには彼を慕ってやってくる者たちと音楽の練習をしたり、レコードコンサートを開いたり、
近所の子どもたちを集めて、自分の童話や外国の童話を語り聞かせたりと、芸術教育の実践も試みていました。

また賢治が講師となり、トルストイやゲーテの芸術の定義や、農民芸術、農民詩について語りあうなど、
大学のゼミナールのようなことも行っていたようです。

しかし、彼の思いは一部を除いて、理解されることはありませんでした。

日本大学芸術学部教授の山下聖美(やました・きよみ)さんは、
賢治が理想と現実の狭間で、自分の生き方を模索し続けた末に書いたのが、「雨ニモマケズ」であったと考察します。
             

賢治は理想に邁進(まいしん)したいと思い、その思いのもとで行動をしつつも、
現実という壁に突き当たって、いつも苦しんでいました。

狭い世間で、名家の当主として世間体を重んじる父。
さらに賢治は、幼い頃から母に「人のために生きるのス」と言われて育ったといいますが、
この言葉も賢治にとっては、呪縛となったでしょう。

なぜなら、母が言う「人」とは、現実に生きている世間の人たちのことだからです。

賢治は「疑獄元兇(げんきょう)」」という短篇梗概(こうがい)に、
「生きた世間といふものは、たゞもう濁った大きな川だ」という言葉も残しています。

心象スケッチという、言ってみれば浮世離れした理想の世界をもっていたからこそ、
世間という「自分が生きていかなければいけない世界」というものも実は非常に意識していた。
それが宮沢賢治という人だったのだと思います。

そんな賢治が、世間で生きていくにはどのようにしなければならないかを書いたのが、
「雨ニモマケズ」だと私は考えています。
             

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

(中略)

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ
             

「マケズ」ということが重要です。
勝つのではなく、負けない。

世の中では「勝ち組」「負け組」などと言われたりしますが、賢治はこのように区分しません。
負けない者こそが、一番強いのです。

また、世間はとても嫉妬(しっと)深いところでもあります。
勝ってしまえば、足をひっぱられ、引きずりおろされます。

出る杭(くい)は打たれるのです。
ですから、とりあえず負けないことが重要になります。

また、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」というのは、
個をあまり出さないということにつながります。

個を出して何かを主張しすぎたりすると、世間からは叩かれる。
ですから、自分の意見は勘定に入れず、常に人の顔色をうかがい、
世間の目を気にして、生きていくことが必要になるのです。

そして最後、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と記します。
私はそういうものだ、ではなく、そうなりたい、という願いの中に、
逆に現実にはそうなれない賢治自身の切ない思いが感じられます。

賢治の死後に発見された「雨ニモマケズ」は、
戦争に向かう時局と相まって、さまざまな機会においてスローガンのように使われるようになりました。

日本人の美徳を表す代表的なテキストのように読めるため、ちょうどよかったのでしょう。
             

「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」というところが、
戦後すぐの時代、中学校の国語教科書に掲載されるにあたり、
玄米四合は食料が不足していた当時の実感とかけはなれているとして、三合に変えられたという逸話もあります。

発表する意図のなかった「雨ニモマケズ」が、ここまで国民のあいだに広がったことは、
心象スケッチこそが、自分の芸術だと考えていた賢治の立場からすると、不思議なことであったと言えるかもしれません。

一方で、見方を変えると、宮沢賢治のテキストそのものが、不思議であるとも言えます。
戦時中のスローガンなどに利用したつもりでいて、実はテキストの生命力に、我々の方が利用されていたのではないでしょうか。

戦中に大政翼賛会が発行する雑誌にまで掲載された「雨ニモマケズ」は、
戦前・戦中の価値観が否定された戦後にも、教科書に載って生き続けたのです。

戦争には勝てませんでしたが、「マケズ」というところがまた日本人の心理にフィットし、
戦後の人々の心の支えになっていたのかもしれません。
「雨ニモマケズ」は、テキスト自身が時を超え、時代を貪欲(どんよく)に食って生き残ってきたとも言えるのです。

