その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

夢屋国王(欅繁れる2)

2011-10-04 03:50:40 | 夢屋王国

「花の雲 鐘は上野か 浅草か 」 :松尾芭蕉

夢屋国王は注意力散漫…江東区の大島四丁目団地の帰り道、地下鉄の乗り換え駅「森下」で「芭蕉記念館」の文字を見つけると、同級会のことなど忘れ、本所深川の芭蕉庵跡地に突然脚を向けたのであります。マスコミの雄「読売新聞」社屋ビルを横目に睨む芭蕉翁の銅像が展望台に建っております。一説によるとこの芭蕉翁は、夜な夜な45度ほど回転しライトアップされるとか、俳聖「松尾芭蕉」も時のペンという名の権力の前には跪いてしまうのか…^^;

東北・茨城方面の同級生に配慮してくれたのか、同級会会場は上野ターミナルホテル。同級生とその関係者20名が集い、30年のギャップを感じさせない3時間の宴はあっという間に終了してしまいました。それぞれに社会的地位を確立された方々なので、宴会の模様は控えておきましょう^^;それぞれのメルアドに後から画像付きで脅迫状を送りつけることにします^^;
共通一次試験世代の学生さんたちは、今ほどでは無いにしろ真面目だったし賢かった…少々ダイナミックさには欠けていましたが…。求人は少なかったが、それぞれ、そこそこに企業や公務員として社会に潜り込んで行きました。(優秀な同級生もちゃんと居ます^^;)呑み足りない連中は、昔を思い出して新宿西口の「ションベン横丁」へ!今は「思い出横丁」と名前を替えているようでありますが、貧乏なオヤジや学生たちの溜まり場には違いない^^;
気の利いた幹事の計らいで、歌舞伎町のリーズナブルなお店で2次会…。「次まで死ぬなよ~!」と声を掛け合って、2~3年後の再開を約し、三々五々新宿駅へと消えていったのであります。

 

二女のアパートに潜り込んだ夢屋は、翌日、15年ぶりに大学を覗くことにしたのであります。東京農工大学…この大学を語る場合、画像左の府中刑務所学園通りの塀を語らなければなりません。1968年12月、日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場に運ばれていた社員のボーナス3億円が、ひとりの白バイ警官に扮した青年によって奪われたのであります。支店長宅爆破予告状の発送から、発炎筒による爆弾の偽装、現金輸送車に乗り込んで逃走するという大胆にして巧妙な手口・・・日本犯罪史上、華麗にして(失言)、迷宮入りしてしまった「三億円事件」の発生現場であります。当時、学生運動華やか成りし頃、農工大生も犯人として疑われたそうであるが、このような計画的かつ巧妙な手口を考え付くほど頭が良くないという理由で、捜査線上からすぐ外されたという都市(学生)伝説があります^^;

 

大学本館と正面の欅並木は当時のままであります。夢屋が学んだ「2号館」の玄関は、学生たちの放置自転車とごみで汚~い状態でありましたが、いまでは自動ドアに変化し、ごみなどありません。恐るべし、大学行政法人…学科の再編とともに、真面目な教職員と学生さんのお勉強の場と変化したのでありましょう^^;
最近では「生協の白石さん」で有名になった農工大学でありますが、私は、学生課の松本係長に途轍もなくお世話になりました。そして、当時は「教授会と職員と学生による三者の自治の確立」を目指すなどという赤い運動にも参加したこともありましたが、綺麗になったキャンパスとは裏腹に、青い考え方は何処かへ消え失せ、社会に揉まれ薄汚れたオヤジに変化している自分に気付くのであります。(続く)

 


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