夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

老後快適に暮らすための5つの注意ポイント、76歳の私は学び、微苦笑して・・。

2021-08-16 12:09:50 | ささやかな古稀からの思い

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。



しかしながら私は何かと無知なこともあり、
今回の《・・老後快適に暮らすための5つの注意ポイント・・》、
遅ればせながら学びたく、どのようなことですか・・、
と思いながら記事を読んでしまった。

この記事は、『女性セブン』の2020年8月12日号に掲載され、
関連の【 介護ポストセブン 】に於いて、8月13日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・
 定年を迎え、現役時代にやり残したことを、
老後に始めたいと考えているかもしれない。

しかし、収入も体力も低下する老後は、
迂闊に手を出すと思いがけないトラブルを引き起こす危険も・・・。

老後穏やかに暮らすための暮らしや人間関係について、
注意すべきことを専門家に解説いただいた。



☆老後に”始めてはいけない”暮らしのルール

定年が人生の節目だからといって、生活環境を大きく変えることは、
快適な暮らしよりトラブルのもとになりそうだ。

介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子さんが話す。

「夫に先立たれた場合、子供家族との同居を考えるケースはよくありますが、
生活スタイルが合わずに、ストレスを抱える人がとても多い。

子供家族を実家に招き入れて同居を始めてしまうと、
再びひとり暮らしに戻りたくても、どうすることもできません。
いきなり同居するのではなく、お試し期間を設けて相性を確認するといい」

子供や孫とは、適度な距離を置く方が、いい関係を保ちやすい。
しかし、そこにも落とし穴はある。


☆孫がかわいいからと、援助しすぎると・・。

「孫が、かわいいからと子育てにまで口を出してしまうと、
特に嫁などから、嫌われることがあります。

子育ての常識は、時代とともに大きく変わっているので、なるべく口は出さないでおきましょう。

せめて入学や進学などのお祝いに、お金を包むくらいはしてやりたいと思ってしまいがちですが、
それもよく考えるべき。

一度渡してしまうと、それ以下の金額に下げるのが難しいので、
あまり奮発するのはやめましょう」(太田さん・以下同)

動物が好きな人もいるだろう。
しかし、高齢になってから動物を飼うことは、自分を苦しめる結果となり得る。

「犬や猫も長寿になっており、15年以上生きるケースもあります。
自分に万が一のことがあったとき、誰に託すのか、しっかり決めておかないと、
つらい思いをすることになる。

そういったことを考慮して、シニアには動物を譲らない保護団体もあります」



老後だからと、なんでもがまんする必要はないが、張りきってしまうとトラブルを招く。
大事なのは、資格の取得を始め、老後を迎える前に準備をしておくこと。
逆にいうと、老後まで準備しなかったということは、
やらない方がいいと、割りきる潔さも必要だ。

これまでに培ったスキルや人間関係は大切にしながら、
無理のない範囲で人生の収穫期を楽しもう。

老後の「人間関係・暮らし」にまつわる注意点、上位5つを太田さん監修のもと、ランキングにまとめた。



老後の人間関係・暮らしにおける5つの注意点【まとめ】

【1】子供家族との同居

子供家族とはいえ、別々に暮らしてきた人々と、生活スタイルをすり合わせていくのは
想像以上にストレスがかかる。

さらに意見が対立した際は、孫の手前、親の方が身を引かなければならないケースが多い。
双方に溝が生まれ、良好だった関係にヒビが入ることもあり得る。

【2】長距離の引っ越し

知り合いのいない土地での再スタートは、想像以上に孤独なもの。
新たな土地で友人をつくれなかった場合、
会話量が減少することから、認知症のリスクも上がる。

年齢を重ねて体力が衰えたとき、
助け合える知人がいないことは、孤独死などの原因にも。


【3】習い事

新たな趣味を見つけることは、生活の張りになるが、
大抵の習い事は、月謝、機材費、交通費などで、予算オーバーになりやすい。

さらに、習い事を通じてできた友人の誘いを断れず、交際費がかさむというケースも。
老後は収入が限られているので、本当に必要か見極めを。


【4】孫への出費

祝い事に包むお金や塾などの授業料の援助は、一度出してしまうと金額を下げにくくなったり、
ほかの孫に対しても、払わなければならなくなる。

また、高額なお金を出してしまうと、「老後資金に余裕がある」と思われ、
子供夫婦から頼られる回数も増えやすい。


【5】ペットを飼う

ペットの寿命も延びているいま、犬や猫は、15年以上生きることも珍しくない。
自身が病気で入院したときなど、すぐに預け先が見つからず、
つらい思いをすることも。

かわいがっていたペットとの不本意な別れで、晩年に心を痛めるのは避けたい。


☆教えてくれた人
  介護・暮らしジャーナリスト/太田差惠子さん・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子さんのアドバイスに導かれて、
遅ればせながら多々教示されたりした・・。

【1】子供家族との同居に関しては、
私たち夫婦は、無念ながら子供に恵まれなかったので、対象外となる。


【2】長距離の引っ越しに関しては

私は今住んでいる処は、私の生家も近くにあるので、
私自身としては結婚前後の5年を除き、 この地域に住んで、早や72年近くとなっている。

最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、 たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。

                

私は民間会社の中小業のある会社で35年近く奮戦し、
2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、 多々の理由で年金生活を始めたが、
平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、
季節のうつろう情景を眺めたり、 歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、
原則として路線バスに頼らず、 ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

そして70代の6年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 ときおり願いながら歩いたりしている。

                 

こうした中、我が家の周辺の住宅街は自家用車があるが、
我が家には、自動車がない稀(まれ)な家となっている。

過ぎし2004年(平成16年)定年退職後は、多々の理由で年金生活を始め、
若き25歳前後の生家の自動車を活用して盛んに各地を走行してきたが、 この後はペーパー・ドライバーを長年過ごしきたが、
この機会に自動車を購入して、 私たち夫婦は、国内の各地をドライブしょうかしら、と夢想したりした。

しかしながら私は、無念ながら反射神経が鈍(にぶ)くなった感じ、その上に小心者の為、
万一、交通事故で人さまに傷つけたりして被害者はもとより、加害者の私でも心身の傷を深く残すので、
自動車の運転免許証の更新時に破棄して、自動車の運転を断念したひとりである。

こうした中で、買物、散策などは路線バスにも乗らず、歩いたりしている。
そして駅までの15分前後の道のりも、路線バスなどに頼らず、殆ど歩いたりしているが、
冠婚葬祭、旅行、都心で懇親会などの場合は、タクシーを利用する時があるが、 年平均として3万円前後となっている。

                           

過ぎし私の40代の頃、ひとつの夢を漠然とし考えたりしたことがあった。

私たち夫婦が住んでいる住宅街のそれぞれ住宅が密集し、ともすれば何かしら息苦しい住宅街より、
解放感のある地方の山里に、と想いを馳せたりした。

たとえば八ヶ岳の別荘地の分譲地などで、のんびりと生活することを夢想したりした。

しかしながらこの当時の私は、都心に通いサラリーマンの身であるし、
住んでいる一戸建ての住宅ローンも多額に残っていたので、
もとより収入を別途に挙(あ)げる自信はなく、夢だよねぇ、断念した。
                              

やがて50代の後半になると、山里に300坪前後の土地を求め、
クヌギ、コナラなどの落葉樹の中、平屋建ての30坪ほどに住むことも考えたりした。

この当時は、住宅ローン等の返済を終えていたので、
定年退職する60歳になった時は、 自宅を売却して買い求めて、
老後の生活資金を配慮した場合でも、何とか出来ると思ったりした。



こうした私の根底には、私の住んでいる近くに私の生家もあり、
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。

そして私が小学校に入学した1951年(昭和26年)の春の当時、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑などを耕していた。

或いは祖父の所有していた広い田んぼの中には、小さな川が流れたり、 湧き水もあり、
竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに土蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
はずれに小さな稲荷を保有して、この地域の旧家は、このような情景が多かった・・。

このような生家は、周辺は平坦な田畑、竹林、雑木林などが拡がり、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖、と学校の先生たちは称していた。

その後、私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、 生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。

そして1955年(昭和30年)の頃から、都会の人たち達が移住してきて周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年(昭和32年)であるが、
この頃になると都心に勤める方のベットタウンとなり、新興の住宅街に大きく変貌した。

                  

私は消えてしまった故郷の情景、時代の変貌に戸惑いながらも愛惜感を秘め、
このような私の思い、漠然とした山里に平屋建ての生活を家内に相談したら、
日常生活の買物、交通・病院などの利便性から、反対された。

『貴方の好きな本屋さんだって、今は歩いて行ける範囲ょ・・まして、スーパーなどの買物だって・・』
と私は家内に言われたりした。

やがて具体的に指摘されれば、私は確かに好きな音楽CDとか、映画のDVDを購入する店、
或いは本屋に寄って、単行本、新書本、文庫本、雑誌コーナーを見て、
興味を持ったのに手を取ったりして、 やがて買い求めたりする空気が好きで、ここ50数年の習性のようになっている。

そして時折、お洒落(しゃれ)た居酒屋に入店して、知人と談笑するも欠かせなくなっている・・。
『貴方、60代の心身元気なうちは良いとしても、70代頃からの身体が弱ってきた時の事も考えて・・』
と私は家内に言われたりした。

確かに山里に住めば、自動車は必須事項だし、買物も一週間まとめて購入し・・と思ってきたが、
身体の弱った時の通院、そして都心の郊外の文化と利便性には勝てない、と断念した。


【3】習い事

私は自宅で、独りを愉しむ時を過ごすことが多い。

午後よりの大半は、夜に随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くことに享受している。

午前中は、平素の我が家の買い物をしたり、
自宅の周辺にある遊歩道、公園など散策して、魅せられた情景をデジカメで撮ったりしている。

無念ながら忘れてしまうことが多く、記憶のかたみ、として一期一会ねぇ・・、
撮ったりしているが、デジカメの技術の向上に乏しく、購読した本で独学したり、
或いは私がブログで魅せられた御方の写真を拝見して、学んだりしている。



【4】孫への出費

無念ながら子供もいなく、まして孫にもいないので、対象外であるが、
兄、妹の甥っ子が、学生として20歳まで、そして結婚祝い金など、
お祝金として程々に出したりしている。


【5】ペットを飼う

我が家は、家内が犬が好きで飼っていたが、40年前の頃、
垣根からの隙間から、自動車の走行する道路に飛びだして、亡くなり、
我が家の庭の片隅に埋葬している。

こうした痛ましい惨事に、家内は動物を飼うことに断念している。

我が家の庭で、どこかの猫の数匹が幾たびも入り、
ウンチ、オシッコをして、後始末に困苦してきた10数年があるので、
私は猫は苦手となっている。

何かしら敬愛している作家・曽野綾子さん、或いは亡き作家・向田邦子さんは、
猫が好きらしく、雑誌の写真で拝見して、
どうして猫が好きなのか、私は不思議に思ったりして30年が過ぎている。



このようなささやかな私の思いがあり、今後も穏やかに過ごしたい、
と微苦笑をしたりしている。

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76回目の『終戦の日』を迎え、国民のひとりとして哀悼の意を表し、黙祷を重ねて・・。

2021-08-15 10:17:51 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住むまもなく77歳の年金生活の身であるが、
朝の7時少し前に洗面した後、雨が降る庭先を眺めながら、
玄関の軒下に立ち、襟を正して、
都心の皇居に向かって黙祷した・・。

私は1944年〈昭和19年)9月下旬、今住んでいる近くで農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
1歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりとなっている。

後年になると敗戦する数年前の状況に関して、祖父、父、母、叔母の同居する人たちから、
或いは親戚の叔父、叔母からも、この当時のことを教えて貰ったりしてきた・・。

         

この当時、住んでいた北の方面には軍事戦闘機を製造する中島飛行機の工場があり、
西の方面には軍事物資を生産する軍需工場とされた東京重機が数キロ先にあった為、
ときおり近くに爆弾が落ち、空襲警報のたびに、
宅地から少し離れた生家の崖の雑木林にある防空壕に避難した、と話しを聞いたりした。

祖父と父か中心となって、程ほどの広さの田畑を耕し、
人手の足らない時は小作人の人々の手も借りたりしていた時代でもあった。

そして空襲警報が発令されると、何をおいてもとりあえず防空壕に避難したので、
慌しい恐怖の時代でもあった。

少しばかり遠方にあった軍事物資を製造する場所、軍用機を生産している場所を目標に、
米軍の爆撃機が幾たびか飛来し、爆弾を大量に落としたのであるが、
ときには付近の田畑、雑木林に落下した、 と後年に親戚の叔父さんに私は教えて貰ったりした。

そして250キロの爆弾と言われても私は定かでないので、
更に教えを乞うと、今で言うと大きなプロパンガスぐらいょ、と叔父さんは私に教えてくけたりした。

やがて私は大きなプロパンガスのような爆弾が、空から大量に降ってくる状況を想像すると、
身も心も身震いをしたのは、高校生の頃であった。

そして後年に、1944年(昭和19年)11月24日、アメリカ軍は、
大型長距離爆撃機の『B29』がマリアナ諸島を飛びだった111機が東京に初空襲し、
目標は中島飛行機の工場だった、と学んだりした。

        

その後、幾たびか東京の都心にも空襲し遭い、決定的な東京の大惨事は、
1945年(昭和20年)3月10日、『B29』が320機以上が、
1600~2200メートルの超低高度で、夜間に焼夷弾攻撃という新戦術が、
本格的に導入された初めての空襲であった。

その目的は、市民の生活の場である木造家屋が多数密集する下町の市街地を、
そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。

結果として、大きくの街は焼かれ、焼け焦げた遺体の山となり、死者・行方不明者は10万人だった、
と記載されたいた。


私の生家は、戦時中の頃は、玄関の中は農家の特徴である広い土間となり、
その一角の壁面に、各自の綿入れの布地の防空頭巾をつるしていた。

そして空襲警報が発令されると、祖父、父、母、叔母の人々に導かれて、
私が生まれてまもない頃の時は、長兄は5歳、次兄は2歳であったので、
防空頭巾をかぶしてもらい、手をひかれながら、防空壕に避難された・・。

