先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.(ドット)】を見ている中、
【 「最期まで自宅でひとり」貫くためにするべき“三つの習慣” 】と見出しを見てしまった。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。
私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、
ささやかに過ごしている。
こうした中で、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せずに、今日を迎えているが、
やがていつの日にか、どちらかが亡くなり、残された方は『おひとりさま』になる。
こうしたことに私たち夫婦は漠然としながら、葬儀、お墓などを含めたりし、話し合う時もある。
そして私が残された場合、この時の心情、そして老化した体調に寄るが、
なるべく古ぼけた一軒屋に住んでいたいなぁ・・と思ったりしている。
こうした心情のある私は、『「最期まで自宅でひとり」貫くためにするべき“三つの習慣”』を
学びたく精読してしまった。
この記事の原文は、週刊朝日の2017年11月24日号より抜粋され、
【AERA dot.】に於いて11月15日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・「最期まで自宅でひとり」貫くためにするべき“三つの習慣”
最期まで、自宅で暮らしたいと願う人は多い。
だが自宅で死ぬ人は、わずか10%という現実がある。
本当にそうしたいなら、自宅で死ぬという覚悟と、それ相応の準備が必要だ。
最晩年の暮らしを支えるための覚悟の仕方、準備の方法について
住生活コンサルタントの大久保恭子氏がレポートする。
【わかりやすい比較表はこちら】段階別・老化の進行が暮らしに及ぼす影響
* * *
国立社会保障・人口問題研究所によると、
2035年には65歳以上の高齢者の3人に1人が一人暮らしになると予測されている。
そして最期を自宅で迎えたいと希望する国民は、6割超とされる。
それをかなえるためには、自分が老いていく姿を見越し、
自宅暮らしを貫くに足る心身の状態に、何としても踏みとどまるという覚悟を持つことが何より大事だ。
まず、老化の進行が、自分の暮らしにどう影響するかを見越すことから始めよう。
個人差も諸説もあるが、早い遅いはあっても、誰もがたどる道だ。
■第1段階(65~74歳)
老化は始まっているが、多くの人が健康寿命を保っており、日常生活に支障はない。
この段階になるべく長くとどまることが大切だ。
■第2段階(75~84歳)
身体機能の低下が一段と進み、自宅では暮らせるものの、
できないことが増え、生活は縮小する。
最期まで自宅を望むならば、何としてでも、この第2段階のレベルにとどめる覚悟が必要だ。
また、伴侶、友人といった親しい人の死が、生きる気力を消失させ、
老化の速度を格段に速めることがある、ということも見越しておくことが大事だ。
■第3段階(85歳~)
ひとりでは外出できなくなり、認知症も増える。
生きるために最低限必要な食事、排泄、入浴ができなくなれば、
多くの場合一人暮らしは断念、ということになる。
それでも自宅で死ぬなら、人の助けを得る、という覚悟が必要だ。
このように、おおよそ現在の自分が老化のどの段階にあり、
その後どうなるかがわかると、覚悟のほども決まってくる。
老化第2段階で踏みとどまるためには、覚悟を決めるだけでなく、
老いの進行を見越したうえで、逆算して今からやるべきことを用意周到に
準備しておくことが重要だ。
それは、「人付き合い」、「家事」、「運動」の三つの習慣だ。
「人付き合い」を失うと、生きる張りをなくし、生活は硬直化する。
必要なときに人の助けが得られない。
「家事」ができなくなれば、日々の暮らしは成り立たなくなる。
「運動」により足腰の衰えを食い止めなければ、家事も人付き合いもできなくなる。
「人付き合い」、「家事」、「運動」は、このようにつながっており、
どれか一つが欠けてもだめ、三位一体での習慣形成が鉄則だ。
■第1の習慣「人付き合い」
老化第1段階の退職で、仕事関係の付き合いがなくなる。
第2段階に入り、遠出ができなくなって友人関係が疎遠に、そのうち死亡通知が。
そして同居していた伴侶の死と、次々に人付き合いが消失していく。
最後に残るのは、遠くの子より、近くの隣人たちだ。
ご近所さんとの人付き合いを習慣化する方法を提案しよう。
まず、「地域住民福祉活動」といったボランティアに参加してみる。