■『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』より・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

宮沢賢治さんは、現世では伝説の人となっている。

1924年(大正13年)4月、『心象スケッチ 春と修羅』刊行。
花巻の吉田印刷所に持ち込み1000部を自費出版、定価2円40銭。
発行所の名義は東京の関根書店になっている。

東京での配本を関根喜太郎という人物に頼み500部委託したが、
関根はゾッキ本として流してしまい、古本屋で50銭で売られたという。

本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、
7月にダダイストの辻潤が、読売新聞に連載していたエッセイで紹介。

詩人の佐藤惣之助も雑誌『日本詩人』12号で、若い詩人に「宮沢君のようなオリジナリティーを持つよう」と例にあげた。

中原中也は夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人に配っている。

同年12月、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』刊行。
定価1円60銭。
盛高の後輩で農薬のパンフレットを作っていた近森善一と及川四郎が、
賢治の原稿を見て刊行を計画、出版費用の工面に苦労しながら東京で印刷製本、
出版社「光源社」の名義で1000部作ったが全く売れず、賢治は父親から300円借りて200部買い取った。

本の挿絵を担当した菊池武雄は『赤い鳥』主催の鈴木三重吉に
『タネリはたしかにいちにち噛んでいたようだった』を送ったが「あんな原稿はロシアにでも持っていくんだな」と返された。
             

しかし翌年1月、『赤い鳥』に『注文の多い料理店』の一頁広告が掲載される。
三重吉の厚意で無料だった。

7月、詩人の草野心平の同人誌「銅鑼」に参加する。

1930年(昭和5年)、体調が回復に向かい、文語詩の制作をはじめる。
やがて病臥生活となる中、手帳に『雨ニモマケズ』を書く。

このような宮沢賢治さんは、殆どは無名のまま亡くなり、私は深く思いを重ねたりした・・。

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『定年男子 定年女子』、定年後のそれぞれ時代の思惑の変貌に、私は微苦笑させられ・・。

2017-04-05 15:39:07 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
今朝、いつもように配達して下さった読売新聞の朝刊を読んだりした。

こうした中で、2面の最下段には、『定年男子 定年女子』と大きく明示され、
私はどのようなことなの、と思いながら箇条書き読んでしまった・・。

STOP!老後破産

「3000万円ないと老後破産する」のウソ

◎定年後も働くことこそ、最強の解決法
◎投資は苦手ならしないほうがいい
◎日本の健康保険は最強。医療保険は不要
◎親の介護のために仕事をやめてはいけない

このように箇条書きで記載されて、右側には本の表紙には、
『45歳から始める「金持ち老後」入門』
大江 英樹、井戸 美枝 著・・明記されていた。

ここで私は初めて出版社の広告で、大江 英樹・井戸 美枝の両氏による
著作『定年男子 定年女子~45歳から始める「金持ち老後」入門~』(日経BP社 )と理解できた。

そして私は働いて下さる40歳を過ぎた諸兄諸姉に向けた定年後の老後破産を回避し、
程ほどに豊かに過ごせる為の指南書と思ったりした・・。

しかしながら40歳を過ぎた頃から、定年後の老後の人生設計は早いじゃないの、
と私は思ったりしたが、これからの日本は先行きが不透明な時代も予測できるので、
やむえないよなぁ・・と私は微苦笑させられたりした。
             

この後、私はネットでこの本に関して、調べたりした。

《・・「定年後は悠々自適神話」は崩壊。
65歳まで働くことを覚悟している現役世代がほとんど。

しかし勤務先で再雇用されても仕事のやりがい、給与ともに大幅ダウンし、職場の居心地はひどく悪いのが現実だ。
さらに65歳で会社を「卒業」し、年金収入だけになったら、本当に暮らしていけるのか・・。

親や自分の介護にかかるお金は?
60代からの就活ってどうやればいい?