私は乳児であり、おしめの取れない時期であったので、
母たちは何かと大変だっただろう、と思い返したりしている。

後年になると、叔母たちが話されたので聞いたりすると、
この当時は、防空壕の内部の土の上に藁(わら)を敷いた上に、莚(むしろ)か茣蓙(ござ)に座り、
家族全員で互いの安否を確認した上で過ごした、と教えられたりした。

        

私が小学3年生の頃になると、図画の授業で先生に我ら学童は引率されて、
学校の近辺の丘陵の雑木林に行った時、
コンクリートできた高射砲の台の跡が数多く見受けられた。

もとより戦時中、アメリカ軍の飛行機の来襲に備えて、高射砲で向かい撃つ態勢で、
造られた形跡であった。
そして上空から見えにくいようにコールタールの黒色に塗られていた。

この頃までは、小学校の帰路に寄り道をすると、数多くの防空壕が見受けられたり、
生家の防空壕も小学の後年の頃までは遊んだりした。

生家の雑木林の崖の一角に、縦横1.8メートルぐらいの入り口に木戸があり、
少し入ってまもなくすると、横に掘られ横幅が広くなり、奥は8メートルぐらいと感じたりした。
わずかに湿度を感じたりしたが、広間のようにゆったりとしていた。

後年の成人になった私は、
防空壕は入り口からまもなく角度が横になったのは、万一の爆風を避けることであろう、
そして幾分広めの内部は、平素の農作物の保存場所に併用していた、
とおぼろげに思ったりした。

この私の生家の防空壕は、私が中学に入学してまもない時、
都道が新設されることとなり、跡形もなく付近の田畑、雑木林も含め、

住宅街に大きく変貌したのであった。

このように戦争を知らない私は、防空頭巾、防空壕、高射砲台の跡、
後年の後づけとして知ったりした程度である。

       

このようなことを思い馳せたりしていたが、
もとより防空頭巾は、アメリカ軍の爆撃機が飛来して空から爆弾を落としたり、焼夷弾で焼き尽くしたり、
軍事生産地、住宅街などに大打撃を与え、住民も殺傷する目的を防ぐ目的であるので、
地上にいる人たちは余りにも残酷で、戦争は悲惨である。

敗戦となった日本は、数多くの方は家族を亡くされ、住まいも焼かれ、財産も失くしたが、
国からの賠償もなく、国民ひとり独りが立ち上がり、敗戦後の日々を歩みだしたことに、
私はただ項垂(うなだ)れるばかりで、当時の人々に思いを馳せると、胸が熱くなる。

私は小学校の高学年の時、一葉の写真を見た時は、
その夜は子供ながら、浅い眠りとなった。

この写真は、天皇陛下の横で悠然とたたずむマッカーサー元帥の姿であった。
そして私の生を受けた日の一年後であったので、なおさら後年に印象深く、私の心に残った。

1945年(昭和20年)9月27日、
昭和天皇が東京・赤坂の米国大使館に、マッカーサー元帥を訪問した写真が、
2日後に新聞各紙に掲載された写真であった。

モーニング姿で直立する陛下の隣で、開襟シャツの元帥が腰に両の手を当てて悠然とたたずむ、
まさに勝者と敗者の違いを伝えている一葉であった。

             
☆たまたま2015年の5月に、福永文夫・著作の『日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(中公新書)を購読したが、
この本の帯に、昭和天皇が東京・赤坂の米国大使館にマッカーサー元帥を訪問した情景の写真があり、今回あえて掲載した☆
 
私は都心にある高校に入学した1960年(昭和35年の)春、特に日本史、世界史が好きとなり、
こうした中で、まもなく週刊誌『朝日ジャーナル』、そして近代史の書物も乱読してきた。

やがて22歳の頃から、沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、そして9日の『長崎被爆』、
まもなく15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』は、黙祷をして50数年は過ぎている・・。

こうした根底には、かの大戦で、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
こうした日は、人々に哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。 

そして私はいつも感じることは、若き10、20代の諸兄諸姉に対して、
少なくとも日本の過去には、こうした現実があった、と認識して欲しい、固く願っているひとりである。

          

私は、皇居に向って黙祷をする真情は、 かの大戦の当時の国民風潮として、
『天皇陛下の御為と国の為に死ぬ事が日本人の美徳と教えられ、
戦死したら靖国神社に神として祀(まつ)られ、
崇(あが)められると信じて疑わない殆どの国民がいた・・』
と当時の時代の風潮の中で生き、亡くなわれた人々に哀悼の意を表しているに他ならない。

いずれにしても、戦争は多くの場合は外交の破綻から発生し、
最悪の場合は戦争となるが、勝戦国となる国民も敗戦国となる国民も余りにも過酷で悲惨である。


私はここ15年、この15日に於いては、
都心の千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた両陛下の詠まれた歌に、思いを重ねたりしている。

   国のため いのちささげし
      人々の ことを思えば 胸せまりくる         
                       昭和天皇

   戦なき 世を歩みきて
      思ひ出づ かの難き日を 生きし人々
                       平成天皇

私はこの歌を深く拝読するたびに、思わず胸が熱くし、
その時代を少し学んできた歳月に思いを馳せ、まぎれない鎮魂曲のように感じている。

          

この昭和天皇の歌の思いは、
靖国神社から程近い所にある千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
訪れる人も少なく、この季節は蝉時雨が響き渡る情景の中、 詠まれた伝えられている。

平成天皇の歌は、戦後60年の年の歌会始の儀で詠まれた、と報じられていた。

そして昭和天皇の御製の碑と向き合う形で、
2005年(平成17年)9月に平成天皇の御製の碑が完成した、
と確か読売新聞で読んだりし、私はつたない身ながら学び、思いを深めている・・。

          

本日、
76回目の終戦の日を迎え、政府主催の全国戦没者追悼式が、
都心にある日本武道館で開かれる。

参列する遺族は、東京など6都府県に緊急事態宣言が出ていることに伴い、
縮小される、とテレビのニュースで報じられていた。

そして
遺族のほか、天皇、皇后両陛下、菅義偉首相らが出席され、
正午に黙禱された後、天皇陛下が「おことば」を述べられ、首相や遺族らが献花をされる・・。

私はテレビで実況中継をするに伴い、例年のように黙祷をして、
国民のひとりとして哀悼の意をささげる・・。
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『夫婦』と『おひとりさま』、老後にかかる生活費はどう違う?、改めて76歳の私は学び、多々教示されて・・。

2021-08-14 12:23:31 | ささやかな古稀からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ている中、
『 夫婦とおひとりさま、老後にかかる生活費はどう違う? 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の76歳の身であるが、

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後41年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
『働らなくても、何とか生活ができるので助かるわ・・』、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりする。

『そうだよねぇ・・』
私は苦笑しながら応じたりしている。

                 

しかしながら、いつの日にか、どちらかが死別され、
残された方が、『おひとりさま』の生活が余儀なくされる。


私はある民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職となり、
多々の理由で
年金生活を始めたりした・・。

やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、
無念ながら病死したりした。

まもなく、私と同世代の知人のひとりの奥様が病死されて、
 この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。

やがて私が68歳になった時、私がサラリーマン時代に社内で交遊を深めた同世代の知人が、
地方で住まわれていたが、奥様があの世に旅立ち、
半年後、都心でOB会で、久々に再会した。

この後、私たちは二次会の中で、知人が私に
ひとり住まいだと、生活費に思った以上に掛かるょ・・、
ぽっりと小声で私に教えてくれたりした。

こうした体験をしてきた私は、いつの日にか、家内が私を残して病死され、
残された私は、独りぼっちの『おひとりさま』になるので、
漠然としながらも『おひとりさま』の生活費も、思案する時もあったりした。



このような深情を秘めた私は、改めて《・・おひとりさま、老後にかかる生活費・・》、
学びたく記事を精読してしまった。

この記事は、ときおり愛読している【ファイナンシャルフィールド】に於いて、
8月14日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・
夫婦とおひとりさま、老後にかかる生活費はどう違う?



☆夫婦という選択と、おひとりさまという老後の選択



☆夫婦とおひとりさま、老後にかかる生活費の違いは?

☆夫婦で25万円、おひとりさまで15万円あれば生活できる?



☆夫婦もおひとりさまも、老後の生活について早めに計画を

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、 行政書士の柘植 輝さんの寄稿文に導かれて、
遅ればせながら多々教示されたりした。

確かに水道、ガス、電気などの『水道光熱費』に関しても、
『おひとりさま』だから、『夫婦』の時代より、半額には無理だ、
と微苦笑させられたりした。

或いは『通信費』にしても、固定据え置き電話代も、
半額には無理だよねぇ、と思ったりした。

そして『おひとりさま』の生活になると、
料理も若葉マークの初心者の私は、ときには外食をしたりすると思われる。

こうした中で、週たった一度だけ定期便のような駅前の居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。



少なくともこのような生活費が予期され、
ここに掲載された『おひとりさま』の生活費・・無理難題だょなぁ・・、
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。

追記(15日・am6.35)
しかしながら裕福でない私は、年金、程々の貯金で亡くなるまで生活するので、
倹約しなければならないよなぁ・・と苦笑したりしている。
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老後の孤独を解消する7つの教え、76歳の私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2021-08-13 14:53:07 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している公式サイトの【 介護ポストセブン 】の『暮らし』コーナーを見ている中で、
『 日本の高齢者の3割が「友達がいない」現実
          老後の孤独を解消する7つのメソッド 』
と題された見出しを見たりした。


私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継ぎ、
恥ずかしながら男の癖におしゃべりで、
家内はもとより、ご近所の奥様、御主人様と談笑したりしている。

昨年の2月より新ウィルスの烈風で、『三密(密集、密接、密閉)』に伴い、
マスクをしながら、2メートルぐらい離れて、
手振り身振りも交えて歓談しているが、うるわしき御近所の奥様は、
マスクなしの方が素敵なのに・・と余計なことを思ったりしている。

私は年金生活をまもなく丸17年が過ぎる中、逢えばお話相手は数多く恵まれているが、
しかしながら友人は3人だけとなったりし、 私は心友と明言できる人は、たったひとりかなぁ・・
と思い馳せたりしている・・。



私の心友と称している御方は、高校時代に知り合った人で、定年後に毎年一度だけ逢っている。

過ぎし1962年(昭和37年)の当時、私は高校3年生で、
私は彼の実家に50回ぐらいは泊まったり、 彼も私の実家に少なくとも20回は泊まったりし、
こうした中、お互いの家族とも懇親していた。

こうした間柄でも、私が20歳を誕生日を迎えた時に、
私は大学を中退して映画・文学青年の真似事に邁進する中、 疎遠になったりし、
その後は、彼の結婚式の披露宴に列席したぐらいとなった。

そして私は民間会社で35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職後になるまでは、
お互いに年賀状を交わす程度で、数年毎に電話をする程度となった。



やがて私が2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、 多々の理由で年金生活を始めて以来、
毎年12月の時節に、 お互いの住まいの中間点の『吉祥寺』の居酒屋で、
懇親を重ねたりしている。

こうした会合は、お互いに好きなビールとかワインなどの酒を呑み、
食べたい料理を食べながら、 少なくとも4時間前後は談笑を重ねてきた。

話し合う内容は、昨今の過ごし方・・病気、親の介護、葬儀、お墓などの時もあれば、
相続でこじれている、或いは性の衰えまで、 あらゆる人生の360度のことをお互いに打ち明けて、
苦笑したり、ときには微笑んだりしている。

しかしながら、昨年の2月より新ウィルスの烈風以来、やむなく自粛して、
代わりに
長電話となっている。

このような私は、今回の《・・老後の孤独を解消する7つのメソッド・・》って、
どのようなことなのょ・・と思いながら記事を読んでしまった。



この記事は『女性セブン』の2021年6月24日号に掲載された記事であり、
関連の【 介護ポストセブン 】に於いて、7月6日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・
コロナ禍で、高齢者がデイサービスなどの施設利用や外出を控えて、
閉じこもりがちになり、心身ともに衰えて介護度が悪化、
最終的に自宅で孤立死を迎える例が増えている。

その一方で、健康な体と幾ばくかの余命を持ったまま、誰にも頼ることができず、
孤独に耐えかねて命を絶つ、高齢者の“孤独死”問題もたびたび取り上げられている。
高齢者の孤独を解消するための方法とは・・・。


◎高齢者の3割が友達なし・・・孤独を解消する7つの方法

2021年5月に共同通信などが報じた日本、米国、ドイツ、スウェーデンの高齢者を対象にした
内閣府の国際比較調査によると、
「日本の高齢者の3割は、友達がいない」という衝撃の結果が明らかになった。

日本の風土に深く根ざし、死に至るほど苦しい高齢者の孤独を巡る問題。
心の奥底に眠る感情であり、一人ひとり感じ方が違うからこそ難しい問題だが、
周囲が手を貸すことも可能だ。

異文化コミュニケーションアドバイザーの石野シャハランさんは、
「文明の利器」を整えることを提案する。

1.スマホやネットの利用を根気強く教える

「スマホやSNSなどは、海外留学の多いイランでは、全世代必須のアイテム。
使うのを諦めようとするシニアには、若い世代が環境を整えて根気よく教えることが大切です。

『孫が顔を見たいと言っているよ』と誘うのも有効でしょう。
環境が整ったら、まめに連絡することも重要です。

日本人は『何となく連絡する』ことを嫌がりますが、
スマホやネットの利用法は繰り返し使ううちに覚えるものです」(シャハランさん)

オンラインの準備ができたら、リアルなコミュニケーションも充実させたい。



2.「デイサービス」で利用者同士の仲を深める

家に閉じこもりがちなシニアが、
友達をつくる貴重な機会を提供するのが「デイサービス」だ。

特に近年は、従来のようなプログラムに則って、
まるで子供の「お遊戯」のような時間を設けるのではなく、
利用者主体で交流を大切にする施設も増えている。

60代から100歳までの利用者が、笑顔で触れ合う群馬県で人気の「ココロガーデン」もその1つだ。

「利用者の好きなことや興味のあることをスタッフが事前に把握し、
『あの人には、こんな趣味があるんですよ』、
『この俳句は、あの人がつくったんですよ』と、
趣味や興味が一致するように利用者間の橋渡しをします。

