先程、ときおり愛読しているネットの【ホウドウキョク】を見ている中で、
『 100点満点の旦那じゃつまらないでしょ? いい夫婦になる方法 』と見出しされた記事があり、
齢ばかり重ねた私でも、どのようなことなの・・と好奇心が衰えず、こっそりと記事を精読してしまった。
私は年金生活の73歳の男性であるが、記事を読み終わった後、
感銘して涙を浮かべたりした・・。
この記事は11月22日に配信され、無断であるが記事を転載させて頂く。
想像してみてください。
ある日突然、余命を宣告されたら、あなたはどうしますか?
もし、愛する人が病気になったら、あなたは何をしてあげられますか?
自分たちは“素敵な夫婦“だと胸を張って言えますか?
「まさか病気になるなんて思ってなかった」
そう話すのは、料理研究家・介護食アドバイザーで『希望のごはん』の著者・クリコさん。
料理研究家・介護食アドバイザー クリコさん
注)掲載されている記事の写真をお借り致しました。
夫の生きる力を支えた妻の涙と笑いと愛情あふれる日々を綴っている。
その物語とともに、見た目が美しい流動食のレシピが掲載されていて話題になっている。
読者からは「料理を習いたい」という問い合わせ、食品メーカーからはレシピの提供依頼が来るほどだ。
☆そんな食事、食べさせたくない!
2011年、クリコさんの最愛の夫であるアキオさんが、口腔底がんを患った。
手術は成功したが、下あごの麻痺と、ものを噛む機能に障がいが残ったことで、
噛まずに飲み込める“流動食“しか食べられなくなってしまった。
食べることが大好きなアキオさん。
そんな愛する夫の為に、食欲をそそる、美味しい“流動食“を作りたいと、
クリコさんは試行錯誤を始めた。
しかし、介護の日々は、どうしようもない行き詰まり感と焦燥感で押しつぶされそうだったという。
それでも投げ出さず介護食を作り続けた結果、アキオさんは職場復帰できるまでに回復。
手術から5か月後には、入れ歯を使用して“普通に炊いたごはん“を食べられるようになった。
すべては順調に回復しているはずだった。
しかし、1か月後のある日、がんが再発。
余命4カ月を宣告され、アキオさんは帰らぬ人となった。
愛する夫の為に、そして、夫は愛する妻の為に、どのように支え合っていたのだろうか。
クリコさんに夫との日々について話を聞いた。
ーークリコさんとアキオさんは、とても仲が良い夫婦だったそうですね
クリコ:
はい。友だちにも恥ずかしくて言えないくらい仲が良かったです。
ですが、当時は私も主人も働き盛りだったので、
お互いのことをちゃんと見ることができていない時期もありました。
主人は健康で、病気とは無縁の人でした。
「僕はアルコールで消毒しているから、風邪ひかないんだ」って言っちゃうくらいです(笑)
そんな頑強な主人が、まさか病気になるなんて思ってもいませんでした。
主人は食べることが大好きだったのですが、入院中に病院で出される流動食を食べなかったんです。
ーーそれが、見た目が美しい介護食を作ろうと思ったきっかけですか?
クリコ:
出来上がったものをミキサーにかけることは簡単ですが、それだと見た目が、美味しそうじゃないんです。
それを主人に食べさせたくない!と強く思ったことがきっかけですね。
ーーご主人を支えていく中で、イライラやストレスを感じたことはありますか?
クリコ:
美味しそうに見える流動食って、どのように作ればいいかわからず、
慣れるまでは一日中キッチンにこもることが続きました。
その中でストレスが溜まっていくことはありました。
でも、主人が負ったショックの大きさを考えると、
イライラをぶつけることは絶対にしないでおこうと決めました。
ーー優しいですね。
クリコ:
いつも優しくて助けてくれたのは、主人なんですよ。
私たちは子どもが欲しかったんですけど、恵まれず、
そんなときに主人が「僕らだったら絶対2人でも、楽しく人生を送れるよ!」
って明るい口調で言ってくれたんです。
そのときに、この人とだったら2人だけでも、家族として生きていけるなぁって確信しました。
そんなふうに、主人は逞しく、考え方が前向きだったので、
私が起こりもしないことを「こうなったらどうしよう」って考えていると、
「起こってもないことを考えるのは、時間の無駄だよ」って言うんです。
ネガティブな私にとって、主人の言葉は支えになりました。
ーーもし、アキオさんが仕事の愚痴をこぼしていたり、ネガティブな性格だったらどう対応していましたか?