人生100年時代に、経済的にも精神的にも豊かな定年後を送るために現役時代から準備すべきことを、
お金のプロであり、リアル定年男子&定年女子のふたりが、自らの経験と知識を総動員してガイドする。
45歳から始める「金持ち老後」入門!
             

<目次>
【はじめに】 「老後破産」が不安なあなたに
 ◆定年退職したとき、150万円しかなかった私(大江英樹)
  「3000万円ないと老後破産する」のウソ/居場所がなかった再雇用時代から起業へ
 ◆お金のプロが「年金生活」を始めて分かったこと(井戸美枝)
  大半の女性が、最後には「おひとりさま」に/平均寿命と健康寿命の差、男は9年・女は12年

【第1章】 「金持ち老後」のために知っておくべきこと
 ◆老後のお金の「入」と「出」を把握せよ(大江英樹)
  定年後のお金不安の原因は「3つの分からない」/65歳の私の生活費の明細、公開します/投資は苦手ならしなくてよい
 ◆女子こそ早めに知っておく! 年金は、いつから、いくらもらえる?(井戸美枝)
  あの「はがき」で私の年金額が、ずばり分かる/年金から差し引かれる意外なもの

 定年男子×定年女子トークセッション①年金を賢くもらうコツ

【第2章】 月8万円の収入で「老後の赤字」は消える
 ◆定年後も働くことこそ、老後不安の最強の解決法(大江英樹)
  60歳からは嫌な仕事はしない/働き続けることで「私の価値」は1000万円以上にも
 ◆会社員も主婦も、心理テストで定年後の“適職"に出合おう(井戸美枝)
  定年夫婦の家計赤字は、平均で年100万円/「お金にならないこと」に意外なチャンスが

 定年男子×定年女子トークセッション②60歳以降も働くための心がまえ
             

【第3章】 病気と介護にかかるお金 ホントのところ
 ◆日本の健康保険は最強。私、医療保険“不要派"です(大江英樹)
  日本の健康保険制度は最強/健康とお金にはたくさんの共通点がある
 ◆医療+介護でひとり800万円を見ておこう(井戸美枝)
  女の一生には介護が3度ある/70歳未満&70歳以上の医療費が変わる

 定年男子×定年女子トークセッション③親の介護から学んだ、お金周りの「断捨離」

【第4章】 幸せな老後のために45歳からやっておくべきこと
 ◆現役時代にえらかった人ほど“キレる老人"になる(大江英樹)
  会社員か自営業かで準備すべきことは異なる/「お金の貯金」より「人の貯金」
 ◆熟年離婚は夫婦両方を“ビンボー老後"にする(井戸美枝)
  夫に先立たれると、妻の収入が半減/離婚時の年金分割、たいしてもらえません

 定年男子×定年女子トークセッション④長い老後を豊かに暮らす知恵・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は定年後に想定できるあらゆる項目に、驚きながら親切な指南書、と深く感じたりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であるが、
セカンドライフの生活の改めて話し合ったのは、 1999年(平成11年)の新春の当時で、私が54歳あった。

この当時は、私は音楽業界のある外資系のレコード会社に勤めていたが、この少し前の年から業界全般がリストラ烈風となり、
やがて私も出向となり、各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め始めた時であった・・。

こうした時に、私が定年退職を出来た後、どのような生活をしたいか、そして生活資金などを話し合った。
具体的には、私たち夫婦の第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
                     
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよいなぁ、と漠然に念願したりした。
            
こうしたことを実現するためには、この当時はネットで定年後に関する資料は公開されていなく、
各出版社から数多くの本が発売されていたので、私なりに買い求めた。

そして『定年後』~「もうひとつの人生」への案内~(岩波書店)、
『間違いだらけの定年設計』(青春出版社)、
『「定年後」設計 腹づもり ~50代から考えておきたい~』(三笠書房)などを読んだりした。

或いは雑誌としては、 『ほんとうの時代 ~50代から読む「大人の生き方誌」~』(PHP研究所)であり、
こうした本を読んだりしながら、現在の我が家の貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、そして年金の推定額も算出し、
収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。
             

