山形県川西町出身の故)井上ひさしさんの作品に「青葉繁れる」という青春小説があります。東北の名門進学校(仙台一高と思われるが…)に通う落ちこぼれ生徒のドタバタ喜劇であります。夢屋もまた、今では死語となってしまったバンカラな高校生活を送り、何とか大学には進学したのでありますが、8月11日に青森県弘前市の級友『元さん』から同級会の案内を受けたのであります。『元さん』とも約20年ぶり、その他は卒業以来約30年ぶりの再会を約したのでありました。
そして、10月1日上野へと出かけることになったのでありますが、ふと、昔を思い出しながら、TV化された「青葉繁れる」の主題歌♪出来ない生徒がさ 出来る学校さ 入った悲劇はさ 語るも涙でごさいすちゃ♪などと口ずさみながら、夢屋の学生時代を振り返るのであります。題して「欅繁れる」…欅の葉は、大学の校章であります。
夢屋が大学受験をした年は、1979年共通一次試験元年でありました。これにより、二校受験可能だった国立大学は、一期校・二期校の別が無くなり、家計の事情から私立大学進学など適わなかった夢屋は、一発勝負の受験を余儀なくされたのであります。それまで、東京など一人で行ったこともなかったし、大学がどこにあるのか、どんな大学なのかも知らずに、赤本を頼りに希望校を決めたのであります。当時、山形から上野まで、エル特急「つばさ」が運行されており4時間かかりました。今では山形新幹線(正式には新幹線ではなく、その名称は新幹線直行特急なのです^^;)が東京駅まで乗り入れ可能になり、高畠町からは2時間30分で首都東京に到着することが出来ます。山形県は秋田県とよく間違えられ、中央の方々は遠いイメージが定着しがちですが、意外に近いのであります。当時は、学生服に学生帽を被って上京したのでありますが、今では、乗車早々缶ビールをプシュー!すでに観光気分であります^^;
車窓から福島市内を眺めながら、宮城県から2名ほど出席する予定であり、震災の話題になるなぁなどと心を痛めながら、高畠駅で購入した藤沢周平の短編小説などを久し振りに読み始めますが、大人の眼鏡をかけないとツライ・・・悲しいオジサンであります。
途中、農協が巨大化して、農家が疲弊するのは何故~などと、ブツブツ文句をたれているとあっと言う間に上野駅到着であります。上野駅は、東北人にとって東京のターミナル駅でありました。エル特急「つばさ」が停車する地下ホームと在来線をつなぐ大連絡橋に慣れるまでかなり時間がかかった思い出があります。意外に知られていないのが、上野駅のコンコースに描かれている猪熊弦一郎作『自由』という絵。猪熊画伯は、香川県出身で東北には縁はありませんが、東京芸大出身だから、これもアリかぁ…。木こりやマタギなど、東北をイメージさせるような絵が描かれております。
実は、同級会も重要ですが、江東区大島四丁目団地の八百屋さん「アトリエ四季彩」に訪問(営業)するのも重要な任務でありました。夢屋本舗のニンニクと試作加工品のコメントが欲しくて、アポ無しで訪問してみました。店長の太田さんもびっくりされておりましたが、当日は青空市場を運営されておりまして、夢屋本舗『たまんね漬け』や夢屋特製「はえぬき」を強引に置いて来る大胆な行動力は、学生時代から変わっておりません^^;
朱色の看板左下をご覧ください。赤いデーパックは学生時代から使っている骨董品、商品はクーラーバッグに詰めておりますが、風呂敷で包んでおります。夢屋本舗の営業スタイルは、どこまでも田舎丸出しの泥臭さが売りなのであります。都営大江戸線や新宿線を乗り継いで、きっちり目的の場所に着けましたから方向感覚は大したものです。何たって、30年前はオジサンだって三多摩のシティボーイだったのですから…^^;
しかし、当時は風景の見えない地下鉄は、方向感覚が麻痺して、乗るのが嫌だったんですけど…。
学生時代のドタバタ劇は、ここから始まるのであります。(続く)