クリコ:
やっぱり寄り添いますね。
具体的に私が何かできることってないかもしれないけど、
まずは時間をかけて、話を聞いてあげることはしたと思います。
それに、主人も完璧ではないですよ。不摂生だし(笑)。
でも、私がそこに文句をつけて、すごく規則正しく生活するような100点満点の彼だったら、
面白くないなって思いますね。
☆マイナスの価値観が合えば夫婦関係はうまくいく
ーーなるほど。おふたりのような良い夫婦関係を築くことは、誰にでもできると思いますか?
クリコ:
価値観が合うから、結婚して良かったってよく聞きますけど、
「これが好き」、「これ面白いよね」と言うプラスの価値観じゃなくて、
「これ嫌だ」「これは良くないよね」っていうマイナスの価値観が合っている方が、
夫婦は上手くいくんじゃないかって思います。
プラスの価値観が合わなくて、趣味が違っていても、乗っかれば良いんですよ。
へ~面白いね!そんなことに興味があるんだ!って。
私は駄菓子が好きで、主人は駄菓子を食べない人だったんですけど、
たまに食べるのに付き合ってくれていました。
「おいしいね」って言って、乗っかってくれるんですよ。
でも、マイナスの価値観が合わない場合は、
こういうことするのは、いやだよね、いけないよねってところがズレるので、
なんか上手くいかないんじゃないかなって思うんですよ。
なので、そんなマイナスの価値観が合っていれば、
良い夫婦関係を築く努力がいっぱいできると思います。
ーー夫婦として長い時間一緒にいると、
余計に気付けなかったり、素直になれないことって、誰にでもあると思います。
クリコ:
主人は「好きだ」「愛してる」という言葉を
さらっとハイタッチしちゃうような軽い感じで言える人なんです。
なので、私もそれに対して素直に答えることができていました。
私たちは特にコミュニケーションの時間が長く、会社に行く前も長い時間喋っているし、
帰ってきてからも「こんなことがあってね・・・」と2~3時間喋ることもありました。
それもあったからか、感謝の気持ちとか相手を思う気持ちを
お互いが恥ずかしがらずに、素直に言葉にしていましたね。
もしかしたら会社に行ったまま、帰ってこなくなるかもしれないじゃないですか。
だから、いつか言えばいいや、ではなく、その都度言葉に出して伝えてるんです。
それが蓄積されていったから、信頼関係が深まったんだと思います。
もし窮地に立たされても、助け合えるっていう確信もありました。
ーー言葉にするのって大事ですね。
些細な「ありがとう」も口に出すことでちゃんと伝わりますもんね。
クリコ:
私がコーヒーを飲みたいから、ついでに主人の分も入れておくと、
必ず「ありがとう」って言ってくれました。
そういうのも嬉しいですね。
言葉って、ずっと残るなぁと思うんです。
主人が以前、仕事で使っていたボイスレコーダーを見つけたんです。
録音を止めるのを忘れたまま、家に帰ってきたみたいで、
「ただいま」、「おかえり」から、そのあとの会話も延々と入っていて(笑)
残っていたのは、何時間ものくだらない会話です。
そんな、私のくだらない話を真剣に聞いてくれたり、
他愛もない会話を365日21年間続けていたんだなって思うと、
改めて彼はすごい人なんだなぁと愛おしくなりました。
なんの意味もない会話とかコミュニケーションでも、すごく大事なんだなって思いました。
顔って、写真が残っているから忘れないけど、声って、忘れそうになるんです。
それが寂しくて。
だから去年見つけた時から、肌身離さず持っていて、今もここにあります(笑)。
一番の形見ですね。
ーーとても素敵なエピソードですね。
アキオさんとクリコさんのように、より良い夫婦関係を築くためのアドバイスをお願いします!