そして、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。

この時の私は、幸いに住宅ローンを終えていたが、私は1944年(昭和19年)9月生まれであるので、
年金の満額の支給は62歳であり、それまでの2年間は、満額のほぼ半分となるので、このことも配慮した。

そして年金が満額となった62歳からの生活の収支は、
私たち夫婦の共通趣味である国内旅行費、そして冠婚葬祭など諸経費は例外として、
原則として生活費は年金を頂く範囲として、収支の概要を作成したりした。

こうした結果、私の年齢、家内の年齢を主軸に、1998年(平成10年)から私が80歳を迎えるまで、
年次別の収支と残額を作成し、パソコンに入れて、計画、実績、差額を毎月入れたりしていた。
                                           
こうした中、経済にも疎(うと)い私が、信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読み、
デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。
                            
          
年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。
            

私たち夫婦は年金生活をして12年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。

こうして私たち夫婦は、経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。

このように私は年金生活を過ごし、早や12年半が過ぎている。
             

今回、大江 英樹・井戸 美枝の両氏による
著作『定年男子 定年女子~45歳から始める「金持ち老後」入門~』(日経BP社 )の概要を学び、
定年後のそれぞれ時代の思惑の変貌に、これから20年後の定年後の社会状況を思い重ねる、と私は、
大変ですよねぇ、と無力な私は呟(つぶや)いたりした。

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「ひとりの時間」を増やすのは、外向的な人にとってもメリットがある、年金生活の私でも、瞬時に賛意を重ねて・・。

2017-04-04 16:19:40 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの【ライフハッカー[日本版]】を見ている中で、
【 「ひとりの時間」を増やすのは外向的な人にとってもメリットがある 】と題された見出しを見た・・。

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

このような私でも、「ひとりの時間」は日常生活には欠かせない、と思っている私は、
改めてどのようなことですか、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事は、【ライフハッカー[日本版]】で3月26日に配信されていたが、 無断ながら大半を転載させて頂く。
             
《・・「ひとりの時間」を増やすのは外向的な人にとってもメリットがある
             

自分自身のことを内向的な人間だと自認していれば、研究成果をわざわざ持ち出すまでもなく、
ひとりで長い時間を過ごすことに、どれだけメリットがあるか知っているでしょう。

しかし、外向的な人は違いますよね?
(略)最近、BBCが研究者とチームを組んで1万8千人もの人たちを対象に、
インターネット上でどのように、何人くらいの人々が休むのかということを調査した結果、
他人から距離を置くことで利益を得るのは、内向的な人だけではないということが判明したのです。

外向的な人もまた、ひとりでいる時間が必要なのです。
調査において、もっとも心が安らぐ活動は、どんなものかという問いに対して、
回答者たちは、読書や自然と触れ合うこと、ひとりでいること、音楽鑑賞、特に何もしていないとき、
といったような孤独な時間を挙げたのです。

そして、これらの孤独な活動というのは、内向的な人よりも、外向的な人にとって、より人気だったのです。
             

「分析チームは、この調査で回答者によって選ばれた選択肢のトップテンの心休まる活動というのが、
たいていは、ひとりで行われるものだったという観察結果に衝撃を受けたのです」と研究者は述べています。

ひとりでの活動に高得点を付けたのは、内向的な人だけではなかった、という点も意外です。
つまり、外向的な人も、ひとりの時間に価値を見出しているのです。
そして、他の人たちと一緒にいることよりも、心安らぐ娯楽だと思っているということです。

(略)まず、外向的な人と内向的な人の違いは、たいていの場合誇張されています。
私たちの外向、内向の程度というのは、状況やライフステージにおいても変わるものです。

たとえ、私は絶対に内向的だ、という人でも、
外向的に変わっていくことは十分に可能であり、逆もまた然りなのです。

内向型人間(イントロバート)と外向型人間(エクストロバート)の境界線は、
多くの人が思うよりもあいまいなもの、ということ。

注目すべき点は、ひとりの時間は精神を健康に保つために不可欠なもの、ということです。
従来の科学では、私たちは自分を発見するために、ひとりの時間が必要だ、としています。
物事を習得、マスターし、もっとも独創的な考えを思いつくためです

