蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

旅立ちの秋

2009年10月09日 | つれづれに

 秋が駆け足で走り抜けていく。2年振りに知多半島に上陸した大型台風が日本列島を貪り去って、俄かに風が冷たくなった。緑の葉陰には、もうサザンカの蕾がピンクに膨らみ、その傍らで開花を待つように、ハナアブが見事なホバリングを見せている。早朝の鈍い曇り空が重い。

 旅立ちが1週間後に迫った。「Orange County:California」と「Yosemite」のステッカーを貼ったスーツケースを2年振りに納戸から取り出し、パッキングの準備を始めた。旅慣れた気安さが、さほどの緊張もなく49日間の旅空の衣類や身の回り品などを揃えていく。昨年の座間味以来のダイビングに備え、マスク、スノーケル、ブーツ、フィン、グローブを棚から取り出した。ザックにストック、トレッキング・シューズ……旅支度が淡々と進んでいく。
 先年、ブライス・キャニオンのトレッキングの際に求めた写真集を引っ張り出し、ユタ州ザイオン国立公園のエンジェルス・ランディング(天使が舞い降りる山・1765m)の写真を確かめた。娘が高所恐怖症の我が身も省みずに、私の為に計画してくれている断崖絶壁の山登りである。山というより、岩塊というべき凄まじい山姿である。

 「え、49日?縁起でもない!キリよく50日にすればよかった」などと思いながら、「まあ、いいや。49日(シジュウクニチ)は忌明けだから…」と独りよがりに思ったりもする。他愛もない縁起担ぎである。
 USドルへの換金も済んだ。1ドルの小額でも、むしろカードが信用されるお国柄だが、メキシカンの店やメキシコでの遊びやタクシーなど、ドルの現金が必要な場合もある。娘からのお土産の注文も揃えた。太っ腹に必要な金は惜しまない一方、決して無駄遣いはしない娘だから、注文もささやかなものである。長い異国暮らしが、自衛の意識をしっかりと身体に滲みこませた。まして大不況のアメリカの中でも、財政破綻の辛苦を舐めているカリフォルニアである。3軒の持ち家の管理に腐心しながら、堅実な毎日を送っている。シュワルツェネガー知事も、ハリウッドのアクション・スター時代とは様変わりした懸命な行政を戦っているらしい。
 国際運転免許証も取った。季節性インフルエンザの予防接種も済ませた。チケット類も全て入手した。長い留守に備えて山野草の鉢も全て日陰の地面に埋め込んだ。迫り来る冬将軍から逃れるような旅立ちである。当日の朝、車のバッテリーを外し、セキュリティを掛ければ、蟋蟀庵は暫し晩秋の静寂に沈み込む。

 もう終わったと思った月下美人が15個ものイガイガの蕾をつけた。旅立ちに間に合うかどうか、微妙なタイミングである。長い茎に幾つもの花を並べたシロバナホトトギスが今盛りである。線香花火のような蕾をつけ始めたイトラッキョウは間に合わないだろう。花時が長いから、帰り着いた頃もまだ花を残してくれているかもしれない。その頃には、緑濃いままの八朔も黄色く色づき始めているに違いない。……愛着深い庭への思いは残る。

 ブラジルに「サウダージ」という言葉がある。「幸福な思い出に抱く郷愁」……昨日、アメリカのテレビ・ドラマの中で知った。この歳、この旅立ちに、何となく心に残る言葉だった。
             (2009年10月:写真:Engels Landing)