クリコ:
恥ずかしがらず、素直になることですね。
ある日突然、愛の言葉を言うのは不自然ですけど(笑)。
少しずつはじめていけば、良いと思うんですよ。
お茶を入れてもらった時には「ありがとう」、
料理が出てきた時には「すごく美味しい」とか、そう言う小さいことから始めていく。
少しずつでもちゃんと蓄積されていきますから。
あとは、やっぱり亡くなっちゃったら言えないので、
限られた時間の中で、惜しみなく少しずつ伝えてみてください。
言葉は、生きてるなって思うんですよ。
主人は亡くなったけど、主人にかけられた言葉って、私の中で生きています。
実は、主人が生きている時に、印象的だった言葉を書き出してたんですよ。
くじけそうな時は、それを見て励まされています。
だからやっぱり、言葉は生き物です。
今のうち、奥さんやご主人に、いたわりの言葉をかけてみてください。
クリコさんの真っ直ぐで優しい夫への思いを聞いて、
「大切な人を本当に大切にする方法」を教えてもらった気がする。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は料理研究家、そして介護アドバイサーのクリコさんは、
今回のインタビュで初めて知った御方である。
そして仲良しご夫婦だったが、不幸にしてご主人は亡くされたが、
私は圧倒的に魅了されたのは、ご夫婦の日常生活の中、さりげない会話を続けられたことである。
そして私が感銘させられた後、涙を浮かべてしまったことは、
《・・主人にかけられた言葉って、私の中で生きています。・・》
一節であった。
私がこの広い空の下で家内とめぐり逢えたのは、妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であり、
やがて私たちは結婚したのは、1976年(昭和51年)3月下旬であった。
そして私は、花嫁人形のような角隠しで白むくの容姿となった新妻となる人を見て、
この先の人生、どのような荒波があろうと私は・・と何かと小心者の私は、改めて思いながら緊張した。
そして神前結婚式の中で、おはらいなどを受けた後、
誓詞奏上で練習もなく初めて見る誓詞を、
今後の人生の責任感で緊張の余り、少し閊(つか)えて大きな声で述べたら、
隣の新妻がクスッと笑っているのが、私は聴こえたりした・・。
やがて私は誰しも長所、短所はあるが、恥ずかしながら私は欠点の方が多く、
私としては家内の短所も気づいていたが、
家内の短所は見ずに、家内の長所を出来る限り伸ばすように心がけてきた。
そして5年が過ぎた頃、私たち夫婦は子供に恵まれず、
結果的には私たち夫婦は、たったふたりだけの家庭となった。
こうした中、私は母の血筋を純粋に受け継いだ為か、
恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きな男で、何かと家内と談笑をしたりしている。
そして私はサラリーマンであり、家内は専業主婦の中、私は多くの男性と同様に睡眠時間を削り、
会社の業務に奮闘していた。
そして帰宅はたとえ夜の11時過ぎであったも、
私は御風呂を入った後、遅い夕食を食べながら、お互いに本日の出来事を話し合ったりしてきた。
やがて私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた。
こうした中、ときおり家内と買物に行ったりする時は、
私はホディガード兼荷物持ちとなり、私は家内のお供のように共に出かけたりしている。
或いは小庭の手入れを私はする時、私の体力の衰えをみかねて、
ときおり家内が援軍となり、私たち夫婦で奮闘する時もある。
こうした私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
そして年金生活を始めた当初から、私は自主的に平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。
こうした中、私は家内のことを、婚約する前の頃から、『XXちゃん・・』と呼んでいるが
家内は日頃の多くは、私のことを『あなた・・』と呼ぶことが多いが、
ときには、たわむれで、『XXクン・・』と苗字で呼ぶこともある。
そして年金生活を始めてまもない頃、私は家内から依頼された買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言ったりした。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
そして我が家は、ここ数年、ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、
家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で独りぽっちの『おひとりさま』の生活をしたりしている。
こうした時、年に数回ぐらい、この世は予測できないことも多々あり、
まさかの出来事で、家内に先立たれることも考えられるので、
私が『おひとりさま』になってしまうことを思案する時もある。
このような心情もある私は、今回の記事を精読した。
私たち夫婦は、幸運にも大病に遭遇しないで今日を迎えているが、
夫婦の間のさりげない労(いた)わりのしぐさ、会話が何よりも重要と思っているので、
今回の記事に同意をしたりした。
そして、クリコさんの名言『100点満点の旦那じゃつまらないでしょ?』に私は微苦笑しながら、
同意をさせられたりした。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村