その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

清水の舞台から…

2021-12-14 09:26:27 | 転職

ただの忘れ物ですが…気になって^^;

アルバイト現場近くの公園に揃えられたクロックス。落差1m足らずの場所ですから「自殺者」の物ではありません。土足厳禁の自家用車での取り込み忘れ…これまた車道から1m以上離れているからありえない。手にした靴をその場に置いて一服…裸足で帰るおバカさんも居ないだろうから、置いたことを忘れてそのまま帰ってしまったのかなぁ?とまぁ、一足の靴から色々と『妄想』が膨らんでくるから面白い。
さて、『妄想』のひとつ「飛び降り自殺者」は、何故、靴を揃えるのか?『あの世』に足を踏み入れることから靴を脱ぐとか、自殺の意思表明とか、憶測の域を出ないのでありまして(第一、これから飛び降りようとする方に何故?ってインタビューしたりしないもの。)結果、テレビドラマの「映像」によって、「飛び降り自殺」を暗示する印象操作が行われ、そういうものであるというイメージが脳内に刷り込まれてしまっているようでありますなぁ。
「生きていく。」と言うことは、決して楽しいことばかりではない。ましてや、これから老化という『不自由』を感じながら生きなければならないのだからなおさらでありますよ。けれども、『あの世とこの世』の境界線にも思えるコンクリート擁壁が、見ようによってはスタートラインにも思えて来る。今年はダメでも来年こそは、今日がダメでも明日には…と気分を切り替えることが重要なんでしょうけれど、『自殺願望者』には、その切り替えさえ難しくなっていると言えなくもない。その先にある『光明』というものが誰にも必要であろうとは思うのでありますけれど…。


二女『も~ちゃん』の見送りはラーメンで^^;

アルバイト作業は、今日もまた予想通り短時間で終了し、帰京する二女『も~ちゃん』の新幹線の時間に間に合いそうだ…何のもてなし、ご馳走も出来なかったから、地元「米沢ラーメン」でも奢ってやるか。(『おやじぃ』の精一杯のおもてなしでありますよ^^;)「身体に気を付けろ!」くらいしか掛ける言葉もないのでありますが…。
さて、『自殺願望者』の話題で恐縮ですが、俗に「清水の舞台から飛び降りる。」というお話がありますが、語源は、江戸時代に「飛び降りて生き残った者は願いが叶う。」というかなり無理筋のうわさが広まった結果のようでありますなぁ。下が灌木などで柔らかく、12mの高さから飛び降りても、生き残った者たちは確かに結構な数いたらしい。生き残れれば、目先が変わるということもあったかも知れない。まぁまぁ、師走、年の瀬でありますよ。資金繰り、何やかんやで「死」を選らぶという考え方も分からなくもない。(止めたところで、留まることのなかった知人も居たのでね。)ただねぇ、残された家族が不憫だからと、勝手に道連れにすることだけは止めて欲しいものだわ…今じゃ、「自己破産」「相続放棄」という手段で、貴方の借金とは決別し、生き残る手段があるのだから。昔なら「こうして、ああして。」なんて親父ぶって講釈できた世の中も、とんと先が見えなくなってきましたよ。でもなぁ、先が見えないから、そこがいつでもスタートライン…「やり直し」では気が重くなるから、スタートラインで良いんじゃないかい。お気楽すぎるかなぁ(笑)

コメント
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