同じ年代の人たちの共通の話題となるクイズを出したり、
音楽を流したりして、交流を促すこともあります。
仲よくなった利用者同士で連絡先を交換し、さらに仲を深める人もいます」(ココロガーデン担当者)



3.「手伝います」の一言が孤独を解消する

たとえ趣味や話題が一致しなくても、一歩踏み出すことで交流が生まれることもある。

「利用者同士が、お互いの病気への理解もあるため、自然に車いすの操作を手伝うなど、
ちょっとした手助けがきっかけで、仲よくなる人たちも少なくない。
やはり、まずは交流の場に出ることが大事だと感じます」(前出・担当者)

コミュニケーションの問題や格差社会に詳しい評論家で著述家の真鍋厚さんも
困っている人に手を貸すことからコミュニケーションが始まると語る。

「会話が苦手な人は、まずは重そうな荷物を運ぶのを手伝ったり、
道案内をすることから人と触れ合う回数を増やして、
慣れてきたら興味のあるボランティアなどを始めるといいでしょう」(真鍋さん)



4.「デイサービス」は無理強いせず親子で一緒に

ただし高齢の親が、デイサービスやボランティアを拒否するケースもある。
その際、無理強いは禁物だ。

「強制されるのを嫌がる人は、多いものです。
高齢の親をデイサービスやボランティアなどに連れ出す場合は、
まずは『面白そうだから行ってみようよ』と誘って、
子供がその場に一緒に行くという手があります。

そこで親が気に入れば、自発的に行くようになるかもしれません」(真鍋さん)

娘に連れ出された先で、心の交流ができたと語るのは、80代の男性だ。

「妻を亡くしてから、家に閉じこもりがちでしたが、
2年前に娘に『温泉に入れるから』と言われてデイサービスに行ってみました。

温泉施設を改装した建物で、大きな温泉が気に入り、何度か通うようになった。

ただ、温泉が好きで通っていただけだったため、ほかの利用者との交流はありませんでしたが、
一時入院してから2か月ぶりにその施設を訪れたら、
ほかの利用者に『おかえり』、『やあ、久しぶりですね』
と声をかけられて本当にうれしかった。

それ以来、少しずつ交流を持つようになりました」



5.気にかけてくれる人の存在が心の支えに

誰かが自分を気にかけてくれる。
人は、それだけで孤独を癒せるようだ。

実際、「友達はいらない」と言い続けた脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)は、
晩年に終の棲家とした静岡・熱海で、
仲よしのトレーナーや、行きつけのレストランのシェフとの交流を楽しんでいた。

年を重ねたからこそできる、肩の力が抜けた「大人の友達づきあい」も存在する。



6.庄野真代さん「地域のために活動を」

「いまの友達づきあいが、いちばん楽しいの」
そう語るのは、今年歌手活動45周年を迎える庄野真代(66歳)。

21歳でデビューしてから、結婚や出産、離婚や入院を経て
50代半ばで、人生初のひとり暮らしを始めた彼女は、
年齢を重ねるにつれて「余裕」ができたと語る。

「若い頃は、少し性格が合わないと感じると
距離を置こうとすることが多かったけれど、
いまは苦手なタイプでも『自分とは違うところが面白いな』と受け入れられるようになった。

若い頃は、自分の仕事で手一杯だったけれど、50歳を過ぎると
肩の力が抜けて、歌手同士のつきあいも、より楽しくなってきた。

“3人娘”としてコンサートを行ってきた渡辺真知子さんと太田裕美さんは、
いまでも、なんでも相談できるよき仲間ですね」(庄野)

仕事に加え、4年前からは「子ども食堂 しもきたキッチン」をオープンし、
子供たちと一緒に料理を楽しんでいる。

「地域のために、何かをやりたいとひとりで始めたら、自然発生的に人が集まりました。
いまはNPO活動やフェイスブックなどを通じて、数えきれない友達がいます。

昨年はコロナで人と会えなくなったので、
いまは久しぶりのかたにもできるだけ、自分から連絡して接触するようにしています。
友達は、向こうから来るものと思わず、臆せず自分から向かった方がいい。

友達を維持する秘訣? 
そうね、誰とでも100%打ち解けるのではなく、少しだけ余白を残しておくと、
案外いいクッションになるかも。

余白がなくて密着しすぎると、逆にダメじゃないかな」(庄野)



7.家族でもお金でもない「横のつながり」が孤独を癒す

孤独格差社会がもたらすのは、苦しさだけではない。

「人生100年時代、配偶者や子供がいても、最期はひとりになるケースが多い。
孤独は、一生ついてくる問題ですが、
逆に言えば、心地よい人間関係やコミュニティーを構築できれば、
人生の最期まで、自分らしく、幸せに生きることができるはずです」(真鍋さん)

家族の有無やお金の多寡は関係ない。
自分の心がけと行動次第で孤独から逃れ、理想の関係性をつくることができるのだ。
それこそが、この先の社会を生き抜くための新たな希望ではないか。

2010年に肺がんで他界した芸能リポーター・梨元勝さん(享年65)の妻である玲子さん(74歳)も、
配偶者の死という大きな悲しみを、「横の関係」によって癒すことができたという。

長女の麻里奈(41歳)が言う。
「ずっと仕事が忙しく、ほとんど夕食を一緒に摂ったことがなかった父と、
ひたすら寄り添ってきた母。

父の最期を看取るとき、病室で過ごした一家団欒は、尊いものでした。
あれから10年、ずっと母と暮らしてきましたが、
私は母と違って、毎日誰かと連絡を取り合うということもない。

夜には、寂しさも不安も感じるし、
孤独は、高齢者に限ったテーマじゃないと思うのです」(麻里奈)

私は母がうらやましい──麻里奈は最後にそうつぶやいた。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、《・・老後の孤独を解消する7つのメソッド(教え)・・》、
多々教示されながら、多々学んだりした。

私は今は家内と共に過ごしているが、やがていつの日にか私を残して、
家内はあの世に旅立ち、私は独りぼっちの『おひとりさま』になる・・。

こうした時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。

そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、 70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、 やがて同世代の女性からでも、 XXちゃん、
或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。

この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか800円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、
談笑できるので安らぎのひとときと思える。

やがて帰宅後は、自宅付近の遊歩道、公園を散策した帰路、
この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物して帰宅する。



その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。

この間、料理、掃除、洗濯は、相変わらず初心者マークであるが、
同じするなら明るく楽しく・・私が現役サラリーマンで指針にしてきたことを思い重ねて、
日々実践ねぇ・・と自身を叱咤激励すると思われる。

こうした中で、週たった一度だけ定期便のような駅前の居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。
こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。
 


このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
ときおり寂しさは感じても、孤独は無縁だよねぇ・・
と心身のバランスが保てる、 と微笑んだりしている。


このように幾ばくか思案を重ねたりしてきたが、
果たして私は実際に家内に死別された後、

ひとり暮らしになった私は、どのようにふるまうか・・
どのような深情になるかは、わからないのが本音でもある。
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「東京の人流5割削減を」分科会が提言へ 盆休み2週間の対策強化、小心者の私は学び、微苦笑して・・。

2021-08-12 14:36:18 | ささやかな古稀からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されたニュース見ている中、
「東京の人流5割削減を」分科会が提言へ 盆休み2週間の対策強化 』、
題された見出しを見たりした。

過ぎし昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中で、感染が怖くて『三密(密集、密接、密閉)』を避け、
我が家の平素の買い物の担当の私は、近くにあるスーパー、ドラッグストアー等で、
素早く買い物をしたりしてきた。

或いは体力の衰えを補(おぎな)う為に、我が家の3キロ以内にある遊歩道、公園、住宅街の歩道など、
人出の少ない時間を配慮して、殆ど毎日のように歩いたりしている。

もとより新型コロナウイルスの烈風以来、家内と共に都心のデパート、
知人、友人などでホテル、居酒屋など、
人出の多い処を避けて今日に至っている。

このように都心の繁華街は、歌を忘れたカナリアのようになって、
我が家の周辺で、人出の少ない時間帯を選定して、独りで歩いたりしている。



こうした私は、テレビのニュースを視聴したりすると、
東京都での4回目の緊急事態宣言が始まって、
8月12日で1カ月になる。

これまでの宣言では、期間中に人出が減り、感染者も減ったが、
今回は人出がさほど減らず、変異ウイルスの猛威で、
感染者は異例の急増を続けている。
感染は都市圏から地方に広がっており、効果は出ていない。

このように学びながら、国民の50%ぐらいは自粛しているが、
半数は自粛疲れで、繁華街に出たり、海辺に行ったり、旅行など、
自在に過ごしている、と小心者の私は学び、微苦笑したりしている。


今回、《・・「東京の人流5割削減を」・・》って、どのようにすれば、
と思いながら記事を精読してしまった・・。

この記事は、【 毎日新聞 】より8月12日に配信された記事で、
無断ながら記事を転載させて頂く。

《・・ 政府の有識者会議「新型コロナウイルス感染症対策分科会」は12日、

緊急事態宣言が出ている6都府県で、感染者数が増え続けていることから、
お盆休み前後の2週間に限定した対策強化を提言する。

提言案では、東京都で人の流れ(人流)を5割削減することなどを盛り込んだ。
同日の持ち回り会合で了承され次第、尾身茂会長が記者会見して発表する。



【世界の5つの変異株】感染力、ワクチンの有効性は  

提言案では、東京都などで感染者数の爆発的な増加により、
入院調整が極めて困難になり、救える命が救えなくなっていると指摘。

2週間の集中的な対策の強化で、
東京都内の人流を今回の緊急事態宣言が始まる直前(7月前半)の5割にする必要があると示す。  

具体的には、買い物など外出機会の半減
▽百貨店の地下の食料品売り場やショッピングモールへの人流抑制

▽基礎疾患のある人や妊婦を中心にテレワークの強化

▽県境を越える移動の自粛――などを提案する。  

また、当面の医療逼迫(ひっぱく)をしのぐため、
これまで新型コロナに関わってこなかった医療従事者や
医療機関にも診療などに対応することを要望。

国や都道府県が、全国から医療従事者を集め、
宿泊療養施設の増設や自宅療養者への診療体制の確保に当たるよう求める。
                             【原田啓之】・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
今回、《・・分科会が提言される 「東京の人流5割削減」・・》、
多々教示されたりした・・。

しかしながら昨今のテレビのニュースなどで、
都心の繁華街の人出の多さに・・、小心者の私は動顛したりした・・。

東京都での4回目の緊急事態宣言が実施期間中であるが、
ある一部の御方は、またかょ・・と無視されたりする御方・・。

或いはワクテン接種を2回終えたから、デパートに買い物ぐらい、
友達も食事処で・・。

しかしながら私は、ワクチンは2回接種したとしても、
必ずしも100%感染を抑えるわけではないので、
安心して・・あちこち外出していいわけではない。

油断しては、いけない、とワクチンに詳しい北里大学の中山哲夫特任教授が
テレビに出演されて、私は視聴し、学んできた。


その上、デルタ株の登場により、ワクチンの限界が浮き彫りになりつつある。
米疾病対策センター(CDC)が「戦況が変わった」と警戒を強めるのが、
「ブレークスルー(突破型)感染」。

ワクチンを2回接種しても、感染してしまうことだ、と私は学び震撼させられてりした。

こうした状況下では、年金生活の無力な私は、
自分の身は自分で守る、と強く思いながら自粛の延長戦、
と心の中で呟(つぶや)いたりしている。


そして菅首相は、せめてウィルスを終息させる為の具体的な総合対策を、
国民に提示できなければ、やむなく例えばロックダウン論を緊急に審議し、
何らかの形に実施して欲しい、と思い馳せたりした。
 
少なくとも国民の半分は、自制して自粛しているが、
いつまでもウィルスが終息できないと、誰しも心が折れることもありえるので、
政府は迅速に審議することが、責務である。
コメント (2)
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感染防止手詰まりに伴い、強まるロックダウン論、76歳の私は学び、悲嘆を重ねて・・。

2021-08-11 15:17:16 | ささやかな古稀からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されたニュース見ている中、
『 強まるロックダウン論 感染防止手詰まり 
                                       「最後の手段」菅首相は慎重 』、
と題された見出しを見たりした。

過ぎし昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、ときおりテレビのニュースを視聴したりすると、
新型コロナウイルスの感染の終息をさせる為に、
事前に公的機関による国民全員にPCR検査が実施した上、
予防としてのワクチンの接種も迅速に行う。

こうした中で、政府は感染学の専門家の総合的なアドバイスの施策を取り入れて、
迅速に対処すれば、国民の大半は納得して、やがて終息させる・・。



この間に、私は『緊急事態宣言』が、東京都にされるならば、
もとより首都圏(東京、千葉、神奈川、埼玉の1都3県)一帯に実施しなければ、
効力がないと、思い深めているひとりである。

もとより社会情況からして、通勤、通学、或いは買い物、娯楽などで、
都心に行き来している御方も多く、こうした実態を政府の首脳部が無視して、
感染を終息させることは、無理難題である。

このようなことを昨年の夏の頃に、無学の私でも、思い願ってきた。




過ぎし私は、ワクチン接種に関して、
1回目は、6月5日、そして2回目は3週間後の6月26日に、接種を受けたりした・・。

この間、ワクチンに詳しい北里大学の中山哲夫特任教授がテレビに出演されて、
私は多々教示されたりした。

何かしらワクチンは2回接種したとしても、
必ずしも100%感染を抑えるわけではないので、
安心して・・あちこち外出していいわけではない。
油断しては、いけない、と私は視聴したりした・・。

こうしたことを学んできた私は、国民の多くがワクチン接種終え、
お互いに自粛すれば、やがて新型ウィルスの烈風が終息化となる・・。



このような希望を秘めてきた私は、昨今の現実は感染は拡大するばかりで、
病床の逼迫(ひっぱく)が続く中、医療崩壊の危機となっている。

何かしら国民の半分は自粛しているが、残りの半分ぐらいは自粛疲れで、
レジャー、旅行、人出の多い街に遊びなどで、自在に過ごしている、
とテレビのニュースで知り、小心者の私は動顛している。

