新作落語は、どうもドタバタ喜劇の要素を持っておりますが、古典落語の場合は「人情噺」が本来でありますから、結構上演時間が長いのでありまして、三遊亭圓朝の作とされる(諸説あり)「芝浜」も情景描写などに力が入りますと40分弱の上演時間となります。『夢屋探偵』が突然、落語かと申しますと昨日の「金儲け」話の続きなのであります^^;
酒飲みの魚屋『勝さん』が、女房に急かされて早朝の魚河岸に行き、時間調整で立ち寄った「芝浜」(現在の港区JR田町駅の辺り)で大金を拾うところからお話が始まるのでありますが、怠け者の旦那に夢と嘘をつきながら立ち直らせる立派な女房と、以来酒を断ち仕事に励んで3年で身上を立て直し、今ある幸せを夢として消さないように勧められた茶碗酒を口から離すという下げで終わる落語であります。
落語の世界では、放蕩息子やダメな亭主が何かを機会に一念発起するところがお話のスタートであります。「芝浜」の『勝さん』だって、元々は腕の良い魚屋であり、大晦日の借金取りを夫婦揃ってやり過ごしたり、お得意さんを勤勉に回り続けることによって次第に裏店から、小さいながらも表通りに若い衆2~3人を使うほどの魚屋を持てるようになる。勤勉さの行き着く先に小さいながらもサクセスストーリーが準備されているのであります。落語は庶民の娯楽であるから、小さな幸せが準備されていれば良いのでありまして、決してアメリカンドリームのような莫大な資産を築くお話に仕立てる必要はないのでありますが、最近はいかに楽をして莫大な金儲けをしようかというお話が主流になってしまう。莫大な金儲けの裏側には、莫大なリスク(失敗)が隠されているにも係わらず、そうしたリスクには風呂敷を被せて覆い隠してしまうのでありますよ。
さて、早朝の衛星放送で「芝浜」を聞いていたら、庶民の幸せって何だったのだろうなどとボーッとした頭で考える。三度々々のご飯が食べられて、家族に病人も無く暮らしていれる。夜の団欒に笑い声のひとつも上がれば、十分幸せなはずなのでありますが、「二分金で四十二両が革の財布に入っている。当分これで遊んで暮らせる…。」幸せもお金の量と遊びで測るようになってしまったらお仕舞だと思いつつ、黄金虫のお財布には一体幾ら入っているのだろうと他人の懐具合が気に掛かる国王でありましたとさ^^;