こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。
しかしながら私は何かと無知なこともあり、
今回の《・・老後快適に暮らすための5つの注意ポイント・・》、
遅ればせながら学びたく、どのようなことですか・・、
と思いながら記事を読んでしまった。
この記事は、『女性セブン』の2020年8月12日号に掲載され、
関連の【 介護ポストセブン 】に於いて、8月13日に配信され、
無断であるが記事を転載させて頂く。
《・・ 定年を迎え、現役時代にやり残したことを、
老後に始めたいと考えているかもしれない。
しかし、収入も体力も低下する老後は、
迂闊に手を出すと思いがけないトラブルを引き起こす危険も・・・。
老後穏やかに暮らすための暮らしや人間関係について、
注意すべきことを専門家に解説いただいた。
☆老後に”始めてはいけない”暮らしのルール
定年が人生の節目だからといって、生活環境を大きく変えることは、
快適な暮らしよりトラブルのもとになりそうだ。
介護・暮らしジャーナリストの太田差惠子さんが話す。
「夫に先立たれた場合、子供家族との同居を考えるケースはよくありますが、
生活スタイルが合わずに、ストレスを抱える人がとても多い。
子供家族を実家に招き入れて同居を始めてしまうと、
再びひとり暮らしに戻りたくても、どうすることもできません。
いきなり同居するのではなく、お試し期間を設けて相性を確認するといい」
子供や孫とは、適度な距離を置く方が、いい関係を保ちやすい。
しかし、そこにも落とし穴はある。
☆孫がかわいいからと、援助しすぎると・・。
「孫が、かわいいからと子育てにまで口を出してしまうと、
特に嫁などから、嫌われることがあります。
子育ての常識は、時代とともに大きく変わっているので、なるべく口は出さないでおきましょう。
せめて入学や進学などのお祝いに、お金を包むくらいはしてやりたいと思ってしまいがちですが、
それもよく考えるべき。
一度渡してしまうと、それ以下の金額に下げるのが難しいので、
あまり奮発するのはやめましょう」(太田さん・以下同)
動物が好きな人もいるだろう。
しかし、高齢になってから動物を飼うことは、自分を苦しめる結果となり得る。
「犬や猫も長寿になっており、15年以上生きるケースもあります。
自分に万が一のことがあったとき、誰に託すのか、しっかり決めておかないと、
つらい思いをすることになる。
そういったことを考慮して、シニアには動物を譲らない保護団体もあります」
老後だからと、なんでもがまんする必要はないが、張りきってしまうとトラブルを招く。
大事なのは、資格の取得を始め、老後を迎える前に準備をしておくこと。
逆にいうと、老後まで準備しなかったということは、
やらない方がいいと、割りきる潔さも必要だ。
これまでに培ったスキルや人間関係は大切にしながら、
無理のない範囲で人生の収穫期を楽しもう。
老後の「人間関係・暮らし」にまつわる注意点、上位5つを太田さん監修のもと、ランキングにまとめた。
老後の人間関係・暮らしにおける5つの注意点【まとめ】
【1】子供家族との同居
子供家族とはいえ、別々に暮らしてきた人々と、生活スタイルをすり合わせていくのは
想像以上にストレスがかかる。
さらに意見が対立した際は、孫の手前、親の方が身を引かなければならないケースが多い。
双方に溝が生まれ、良好だった関係にヒビが入ることもあり得る。
【2】長距離の引っ越し
知り合いのいない土地での再スタートは、想像以上に孤独なもの。
新たな土地で友人をつくれなかった場合、
会話量が減少することから、認知症のリスクも上がる。
年齢を重ねて体力が衰えたとき、
助け合える知人がいないことは、孤独死などの原因にも。
【3】習い事
新たな趣味を見つけることは、生活の張りになるが、
大抵の習い事は、月謝、機材費、交通費などで、予算オーバーになりやすい。
さらに、習い事を通じてできた友人の誘いを断れず、交際費がかさむというケースも。
老後は収入が限られているので、本当に必要か見極めを。
【4】孫への出費
祝い事に包むお金や塾などの授業料の援助は、一度出してしまうと金額を下げにくくなったり、
ほかの孫に対しても、払わなければならなくなる。
また、高額なお金を出してしまうと、「老後資金に余裕がある」と思われ、
子供夫婦から頼られる回数も増えやすい。
【5】ペットを飼う
ペットの寿命も延びているいま、犬や猫は、15年以上生きることも珍しくない。
自身が病気で入院したときなど、すぐに預け先が見つからず、
つらい思いをすることも。
かわいがっていたペットとの不本意な別れで、晩年に心を痛めるのは避けたい。
☆教えてくれた人
介護・暮らしジャーナリスト/太田差惠子さん・・ 》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
遅ればせながら多々教示されたりした・・。
【1】子供家族との同居に関しては、
私たち夫婦は、無念ながら子供に恵まれなかったので、対象外となる。
【2】長距離の引っ越しに関しては
私は今住んでいる処は、私の生家も近くにあるので、
私自身としては結婚前後の5年を除き、 この地域に住んで、早や72年近くとなっている。
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、 たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。
私は民間会社の中小業のある会社で35年近く奮戦し、
2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、 多々の理由で年金生活を始めたが、
平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、
季節のうつろう情景を眺めたり、 歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、
原則として路線バスに頼らず、 ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
そして70代の6年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 ときおり願いながら歩いたりしている。
こうした中、我が家の周辺の住宅街は自家用車があるが、
