蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

訃…引き継がれるもの

2008年02月14日 | 全体

 いつもの山道を歩く。心を空にして黙々と歩く。冬枯れの木立の陰に、種子を飛ばしたあとのウバユリの実が幾本も立ち竦んでいた。梢の先で木枯らしが泣くこの季節、夕暮れ間近の淡い冬日は温もりを失い、足元からしんとした冷気が這い登ってくる。

 ひたひたと寒気団が寄せてくるそんな夜、訃報が届いた。区長を務めた6年間、民生児童委員として地域の福祉をサポートしてくれたMさんが、74歳の若さで彼岸に旅立った。9年続けた民生児童委員の終盤は、病に臥すご主人の看護・看病に献身する傍ら、お年寄りと子供達への心配りに尽くす日々だった。公務を全うし、やっとこれから自分の時間とご主人の看護に専念出来るようになったというのに、いつの間にか病魔が容赦なく身体を蚕食し、病に臥すご主人に思いを残しながら、退任して僅か2ヶ月余りで慌しく逝ってしまった。25年前、一朝の病で呆気なく亡くなった父がやはり74歳だった。四分の一世紀前でさえ早過ぎる永眠だったが、世界一の長寿を誇るこの時代の74歳は余りにも早い。
 木枯らしの中の通夜に、町内のたくさんのお年寄りが、半ば呆然として斎場に集った。その中に、お母さんと連れ立った5人の子供達の姿があった。「夏休み平成おもしろ塾」の卒業生と塾生だった。

 区長2年目、「ゆとり教育」という不可解な政策で子供達が土曜全休となったとき、子供達の思い出作りに、何か学校教育で学べないものを地域で提供出来ないかと、家内とふたりで考えた。辿りついた切り口が、「経験豊かな町内のお年寄りの智恵を借りよう」というものだった。呼びかけにふたつ返事で協力が寄せられた。夏休みの3日間、小学生が9時に公民館に集まる。夏休みの宿題自習30分の後、お茶の先生方によって屏風やお茶花で茶室に仕立てられた和室に移って、お茶のお点前の体験が1時間。それぞれお運びとお客様に分かれて、簡単な作法を学ぶ。腕白たちが殊勝に畏まりながら正座して、懐紙に載ったお茶菓子を食べたあと、子供の口には多分苦いだけのお抹茶を味わっている姿は微笑ましく、見守るお母さん達の笑顔も優しかった。そのあと、女の子は大正琴を習い、男の子は将棋や五目並べを楽しむ。昨年は、割り箸鉄砲を作る遊びもあった。最後は公民館の大広間に新聞紙を敷いて、存分に大きな文字のお習字を習う。最終日には、持ち寄った道端の草花を花瓶や空き瓶に気ままに生ける体験もあるし、先生方に世話人やお母さん達も交えてのお食事会でお開きとなる。
 塾長の私が、毎年昆虫についての特別授業をやるのも恒例になった。塾の最中に、公民館の前の畑で脱皮したばかりのカマキリを見付け、みんなで観察するという巧まざる偶然の野外授業もあった。そして、ここで習った大正琴を、秋の敬老会で子供達が十数台のお琴を並べて披露するのが恒例になって、6年を重ねた。貸していただいたお年寄りの智恵への、ささやかな恩返しである。その大正琴を教えてくれた先生の一人が、25年のキャリアを持つMさんだった。
 通夜の席に涙ぐみながら参列した子供達は、みんなこの「夏休み平成おもしろ塾」の塾生達だった。こうして、Mさんの智恵は、子供達の思い出の中に継承されていった。

 翌日、小雪舞う厳しい寒さの中を、多くの人たちの合掌に見守られながら、Mさんは西方浄土に旅立っていった。夜半、木枯らしが雲を払った。西に傾く細い三日月を浮かべながら、美しい星空が広がった。中天やや南にオリオン座のベテルギウスと、その下に一段と光り輝く大犬座のシリウス、左斜め上に子犬座のプロキオン……凍て付く夜気の中に、見事な冬空の大三角が君臨していた。
 ……名のみの春は、まだまだ遠い。
         (2008年2月:写真:種子を飛ばしたウバユリの実)