このような深情を秘めた私は、《・・感染防止手詰まり・・強まるロックダウン論・・》、
真摯に学びたく、記事を読んだりした。


この記事は、【 時事通信 】より8月10日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・ 新型コロナウイルス新規感染者の急増を受け、
ロックダウン(都市封鎖)を可能にする法制度を日本でも導入すべきだ
との声が専門家や自治体の間で強まってきた。


  【写真】ロックダウン(都市封鎖)実施に当たり閑散とする豪シドニー  

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、《・・感染防止手詰まりに伴い、強まるロックダウン論・・》、
と学んだりして、多々教示されたりした・・。

我が国の菅首相は、ワクチン接種を念仏のように、国民に公言され、
幾たびの緊急事態宣言の中、日本丸のかじ取りを、
幾度も、う
つろな言動で導き、多くの国民を戸惑い、困苦させ、
私は悲嘆を重ねてきた・・。


やむなく年金生活の無力な私は、これからも当面、
我が身が可愛いから、自分の身は自分で守る、しかないかなぁ・・、
と思い深めてきた・・。


しかしながら菅首相は、せめてウィルスを終息させる為の具体的な総合対策を、
国民に提示できなければ、やむなく今回のロックダウン論を緊急に審議し、
何らかの形に実施して欲しい、と思い馳せたりした。
 
少なくとも国民の半分は、自制して自粛しているが、
いつまでもウィルスが終息できないと、誰しも心が折れることもありえるので、
政府は迅速に審議することが、責務である。
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認知症「早期」治療ルポ 健常でも継続するべき「7つの習慣」、76歳の私は学び、微苦笑を重ねて・・。

2021-08-10 15:19:33 | ささやかな古稀からの思い
先程、ヤフージャパンより配信されたニュース見ている中、
『 認知症「早期」治療ルポ 
               健常でも継続するべき「7つの習慣」 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。



こうした中、私は過ぎし6年前の70歳を過ぎた頃から
齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、
その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることがある。


しかしながら、私の幼年期のことなどは、何故かしら鮮明に思いだせるのである。

たとえば農家の祖父と父が健在だった頃、

所有していた田畑、雑木林、竹林、田んぼの中で流れていた小川などの情景、
或いは初めて観た映画作品は、小学校に入学する前年の1950年(昭和25年)の夏、
『長崎の鐘』を母に連れられて鑑賞したこと、今でも心の片隅に残っている・・。


   

そして昨今でも、新聞、ネットのニュースなどを読んだり、テレビでニュースを視聴したりすると、
やがて数日後には、忘れてしまうこともあり、溜息ばかり重ねたりしている。

私が恐れていることは、いつの日にか認知症になってしまったら、
自身の意志が伝わらず、ささやかな日常生活に困苦するので
《・・健常でも継続するべき「7つの習慣」・・』って、
どのようなことですか、と思いながら真摯に記事を精読してしまった。

この記事は、フリー記者・山本朋史さんが実体験に基づいた寄稿文であり、
『週刊朝日』の2021年8月13日号
掲載され、
関連の公式サイトの【 AERA dot. (アエラドット) 】に8月10日に配信され、
無断ながら、記事を転載させて頂く。



《・・ 軽度認知障害(MCI)から、リバーター(元の健常な状態に戻った人)となった、
と3年前に朝田隆医師から言われたぼく(フリー記者・山本朋史)は、
いまも認知症早期治療を続けている。通算7年半になる。

リバーターへのキーワードは、「継続」だ。
しかし、これは簡単なことではない。
5年ぶりの掲載となった実体験ルポ「ボケてたまるか!」第4弾<下>は、「継続のコツ」について。

【この記事の写真の続きはこちら】
専門医によると、もの忘れ外来で受診した人たちの対応は、大きく次の3パターンに分かれる。

 (1)早期発見→早期絶望
 (2)認知症の疑いを完全否認する
 (3)認知症との徹底抗戦

ぼくの場合は(3)と主治医の朝田隆医師はいう。
「徹底抗戦」などという勇ましい意識は、みじんもなかった。

でもガンバロウ、と心に決めていた。
誰もができる簡単なことが、リハビリにつながるのだ。
それを黙々と続けた結果が効果を生んだのではないか。


朝田医師によると、デイケアに通い始めても、数カ月でやめてしまう方も多いそうだ。
ぼくだって最初は、

「こんなので、効果があるのか」
と疑問に思って、途中で何度もやめようかと思っただけに、気持ちはよくわかる。

しかし、継続が大切だ、とそのたびに忠告された。


認知症のリスクを減らすトレーニングに、即効性はない。
半年とか1年続けてこそ、それも少しずつ効果が認識できる種類のものだ。

ホウレン草を食べたポパイが、急に強くなって乱暴者を懲らしめるのは漫画の世界で、
青魚をはじめ認知症防止に有効とされる食品があるけれど、即効を期待するべきじゃない。

食事だったら結果が出るのは、数年後が当たり前だ。


高齢者の4人に1人が、認知症または軽度認知障害(MCI)と言われ、
国内の患者数は合わせて、800万人以上と推定される。

しかもコロナ禍が続き、自宅にこもって生活する高齢者も増えた。
認知症リスクは、さらに増大している。



ぼくが週1で通うメモリークリニックお茶の水のデイケアでも、
外出自粛のために、一時期デイケアに来られなくなった人が急増した。
そのため外部講師のプログラムも、休止せざるを得ない時期も続いた。

人との接点を奪う外出自粛は、軽度認知障害(MCI)の人にとっての危機である。

朝田医師はコロナ禍対策として、デイケアに直接来られなくても、
ネットで自宅からでも参加できる「どこでもデイケア」を昨年春から配信している。

1回40分ほどのプログラムで、ぼくの好きな本山式筋トレや音楽サロンなどもある。


ぼくはデイケアとは別に、通い始めたスポーツクラブが休館の間も、
自宅でネット動画を見ながら、ピラティスやヨガをやるなど運動を継続。

並行して「どこでもデイケア」で、脳に刺激を与え続けた。
画面を見ながら、一人で硬い身体を動かしたり下手な歌を歌ったりすることには、
最初は抵抗感もあった。

でも慣れてしまうと、便利でもある。
ただ、やはり配信は、一方通行なだけにもの足りない。
仲間と触れ合えるデイケアの場は不可欠だ。


ぼくは7年半に及ぶデイケア通いの効果を確信している。

フィジカルトレーニングばかりでなく、生活全体を見直す契機をもらっている。
食事も偏ったものから、野菜中心のバランス重視へ、アルコールも控えめになった。
体調は、現役の記者当時より、断然いい。

クリニックで半年に1回行われる認知機能テスト(心理テストも含む)の成績は
回を追うごとにアップし、最近は、ほぼ満点の状態が続いている。
これもリハビリを継続した結果だ、と朝田医師からは言われた。



ぼくは65歳で、会社人間を卒業するときに、朝田医師に相談した。
男性の場合、女性より社会になじむのが苦手で、
退職後に認知症を発症したり、症状が進行したりするケースが多い
と聞いていたからだ。

そのときに朝田医師から、これまでのリハビリを継続するためにも、

「良い習慣づくり」が大切だと言われた。
会社に通勤するという毎日の習慣がなくなって、自宅でテレビを見て過ごすケースが多いという。


退職後のぼくは、決まった時間に決めたことを、
短時間でもいいから、必ず行うよう自分に義務付けている。

ぼくなりの生活スタイルを決めて、「テレビのボーッと見」だけは、
避けようと言い聞かせてきた。



(1)運動

散歩は、早朝に20分。
うちの犬チャイは、グズでゆっくりしか歩けないので、
一人で、できるだけ歩幅を広げて早足で、を心がけている。


ぼくの場合、60歳を過ぎてから毎日同じ時刻に自宅を出ているのに、
乗ると決めた定刻の電車に間に合わないことが続いた。

東京都荒川区にある自宅から、駅までの距離は1キロメートル弱。
それまで12分あれば十分だったのに、1分遅れ2分遅れ、
軽度認知障害(MCI)と診断されたころは、16分以上もかかっていた。
おまけに、ときどきつまずいたりする。


認知症予防のトレーニング指導に長年携わっているトレーナーの本山輝幸さんに助言を請うと、
「年を取ると、歩幅がだんだん狭くなってきます。
前に出す足を1センチか2センチ遠くに放り出すようにして、歩いてみてください。
かかとから、足が地面につく。

すると認知症リスクも減るのです。
散歩の習慣はお勧めですが、ダラダラ歩いていても、予防効果はない。
少し息が荒くなるくらいの早足で」
と言われた。

忠実に実践して、少しスピードは戻った。



筋トレは、午前7時45分から15分。
デイケアでのトレーニングなどとは、別の本山メニューだ。

床にヨガマットを敷いて、腹筋と背筋を鍛える運動(10回ずつ)、
それから曜日によって、上半身(主に腕立て伏せ)と
下半身(足を前後に開いて股関節を曲げ伸ばしするランジとスクワット)を交互に鍛える。

もちろん、鍛える筋肉に意識を集中して「痛み」を感じるように、
ゆっくりやることが大切だ。
15分でもゆっくりやると、汗が噴き出てくる。



(2)料理

料理は、朝と昼。
炊飯器のスイッチを入れて、玄米が炊き上がる30分の間に、効率よく副菜を作る。
野菜を中心に、肉魚を組み合わせる。

スーパーに材料を買い物に行くところから、料理の段取りは始まる。
難しい料理は無理なので、便利な餃子など冷凍食品も活用している。

時にはフライパンでやけどするなど失敗もあるが、
自分で調理すれば、楽しいし節約できる。
少々まずい料理でも、完食できる。




(3)音楽

音楽は、弦楽器のプサルテリーを時間を見つけて15分ほど弾く。
月に1回は指導を受けている音楽家の折山もと子さんが開く楽器練習会に必ず参加、
デイケア仲間と楽しむ。

ウクレレも最初に比べると、格段に上達している。

プサルテリーをやり始めたころ、
TBSラジオの番組、永六輔さんの「六輔七転八倒九十分」に生出演した。
2016年1月のことだ。

軽度認知障害(MCI)と診断されてから、どんなトレーニングをしたか、
問われるまましゃべった。

そのときにどんな音がするのかと聞かれ、
「上を向いて歩こう」(中村八大作曲、永六輔作詞)のさわりを弾いた。

すると、
「選曲がいいね」
と車椅子の永さんは、にっこり。

生番組で間違えたらどうしようと思ったが、平静でいられた。
30年以上のお付き合いがあった永六輔さんが、亡くなる半年前だった。


音楽は「継続」に欠かせないアイテムだ、と最近特に感じている。
スポーツクラブでは音楽に合わせて、身体を動かすズンバを始めた。

最初は動きが音楽に遅れて
「横や正面の鏡を見ると、タコ踊りにしか見えない」と自分で思ったし、
周りの女性に笑われている気がしてヒケた。

でも、トレーナーから「自分流に身体を動かせばいいのです」と言われて
構わずに続けるうちおもしろくなった。


折山さんから習った「わからないときは、ごまかす技術」は、だいぶ向上した。

音楽に合わせて身体を動かすと、ドーパミンという神経伝達物質が出て
気分を良くすると言われている。
運動や美術も音楽を聴きながらやると、楽しい気分になるのはそのせいだ。


スポーツクラブでは、パラリンピックの正式種目であるボッチャも始めた。
白のボールの近くに2チームが、赤と青のボールを近づける競技。
氷上のカーリングに似た部分もある。

力を加減して、ボールを投げるのがコツだ。
仲間同士で作戦を練る必要もある。

本山さんにそのことを話すと、

「ボッチャは、私も認知症リスクを減らすには、有効なゲームだと思っています。
認知症の症状が進むと、力加減ができないケースが多い。

力加減をして、ボールを思った所に投げるには、感覚神経が大切です。
それがゲームで養われる。
仲間との会話も生まれるし、どんどんやったほうがいいですよ」




(4)絵画

絵画は、タイミングのいい時間を見つけては、スケッチをする。
絵が好きだったぼくは、デイケアの美術療法プログラムは得意で、毎回プログラムに集中できた。

ぼくは軽度認知障害(MCI)と診断されたことを
誰よりも先にスケッチに何度も同行した画家の安野光雅さんに報告した。

集中力を養うために行っている美術療法をめぐりスケッチが
本当に有効なのか、と安野さんに聞いたことがある。


「凝視という言葉があるでしょう。
じーっと対象物の花を集中して見続けると、他のものが見えなくなる。

例えば、この店のメニューのアラカルトという文字の『ル』を集中して、
5分間凝視してごらん。
『ル』が浮き上がって、他の文字が見えなくなる。
絵を描くのには、集中力が必要になってくる」


なるほど。
集中力の高まりが、作品を描くたびに感じられた。
どんどんうまくなっているような錯覚にも陥って、あるとき、

「ぼくの作品です。進歩したでしょう」
と不遜にも安野さんに数点見せたことがある。

すると、安野さんは直接の評はさけて、

「知り合いに有名なテレビ記者がいてね。
絵を描くのが好きで、誰にでも作品を見せたがる。
人を集めて画廊で展覧会までした。あまりうまくもないのに」

やんわりと自宅で楽しみなさい、とアドバイスされたのだろう。

それでもぼくは、デイケアで教わったことを進化させて、
紙粘土を使ったアートフラワーや人形を作ったり会った人の似顔絵など描いたりして、
ささやかにアピールしてもいる。


作品をデイケア仲間や隣人にあげると、お世辞でも喜んでもらえることが張り合いになって、
また脳を刺激するみたいなのだ。
カバンには絵の具や筆、4Bの鉛筆(最近は紙粘土も)を常備、喫茶店で絵を描くことも。




