「味噌漬け」を見て思い出した^^;
子どもの頃、「鬼ごっこ」をして『夢屋少年』は必死になって逃げ回っていたのだけれど、決して捕まることはなかった。すばしっこいから…いや、違う。ルール除外、戦力外としての『みそっかす』扱いだったからである。それでも必死になって逃げ回っている…つまり、自分が『みそっかす』であることが理解出来ていないまま、仲間に入っていると思い込んで逃げているのである^^;
昔は、年齢差、体力差があっても一緒に遊んでいた(遊んでもらっていた)から、子どもたちの間で、自然と出来上がったルールなのだろうけれど、幼い弟や妹を一緒に遊ばせるには仕方がない。むしろ、一緒に遊ばせないことを『子守り』をする大人に怒られたのかも知れないなぁ…。『シカト』、無視することとはまた違う。第一、『みそっかす』を捕まえたところで、次の鬼役を『みそっかす』が捕まえることは出来ないから、『みそっかす』を捕まえたところで、その後の遊びが進まないのである。「いじめ」ならば、『みそっかす』を敢えて捕まえて、『なぶる』ことも出来たかも知れないが、それもしなかった。『みそっかす』という立場に気付き始めた時には、たまに捕まえて上げて、ルール除外を宣言する…だから、真剣味も増したのかも知れないし、年長者は遊ばせ方を心得ていたのかも知れない。『みそっかす』を卒業する頃には、次なる『みそっかす』である弟、妹が出現したのでありますよ(笑)
生き方が違うんですなぁ…
さて、『みそっかす』…方言だと思っていたのだけれど、辞書にも出て来るから標準語のようである。むしろ山形県米沢地方ならば『あぶらっこ・あぶらっかす』が方言なのかも知れない。味噌を漉した後の残りが『味噌滓』ならば、油を搾った残りが『あぶらっこ』かねぇ…。
子どもの頃は、10歳も年齢差があれば、凄い大人に見えたものだけれど、歳を重ね、還暦を過ぎたら、10歳程度の差は感じなくなってしまいましたよ。むしろ、年齢差よりも若々しく生きているか、年寄り臭く生きているかの違いだけは感じるようでありますなぁ。(あちこち、身体の不調を自慢することはあっても^^;)『味噌滓』が価値のないものの喩えとするならば、子どもの頃の『みそっかす』は、将来、肥料にはなるかも知れない有望株であり、大人の『味噌滓』は、エキスを総て搾り取られた役に立たないモノ扱いかねぇ…仲間に入れてもらおうとして、必死に「鬼ごっこ」で逃げ回っているのは同じように映るのだけれど、本チャンの『仲間』に昇格することはもう無いからなんてね。
はてさて、久し振りに食べた「味噌漬け」で子どもの頃の遊びを思い出した…一年を経て漬け替えて、二年目の「味噌漬け」だそうである。塩辛いだけではなく、良い味出してますけれど…これから、良い味を出すか、腐るかは、生き方(味噌床)次第だと思いますが…『ショッパイだけの人生』で終わらせるつもりはないんですけれどね(笑)