この研究の結論は、比較的シンプルです。
どのようなタイプの人であれ、もっと「ひとりの時間」を1日のスケジュールに組み込んでみましょう。
気分が回復し、精神的な面でも多くのメリットを得られるに違いありません。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

過ぎし12年半まえ、退職後の年金生活に於いては、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
困窮するので、歩くことが多くなっている・・。
                                         

こうした時は紳士バックを園児のように斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

このように歩いていると、ほぼ1キロを15分ぐらいであるので、
やはり時折、足早に歩いたり、或いは意識して、大股で歩いたりしている・・。

こうした根底には、何よりも健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。

帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
             

こうした中、我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
家内の母は我が家より遠方の処で、独り住まいとなっている。

そして一昨年の5月より、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした関係で、家内は家内の妹とお互いに日程を調節して、家内が担当した期間には家内の母宅で孤軍奮闘し、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしている。

こうした年金生活をしてきた私は、ひとり時間を愉しむ時が多く、
齢を重ねるたびに、独り遊びが上手になったかしら、と微笑んだりしている・・。

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年金の負担増サイクル 現役→高齢者→低所得者の順に回す、遅ればせながら年金生活13年生の私は学び・・。

2017-04-03 14:59:08 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの【マネーポストWEB】の中にある『暮らしのマネー』を見ている中で、
【 年金の負担増サイクル 現役→高齢者→低所得者の順に回す 】と題された見出しを見た・・。

私は年金生活を12年半を過ごしてきた中で、幾たびか年金は減額されてきたので、
どういうことですか、と思いながら記事を精読してしまった。

この記事の原文は、『週刊ポスト』の昨年の2016年12月16日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『マネーポストWEB』で昨年の2016年12月8日に配信されていたが、 無断ながら転載させて頂く。
             
《・・年金の負担増サイクル 現役→高齢者→低所得者の順に回す

イソップ物語に「狡い狐」(ずるいきつね)という寓話がある。
2匹の猫が、獲物の分け前で争っていると、狐がやってきて「ぼくが公平に分けよう」と半分にする。
しかし、秤で量ると一方がわずかに重い。

そこで狐が多い方を少し食べると、今度は逆の方が重くなった。
これを繰り返し、狐はまんまと全部食べてしまう。
この国の年金役人は、イソップの狐より狡猾だ。
             

☆「世代間格差是正」を名目に、現役も高齢者も負担を増やす

「高齢世代と現役世代の格差を是正する」
厚労省はそう掲げて、今国会に年金減額法案を提出、与党の強行採決で衆院を通過した。

物価が上昇しても、現役世代の平均賃金が下がれば、年金受給者に払う年金額を減らす内容だ。
当然、受給者の生活は苦しくなる。

だが、それで現役世代が楽になるわけではない。
この間、サラリーマンの平均賃金は下がり続けているのに、
厚生年金保険料はこの9月から大幅に引き上げられ、
月収30万円の人は年額約1万3000円(労使合計)もの負担増になった。

年金役人は、まず現役世代の保険料を上げ、
それに不満を持つ現役サラリーマンに、“高齢者はもらいすぎ。不公平だ”とささやいて、
高齢者に怒りを向けさせ、世代間の争いをつくり出して、次に高齢者の年金をカットしようとしているのだ。
             

☆現役→高齢者→低所得者の順に回す“負担増サイクル”

経済ジャーナリストの荻原博子氏の指摘は鋭い。
「政府は社会保障を負担させる相手を3つに分断して、順番に回しているように見える。
まず現役世代の負担を増やし、次に高齢者、続いて低所得者を標的にする。