(5)昼寝 

不眠症に悩んで、睡眠導入剤を服用していたがやめた。
時々、昼寝。30分ほどウトウトするとスッキリ。
それ以上は、夜眠れなくなるので注意。


(6)歯磨き 

歯磨きセットを携帯、人と会う前には必ず磨く。
1日5、6回は、磨いているはずだ。
一定時間磨かないと気持ちが悪い。


(7)脳トレ 

脳トレは、朝起きてすぐ5時20分から15分、
iPadでアメリカで開発された認知機能アップゲーム「ブレインHQ」を開く。


不定期に入ってくる取材や原稿書きの仕事をこなし、
スポーツクラブにも通っているので、結構タイトな日々だ。
そのなかで「七つの習慣」をできる限り続けている。


デイケア仲間は、毎日そんなにいろんなことが、できるはずがないと言う。
でも1項目につき所要時間は、15分から20分ほど。

もちろん楽しいから続くのだ。
楽しむことは、継続のもう一つのキーワードだと思う。
ストレスになるなら逆効果。

筋トレがつらければ、ラジオ体操でもいい。演奏を歌に変えてもいい。
自分だけのオリジナルの習慣を作ってみては。

楽しいと思えることを見つけて、一つか二つだけでいいから
習慣化することができるといいと、ぼくはそう話している。(フリー記者・山本朋史)・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
今回、フリー記者・山本朋史さんの寄稿文に導かれて、
《・・健常でも継続するべき「7つの習慣」・・》多々教示され、微苦笑したりした。

(1)運動に関しては、
殆ど毎日のように自宅の周辺にある遊歩道、公園を散策しているが、
デジカメを持つことが多く、ともすれば忘れてしまう情景もあり、
魅せられた情景を一期一会ねぇ・・、と記憶のかたみと撮ったりしている。

こうした関連で、立ち止まったりして、この後は早足で歩いているが、
実情となっている。

(2)料理に関しては、
家内が家内の母を介護に行っている時は、私は『おひとりさま』になったので、
程々の若葉マークの初心者として、実行してきた程度である。

(3)音楽に関しては、
私は楽器も弾けず、楽譜も読めない身であるが、
聴くことは大好きなひとりである。

(4)絵画に関しては、
私は小学生の時、写生などでリンゴを描いても、
美味しそうに描く意欲ばかりで、結果的には通信簿『2』の劣等生となっていた。

(5)昼寝に関しては、
このサイトで、幾たびも記載してきたので、省略する。

(6)歯磨きに関しては、
タバコを喫っていた一昨年の初春まで、一日に数回を磨いていたが、
禁煙後の今は、朝と寝る前に、丁重に磨いている程度である。

(7)脳トレに関しては、
特に行っていないが、好奇心を失くしたら、この世は終わりだ、
と信条を重ね、何ごとも好奇心が衰えず、過ごしている。



このような私は、これといった特技もなく、年金生活16年半を享受して、
こうして過ごせるのは安楽だよねぇ・・と思い深めたりしている。
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東京五輪の観戦料、国民ひとり当たり3万2000円、少しボケた私は、算出して・・。

2021-08-09 15:38:57 | 時事【社会】

昨夜、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ている中で、

過ぎし昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、新型コロナウィルスの烈風下の中、東京五輪の開催に関して、
確か今年の4月の頃は、国民は賛成30%、延期・反対70%で、
分断されていると学んだりしてきた。

この間、菅首相は東京五輪の開催に関しては、
「人類がウイルスに打ち勝った証し」として、何とか五輪の大成功を国民にアピールし、
祝祭ムードの追い風を受けて、やがて衆院解散・総選挙、自民党総裁選になだれ込む・・・、

こうした野望で、緊急事態宣言の中でも、強引に東京五輪を推進してきた・・、
私は感じてきた。

しかしながら、感染の実態は増えるばかり、無力な私は溜息ばかりし、
『祭りの後』の深情となったりしている。

このような私は、《・・東京五輪に注ぎ込んだカネは3兆円超・・》、
やはり巨額で、いずれ税金で精算されると思いながらも、記事を読んでしまった。

この記事は、ときおり愛読している【 日刊ゲンダイDIGITAL 】に於いて、
8月4日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・今週末8日で、東京オリンピック・パラリンピックの前半戦、オリンピックが終了する。
総額3兆円を超す巨費を投じた祭りだが、国民はメダルの数に一喜一憂することなく、
大会収支についても冷静な判断を下さなければいけない。

<picture><source srcset="https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/292/857/cd30cffb3da0e0f4e82a51d289325d2620210803133854691_262_262.webp" type="image/webp" />夏季オリンピックの開催経費(東京五輪開会式で花火があがるオリンピックスタジアム)/(C)真野慎也/JMPA</picture>
夏季オリンピックの開催経費(東京五輪開会式で花火があがるオリンピックスタジアム)/(C)真野慎也/JMPA
拡大する
  

3兆円分の感動はあっただろうか。

招致段階で総額7340億円だった「大会経費」は、
コロナ前の段階で、1兆3500億円に拡大。

さらに1年延期による2940億円の増加分が加わり、
現在は1兆6440億円と公式発表されている。


この大会経費とは、別に会計検査院が2018年までに、
1兆6000億円程度の「関連経費」がかかったと報告しており、
総額は少なく見積もっても3兆2000億円を超すことになる。



この金額がいかに高いかというと、
例えば2021年度の「学習者用デジタル教科書普及促進」予算は22億円、
「不登校児童生徒に対する支援」が3億円、
「環境エネルギー分野の研究開発推進」が233億円であることを見ても分かるだろう。


すでに政府は、2022年度から「雇用保険料の値上げ」を検討しているが、
それぐらい厳しい財政状況であるならば、
なおさら五輪にかかったお金の精査が必要だろう。

特に直接の支出である「大会経費」は、厳しい調査が必要だ。

今年6月、誘致の際に要したとされる“賄賂”のカネの流れを知るIOC経理部長(52歳)が
電車にはねられるという謎の死を遂げているが、
これまでのように大会が終わったと同時に、
重要文書が「破棄されたり」、「どこかへ紛失する」ことだけは避けたい。

☆4497万円のゴルフカート賃貸料は高すぎない?

運営に関わる調達物は、原則、競争入札で行われた。

その中で「ゴルフカートの借り入れ」の4497万円は、
果たして適正な金額なのか、議論の余地はあるだろう。

また、「選手村ランドリーサービス業務委託」の2億5422万円に対し、
サッカーマラソン・競歩選手のランドリーサービス業務委託」の7156万円は
少し割高ではないのか?




■競技施設の運営権を民間に売却


五輪後に、民間に安価で“払い下げ”られる競技施設にも、チェックが必要。

総工費370億円の「有明アリーナ」は、2046年3月まで「電通」を代表に、
NTT
ドコモ」、「アミューズ」、「アシックスジャパン」などで構成される企業体に
運営権が譲渡される。

契約料は25年で約94億円(プラス利益の半分)と格安で、
1万5000人収容の施設は、コンサートや文化イベントなど多方面に活用できる。




国民の批判を受けて、総工費2520億円を1569億円に削った「オリンピックスタジアム(新国立競技場)」も
今秋には、公募で運営事業者が決められる。

契約料や契約期間の詳細はまだ伝わってきてないが、
世界でも有数の超一等地にある施設だけに、妥当な金額で契約を結んでもらいたいところだ。


一方、有明アリーナや新国立競技場と違い用途が限られる「東京アクアティクスセンター」(総工費567億円)は、
大会が終わったら収容人員1万5000人を、わざわざ5000人に減築して運営される。

さすがに水泳以外に使い道がないため、運営権を買ってくれる企業はなく、
都の天下り団体「東京都スポーツ文化事業団」などが、
都議会の承認を経て、指定管理者として運営を任される。

都の想定では、年間収入3.5億円に対し、人件費などの支出は9.88億円。
差し引き約6億3800万円の赤字が、毎年続くという。

☆疑惑には事欠かない

同様に都の想定では「海の森水上競技場」(308億円)は、年間1億5800万円、
「カヌー・スラロームセンター」(73億円)は、年間1億8600万円、
「大井ホッケー競技場」(48億円)は、年間9200万円、
「夢の島公園アーチェリー場」(45.4億円)は、1170万円と
それぞれ赤字を垂れ流す。

もっとも、これでは収まり切らないといわれている。


一部業者による運営スタッフ給与の大幅な中抜き、選手村用地の格安売却、
パートナー(スポンサー)企業への優先的な工事発注など、
疑惑には事欠かない今回の五輪。

オリンピックという祭りの後は、不明朗なカネの流れに鋭いメスを入れなくてはいけない。
 ・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、東京五輪に注ぎ込んだカネは、少なく見積もっても、
総額は3兆2000億円を超すことになる、と学びながら驚嘆したりした。

余りにも巨額なので、小心者の私は、国民ひとりあたり・・と思いながら、
少しボケた私は、算出したりした・・。

そして総額に対して国民一億人とすれば、3万2000円となり、
東京五輪の観戦料と思いながら、微苦笑したりした・・。

もとより「オリンピックスタジアム(新国立競技場)」は、今後も建物使用料で、
利益はすこしづつ収益されたりすると思われ、
或いは幾つかの建物で、維持管理料だけでも赤字が予測される・・。

そして総額は3兆2000億円は、いずれ国民から収集された税金で精算されるが、
東京五輪の観戦料、国民ひとり当たり3万2000円が、
高いか、廉(やす)く感じるかは、今回の東京五輪で、人それぞれ感じた感動と、
正比例するかしら、と微苦笑したりしている。 
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ワクチンを接種した高齢者の私でも、長き自粛の生活を戸惑いながらも、自身を叱咤激励をして・・。

2021-08-08 14:02:26 | ささやかな古稀からの思い
過ぎし日の2日の夜、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ている中で、
過ぎし昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、ときおりテレビのニュースを視聴したりすると、
新型コロナウイルスの感染の終息をさせる為に、
事前に公的機関による国民全員にPCR検査が実施した上、
予防としてのワクチンの接種も迅速に行う。

こうした中で、政府は感染学の専門家の総合的なアドバイスの施策を取り入れて、
迅速に対処すれば、国民の大半は納得して、やがて終息させる・・。



この間に、私は『緊急事態宣言』が、東京都にされるならば、
もとより首都圏(東京、千葉、神奈川、埼玉の1都3県)一帯に実施しなければ、
効力がないと、思い深めているひとりである。

もとより社会情況からして、通勤、通学、或いは買い物、娯楽などで、
都心に行き来している御方も多く、こうした実態を政府の首脳部が無視して、
感染を終息させることは、無理難題である。

このようなことを昨年の夏の頃に、無学の私でも、思い願ってきた。




過ぎし日、菅首相は、東京や大阪など9都道府県に発令している。

新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を6月20日まで延長すると決めた、
テレビのニュースで私は知ったりした。

しかしながら、会見した菅首相は
「度重なる延長は・・心苦しい限り」と理解を求め、
オリンピック開催への反対論には、「安全、安心の大会に向けた取り組みを進めている」
と発言されていた。

しかし約3週間という延長幅についても、解除の要件についても、
明確な根拠や基準は示されず、幼稚園のクラス会のような中途半端であった。

延長は、やむを得ないとしても、国民にさらなる負担を強いる以上、
どうすれば日常を取り戻せるのか、収束に向けての出口戦略を示すのが、
国の最高責任者の責務である。


そして何かと無知な私は、
菅首相は単なる「五輪ありき」の7月23日開幕の東京オリンピックを見据え、
その1カ月前まで宣言を維持して、感染を可能な限り抑え込む危うい姿勢に、
落胆したりした。

昨今も感染者数が高止まりし、病床の逼迫(ひっぱく)が続く中、
感染者が下がりきらない中で解除した場合、
対策を緩和すれば再度の感染爆発を招きかねない。

そしてオリンピックの日程に縛られることなく、
指標に基づいたリスク分析と評価が必要だ、と新聞から学んだりした。

こうした中、感染のリスクを負うのは私たち国民であり、
菅首相は国民の健康と命を守る責務を放棄したら、
総理大臣の資格はない、と動顛しながら、思い重ねたりしている。




この間、75歳以上のワクチン接種に関して、
私の住む調布市より通知案内書が配達されたのは、5月15日であった。


やがて私は5月20日に、ワクチン接種の予約した結果、
1回目は、6月5日、そして2回目は3週間後の6月26日に、接種を受けたりした・・。

このようにワクチン接種の受けたが、何かと鈍感な私は、平素の体調と変わらず、
微苦笑をしたりした・・。



この間、接種からどのくらいで、感染防御機能は高まるのか?、関しては、
過ぎし日、ワクチンに詳しい北里大学の中山哲夫特任教授がテレビに出演されて、
私は多々教示されたりした。

「1回目のワクチン接種から免疫が働くまでには、10日間から2週間はかかるとみられ、
それまでは免疫応答は何も出ておらず、感染防御能はまずない。

そこから少しずつワクチンの効果が出てくる。
2回目の接種から1週間ぐらいして中和抗体ができることで、
感染や重症化を抑える強い免疫になる。

一方で、ワクチンは2回接種したとしても、
必ずしも100%感染を抑えるわけではないので、
安心して・・あちこち外出していいわけではない。
油断しては、いけない」と私は視聴しながら、学んだりしてきた・・。

こうしたことを学んできた私は、国民の多くがワクチン接種終え、
お互いに自粛すれば、やがて新型ウィルスの烈風が終息化となる・・。

こうした中で、日常生活は蘇(よみが)り、マスクもはずして、
開放感をお互いに享受したいなぁ・・、と念願したりしてきた。



このような深情を秘めてきた私は、
今回の《・・・・》、
どのような事態なの、と思いながら記事を読んでしまった。

この記事は、ときおり愛読している【 日刊ゲンダイDIGITAL 】に於い、
8月2日に配信されて、無断であるが転載させて頂く。

《・・ ワクチン一本ヤリ政権の担当大臣が白旗・・・。


河野ワクチン担当相は7月31日夜、自身のネット番組で
「デルタ株の感染拡大を、ワクチンだけで、どうにかするというのは、なかなか難しい」
と言ってのけた。

デルタ株(インド株)は、ワクチンを接種していても、感染が広がっている。
想像以上に手ごわいウイルスだ。



■CDC「戦況が変わった」


7月30日の会見で、菅首相は
「ワクチン接種こそが、まさに決め手であり、総力を挙げて接種を進めていく」
と強調したばかり。

河野大臣が「決め手」を否定した格好だ。


デルタ株の登場により、ワクチンの限界が浮き彫りになりつつある。
米疾病対策センター(CDC)が「戦況が変わった」と警戒を強めるのが、
「ブレークスルー(突破型)感染」。

