蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

急ぎ足の秋

2006年09月16日 | つれづれに

 束の間、雨がやんだ。

 庭先のサルスベリから白梅に蔓を伸ばし、カラスウリが幾つもの実をつけた。縦縞の瓜坊主のような可愛い青い実が次第に育ち、秋風の中でオレンジに色づき始めた。植えたわけではない。実はひそかに心待ちしていたところ、小鳥が種子を運んできたのだろうか、いつの間にか庭の片隅で芽生え、年々実を増やしていくようになった。3年目である。晩秋、枯葉の中で風に揺れる風情が捨てがたく、植木屋にも蔓を切らないように注文をつけている。
 父の代から受け継いだ庭石や庭木で純日本庭園を造っていたのに、こんもりと緑を盛り上げていた自慢の杉苔が野良猫の被害で見るも無残な姿になって以来、なんとなく野趣を求める心境に変わってきた。山野草に魅かれ始めたこともあるのだろう、この庭を自然の雑木林に変えて、訪れる野鳥や虫たちを愛でて日々を過ごしたい…陋屋を「蟋蟀庵」と名付けたのもその心境の延長かもしれない。それとも、人生の晩秋から初冬へ歩みを進める隠居の心の揺らぎなのか…。
 カリガネソウは紫の花をくるりと巻いて今が真っ盛り。ヒメミズギボウシに次いでオゼギボウシも咲き終わった後、白い彼岸花が庭のあちこちに花を立てた。3度目の花を9輪開いた月下美人が、またいくつかのとげとげのつぼみをつけ始めている。日ごと青い実を膨らませるハッサクの木陰でミズヒキソウが赤い小花を連ね、キンミズヒキの黄色い花がカシワバアジサイの葉陰に潜む。この夏一気に伸びたキブシには、もう花房の芽が薄緑に育ち始めている。花時の近いイトラッキョウの細い葉も俄かに色艶を増し、3ミリほどの蕾をつんつんと立てて、秋が駆け足で深まっていく。
 酷暑の後の残暑をしつこく引き摺っていたのに、いつの間にか早朝の落ち葉箒きにふと風の冷たさを感じるようになった。季節は真っ盛りよりも移ろうときがいい。忘れていた時の流れをふと思い出させる瞬間は、移ろいの中にこそある。ウインドチャイムを鳴らす風の揺らぎに身をゆだねながら、この秋の蝶の舞いの多さを思った。漆黒の羽に朱を輝かせるカラスアゲハ、孵ったばかりの色鮮やかなアゲハチョウ、もつれ飛ぶキアゲハ、羽が破れたツマグロヒョウモン、機敏に滑空するアオスジアゲハ、木陰を低く飛ぶジャノメチョウ、落ち着きのないセセリチョウ…めまぐるしい競演に混じって、珍しくスズメガがカリガネソウの花に舞った。最近あまり見かけなくなった敏捷な蛾である。

 準備万端整った敬老会を二日後に控え、遠く沖縄近海から大型台風が迫っている。風速50メートルの台風接近に、業者からは次々に敬老会開催の有無について問い合わせの電話がかかってくるのに、ご招待するお年寄りからは何の問い合わせもないのが妙に可笑しい。屈託のない子供達は今日も公民館で大正琴の稽古に余念がない。ケーブ・ルテレビの気象チャンネルをつけっ放しにしてはいるが、一喜一憂しても仕方あるまい。天に任せてあとは臨機応変、居直ってコーヒー・ブレークを楽しむ午後である。
 モカ・バニーマタル。こだわりの豆を挽いてコーヒーを淹れる。小さなカップに注いで仏壇に備え、コーヒー好きだった父と母に線香を立てた。彼岸に旅立ってそれぞれ23年と14年。ここにも足取りを速める歳月の流れがあった。純白の彼岸花に、日ごろ思い出すことも少なくなった父と母の姿をダブらせながら、鉛色の空を見上げた。
       (2006年9月:写真:白い彼岸花)