そうやって互いに敵対させることで、国への不満を巧妙にそらしながら、結局はみな負担が重くなっていくわけです」

医療・介護の負担増がそれと同じやり方だ。
今年(2016年)、現役世代(40~64歳)が負担する介護保険料は、過去最高の月額5352円(全国平均)まで上がった。
すると、厚労省は高齢者へと標的を変え、来年度から高齢者が介護給付を受ける際の自己負担を1.5倍(2割→3割)に引き上げる構えだ。

さらに75歳以上の低所得者の健康保険料(後期高齢者医療制度の保険料)軽減措置を来年度から
段階的に廃止する方針を検討しており、実施されれば保険料が2~10倍にハネ上がる。

まさに現役→高齢者→低所得者の負担増サイクルだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は72歳、家内は67歳になる身であるが、私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私は何かと働いて下さる現役の諸兄諸姉に注視するのは、
もとより日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実からでもある。

そして私は確か5年前の頃、働いて下さる現役世代の男性の民間会社に勤めている正社員の人たちが、
平成9年( 1997年〉の時点から、年収が横ばいと知り、無力な私は悲嘆した・・。

こうした中で、少子高齢化が増す社会となり、年金、医療、介護などの社会保障費は膨張し、
やむなく年金の削減、医療、介護の見直し改定が実施されてきた。

そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。
       
更に昨今、国税庁による「民間給与実態統計調査」に寄れば、
1人あたりの年間平均給与は、継続的に下がり続け、
平成16年には438.8万円だったのが、平成26年には415.0万円と知ったりした。

ここ10数年は、民間会社は短期に成果が問われる時代の中、常時リストラともいわれたりして過酷な時代になり、
多くの会社は正社員は6割、契約社員、アルバイトなどは4割、と知り、深く憂いたりしてきた。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしている。
             

こうした心情を秘めている私は、今回の記事を読み、憂いたりした・・。

社会保障を管理する厚生労働省、財源を管理する財務省は、
《・・まず現役世代の負担を増やし、次に高齢者、続いて低所得者を標的にする。
そうやって互いに敵対させることで、国への不満を巧妙にそらしながら、結局はみな負担が重くなっていくわけです・・》
こうした分断政策で、何とか社会保障費を維持している総合施策に、動顛させられたりした。

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新年度は何かと食品など値上げ、家計は厳しい春に、買物メール老ボーイの私でも戸惑い、やがて・・。

2017-04-02 15:34:49 | ささやかな古稀からの思い
私は都心の郊外にある調布市の片隅で、雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は72歳の私と67歳の家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの厚生年金を頂きながら、程ほど貯金を崩しながら、ささやかに過ごしている。

こうした中、一昨日の31日の夕方、
家内は居間でテレビを視聴して、私は付近で風邪でぼんやりとしていた。

《・・4月1日からは新年度となりますが、食品や保険料などで値上げが相次ぎ、家計にとっては厳しい春となりそうです。

日清オイリオグループは、4月1日から家庭用のオリーブオイルを10%程度、
家庭用のサラダ油を1キロあたり20円以上値上げします。
イタリアでオリーブが不作となるなど原料価格の高騰や円安が原因です。

また、ニコニコのりは、家庭用の「のり」60商品を平均で15%値上げします。
のりは全国的な不作で、ここ4年高騰しています。

生命保険各社は終身保険や個人年金などの貯蓄性商品について、保険料を2%から30%程度値上げします。
日銀のマイナス金利政策で資金の運用が難しくなっているためです。

一方、全日空と日本航空は国際線の運賃に上乗せする「燃油サーチャージ」を値上げします。
北米やヨーロッパ行きは現在、片道が3500円ですが、4月発券分からは7000円になります。

また、大手電力10社と大手都市ガス4社は、3か月連続で値上げします。
標準的な家庭では3月と比べて東京電力が107円、東京ガスが64円高くなります。

一方で、1日から都市ガスの小売りが全面自由化し、電気とガスのセット販売で料金を割り引くプランが期待されていて、
消費者にも賢い選択が求められそうです。・・》
             

確かこのように報じて、家内は食料品が全般に値上がりになりそうで、困るわ、
と家内は呟(つぶや)くように私に言ったりした。

私は苦笑しながら、高齢者には直接影響する年金は減額、医療費も変動する、と思い重ねたりした。

何かしら年金支給額は、去年1年間の物価水準が下落したのに合わせて、0.1%引き下げらる。
1か月当たりの支給額は、国民年金が満額で、67円減って6万4941円、
厚生年金が夫婦2人の標準的な世帯で、227円減って22万1277円となる。