ワクチンを2回接種しても、感染してしまうことだ。



米疾病対策センター(CDC)によると、
7月にマサチューセッツ州で起きたクラスターの感染者469人の約74%は、
接種を完了していた。

ウイルスを特定できた133人のうち、9割がデルタ株だった。
接種完了しても、デルタ株には、感染してしまうのだ。


さらに、接種者でも、未接種者と同じくらい、他人に感染させる可能性がある。

デルタ流行前の調査では、接種後の陽性者は未接種者に比べて、ウイルスの排出量は4割少なかったが、
マサチューセッツのクラスターでは、同量だった。
接種者も強力なスプレッダーになり得るのだ。


ただし、ワクチン接種は、デルタ株でも重症化予防の効果は大きく、
米疾病対策センター(CDC)は、接種推奨を続ける方針だ。

☆菅首相は相変わらずワクチンに過度の期待

デルタ株の感染力は、想像以上だ。
1人の感染者が、平均して何人に感染させるかを示す基本再生産数について、
英保健当局は、5~7人と発表しているが、
米疾病対策センター(CDC)は、水疱瘡に匹敵する8~9人と指摘している。
従来株の2.5人の3倍超だ。


西武学園医学技術専門学校東京校校長の中原英臣氏(感染症学)は言う。

「河野大臣が言う通り、ワクチンだけでは、デルタ株に太刀打ちできません。

ところが、菅首相は相変わらず、ワクチンに過度の期待を寄せるあまり、
ワクチン以外の感染対策がおろそかになっている。

緊急事態宣言を拡大・延長しても、インパクトのある新たな対策はありませんでした。

ワクチン接種によって、重症化を防げるとしても、
日本の場合、現在2回接種は約3500万人程度にとどまり、
感染すれば、重症化するリスクは依然高い。

このままでは、感染爆発を抑えられず、ワクチン未接種者を中心に重症者が増えかねません」


「ワクチン接種だけでは難しい」と語った河野大臣が呼び掛けたのは、
マスク着用や手洗いなど感染対策の徹底にとどまった。

アイデアが浮かばないのだろう。まさに、白旗である。
デルタ株がますます大暴れすることになるのか。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、《・・ワクチンを接種していても、デルタ株(インド株)は、感染が広がっている。
想像以上に手ごわいウイルスだ。》、
と学んだりし、動顛をしたりした・・。

そして我が国の菅首相は、ワクチン接種を念仏のように、国民に公言され、
幾たびの緊急事態宣言の中、日本丸のかじ取りを、
幾度も、う
つろな言動で導き、多くの国民を戸惑い、困苦させている

やむなく年金生活の無力な私は、これからも当面、
我が身が可愛いから、自分の身は自分で守る、しかないかなぁ・・、
と思い馳せたりした・・。

こうした中で、私の住む調布市の市報に於いて、
『1都3県緊急事態 夏休み期間中も新型コロナ感染防止対策を』、
発令されている。

2021年8月6日 更新

1都3県共同メッセージ

☆これまでにない急激なスピードで感染拡大中

東京都を中心とした大都市では、
特に20歳代を中心に新型コロナウイルス感染症の感染者が急激に増加しており、
医療体制がひっ迫する可能性が高まっています。


感染力が強いデルタ株が流行しており、中等症の患者でも病状は重く、
軽症であっても後遺症が残るおそれもあります。


こうした状況を踏まえ、これまでの基本的な感染防止策に加え、
夏休み期間における対策の強化・徹底をお願いします。


☆感染拡大を防ぐための皆さんへのお願い

  1. 手洗い・マスク・3密を避けるなどの基本的な感染防止対策の徹底を
  2. 夏休み期間は旅行や帰省はできるだけ中止・延期を
  3. 都県境を越える移動は極力控える
  4. 普段会わない人との接触をできるだけ控える
  5. 大人数・長時間での飲食は控える(路上飲みも慎む)
  6. オリンピック・パラリンピックは、家族など普段から会う人と家で応援


このような市、そして東京都より発令され、都民の私は我が身が大切なので、
守りますよ・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。



昨年の2月より、新型コロナウィルスの烈風に伴い、感染が怖くて、
年金生活の私でも、平素の生活が変貌してきた。

我が家の平素の買い物の専任者の私は、
年金生活の当初より、毎日のように独りでスーパー、専門店に行ったりしてきたが、
3日に一度ぐらいに集約して、買い物をしたりしている。

私は亡き母の遺伝を素直に受け継ぎ、恥ずかしながら男の癖におしゃべりで、
家内はもとより、ご近所の奥様、御主人様と談笑したりしているが、
新ウィルスの烈風からは、『三密(密集、密接、密閉)』に伴い、
マスクをしながら、2メートルぐらい離れて、
手振り身振りも交えて歓談している。

うるわしき御近所の奥様は、マスクなしの方が素敵なのに・・
と余計なことを思ったりしている。

或いは私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であるが、
各地を幾たびも旅路を重ねてきたが、一昨年の5月に家内は大病となり、
初めて入院して、手術を受けたりした・・。

やがて転移に怯えながらも、成功体験してきた沖縄の旅路も再びと思いながら、
昨年の正月を迎えたりした。

そしてプランを思案している昨年の2月に、
新型コロナウィルスの烈風に伴い、沖縄の旅路も延期となったりし、
これ以来、終息したら旅行に行こうよ、と口癖のようになっている。

或いは友人、知人との懇親会も幾たびも延期になったりしている。

このように私は、我が家の3キロ範囲に有る公園、遊歩道を、
独りで人影の少ない時を選定して、散策したりしている。



このような長き自粛の生活、ときには覇気のない日に戸惑いながらも、
自分の身は自分で守りしかないよなぁ・・と自身を叱咤激励をしたりしている。

余談であるが、自粛生活の中、恥ずかしながら73キロとなり、
減量に伴い、食べ物は『トコロテン』、『コンニャクのサシミ』、
ときおり愛食し、この世で贅沢な美味しい食べ物・・と微笑んだりしている。

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東京五輪主題歌、嵐、桑田佳祐でも、なぜ苦戦しているのか、高齢者の私でも学び、やがて微苦笑して・・。

2021-08-07 13:15:43 | ささやかな古稀からの思い

先程、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ている中、
『 嵐、桑田佳祐でも・・なぜ、東京五輪主題歌は苦戦しているのか 』、
と見出し記事を見たりした・・。

私は音楽業界のあるレコード会社を35年近くと勤めて、
2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活をして、早や16年半が過ぎている76歳の身である。

こうした中で、現役時代は音楽の制作に直接かかわらない管理畑、営業畑であったが、
私なりに奮戦し、こうした影響の為が、未だに年金生活の無力な身ながら、
最近のヒット曲・・関心があるので、記事を読んでしまった・・。

この記事は、ときおり愛読している公式サイトの【 オトナンサー 】に於いて、
コラムニストで、テレビ解説者の木村隆志さんが寄稿された記事で、
8月7日に配信されていた。

無断であるが記事を転載させて頂く。

《・・史上最多のメダルラッシュに日本中が沸いた東京五輪が、
8月8日の閉会式で幕を閉じます。



☆サビの歌詞が人々に響いていない?

☆民放5局の足並みはそろわなかった 

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、コラムニストで、テレビ解説者の木村隆志さんの寄稿文に導かれて、
多々教示されたりした。

確かに2004年のアテネ・オリンピックの時は、ゆずさんの『栄光の架橋』の歌は、
日本代表のそれぞれの選手の大活躍などに伴い、相乗効果でヒット曲となったりした。

私は定年退職時の直前時期であったが、カラオケも苦手な私であったが、
ときおり小声で、『栄光の架橋』の歌をかぼそい声で唄ったりしていた。

2012年のロンドン・オリンピックの時は、いきものがかりさんの『風が吹いている』の歌であり、
この当時の私は、幾たびも聴きながら、好感したりしていた。

この時の心情は、この私のサイトに於いて、2016年11月14日に、

NHKの朝ドラ主題歌、老ボーイの私でも、年金生活の中、何かと励まされることが多く・・。
と投稿している。

この中で、いきものがかりさんに関して、再掲載する。



2014年11月初旬、私は確か一週間の前の夕暮れ時、ラジオを聴いていたら、
偶然に私の好きな『YELL(エール)』の曲が流れ始め、吉岡聖恵(よしおか・ きよえ)ちゃんの唄声が聴こえた・・。

この『YELL(エール)』など数多くの名曲を創られたのは、『いきものがかり』というバンドであり、
水野良樹(みずの・よしき)さんと山下穂尊(やました・ほたか)さん、そして同級生の妹・吉岡聖恵ちゃんによる
三人構成のスリーピース・バンドである。
              
私が遅ればせながら、偶然にボーカリストの吉岡聖恵ちゃんの唄声に初めて魅せられたのは、
2004年(平成16年)秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
やがて2008年〈平成20年〉の初秋、私たち夫婦は家内の母を誘い3人で
富山市の郊外にある呉羽山に5泊6日の温泉滞在旅行に、観光バスで行く途中であった・・。

日本海の近くにある高速道路のあるサービス・エリアに休息となり、バスから下り立った時、
お土産売り場の外れのスピーカーから、
何かと好きな徳永英明(とくなが・ひであき)さんの歌に続いて、未知の歌声が流れてきたのである。

♪帰りたくなったよ 君が待つ街へ・・
ぼんやりと聴いていたが、のびのびとした爽(さわ)やかな唄声に、瞬時に魅了されたのである・・。

                       

偶然にこの曲を知り、たまたまその唄声に魅了され、
やがて後日、水野良樹さんと山下穂尊さん、そして同級生の妹・吉岡聖恵ちゃんによるスリーピース・バンドで、
『いきものがかり』というバンド名で、『帰りたくなったよ』という曲名を知ったりした。

その後の私は『花は桜 君は美し』、『SAKURA』、『うるわしきひと』等も知り、
ときおり聴いたりしていた。

そして、彼らが無名時代に夢に向かって路上ライブを長年した後、
メジャー・デビューして3年過ぎ、各地のライブ・コンサートは賞賛を受けている、
と後日にNHKのBS2で『いきものがかり ライブ』を視聴して、改めて知ったりした。

私は偶然に、遅ればせながら彼等の音楽を知り得たのであるが、
何かとすれ違うことの多い人生の中で、
この当時の私は63歳の身であったが、夢中にさせてくれたことに感謝をしたりした。

私は彼らが夢に向かって、無名な時に路上ライブを長年し、
何より詞と曲の良さ、そして聖恵ちゃんの特有な伸びのある唄声で、多くのファンを獲得された、と思ったりした。

                       

確か2009年(平成21年)9月下旬に私が高齢者入門の65歳になった時、
ラジオから『YELL(エール)』の曲が流れ始め、私は聴いたりしていると、
私の高齢者入門の門出を励ますように感じたりした・・。

しかしながら後日に、第76回NHK全国学校音楽コンクール・中学校の部の課題曲『YELL(エール)』と知り、
そして水野良樹さんが作詞と作曲を担当されたと学んだりした。
何かと多感で不安を秘めた中学生や高校生に、人生の途上を励ます歌だろうと解釈したが、
高齢者の私だって、大いに励まされるょ、と独り微笑んだりした。

               

過ぎし2012年7月の初め頃、私は居間で新聞、本を読んだりしている時、
家内はテレビを視聴したりしていると、
テレビから吉岡聖恵(よしおか・ きよえ)ちゃんの唄声が聴こえる時が多くなったりした。

その後に気付いたのであるが、第30回夏季オリンピックがイギリスのロンドンで7月27日から開催され、
NHK放送テーマソングとして、いきものがかりの『風が吹いている』が選定されて、
このグループの女性ボーカルの吉岡聖恵ちゃんが唄っていた、と解ったりした。

そして今日まで、我が家は何かとのNHKテレビ放送を視聴することが多く、
オリンピック開催中に伴い、少なくとも一日に数回は、
吉岡聖恵ちゃんの『風が吹いている』の唄声を聴いたりし、
齢ばかり重ねた高齢者の私でも、励まされるような心情となったりしてきた。

                      

或いは2010〈平成22〉年の5月頃、いつものように私は朝の7時より、
NHKの総合ニュース『おはよう日本』を殆ど視聴していた。

そして家内は、洗濯、掃除に追われているが、
私は家内の茶坊主でコーヒーを淹れたりするくらいで、ぼんやりとニュースだけは見ることが多かった。

そして8時半過ぎまでは、テレビを点(つ)けて、ときおり家内が見るのが、
我が家の習性のようになっていた。

こうした時に、いつものように見ていたのであるが、
『特集 いきものがかり』と表示されながら、彼ら三人がインタビューを受けたり、
ライブのシーンがあったりして、体力の衰えた私でも、思わず微笑を浮かべたりした・・。
       
この少し前の4月の初めの頃だったか、私は居間でパソコンを8時過ぎに開いていたら、
♪ありがとうって伝えたくて・・とテレビから流れて、
私は『聖恵(きよえ)ちゃんの唄声だ・・』と思わずテレビの番組を見たりした。

そしてNHKの連続テレビ小説の『ゲゲゲの女房』の主題歌で、
いきものがかりの『ありがとう』の歌だ、と少し判りかけたのである。

そして彼らの吉岡聖恵ちゃんの唄声に魅せられている私は、
肝要のテレビ小説の『ゲゲゲの女房』内容よりも、殆ど吉岡聖恵ちゃんの唄声を聴き、励まされた・・。


               

余談であるが、私は現役サラリーマンの時代は、あるレコード会社に長らく勤めた身であるが、
彼ら『いきものがかり』の専属契約先のレコード会社とは関係がないが、
良き音楽作品とアーティストに私が魅了された場合は、齢を重ねても絶賛する性格なので、綴った次第である。



このように「いきものがかり」に関して綴っていた・・。

今回の東京五輪に関しては、ときおり私はテレビで視聴しているが、
オリンピックの主題歌は・・と思いながら、強い印象は残らなかった・・。

ただ何度か、桑田佳祐さんの『SMILE~晴れ渡る空のように~』の唄声を、
テレビで偶然に聴いたりした・・。

やはり今回の東京五輪は、新コロナウィルスの烈風下、
開催に日本国民でさえ、賛否両論でしてきた・・。

このような根底があるので、国民の多くが熱気につつまれて、
♪栄光に満ちた孤独なHERO  夢追う人達の歌
口づさんで、愛唱されづらいだろう・・と私は感じ深めたりしている。
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広島に向かって、77歳になる無力な私は、哀悼の意を表して、ただ黙祷を重ねて・・。

