見果てぬ夢のフィナーレが近付いていた。それを煽るように、夕映えのビーチでエイが飛んだ!波打ち際からほんの20メートルほどのところで、4度5度、かつてテレビの映像で見たエイのジャンプが、現実としてそこにあった。
11月15日、重ねてきた夢の究極のダイブが待っていた。Deep Blueに娘と行き、雅美さんのガイドに、たまたま日本から来ていた玲子さんも合流して、Land’s End に向かう。会社を9月で退社し、世界の海で潜る目的で旅に出た玲子さんは、既にメキシコで20本近いダイビングを重ねているベテラン・ダイバーである。たまたま横浜の上の娘と同じ名前である。ふと、二人の娘とダイビングを楽しんでいるような、心地よい錯覚があった。水中カメラを担いだもう一人のダイバーが、一組の白人グループを引き連れて乗り込んでくる。風も波もなく、大きな大洋のうねりが時たまボートを傾ける中、先日潜ったPelican Rockから、Neptune Finger (海神の指)を過ぎると、アーチを穿つ岩Arch Rockや奇岩が林立するLand’s Endは、すぐそこだった。バハ・カリフォルニア半島最南端の「大地の果て」Land’s End、岩の一つにシー・ライオン(カリフォルニア・アシカ)が群れるコロニーがある。その傍らにボートを停めて、バックロールでエントリーした。
切り立った岩礁の間の狭い砂地に、這うように留まって待機する。大洋の大きなうねりが海の底まで及び、揺りかごのように身体を揺する。逆らわずに身を委ね続けていたその時、海面から数頭のアシカがうねるように泳ぎ込んで来た。砂地の上で戯れ、時折好奇心に負けたように、すぐ傍らをマスクを掠めるように泳ぎ抜けていく。娘が繰り返し「お父さんに見せたい!」と言い続けていた水底の幻想の世界に、今私はいた。
やがて雅美さんに促されてゆっくりと後退し、海溝に沈む暗い淵の辺りに戻った時、目の前に雲のようにたなびく大きな影があった。上気して曇ったマスクに海水を入れ、鼻からの呼気でクリアした瞬間、思わず声を上げてレギュレーターを口から放しそうになった。渦巻くように、流れるように視界を覆い尽くす数万、数十万とも思えるアジの大群だった。雅美さんや娘が、ひと言も言わずに用意していた究極のサプライズがこれだった。
瞬く間に大群の中に吸い込まれ、周り中がアジ、アジ、アジ……感動に酔った。ライセンスを取るまでの寒いトレーニングの苦労も、全てが一瞬に消し飛んだ。
アジの大群の渦の中を泳ぎ抜けていく。そこだけぽっかり開いたアジのトンネルの中を潜り抜けていく。想像さえしなかった20メートルの海底の幻想、高まる動悸を鎮めながら、レギュレーターの呼気と吸気の音だけが耳にこだましていた。
悲願68歳の挑戦、果てしない夢を叶えたこの一瞬を、私は忘れない。40分は瞬く間だった。水深5メートルでの3分間の安全停止も、雅美さんの巧みなガイドは、その深度の海底探索をさりげなく織り込んで、気付かずに過ごさせてくれる。浮上のハンド・シグナルを確認してゆっくりと海面に上昇すると、そこにボートが待っていた。娘が「サプライズ成功!」と言いたげに、ニコニコしながら上がってくる。
マサ君がいた。娘がいた。便宜を図ってくれたOcean Gearのオーナー夫妻がいた。日曜日のプールを貸してくれたインストラクターがいた。2泊3日のダイビング・ボートで寝食を共にした18人の高校生がいた。Deep Blueのオスカルさんと奥さんの幸子さんがいた。雅美さんがいた。無口だけど優しい船長のドン・ファンさんがいた。……全ての人々の支えがあって、その向こうにアジの大群の祝福があった。
幾つになっても、夢・挑戦・発見・感動を忘れまい。メキシコ・ロス・カボスの空はどこまでも青く、ペリカンが遊び、アシカが戯れ、コンドルが舞い、時を忘れ、歳を忘れて、至福の時間がゆっくりと流れていった。
(2007年12月:写真:Land’s End:ホテルのパンフより借用)