蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

梅雨の蛾

2010年06月13日 | 季節の便り・虫篇

 百日紅の木陰を、3匹のユウマダラエダシャクが縺れ飛んでいた。夕斑枝尺……白地に、褐色の斑紋があるシャクガの仲間である。鳥の糞に擬態していると言われ、幼虫は、マサキ、コマユミ、ツルマサキなどの葉を食べて育つ。年に春秋2回繁殖する特徴を持ち、初夏に羽化した成虫はすぐに産卵して、秋には次の世代が羽化する。秋に羽化した少し小型の成虫から生まれた幼虫は、そのまま冬眠に近い状態で越冬する……そんな学問的な目線で虫たちに向き合うのは、遠い昔にやめた。感性だけで叙情的に見詰める方が、生き物は美しく可愛い。だからこそ、万人に忌み嫌われるイラガの幼虫でさえ、その造形美に感動することが出来る。
 
 博物館環境ボランティア用のバッグには、実は鮮明なイラガの幼虫の写真が納まっている。「虫は嫌い!」と言う人がいたら、おもむろに写真を取り出して「観てごらん。嫌いだと思うから目を遠ざけて、益々嫌いになってしまう。目を近づけてよく観たら、こんなに見事な造形なんだよ!」と感動を強いることにしている。(少し悪趣味かな?)

 ユウマダラエダシャクが舞い始めると、梅雨が近い。その名の通り、夕暮れ間近の仄暗い木陰を、儚げに頼りなく舞う。長くは飛べない蛾である。見ていて手を差し伸べてやりたいほど、たどたどしく情けない舞い姿だが、そのはかなさが何故か心に残って、昆虫少年の頃から大好きな虫のひとつだった。
 梅雨が近づくと、無意識に夕暮れの樹間にその姿を探し、入梅の近さを推し量ってきた。数日前から、時たま見掛けるようになった。このところ気温の乱高下が続き、ガスストーブを置いたまま冷房のスイッチを入れるような、おかしな天候が続いている。梅雨入りも遅れた。庭木の育ちだけが、何故か例年になく猛々しく、梅の実が豊作の傍らで八朔が壊滅したりする。風が強い一日、一瞬見かけたユウマダラエダシャクは、頼りなげに風に逆らうすべもなく、一陣の風に吹き飛ばされて消えた。

 夏場に強い筈の身体が理由もなく倦怠感・脱力感に苛まれ、目下総点検の中にある。X線を撮り、心電図を測り、血液検査で腫瘍マーカーやピロリ菌をチェックし、4年ぶりの胃カメラも呑んだ。胃と十二指腸に良性のポリープが見付かった以外は、今のところ原因らしいものは見付からない。「歳のせいでしょ!」という陰口を自分でつぶやきながら、高温多湿の気怠さの底で呻吟する昨日、太宰府の最高気温は31度を超えた。そしてこの日、九州地方は一斉に梅雨入り宣言をした。北部は平年より7日遅れの梅雨入りである。鈍いながらも洗濯物が乾く日差しがあり、入梅の実感はない。歯切れの悪い梅雨入りである。 

 夜、強い風がカーテンを揺らす中で、申し訳みたいな雨が降った。夕飯後の寛ぎのひと時、明かりに誘われて網戸に珍客が飛来した。ツノゼミ…セミと言っても、実はセミの仲間ではなく、ウンカやヨコバイに近い1センチにも満たない昆虫だが、結構種類は多いのに、これまで実物を見たことがなかった。「前胸部に角を持つセミのような昆虫」という単純な名前の由来なのだが、実はツノゼミの角はツノゼミにとって全く何の役にも立っていないらしい……こらこら、学問的視点はもう捨てたんじゃなかったっけ?

 苦笑いしながら、ほろ酔いのひとときを、ツノゼミと戯れていた。


             (2010年6月:写真:雨戸に飛来したツノゼミ)