公園からブランコや遊動円木が消えていく。遊びのマナーを問う前に、行政の管理責任という重圧から責任を回避するために、子どもたちの好きな遊具が、ひとつ一つ消えてしまいます。
本の題名は忘れてしまいましたが、東京工業大学某教授の著書で、都市計画の分野から遊具…遊びを科学した先生がおりました。地面からの高低、スピード、回転といった身体が感じる『めまい』…大人の感覚では「危険」なものが好まれるといった内容のものだった記憶があるのですが^^;
鉛筆を削るための小刀に始まり、子どもたちの身の回りから危険と思われるものを遠ざける一方で、充分管理された施設内での木登りや泥んこ遊びをさせる幼児施設は歓迎される…不思議な世界であります。池の周りにフェンスを張り巡らしたところで、子どもはよじ登って柵を越え魚釣りをするし、犬のオシッコで雑菌が繁殖していようが、砂遊びは大好きなのであります。魚を釣ってよい場所なのかどうなのか、遊んだ後は手を洗おう…基本的な生活力を教える前に、危険と言われるものを総て撤去してしまおうという風潮は如何なものかと考えてしまいます。
電流と電圧と抵抗の関係式は頭に入っていても、ドライバーを回したことが無い。のこぎりが使えない。りんごの皮はピラーで剥きましょう。ハサミと電子レンジさえあれば、食べ物には困りませんからぁ~^^;
二度と起こっては欲しくありませんが、今の子どもたちが50年後「東北関東大震災」クラスの地震を体験した時、政府は1ヶ月分程のレトルト食品と水を確保していてくれるのでしょうか?
私が子どもの頃は、上等な金属バットは持っていませんでしたが、折れた稲杭とゴムボール1個あれば、稲刈り後の田んぼは野球場に変身し、ゴルフ場にもなりました。稲杭は人を打ちのめす凶器にはならなかったけれど、道具というものは使いようで、上等な道具を手に入れると上等な物(人間)を打つ道具に変化するらしい^^;
大人の生活を真似て(学び)遊ぶ…これが、生活力を高める訓練だったはずなのですが、習い事(他人の知識や技術)に通わせることは熱心でも、自分(親)の生活を習わせる親は、少なくなりました。というよりも自分自身が生活力を失っているのかも知れませんね。
真っ赤に錆付いたドラム缶を不衛生と言わないで下さい。これでも立派なピザ窯なんです^^;