「大学は、何でも教えてくれる所らしい。泥棒と人殺し以外は、何でも覚えて来い。人間、一生の内で必ず遊ぶ時がある。結婚してから遊びを覚えたら、女房が苦労するだけだから…。」
実に含蓄のある言葉でありますが、今は認知症の私の母が上京前に語った教えであります。親の言い付けは絶対でありますから、私は素直にこの教えを守ることを誓いました^^;
寮委員に挨拶を済ませ、案内された部屋が確か『402号室』…「お前が犠牲者か…。」と小さくつぶやいた寮委員の言葉を私は聞き漏らしませんでした???
「機械2年の鶴間です。応物の3年生は後から入寮するようだから、君と僕はここにしよう。」12畳ほどのフロア中央をパーティションで半分に区分けし、固定ベッドとスチール机が一台、造り付けのロッカーが学生一人の割り当てでありました。つまり3畳ほどのスペースが東京暮らしのスタートだったのであります。鶴間先輩(彼も新入寮生だったのでありますが…)の指示に従い、恐い4年生に挨拶を…「何じゃい、こりゃ~!!!!!!」そこは、驚愕・禁断のスペースでありました。
ベッド基本の生活スタイルのはずの6畳には、古畳としょっぱそうな布団が敷き詰められ、コタツが置いてある。古い競馬新聞と食いかけの餌が置いてあるそのスペースは、牢家主の住まいであったのであります。
「夢屋君。まずは、ベランダを掃除しようよ。」工学部でトッポイ兄ちゃんの鶴間先輩はきれい好き、ベランダに捨てられた古新聞の片付けから寮生活が始まるのであります。今ではオシャレなポリのごみ袋でありますが、当時は70ℓ位の青い大きなポリバケツがごみ収集箱。4階からごみ収集場所まで往復すること20回…そのごみの量を想像いただけますでしょうか^^;
昼から始めた部屋掃除…ベランダだけ…夕方まで掛かったのであります。ゴキブリは当たり前、最後のボロと朽ち果てた新聞紙を回収した時、下から鼠が飛び出すという始末…何年ぶりかで402号室のベランダの床は、お日様を浴びることが出来たのであります^^;
「寮メシは明日からだから、夕飯は商店街の千成で食べて来なよ…。」鶴間先輩の推薦で、中華料理店:千成(せんなり)へ…生まれて初めて『硬い焼きソバ』なる餡かけ揚げ焼きそばを食べ、食べ方を知らないから口の中を切って、ヒリヒリした状態で牢家主の帰りを待ったのであります。
「お~い!枝元…。」(先輩A)
「枝まっちゃん、居るぅ~。」(先輩B)
「枝元は?」(先輩C)
次から次へと牢家主の元へ、何処の誰とも分からない先輩がやって来ては、コタツに潜り込むのであるが、いつまで経っても牢家主は帰宅しません。
「林産8年の枝元です。学生さん、よろしくな・・・。」学生に学生さんと呼ばれるのも変ではありますが、パンツ一丁の姿で現れた牢家主「枝元さん」は、勉強が大好きで8年も大学で学んでいる4年生だったのであります^^;
(続く)