名画「もやし」を描いた長女は、生まれた時1,354gしかなかった。未熟児という訳ではなく、原因不明の低体重児という診断結果であります。保育器から出て退院できるまで約2ヶ月を要し、必然的に回りの同級生たちより、色々な物事が出来るようになるまで半年から1年遅れる状態でありました。五体満足であれば、少々頭なんか悪くたって…生まれた瞬間の感激は何処へやら、何とか同級生と同じ行動が取れるようにと、甘やかすジジ・ババを尻目に、オヤジとして厳しく育てました。これがいけなかったのでしょうか?内向性は増すばかりでありました。
これに対し、二女は2,400gほどの体重、自然分娩で誕生し、殆ど手の掛からない子どもであり、いつでも姉より物事を早く覚える子どもでした。子どもの頃、手が掛からない子は、成長過程で親に心配をかけるはず・・・そう心で思い、遅れがちな姉とは比べず、また姉をバカにするような態度を取れば、それを諌めるような育て方をしたと思います。
さて、三番目、末っ子の長男『ポン太郎君』は、内外5人の孫たちの中で唯一の男子^^; ジイさんは、その誕生を喜び、オシメ交換から寝かせ付けまで行う可愛がりようでありました。
幼稚園の頃、オヤジたちの憧れである『〇×和美先生』に「先生~!」と声を掛け、屈んで耳を傾けた先生のほっぺにチュッ! おいおい、そんなテクニックは、オヤジも教えていないのに・・・。伸び伸びと自由奔放に活動する彼に、頼もしさも感じていたのでありますが・・・。
小学2年生の時に描いた絵、名画「いただきます」は、大口を開けてご飯を食べる様子を描いたもので、幼稚園児並みの作品ではありましたが、農協のコンクールで表彰されました。(彼が表彰されたのは、皆勤賞とこの表彰のみであります^^;)
彼の型にはまらない生活態度は、低学年までは良かったのでありますが、高学年になるにしたがって、担任の先生も手を持て余し、先生間では問題行動児として引き継がれていったようであります。「コイツは、凡人には分からない天才なんです。」と評価するバカオヤジがいるものだから、遂には社会性のない子どもと評価され、大学病院行きを命じられるハメにもなりました。親にしてみれば、自我の成長とともに老人(ジジババ)を嫌う子どもたちではなく、心根の優しい子どもなんですけれどもね…^^;
他者を否定している訳ではなく、自分の世界を持っているだけだと思うのですが、社会性(協調性)を重視する世界においては、彼の生き方は他者から否定されてしまうのかもしれません。社会性(協調性)を強要される余り、多くの大人たちがストレスに悩んでいるというのに、枠の中に入らなければ否定されてしまう。生きていくには難しい社会であります。
夢屋国王はと言えば、誰も採らなくなった「渋柿」や見向きもされない銀杏を拾い集めて楽しんでいる。農家ではなく、根っからの百姓を目指す…この親あって、この子ありというところでしょうか?
夢屋少年は、一体どんな絵を子どもの頃描いたのだろうか?「海の色は、何で青じゃなきゃいけないんだぁ~!(見たこともないくせに…)赤い海があっても良いじゃないかぁ~!」って、子どもが言いますかねぇ?やっぱり、どこかおかしい少年であったことは間違いありません^^;