高齢者を対象とした主な地域住民福祉活動は、
食事サービス、見守り、訪問活動、交流の場づくり、車椅子などの移動の補助など。
こうした活動を通して仲間をつくる。
また被支援者に自分を重ねることで、老いの先取り体験ができる。
自宅で暮らし続けるために、いずれ受ける可能性のある支援についても、予習ができる。
町内の自治体活動をするのも良い。
京都美術工芸大学の高田光雄教授はこうアドバイスする。
「日頃から利用できる生活支援サービスを知っておくことは重要です。
そうすれば、生活不安から慌てて高齢者施設などへ入居し後悔する、といったことはありません」
ちなみに東京都港区を例にあげ、一人暮らし高齢者等が利用できる主な生活サービスをあげておこう。
ゴミ屋敷化を防止するための「ごみの戸別訪問収集」、「粗大ごみの運び出し収集」。
料理、片付け、掃除が、一時的に無理になったときの、「家事援助」、「配食サービス」。
まさかの時に、誰も助けてくれる人がそばにいないという、
最大の不安を解消する「緊急通報システム」、「緊急一時介護人派遣」など。
利用者負担は、無料~数百円とさほど高くない。
他の自治体も同じような支援を提供している。
民間の支援サービスも増えている。
家事全般から庭仕事、大工仕事まで、
日常生活にかかわる代行業務を引き受ける便利屋、家事代行業者、
食事を自宅へ届けるサービスや宅配業者による安否確認、
タクシー会社による高齢者移送サービスなど多岐にわたっている。
さらに活動を通じ、生活支援を担う町の人とのつながりもできるので、
いざ自分が助けて!となったとき、見知った人に相談できるとっかかりができて、安心だ。
相談相手として最も身近な存在は、地域に在住している民生委員。
「日常生活の困りごとについて相談すれば、
専門の機関、たとえば市区町村、福祉事務所などへつないでくれます」
と七尾ひろ子氏(25年の経験を持つ介護福祉士)。
どこに何を相談して良いかわからないときに、頼りになる存在だ。
高齢者の生活の困りごとのよろず相談所として、地元の地域包括支援センターもある。
「ここに所属している社会福祉士や保健師などが
健康、介護予防、介護保険サービスが必要になったときの申請代行、生活支援、
消費者被害についての総合相談にも乗ってくれます」(前出の七尾氏)
近所の「趣味の会」に入るのもいいだろう。
複数の人たちと楽しむ趣味、たとえば、コーラス、歩こう会などに参加すれば、
共通の話題を持つ仲間をつくる機会が得られる。
とりわけ自分より、若い世代の仲間をつくることが大切。
若い人を通して新しい事象に触れることで、刺激を受け気持ちも若やぐ。
喫茶店、食堂、居酒屋などなじみの店をつくる方法も。
NPOが主催するコミュニティーカフェも。
小店なら、週1回も通えば、店主や他の常連客と顔なじみになれる。
世間話から始まって、互いの自宅を行き来する仲に発展することも期待したい。
「人付き合いは、外出の機会促進策でもあります。
運動にもつながり、老化防止には効果的です」(前出の高田教授)
■第2の習慣「運動」1日8千歩で体力維持
体力水準、健康水準を反映するのは歩行能力。歩行能力を維持すれば、
病気、寝たきり、認知症などの予防につながり、自宅暮らしが長く続けられる、
ということが青柳幸利氏(東京都健康長寿医療センター研究所)の中之条研究により実証されている。
この研究は群馬県中之条町の65歳以上の認知症、寝たきりになっていない人
5千人の1日24時間の生活を15年間追跡調査し、高齢者の体力・健康の要因を分析したものだ。
その結果、「1日8千歩そのうち速歩20分」の運動を習慣化すれば、
体力・健康の維持ができることがわかった。
速歩とは、息が切れて話がしにくい程度の速さで歩くこと。
自宅暮らしを続けるには、最低5千歩は死守すべきだ。
今年から、1日の歩数が8千歩を超えると
還付金が出る医療保険(東京海上日動あんしん生命保険とNTTドコモ)が売り出されている。
社会をあげて「8千歩」が健康目標となりつつある。
■最後の習慣「家事」
家事の習慣形成は「片付け」、「料理」、「掃除」と三つに分かれる。
まずは「片付け」。
老化第2段階になると、手足が上がらず、物の上げ下げ、重い物の持ち運びが難しくなる。
緊急度が高いのは「片付け」だ。
第1段階のうちに、片付かない!は、次のように仕切り直したい。
最初にすべてのモノに定位置を決める。
定位置が確保できないモノは、使わないものから、優先的に捨てる。
モノは捨ててから買う、買ったら捨てるで、モノを増やさない。
これをルール化し習慣づけることで、ゴミ屋敷化を防ぐ。
次は「料理」だ。
人は食べるもので、できている。