2021-08-06 13:24:01 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の9月の誕生日を迎えると満77歳の身であるが、
洗面した後、玄関庭に下り立ち、襟を正して黙祷したのは朝の6時半過ぎであった。


私は1944年(昭和19年)9月に都心の郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年(昭和20年)8月15日に敗戦となった。

そして敗戦時は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
8月6日のこの日の午前8時15分に、
対戦中のアメリカが人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下され、
少なくとも15万人の人が即死し、数多くの方が被ばくされたことは学んできた。
          
このことは戦勝国となったアメリカの歴史をどのように描いても、厳然たる事実である。

                    
本日は、76目の原爆の日を迎えた。

この後、恒例となっている広島市にある平和記念公園では、
午前8時から市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が行われる。

           

私は沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、9日の『長崎被爆』、
そして15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』は、黙祷をして54年となっている・・。

そして、かの大戦で余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
この日は広島の空に向い、人々に哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

          
          
第2次世界大戦中、アメリカのルーズベルト大統領はドイツに原爆開発で先んじられることを恐れ、
やがて1942年8月に軍部主導によりマンハッタン計画発足させた。

そしてルーズベルト大統領が死去後、選出されたトルーマン大統領は原爆開発のマンハッタン計画の実態を知らされ、
動顛したが、やがて日本を降伏させる『ポッタム宣言』をイギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相と
協議する中、1945年7月16日 ニューメキシコ州アラモゴードで原爆実験に成功を知った。

そしてアメリカは、大戦後の状況を圧倒的な優位を確保する為に、特にソ連を意識して、
核兵器の威力を誇示させて、8月6日に 広島に原子爆弾投下、9日に長崎に原子爆弾投下した、
と私は思いを深めている。

この後は周知の通り、戦後は東西冷戦体制の中で、核開発競争は激化し、
アメリカに続き、ソ連、イギリス、フランス、中国の各国が原爆実験に成功させて、
核兵器は世界へ拡散する時代に邁進した。

こうした核兵器開発競争は、もとより地球を破壊し人類を滅亡させるにはあり余るほど、
核兵器の製造・備蓄、そして核実験による地球環境の破壊、
更に核実験場周辺に多数の被曝者を生み出してしまった。

やがて1998年5月、インド、パキスタンが相ついで核実験を行ったことにより、
世界は核兵器保有国がさらに増えていくこともあり得る危険な局面を迎えている。

このように世界の主要国は、核の威力を背景とした軍事力と経済力などで、
したたかな外交が実施され、
それぞれの国は、国益を配慮した政治が行われている現実がある。

そして核兵器廃絶と多く方から念願されても、不条理な世界となっている・・。

                       




このように高齢者の無力な私は、ただ8月6日の朝には、
西の空の果てに有る広島市に向かって、哀悼の意を表して、ただ黙祷を重ねてきたりした・・。

この後、私の住む調布市より、私の住む高台にある拡声器より、
『 本日は広島の原爆の日です・・
まもなく8時15分になりますが、投下された時刻に、
亡くなわれた多くの御方に、哀悼の意を表して、黙祷をしましょう・・
黙祷・・ 』
と報じられて、私たち夫婦は家の中であったが、お互いに襟を正して、黙祷をしたりした。


やがて1時間を過ぎた頃、私はヤフージャパンが配信されたニュースを見たりして、
『 きょう広島原爆の日 投下から76年 核禁条約発効の年 』
と題された見出しがあった。

この記事は【 朝日新聞デジタル 】が8月6日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・きょう広島原爆の日 投下から76年 核禁条約発効の年 

 
原爆投下から76年を迎えた朝、原爆供養塔に手を合わせる人たち=2021年8月6日午前5時21分、広島市中区、金居達朗撮影
© 朝日新聞社
原爆投下から76年を迎えた朝、原爆供養塔に手を合わせる人たち=2021年8月6日午前5時21分、
広島市中区、金居達朗撮影


広島への原爆投下から6日で76年を迎える。
広島市中区の平和記念公園では、平和記念式典が開かれる。

あらゆる核兵器の開発、実験、生産、保有、使用を許さず、
核で威嚇することも禁じる初めての国際条約「核兵器禁止条約」が1月に
発効して初めて迎える「原爆の日」。

長年、核兵器廃絶を訴えてきた被爆者たちの活動が、一定の実を結ぶ一方で、
被爆者の平均年齢は84歳に近づき、高齢化はいっそう進んでいる。

式典は午前8時から、昨年に続いて新型コロナウイルス感染拡大防止のため、
参加者を制限して開かれる。

広島市の松井一実市長は、式典で読み上げる平和宣言で、
被爆者の思いを受け止めて条約に参加するよう日本政府に求めるとともに、
核を持つ国と持たない国との「橋渡し役」となるよう訴える。

被爆から3年後に広島を訪れたヘレン・ケラー氏の言葉を引用し、
市民の力の結集が政策転換を促すと呼びかける。

菅義偉首相は、昨年の就任以来、初めての参列となる。
核兵器を保有する米英ロ仏、インド、パキスタン、イスラエルを含む86カ国が参列予定。

中でも核禁条約を批准している55の国・地域のうち、
ニュージーランドやジャマイカなど20カ国の駐日大使らが参列を予定している。
米国の「核の傘」に頼る日本政府や核保有国は、条約に参加していない。

直前の7月29日には、原爆投下後の「黒い雨」をめぐり、
原告84人全員を被爆者と認めた広島高裁判決が確定した。
原告以外で同じ状況にあった人たちを救済する枠組み作りが今後の焦点となる。

その一方で、被爆者健康手帳を持つ人は12万7755人と、
前年より8927人減った(3月末)。
平均年齢は83・94歳。

式典では、この1年に死亡が確認された広島の被爆者ら
4800人の名前を加えた原爆死没者名簿が奉納される。
死没者の総数は計32万8929人となる。
                (岡田将平)・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


このような朝日新聞デジタルが報じた実態を多々学び、
無力ながら学んだりしている・・。

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空手・清水希容さん、まれな圧倒的に美しさ、高齢者の私でも、見惚(みと)れて・・。

2021-08-05 14:07:05 | ささやかな古稀からの思い
演武をする清水希容
演武をする清水希容
 

《・・ 東京五輪の空手女子形の予選が5日に行われ、
清水希容(ミキハウス)が準決勝のB組で1位となり、
決勝進出を決め銀メダル以上を確定させた。

清水は「本当にいままでいろんな思いしてここまできた。
きょうは全部決勝のつもりでやってきた。

やっと決勝なので、自分らしさを出したい。
決勝まで8時間あくけど、状態を整えたい」と決勝へ挑む思いを吐露した。

清水の快挙に、ネット上でも反響が広がっており、
「清水希容選手キレやばかった!」、
「凄い気迫 画面越しでも空気が違うのが分かる 形は美しい 見惚れてしまう」、
「美しく力強い」、
「清水選手空手の形も綺麗で、本人もめちゃくちゃ綺麗・・・」、
「清水希容さん、素敵すぎんか、、、宝塚の男役にもいはりそうな、、凛とした空気、、、」、
「空手の清水選手美人でかっこよくて最強だった・・・目が離せなかった美しさ」などの声があがっている。 ・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、改めて空手・清水希容さんに関して、
まれな圧倒的に美しさ、高齢者の私でも、見惚(みと)れたりした・・。

そして私が30歳ぐらいの若さであったならば、
《・・空手の形も綺麗で・・本人もめちゃくちゃ綺麗・・》、
と瞬時に賞賛した、と思われる。



こうしたことに夢のようなひとときを感じたりし、
やがて幾たびの緊急事態宣言の中、我が国の菅首相は、
日本丸のかじ取りを幾度も、念仏のように、うつろな言動で導き、
多くの国民を戸惑い、困苦させている


この際、清水希容さんのお力を借りて、菅首相を正気で清務させるように、
気合一発、菅首相を叱咤激励をして頂きたい、と私は夢想している。
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幾たびの緊急事態宣言、30代主婦が子供の“自粛疲れ”を感じた瞬間、高齢者の私は学び、悲嘆を重ねて・・。

2021-08-04 13:53:56 | ささやかな古稀からの思い

昨夜、ヤフージャパンより配信されたニュースを見ている中、
『「家にいるからあれ買って!」
       30代主婦が子供の“自粛疲れ”を感じた瞬間 』、
と題された見出しを見たりした・・。

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
 

このように我が家は、娘も息子もいなく、まして孫もいないためか、
ときおり社会の情況を知ることなく過ごしていることがある。



今回の《・・30代主婦が子供の“自粛疲れ”を感じた瞬間・・》って、どのようなことなのですか、
と思いながら記事を読んでしまった。

この記事は、『 マネーポストWEB 』に於いて、8月3日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く・・。 

《・・ 新型コロナ緊急事態宣言下、無観客ではあるが、
五輪のさまざまな競技で熱戦が繰り広げられている。

日本選手のメダル獲得が連日ニュースを賑わせている一方で、
新規感染者数は、東京を中心に過去最多を更新するなど、
多くの人にとって、ストレスフルな日々が続いている。



その影響は、せっかくの夏休みに、自宅で過ごすことを強いられる子供たちにも及ぶ。
2人の男児を育てる30代主婦に、フリーライターの吉田みく氏が話を聞いた。


夫とともに9歳、5歳の息子2人を育てる都内在住の専業主婦、
佐藤千尋さん(仮名・38歳)は、子供たちに“自粛疲れ”が見られるようだと気になっているという。

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。


 
今回、幾たびの緊急事態宣言の中、ある9歳と5歳の男の子の心情を学び、
無力な私は、可哀そうにと悲嘆したりした。

過ぎし日、私は公園で、『学校の運動会が中止でも、なぜオリンピックはできるの・・』、
と学童の男の子が、若きママに訊(たず)ねたりしているのを、
偶然に私は聴いてしまった・・。

或いは昨年の4月に都心の大学に入学した地方の大学生のある男性が、
新コロナウィルスの烈風で、都心の学生寮に入所しても、学校では授業は中止、
帰省は感染の恐怖で、やむなく断念したと、テレビのニュースで私は学んだりした。



過ぎし昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、テレビのニュースなどで、
感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしてる。

こうした中、ときおりテレビのニュースを視聴したりすると、
新型コロナウイルスの感染の終息をさせる為に、
事前に公的機関による国民全員にPCR検査が実施した上、
予防としてのワクチンの接種も迅速に行う。

こうした中で、政府は感染学の専門家の総合的なアドバイスの施策を取り入れて、
迅速に対処すれば、国民の大半は納得して、やがて終息させる・・。

このようなことを昨年の夏の頃に、無学の私でも、思い願ってきた。




過ぎし日、菅首相は、東京や大阪など9都道府県に発令している
新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言を6月20日まで延長すると決めた、
テレビのニュースで私は知ったりした。

しかしながら、会見した菅首相は
「度重なる延長は・・心苦しい限り」と理解を求め、
オリンピック開催への反対論には、「安全、安心の大会に向けた取り組みを進めている」
と発言されていた。

しかし約3週間という延長幅についても、解除の要件についても、
明確な根拠や基準は示されず、幼稚園のクラス会のような中途半端であった。

延長は、やむを得ないとしても、国民にさらなる負担を強いる以上、
どうすれば日常を取り戻せるのか、収束に向けての出口戦略を示すのが、
国の最高責任者の責務である。


そして何かと無知な私は、
菅首相は単なる「五輪ありき」の7月23日開幕の東京オリンピックを見据え、
その1カ月前まで宣言を維持して、感染を可能な限り抑え込む危うい姿勢に、
落胆したりした。

昨今も感染者数が高止まりし、病床の逼迫(ひっぱく)が続く中、
感染者が下がりきらない中で解除した場合、
対策を緩和すれば再度の感染爆発を招きかねない。

そしてオリンピックの日程に縛られることなく、
指標に基づいたリスク分析と評価が必要だ、と新聞から学んだりした。

こうした中、感染のリスクを負うのは私たち国民であり、
菅首相は国民の健康と命を守る責務を放棄したら、
総理大臣の資格はない、と動顛しながら、思い重ねたりしている。



このように私は五輪開催前より、菅首相に失望を重ねてきたが、
過ぎし安倍前首相「コロナに打ち勝った証として五輪開催する」発言に基づき、
「安倍政権を継承し、前に進めることが使命」
と跡を継いだ菅義偉・首相も、幾たびの混迷の言動に、
無力な私でも、困苦し、溜息ばかりしている。

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『日本の夏・八月は 六と九で十五だ』、高齢者の私は、心の中で呟(つぶや)いて・・。

2021-08-03 11:50:43 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
過ぎし7月31日、いつものように我が家の周辺3キロ以内にある遊歩道、
公園などを散策したりした・・。

こうした中で、早くも7月も過ぎ去り、
新コロナウィルスの烈風で自粛、そして東京五輪のふたつで終わってしまったかょ・・、
と微苦笑したりした・・。

こうした中で、公園を歩いたりしていると、この時節にふさわしい情景に、
慰めを頂いたりした・・。





こうした情景をながめたりしていると、
明日より8月かょ・・、と思いながら、やがてひとつの命言が脳裏から舞い降りてきた・・。

この後、言葉にすれば『日本の夏・八月は 六と九で十五だ』、
と高齢者の私は、心の中で呟(つぶや)いたりした・・。


私が『日本の夏・八月は 六と九で十五だ』、と知ったのは、
恥ずかしながら14年前であった。


私の父は、私が小学2年の三学期に、肝臓を悪化されて亡くなり、
母は、私が53歳の時に、婦人系の癌で死去した。

家内の父は、私が民間会社のサラリーマンの定年退職の2004年(
平成16年)の秋の直前に、
腎臓を悪化されて亡くなり、私たち夫婦のお互いの両親は、無念ながら家内の母だけとなっている。

そして家内の母は、我が家から電車・バスなどを乗り継いて2時間ばかりの千葉県のある市で、
戸建てに独り住まいの生活をされている。

私より14歳ばかり齢上の高齢者である家内の母は、
独り住まいの生活をされて、まもなく17年となるが、
ここ数年は、近くに住む家内の妹に見守りされながら、介護施設にお世話になっている。