我が家には、自動車がない稀(まれ)な家となっている。
過ぎし2004年(平成16年)定年退職後は、多々の理由で年金生活を始め、
若き25歳前後の生家の自動車を活用して盛んに各地を走行してきたが、 この後はペーパー・ドライバーを長年過ごしきたが、
この機会に自動車を購入して、 私たち夫婦は、国内の各地をドライブしょうかしら、と夢想したりした。
しかしながら私は、無念ながら反射神経が鈍(にぶ)くなった感じ、その上に小心者の為、
万一、交通事故で人さまに傷つけたりして被害者はもとより、加害者の私でも心身の傷を深く残すので、
自動車の運転免許証の更新時に破棄して、自動車の運転を断念したひとりである。
こうした中で、買物、散策などは路線バスにも乗らず、歩いたりしている。
そして駅までの15分前後の道のりも、路線バスなどに頼らず、殆ど歩いたりしているが、
冠婚葬祭、旅行、都心で懇親会などの場合は、タクシーを利用する時があるが、 年平均として3万円前後となっている。
過ぎし私の40代の頃、ひとつの夢を漠然とし考えたりしたことがあった。
私たち夫婦が住んでいる住宅街のそれぞれ住宅が密集し、ともすれば何かしら息苦しい住宅街より、
解放感のある地方の山里に、と想いを馳せたりした。
たとえば八ヶ岳の別荘地の分譲地などで、のんびりと生活することを夢想したりした。
しかしながらこの当時の私は、都心に通いサラリーマンの身であるし、
住んでいる一戸建ての住宅ローンも多額に残っていたので、
もとより収入を別途に挙(あ)げる自信はなく、夢だよねぇ、断念した。
やがて50代の後半になると、山里に300坪前後の土地を求め、
クヌギ、コナラなどの落葉樹の中、平屋建ての30坪ほどに住むことも考えたりした。
この当時は、住宅ローン等の返済を終えていたので、
定年退職する60歳になった時は、 自宅を売却して買い求めて、
老後の生活資金を配慮した場合でも、何とか出来ると思ったりした。
こうした私の根底には、私の住んでいる近くに私の生家もあり、
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。
そして私が小学校に入学した1951年(昭和26年)の春の当時、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑などを耕していた。
或いは祖父の所有していた広い田んぼの中には、小さな川が流れたり、 湧き水もあり、
竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。
そして母屋の宅地のはずれに土蔵、物置小屋と称した納戸小屋が二つばかりあり、
はずれに小さな稲荷を保有して、この地域の旧家は、このような情景が多かった・・。
このような生家は、周辺は平坦な田畑、竹林、雑木林などが拡がり、
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖、と学校の先生たちは称していた。
その後、私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、 生家は大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。
そして1955年(昭和30年)の頃から、都会の人たち達が移住してきて周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年(昭和32年)であるが、
この頃になると都心に勤める方のベットタウンとなり、新興の住宅街に大きく変貌した。
私は消えてしまった故郷の情景、時代の変貌に戸惑いながらも愛惜感を秘め、
このような私の思い、漠然とした山里に平屋建ての生活を家内に相談したら、
日常生活の買物、交通・病院などの利便性から、反対された。
『貴方の好きな本屋さんだって、今は歩いて行ける範囲ょ・・まして、スーパーなどの買物だって・・』
と私は家内に言われたりした。
やがて具体的に指摘されれば、私は確かに好きな音楽CDとか、映画のDVDを購入する店、
或いは本屋に寄って、単行本、新書本、文庫本、雑誌コーナーを見て、
興味を持ったのに手を取ったりして、 やがて買い求めたりする空気が好きで、ここ50数年の習性のようになっている。
そして時折、お洒落(しゃれ)た居酒屋に入店して、知人と談笑するも欠かせなくなっている・・。
『貴方、60代の心身元気なうちは良いとしても、70代頃からの身体が弱ってきた時の事も考えて・・』
と私は家内に言われたりした。
確かに山里に住めば、自動車は必須事項だし、買物も一週間まとめて購入し・・と思ってきたが、
身体の弱った時の通院、そして都心の郊外の文化と利便性には勝てない、と断念した。
【3】習い事
私は自宅で、独りを愉しむ時を過ごすことが多い。
午後よりの大半は、夜に随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くことに享受している。
午前中は、平素の我が家の買い物をしたり、
自宅の周辺にある遊歩道、公園など散策して、魅せられた情景をデジカメで撮ったりしている。
無念ながら忘れてしまうことが多く、記憶のかたみ、として一期一会ねぇ・・、
撮ったりしているが、デジカメの技術の向上に乏しく、購読した本で独学したり、
或いは私がブログで魅せられた御方の写真を拝見して、学んだりしている。
【4】孫への出費
無念ながら子供もいなく、まして孫にもいないので、対象外であるが、
兄、妹の甥っ子が、学生として20歳まで、そして結婚祝い金など、
お祝金として程々に出したりしている。
【5】ペットを飼う
我が家は、家内が犬が好きで飼っていたが、40年前の頃、
垣根からの隙間から、自動車の走行する道路に飛びだして、亡くなり、
我が家の庭の片隅に埋葬している。
こうした痛ましい惨事に、家内は動物を飼うことに断念している。
我が家の庭で、どこかの猫の数匹が幾たびも入り、
ウンチ、オシッコをして、後始末に困苦してきた10数年があるので、
私は猫は苦手となっている。
何かしら敬愛している作家・曽野綾子さん、或いは亡き作家・向田邦子さんは、
猫が好きらしく、雑誌の写真で拝見して、
どうして猫が好きなのか、私は不思議に思ったりして30年が過ぎている。
このようなささやかな私の思いがあり、今後も穏やかに過ごしたい、
と微苦笑をしたりしている。