その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

夢屋国王(生活の文化)

2011-10-28 12:10:59 | 夢屋王国

夜明けが遅くなり、日没が早くなると画像ネタが乏しくなり、昆虫たちと接する機会も希になってしまいます。地区の文化祭に参加、見聞して、一週間のブログネタに恵まれました^^;
文化的な生活とは、例えばトイレの戸を開けると自動的に便座の蓋が開き、用を済ませれば程よい温水が洗浄し、乾燥までしてくれる。交換経済の手形である『通貨』…お金があれば、片田舎に暮らしていても、都会と遜色の無い文化的生活は送れるのであります。全国の、否、全世界の名産・名品をかき集める「東京」という怪物を除けば、何処に住もうとそこそこの物はお取り寄せ出来ますし、その地にしかない旬を味わえるといった意味においては、地方は恵まれているとも言えます。お金さえあれば…「拝金主義」は、ある意味、夢実現の第一歩ではありますが、地震という天災と原発事故という天災と人災が複合した災害によって、文化的生活は一瞬にして崩壊の危機を迎えております。

「文化的生活」と似て異なる物…「生活の中の文化」であります。古来より「衣・食・住」は、生活の基本要素であり、特に「食」が満たされなければ、この場合の満たされるとは、飽食を指すのではなく、日々食べることという最低限の「食」でありますが、そこに文化は生まれないと私は考えます。お腹が満たされていれば、道端に落ちている棒切れを拾い、地面を叩けばリズムが生まれる。棒切れで地面に落書きすればアートが生まれるのであります。
人間生活には、最低限のゆとり・遊びが必要なのであり、「食」が確保されて、初めて生まれる「遊び」なはずでありますが、いつの間にか「食」が「金」に置き換えられると勘違いをし始めたことが、この社会の不幸の始まりなのであります。お金さえあれば、ファッショナブルな衣装をまとえるし、お金さえあれば豪華な家に住むことができる。お金さえあれば、全世界から食糧を買い漁ることが出来る。工業さえ発展すれば、農業などという底辺産業は保護してやれば良い…。

 

自らの手で食糧確保手段を持たない『国家』が、発展永続したという事例を私は歴史から学ぶことはありませんでしたけれど…。

今年は、8月末から9月初旬の天候不順で、秋野菜が高いですねぇ…^^;

コメント (2)
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