過ぎし家内の母が独り住まいの生活をされた当初の頃からも、

私たち夫婦は、家内の母を誘い、5年間ぐらいは、
幾たびか温泉滞在旅行などの旅を重ねたりしていた・・。


          

こうした中で、『生きているうちに・・一度は長崎の『原爆資料館』を観てみたいわ・・』、
と家内に要望されたので、 私たち夫婦と家内の母と3人で、
過ぎし2008年(平成18年)2月中旬の時に長崎を訪れた。

家内の母の深淵には、戦時中の時は、新潟の高田町(現在・上越市)で青春期の女学校の時代、
多くの同級生と共に、学徒動員により軍事工場で労働にした身であったりした。

この当時の日本は、敗戦にたどる時期、殆どの国民は幾たびか空襲の中、悲惨で過酷な時期であった。

こうした家内の母の体験もあったので、特に独り住まいとなった頃から、慰霊の心情を深めてきた。

そして私たち夫婦は、家内の母と共に沖縄の『ひめゆりの塔』や『平和記念館』など、

その後は鹿児島の『知覧 特攻平和会館』などの旅を重ねてきた。

          

そして長崎を訪れている間、私は家内たちとは別行動で、独りで長崎の各所を拝観したりした。

こうした中で、私は何かしら後ろめたいような心情で、長崎の『原爆資料館』に初めて訪れた。

そして、改めて過酷な実態を知り、その当時のことはもとより、
被爆された後からも、心身ともに苦痛な日々を過ごされている人たちを思い馳せたりすると、
私は『原爆資料館』を辞する時、涙があふれた・・。

私は旅立つ前に、永井 隆(ながい・たかし)氏の略歴を学んだりしていたので、
未知の長崎医学大学の前を歩いたりし、 初めて訪れる『長崎市 永井隆記念館』を探し求めながら、
氏の人生の歩みに圧倒される思いを馳せたりし、2月にしては暖かい陽射しの中を独り歩いたりした。

               

やがて『永井 隆記念館』で拝見した後、館内の売店で買い求めた本が、
永井 隆・著作の『長崎の鐘』(1946年)、そして『この子を残して』(1948年)で、
私は旅先のホテルで、遅ればせなから初めて読んだりした・・。

この本の中に栞(しおり)があり、
《 日本の夏・八月は   六と九で十五だ  忘れない広島・長崎・終戦の貴重な体験  ながいまこと 》
と明記されていた。

ながいまこと氏は、永井 隆氏の御子息であり、
長崎市立の『永井隆記念館』の館長をされている永井誠一氏である。

私は氏の《 日本の夏・八月は 六と九で十五だ 》のフレーズは、
確かな日本の夏の命言、と深く教示され、今でもこの栞(しおり)を大切にしている。

           

こうした中で私は年金生活をしている中、たとえば読書に関しては、
この8月の時節になると、原民喜・著作の『夏の花』(1947年)、阿川弘之・著作の『春の城』(1953年)、
竹西寛子・著作の『管絃祭』(1963年)、井伏鱒二 ・著作の『黒い雨』(1966年)、
福永武彦・著作の『死の島』(1966年)などを再読してきたので、この作品を思い馳せたりしている・・。

そして永井 隆・著作の『長崎の鐘』を再読し、『長崎』に思いを馳せたり、
6月23日の『沖縄慰霊の日』を始めとする『沖縄』の関係する本と、
8月15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』に関連する昭和近代史に関しては、
数多く乱読しているが、今回は省略する。

このような私の深情から、永井隆氏の御子息の永井誠一氏の至言、
《 日本の夏・八月は  六と九で十五だ  忘れない広島・長崎・終戦の貴重な体験  ながいまこと 》
確かにそうですよねぇ、と私は深く思い重ねながら、早や14年が過ぎている。

           

私は1944年〈昭和19年)9月下旬に、今住んでいる近くで農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945年〈昭和20年)8月15日に敗戦となった。

そして敗戦時は、私は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
8月6日のこの日は、 対戦中のアメリカが人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下され、
少なくとも15万人の人が即死し、数多くの方が被ばくされたことは学んできた。

このことは戦勝国となったアメリカの歴史をどのように描いても、厳然たる事実である。

そして沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、そして9日の『長崎被爆』、
この後の15日の『終戦記念日』と称せられる『敗戦記念日』は、
私としては黙祷をして54
年目となっている・・。



こうした根底には、かの大戦で、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも、深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
少なくともこうした日は、哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

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60歳以降の7割が尿意で目が覚める、こっそりと76歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2021-08-02 15:12:50 | ささやかな古稀からの思い

☆夜1回以上起きる「夜間頻尿」3つの原因

睡眠中に起こる排尿感で、夜間に1回以上起きてしまう症状を「夜間頻尿」といい、
その原因は主に3つあると、石井クリニック(埼玉県・浦和)院長で泌尿器科専門医の石井泰憲さんは言う。

「1つ目は、尿量が多い『多尿』。
    特に夜間の尿量が多いケースを『夜間多尿』といい、
    寝る前に水分を過剰摂取していたり、
    薬の副作用、高血圧や心不全・腎機能障害などの病気が原因で起こります。

 2つ目は、膀胱が小さいケース。
    尿を少量しかためられないため、膀胱が過敏になり、
    ちょっとしかたまっていなくても尿意を感じてしまいます。
    この場合、昼も頻尿なことが多いです。

 3つ目は、『睡眠障害』。
    眠りが浅いなど、睡眠に問題があるのに、
    尿意で起きたと勘違いし、目覚めるたびにトイレに行きたくなるケースです」(石井さん・以下同)

夜間頻尿の主な原因3つを表した図
夜間頻尿の主な原因は次の3つ。
「多尿(夜間多尿)」、「膀胱が小さい」、「睡眠障害」。
夜間頻尿は多尿のほか、膀胱や睡眠に問題があるケースも。
自分がどのタイプなのかを見極めるのが改善の近道

☆水分の摂りすぎによる「夜間多尿」が最も多い

 このなかで「夜間頻尿」の原因として最も多いのが、「夜間多尿」だという。

「『夜間多尿』のほとんどが、水分の摂りすぎで起こります。
特に、薬やサプリメントを常飲している人は、無意識に水を多く飲んでいます。

1日の尿量は平均1500mlですから、摂取する水分量を1000ml程度にすれば、
症状が改善されます」


水分を過剰に摂取していないのに、1日の尿量が2000mlを超える場合は、
心臓や腎臓に病気があるかもしれないので、専門医への相談が必要だ。

「まずは、自分が1日にどれくらいの量のおしっこをしているのか知ることが、
『夜間頻尿』の原因を特定し、対処法を考えるための手掛かりとなります。

そこで役立つのが、排尿日誌。
おしっこをした時間と量を記録することで、
頻尿の可能性、日中と夜間の尿量の差、1回当たりの排尿量などがわかります。

夜間の尿量が、日中の3分の1以下なら正常ですが、
それ以上ある場合は、『夜間多尿』の可能性が高いといえます」

3回以上トイレに起きる人の割合グラフ
3回以上トイレに起きる人の割合 ※本間之夫ほか「日本排尿機能学会誌2003」より

☆夜間の尿意には、むくみが関係している

夜間多尿は、水の飲みすぎだけでなく、脚のむくみも関係していると、石井さんは続ける。

「日中、座り姿勢や立ち姿勢で、長時間過ごしていると、
重力で血液が脚にたまり、むくみが生じます。

そのまま寝ると、脚にたまった血液が心臓に戻ろうとし、その過程で腎臓の血流が増します。
すると、余分な水分で尿が活発に作られ、夜間におしっこに行きたくなるのです」

そのため、むくみは起きている間に解消した方がいい。

「むくみを解消するには、足首からふくらはぎへとさするマッサージや、脚を高くして横になり、
15~30分過ごすのが効果的。

そのほか、風呂で体を温めて血流をよくしたり、
夕方の散歩、医療用の着圧ストッキングの活用もおすすめです」

特に、ふくらはぎマッサージは、「夜間頻尿」の予防にもなるので、
症状が出ていない40代や50代から習慣にするといい。
具体的な方法を紹介する。


☆ふくらはぎマッサージのやり方

■健康なふくらはぎの状態

□ 手のひらより温かい

□ 柔らかいのに弾力もある

□ 皮膚にハリがあり、押しても痛みはない

□ しこりがなく、中まで柔らかい

□ 指を離すと同時に、元の状態に戻る

※全部当てはまれば、理想的なふくらはぎ。
 1つでも当てはまらない項目があった人は、マッサージや、下記の脚上げで改善が必要です!

 

ふくらはぎマッサージのやり方イラスト

【1】気持ちいいと感じる強さで、足首から上にもみ上げる

痛みを感じる部分やしこりのある部分は、丁寧にもみほぐすこと。
強い力で行うと、筋肉や静脈の弁にダメージを与えるので注意。
脚の冷えが気になる人は、ふくらはぎを温めながら行うと、深層部の血流もよくなるのでおすすめ。

【2】寝る2~3時間前に行う

寝る直前に行うと、夜中におしっこに行きたくなるため、
寝る2~3時間前に行い、おしっこをしてから、床につくのがベター。
タイミングとしては食後や入浴中がおすすめ。
マッサージは両脚で15~30分程度を目安にする。

■つぼ押しで代謝アップ

ふくらはぎには、代謝を上げるつぼが集まっているので、
マッサージと同時に左のつぼを刺激すればむくみの解消に。

・委中(いちゅう)…ひざの裏

・承間(しょうかん)…ふくらはぎの盛り上がった部分

・承山(しょうざん)…ふくらはぎの筋肉のいちばん下

・三陰交(さんいんこう)…内くるぶしから指4本分上


☆夕方の脚上げのやり方

血液が戻りやすいよう脚の高さは、心臓より高くするのがポイント。

 

脚上げのやり方のイラスト

【1】クッションなどの上に両脚をのせる

仰向けに寝て、両脚をクッションなどの上にのせ、心臓より高い位置で15~30分キープする。
クッションは腰や脚に痛みや違和感が出ない程度の高さにすること。

【2】寝る2~3時間前に行う

寝る直前に行うと、夜中におしっこに行きたくなるため、寝る2~3時間前に行い、
おしっこをしてから床につくのがベター。
必ず目を覚ました状態で行うこと。


おしっこにまつわる疑問を解消【Q&A】

Q:子供の「おねしょ」も「夜間頻尿」?

A:抗利尿ホルモンが原因。成長とともに治まります

「夜の尿を少なくするための『抗利尿ホルモン』は、
2~10歳までに分泌が充足するとされています。

これには個人差があるので、2歳でおむつが取れる子もいれば、
小学生になってもおねしょをしてしまう子も。
病気ではないので叱らずに、気になるなら医師に相談して、ホルモンを補充する薬を服用するのも手」


Q:突然の尿意、止める方法はある?

A:階段を上る姿勢が排尿感をやわらげる

階段を上るシニア女性のイラスト
階段を上る姿勢が尿意を抑える

「つま先に体重がかかった姿勢は、膀胱を圧迫します。
ですからその逆の、かかとに重心をのせた、階段を上るときのような姿勢を取ると、
背骨が伸びて膀胱を圧迫しないので、尿意が抑えられます」



Q:夜間頻尿になりやすい食品とは?

A:アルコール、柑橘類、唐辛子などはNG

アルコール、人工甘味料、コーヒーや紅茶、みかんなどの柑橘類、唐辛子やこしょう、
炭酸水、塩分などは、利尿作用が高かったり、膀胱を刺激しやすい成分を含むので
夕方以降に摂るのは控えよう。


Q:おしっこの長さは普通どれくらい?

A:健康な排尿時間は秒

人間に限らず、犬やライオンなど哺乳類はすべて、
体の大小に関係なく膀胱にたまった尿を空にするまで、
21秒プラスマイナス13秒かかると、2015年のイグノーベル物理学賞を受賞した研究結果で明らかに。

ちなみに、トイレの消音装置の起動時間は約25秒。
この秒数よりも長くおしっこが出ていたら老化のサインかも。


☆教えてくれた人

石井泰憲さん/石井クリニック(埼玉県・浦和)院長で泌尿器科専門医

取材・文/佐々木めぐみ イラスト/尾代ゆうこ ・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

 
 

記事を読みながら多々教示されたりした。

我が家の家内は、コーヒーが好きで夕食後も愛飲し、
朝になると私に、夜中にトイレに行ってしまったわ、と微苦笑しながら私に言う時もある。

今回、夜間頻尿になりやすい食品、学びながら、成程ねぇ、と私は苦笑して、
家内に教えてあげよう・・と思ったりした。



過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は健康診断の結果、
糖尿病と明示されて以来、
食事の内容はもとより、ひたすら歩き廻ったりして、やがて半年後に大幅に改善されている。

これ以来、最寄の内科専門医院に4週間毎に通院して、定期検査日、
その後の4週間過ぎた時に検査結果を受けているが、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。

こうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。

そして8週間毎に定期検査は、脈拍、血圧、採血、採尿などを受診しているが、
異常なし、と判定されて、安堵しながら今日に至っている。

しかながら私は朝から夕食までに、冷やした煎茶やアイス・コーヒーを多く飲んでいる為か、
7回ぐらい、トイレに行き、『おしっこ』をしている。

              
こうした時、
家内の父は腎臓が悪化して、やがて私が定年退職の直前に死去してきたので、
ときおり私は、腎臓に気にする時もある。

そして『おしっこ』が順調に出てくれるとき、
腎臓が一生懸命に働いてくれた成果だねぇ・・と心の中で呟(つぶや)きながら腎臓に感謝している。

或いは夜は、寝る前に『おしっこ』をしているが、夕食にビールを多く呑まない限り、
朝まで熟睡していることが多く、トイレに行くことは無縁となっている。

果たしていつまで、齢相応に順調なのか解からないが・・と思ったりする時もある。



余談であるが、私は農家の三男坊として生を受けたが、
恥ずかしてことながら、5歳の頃まで、ときおり寝ている間、
布団の中で『おしっこ』をした体験を秘めている。

そして『おしっこ』をしてしまった布団が、陽当たりの良い処に干され、
こっそりと反省をするが、一週間後に『おしっこ』をしてしまい、
何かしら『おしっこ』に劣等感と屈辱感が混とんとした深淵を、
心の片隅に残ったりしている。

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