蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

命(ぬち)どぅ宝

2006年05月02日 | つれづれに

 昨日までの汗ばむ陽気が嘘のように、張り出した大陸性高気圧から冷たい風が吹き付ける一日だった。ゴールデン・ウイーク中休みの火曜日、五月晴れの青空もなく、夏衣装に着替えた腕に肌寒ささえ感じられる夕方、哀しい出来事に出会った。長い冬の寒さに耐えて、ようやく羽化の時を迎えたアゲハチョウが、折からの強風に八朔の枝から吹き飛ばされて大地を這いずっていた。蛹の殻を破り、縮こまった脈翅に体液をゆっくりと注ぎ込んで美しい羽を広げていく最も無防備な瞬間に吹いた風は過酷だった。繊細な営みに、耐える力は脆い。見守り続ける目の前で、翅は伸びきることなく、徐々に蝶の動きは弱まり、迫り来る闇の中にその姿は薄れていった。
 昆虫少年だった中学生の頃の悪夢の再現だった。夏休み、近付く市の陸上競技大会に備えて、休みないトレーニングの毎日だった。100m走と走り幅跳びと800mリレー、大地に叩きつけるスパイク・シューズのリズムが合わず、厳しいスランプに喘ぐ日々が続いていた。100mで、ライバル校に素晴らしいランナーがいた。彼に勝つことだけを目標に、汗にまみれて走り続け、ふくらはぎに澱む鈍い疲れを持て余しながら夕暮れの家路に着こうとしていた。
 母校の校庭を囲むカラタチの垣根は、昆虫少年の私にとって恰好の採集の舞台だった。額の汗を拭いながら何気なくカラタチの根方に視線を落としたとき、そこに無惨なアゲハチョウの姿があった。羽化の途中に何事があったのだろう、羽は美しく伸びきっているのに、頭の部分はまるで髑髏を被ったように蛹の殻で覆われたまま息絶えていたのだ。標本箱の数を誇るやりきれなさに気づいた一瞬だった。私の昆虫とのふれあいは、この日から次第に採集から飼育、そしてあるがままの自然の姿をカメラで追う方向に変わっていった。(因みに、市の陸上競技大会は、100mに賭けて走り幅跳びを棄権して集中したが、宿敵には遂に及ばず、2位に終わった。その悔しさは、800mリレーでトップを奪い、男女共に団体優勝することで晴らした。800mリレーでは、その後の競技会で5本の優勝旗を校長室に飾ることになる。遠い日の記憶である。)
 自然は過酷なまでに厳しい。些細な風の悪戯が、春の日差しをいっぱいに浴びて大空に飛翔する筈の束の間の命を奪っていく。この日の夕刊は、ホッキョクグマ絶滅の危機を報じていた。国際自然保護連合が発表した2006年版「レッド・リスト」評価対象の4万種のうち、絶滅危惧種は4割の16,119種に及ぶ。両生類の3分の1,哺乳類の4分の1が絶滅に瀕しているという。温暖化、食用や牙目当ての乱獲、密漁…挙げられた原因の殆どは傲慢な人間の営みにある。先日、人工的な施設でトキやコウノトリの延命に躍起になっている姿がテレビに映し出されていた。何という空しさだろう。天に向かって吐いた唾を払いのけることも出来ずに、人間は今、大変なツケを払おうとしている。絶滅した種は決して蘇ることはない。そしていつの日か人間自らがその道を辿ることになるのだろう。
 「命(ぬち)どぅ宝」…心に残る沖縄の言葉である。日々の営みの中で、一瞬でもいいから、小さな命に思いを馳せる謙虚な気持ちになってほしいと思う反面、次第に人の叡智など信じられなくなっていく自分が哀しい。
 ゴールデン・ウイーク後半、増えすぎた人間が右往左往する狂乱の日々が続く。初夏無惨、風の冷たさが身に染みる夜である。
       (2006年5月:写真:哀しいアゲハチョウ)