栄養のバランスが大切で、偏食になりがちな外食に頼らず、1日朝・夕2食、家で作って食べる。
これで老化・生活習慣病を防止する。
料理は、外食では、不足する野菜中心。
日本人が慣れ親しんできた、繰り返しに耐える和食中心が良いだろう。
最後は「掃除」。
掃除は、家庭内体育へ、仕切り直す。
結構な運動量に匹敵するのは、床拭き、モップ・掃除機かけ、風呂掃除、庭の草むしり、家具の移動など。
敬遠しがちな掃除の部類だが、ウォーキングなどの運動と組み合わせることで、
身体機能を第2段階に踏みとどまらせる。
いずれ第3段階に入り、外出できなくなったとき、
掃除の習慣が、体力、生活の質の維持の最後の砦となる。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、家族葬を終えて、
やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
やがて私は、この時の心情、そして余り老化しないで体調が自立できた時は、
古ぼけた我が家に住むと思われる。
過ぎ去り半年前の頃、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私は聴こえてきた・・。
やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
定期便のように通うと思うょ・・』
と私は家内に言ったりした。
私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。
もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。
私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。
そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。
この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。
やがて帰宅後は、この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物した後、
自宅付近の遊歩道、公園を散策する。
その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。
このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
心身のバランスをとり、何とか生活ができる、と思ったりしている。
しかしながら、実際に家内に先き立たれてしまった時、
私は悲嘆と失墜感の中、どのような言葉、しぐさ、心情になるかは、
世の中も理想と現実が違うように、こればかりはその時になってみない判らない、と思い深めたりしている。
今回、「最期まで自宅でひとり」貫くためにするべき“三つの習慣”を読み終わった後、
多々教示されたりした。
特に、《・・第3段階(85歳~)ひとりでは外出できなくなり、認知症も増える。
生きるために最低限必要な食事、排泄、入浴ができなくなれば、
多くの場合一人暮らしは断念、ということになる。
それでも自宅で死ぬなら、人の助けを得る、という覚悟が必要だ。・・》
私はこの時点で、やむなく介護施設にお世話になる、と思われる。
ときおり私は、私の晩秋期の最大難関は、介護・要になった時を思い馳せることがある。
国の支援を受けている費用が程ほどに適度な特別養護老人ホームに、入居が叶(かな)わなく、
やむなく高価と称されている有料老人ホームに入居した場合、
亡くなるまで、いつまで介護を受ける必要な期間が判らないことである。
やがて永がられば、永がえる程、もとより本人の自己負担額が増し、貯金は切り崩しても資金不足となり、
当然ながら、退所が余儀なくされて、介護難民になることである。
私は裕福層には遥か遠い年金生活の身であるので、
介護施設の入居費、そして毎月の負担額が余りにも高価に、昨今も学びながら溜息を重ねたりしている。
やむなく、何かとブラス思考の私は、人それぞれ永(なが)らえるのは、自助努力も肝要であるが、
こればかりは神様か仏(ほとけ)さまの采配によるよなぁ・・と微苦笑したりしている。
尚、私が先に亡くなった時は、家内には我が家を処分して、マンションの小さな部屋を買い求めて、
生きがいとして趣味を強くして、老後を楽しく過ごして欲しい、と私は幾たびも言ったりしている。
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