淡い錆色の湯が豊かに溢れる湯船に首まで浸かり、目の前で弾ける雨だれを見詰めながら、吹き荒れる風の音を聴く。頭を叩く雨の冷たさが妙に心地よく、渦巻く湯煙りに包まれて広い露天風呂を独り占めしながら、高原の嵐に身を委ねていた。1年振りの九重高原コテージは、山開きを目前にした平日の今が格好の狙い時である。
週間天気予報で晴れと確かめて予約を入れたのに、定まらない大気のイタズラで直前になって風雨と変わった。今更変更するのも癪だったから、気まぐれな山の天候の僥倖を当てにして車を出した。筑後小郡インターから大分道に上がり、日田インターで降りる。日差しはまだ残っていたが、高速道の吹流しが真横に流れ、時折ハンドルを取られるほどの烈風が横殴りに吹き付ける。緊張のドライブで二日間の山旅が始まった。
日田インターから、いつもの梅の大山町、杖立温泉、小国のコースでなく、先日2度の一人走りでようやく確かめた「ファームロードわいた」に駆け上がる。湧蓋山麓を縦横に駆け巡る広域農道だが、ワインディング・ロードのツーリングを楽しむドライバーやバイカー以外、知る人はまだ少ない快適なドライブ・コースである。ダイナミックな起伏と緩やかなカーブが続く道には、平日のこの日は走る車も少なく、殆ど独り占めのマイ・ウェイだった。
途中、「フラワーパークあまがせ」の何ということもないお花畑で時間をつぶし、小国・玖珠を結ぶ道路に出た所で、手打蕎麦「優心」で地鶏蕎麦の昼餉を摂った。この頃から、無情にも予報どおりの空模様に変わり始めた。瀬の本から牧の戸越えして長者原に下り、初夏の自然探求路を歩いて新緑に染まる計画を断念、早めにコテージに向かうことにした。
「ファームロードわいた」を走り切って、黒川温泉経由瀬の本高原に出た。雲が降りてくる。風が吹き募る。コーヒー・ブレイクを「あざみ台」と決めて竹田方面に向かう道を駆け上がる頃から、いよいよ風雲急を告げる気配となり、微かに見える阿蘇五岳の山影も、辛うじて根子岳だけが窺われるまでに視界が落ちていた。コーヒーを喫み終えて車に戻る時、雨が来た。
2千円グレード・アップした本格的な会席料理は、竹山料理長のお品書き付きの鄙には稀な豪華な夕飯だった。このコテージに、一人の夢追い青年がいる。彼は、ニュージーランドを訪れて自分の牧場を持ちたいという夢を抱き、憧れを暖めながら、ここで働いてお金を貯めている。仕事の合間を盗んでわざわざ1年ぶりの挨拶に来てくれた彼は、焼肉部門のチーフに起用されていた。「ハイ、すこしずつ夢に近付いてます!」と答える笑顔が輝いていた。
グレード・アップして地ビールの生を1杯飲んでも、締めて1泊2食1万円でお釣りが来る。広い露天風呂の向こうに九重高原が雄大に広がり、真正面の彼方に阿蘇五岳を望むお気に入りの宿である。鍵の手に並んだたくさんのコテージの設備は決して豪華ではないが、山歩きの基地として、また家族連れの癒しの宿として、捨てがたい山宿である。そして、何よりも料理がいい。
夜更け、吹き募る風の中を再び露天風呂に浸かった。コテージが揺れるほどに吹き荒れる風の音に包まれ、暗い夜空から吹き散る雨に濡れながら、こんな山旅も時にはいいなと思った。湯船の傍らにはエゴノキが今真っ盛り。風に吹かれた花が湯船に浮かび、雨だれにほしいままに弄ばれている。
翌朝、見事に晴れ上がった真っ青な初夏の空を背景に、久住連山が眩しく立ち上がっていた。しかし、それは束の間の晴れ間。やがて牧の戸越えで、濃密な霧に巻かれる緊張のドライブが待っていた。男池まで下ったが、肌寒い中に山野草の花時も過ぎ、ほうほうの態で車に逃げ戻り、再び霧の牧の戸を越えて、ファームロードを駆け下り、「岳の湯温泉」の立ち寄り露天風呂で青磁色の湯を楽しんで、旅を終えた。嵐に吹かれ、梅雨の気配を遠くに感じる旅だった。
(2009年5月:写真:久住高原の朝)
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