医療に関しては、75歳以上の人が加入する「後期高齢者医療制度」では、
年収が153万円から211万円の人について、
所得に比例した保険料の負担を5割軽減している特例が2割に縮小されるほか、
74歳まで夫などに扶養されていた専業主婦らの保険料を、最大で9割軽減する特例が7割に縮小される。
             

過ぎし27日、2017年度予算が成立したことはニュースで知った。

そして過去最大となる97兆4547億円(一般会計)の予算を「最大の景気対策」と位置づけており、
安倍内閣の看板政策である「1億総活躍」分野への支出などを通じて日本経済の成長につなげる考えだ。
ただ、2020年度に基礎的財政収支を黒字化する目標は遠のいている。
今後も経済成長と財政再建の両立が財政運営の最大の課題となりそうだ。

こうした中で、高齢化の進展に伴う社会保障費の伸び(自然増)を目標の5000億円に抑えたが、
それでも過去最高の32兆4735億円に上り、財政を圧迫している。
税収も57・7兆円と16年度より0・2%増にとどまる見通しだ。

こうしたことを学び、高齢者の私は年金は受給、医療は受診、いつ日にか介護もお世話になるだから・・
と溜息を重ねたりした。

このように私は学んだりしてきたので、我が家としては更にメリハリ付けた生活する必要があるよなぁ、
と私は家内に言ったりしたりした。
             

やがて年金生活の無力な私は、我が家として出来ることは・・と思いめぐらしたりした。
そして何かと単細胞の私は、思いめぐらして微笑んだりした。

私は2004年(平成16年)晩秋より年金生活を始めた当初より、
日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
             
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか腰痛の再発、或いは認知症、脳梗塞などの難病に遭遇したら、
もとより困窮するので、歩くことが多くなっている・・。
             

こうした日常生活を過ごしてきたので、今後は買物をする時は、更に徹底しょうか、と思ったりした。
具体的には『お一人様1点限り』で、XXメーカーの濃い口しょうゆ、XXメーカーのさらさらキャノーラ油
そして『お一人様2点限り』で、XXメーカーのトイレット・ペーパー12ロール、
或いはXXメーカーのティシュ・ペーパー200W400枚の5コパック。

こうした品を買い求めてきたことは私は幾たびもあるが、今後は更に徹底しょうか、と微笑んだりした。

たまたま本日、買物のスーパーを家内がチラシを見て選定していたが、
私は手渡されたチラシに、『お一人様1点限り』、『お一人様2点限り』の品が掲載されていたので、
私は漏れがないように注意した。

やがて私は目標通り、買い求めたりして、何かしらお得感のように感じ、帰宅に向かったりした。

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推定難聴者数は全人口の15.2% 、衰えに気付いている人は53%、高齢者の私は学び、多々教示されて・・。

2017-04-01 13:28:22 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『NEWS ポストセブン』を見ている中で、
【 推定難聴者数は全人口の15.2% 、衰えに気付いている人は53% 】と題された見出しを見た・・。

私は高校時代より近眼が酷く、一昨年の晩秋に白内障となり、やむなく手術をした結果、裸眼1・0となり、
ただ驚きながら、55年ぶりにメガネから解放されたりした。

この間、聴力だけは、酷い視力を補う力が発達した為か、正常であった。
そして幸いにも、今は正常であるが、知人には難聴になった者は少なくとも3人がいて、
私もいつの日にか難聴・・なったら、という思いで真摯に学ぼうと、記事を精読した。

