友人の奥さんが漬けた「粕漬け」ですが…
夏場に大量に取れたキュウリを強めの塩で漬け込んで、気温が下がった冬に塩分を水出ししてから酒粕で漬け直す。非常に手間の掛かる漬物ではあるのだけれど、我がお袋のお手製の「粕漬け」は、粕を打ち直すから出来上がりは「飴色」に仕上がっていた。宴会後の鍋料理の残り汁は、良い出汁が出ていて、「雑炊」にしてお腹を満たす。「粕」という接頭語がつくと、取るに足りない、粗末なものを指す言葉になってしまうのだけれど、利用次第では、『残りモノ』も良い味を出すのでありますが…。
さて、『学び直し』という言葉が巷にあふれている。デジタル大辞泉によれば「特に、社会人が、学校教育で学ぶ内容の知識を勉強しなおすこと。」と解説しているのだけれど、どうやら、「リカレント教育(教育機関への入り直し、職業訓練も含む。)」と「リスキリング(技能の再習得)」がごちゃまぜになって語られているようでありますなぁ…。「OJT(On-the-Job Training)」ならば、職場で仕事をしながら覚えろということなのだろうけれど、企業ではそんな余裕も無いから、各自『学び直して』くださいということかいな?我がオッカーの場合は、疲れ果てた姿が見るに忍びなくなって、辞めることを勧めたのだけれど、『国家資格』があるから、少々『学び直し』をすれば復職できるのではという思いもあった。一方の『おやじぃ』はと言えば、使える『資格』などないから、肉体労働と事務のアルバイトでしのいでおりますけれどね。ましてや、今まで考える必要もなく、生活には役にも立たない『雑学』の『学び直し』で、気分だけは豊かになった気になっているのだけれど…人はこれを『生涯学習』と言うらしい(笑)
「吾唯足るを知る」ってねぇ…
定年退職を迎えれば、その後は、別の意味で『学び直し』で、人生を豊かに生きてこれたような気がする。年金受給年齢が繰り下げられて、さらには、年金だけでは心許なくて…『学び直し』で新たな仕事を見つけ出す。つまりは、『人生100年時代』(そんなに生きれるとも思わないが)働ける内は働き続けなさいと言うことでありますかねぇ。『働くこと』が自己実現の機会であり、人生を豊かにすると思われていたのはいつの日か?いつの間にか『生きる』ためだけに、『働くこと』が強要されているような気もしますがねぇ。本来、『学ぶこと』…探求することは楽しいはずである。必要とあらば、誰彼に言われなくても、『学び』『習得』して来たはずなのだけれど、それでも『学べ』『学び直し』が必要であると言われるのは、現在の『学校教育』では不十分であるということなのだろうから、「リカレント教育」ではないのだろう。(専門職として、学び直すということはあると思うけれど。)結局のところ「リスキリング」で必要とされる分野で、労働力を提供しなさいということなのかなぁ?
はてさて、肉体労働に従事していると「リスキリング」と言われましても、「体力」を如何に保持するか、あるいは、どこで身体を痛めない程度に手を抜くかなどと良からぬ方向に知恵を使ってしまう『おやじぃ』でありますよ。『苦役』からは逃れたいというのが人の本性のような気もしますけれどねぇ。『経験』というものを使って楽をする。楽をするために培ったスキルを発揮する。こういう労働者は必要ないかぁ…残り物の『おやじぃ』も結構いい味出してますけれどねぇ(笑)