この記事の原文は『週刊ポスト』2017年4月7日号に掲載された記事のひとつであり、
関連ネットの『NEWS ポストセブン』に3年28日に於き配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・「老眼」と並んで中高年の楽しい生活の大きな障壁となるのが「難聴」だ。
自覚症状が少ない耳のトラブルは、治療や対策が後手に回りやすい。

これからいくつかの事例を列挙する。
自分に同じ経験がないか、よく思い返してみてほしい。
一見して「日常生活のありふれた場面」に感じられるエピソードの中に、深刻な症状が潜んでいる可能性がある。
             

☆ケース1「テレビの音量」

茶の間でテレビを観ていると、自分には「ちょうどいい音量」なのに、
妻や子供たちから「音が大きすぎる!」と文句を言われ、ボリュームを下げられてしまう。

仕方なく家族に合わせた音量で見ていると、役者のセリフやタレントのコメントがよく聞き取れない。


☆ケース2「雑踏の中で会話が聞き取りにくい」

普段、室内での家族や友人と話すときには、不自由を感じないが、
屋外では急に相手の声が聞こえづらくなる。
特に雑踏では、大きな声で話している相手の声もかき消されてしまう。


☆ケース3「単語の子音・最初の音が聞き取れない」

相手が話す単語の「最初の音」が聞き取れない。
たとえば「加藤(カトウ)」「佐藤(サトウ)」という名前が、「アトウ」や「アオウ」などと聞こえてしまう。


☆ケース4「受話器は常に決まった耳にあてている」

電話をするときは、いつも右耳に受話器をあてている。

ある日、長電話になった時に、ケータイを左手に持ち替えると、
急に電話の相手の声が「ゴソゴソ」と曇ったような音になって聞き取れない。
電波状況が悪くなったのかとも思ったが、また右耳にケータイを戻すとちゃんと聞こえるようになった。
             

これらはすべて「難聴」の初期症状だ。
しかし、この程度の“異変”では日常生活に支障は出ないため、気に留めない人は多いのではないか。

日本補聴器工業会の発表(2015年)によると、国内の推定難聴者数は約1994万人、全人口の15.2%と試算されている。
しかし、このうち自分の聴力が衰えていることに気づいている人は、ほぼ半数の53%に過ぎないという。

難聴は、初期段階で治療すれば、治る可能性は高く、進行も食い止められる。
難しいのは、このように自覚症状がないケースが、多数を占めるからだ。

また「歳だから仕方ないだろう」と放置しておくと、加速度的に聴力は落ちていくという。
耳鼻咽喉科専門病院・日本橋大河原クリニックの大河原大次院長がこう解説する。

「難聴の恐ろしさは、聴力が落ちるだけに留まらないことです。
聴神経腫瘍といった、命に関わる重大疾患によって引き起こされている可能性もある。
難聴の原因を一刻も早く突き止め、適切な治療をすることが重要です」

専門医の診断を仰ぐ必要があるかを調べる目安として、大河原院長監修のチェックリストを作成した。
             

※会話の最中に、度々、聞き返すことがある

※小さなささやき声だと、何を言っているのか分からない

※大人数の居酒屋などでは、話し声が聞き取れないことがある

※早口の人、ぼそぼそ話す人の声が聞き取りにくい

※会合で話が聞き取りにくく、二度聞きすることがある

※劇場で後方の席に座ると、セリフがよく聞き取れない

※家族から「テレビやラジオの音が大きい」と注意される

※ドアの開閉やチャイム音に、自分だけ気づかないことがある

※銀行、病院で名前を呼ばれても気づかないことがある

※家族以外の人から「難聴ではないか」と指摘されたことがある

「2つ以上の項目に該当する場合は、難聴の可能性があります。
6つ以上なら、難聴レベルは非常に高いと考えられ、医師の診断によっては補聴器の使用などが必要になる」(同前)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

今回、このチェックリストをみたりしたが、幸いにも該当する項目がなく、正常範囲であるが、
いつの日にか該当項目が2つ以上になった時、専門医院に受診しょうと思案したりした。

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