蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

ハナニラに寄せて

2011年04月04日 | つれづれに


 本当に、なんという子ども達だろう!その健気さに、こみ上げるものを抑え切れなかった。12歳と10歳の姉妹が、大きな籠を背中に負い、自発的に避難所から50個のお握りと水を受取って、避難所に来れず救難物資も受取れないお年寄りの家に配って回っている。坂道の多い地域を1日3度、重い荷物に息を喘がせながら黙々と奉仕している。東日本大震災以来、幾度となく子ども達の健気な頑張りを見て涙した。震災の地獄絵はあまりにも凄惨過ぎて、もう涙さえ出ない。瞼を熱くするのは、親を失い、祖父母を失い、家族を失い、家を失い、夢を失い、思い出さえ押し流された人たちの、懸命に、そして時には明るくさえ見える「生きようとする姿」である。特に子ども達の、なんという健気さだろう。

 それに引き換え…ここから、怒りの連鎖が始まる。天災はまだ、諦めの底から立ち直ろうとする気力を呼び起こすことが出来る。しかし、想定を怠った言い訳に「想定外」を繰り返す東電の無様な右往左往、これは明らかに人災である。
 唯一の被爆国でありながら、算盤勘定の狭間で危機管理意識を薄めていったツケが、周辺住民に来た。安全を言い続けた連中が、現場に来ない。真っ先に言った台詞が「私達も被害者だ」…「ふざけんな!」と吐き捨てた住民の声が耳に残る。打つ手打つ手が全て実らず、場当たりとしか見えない不手際の中で、時だけが過ぎていく。
 天皇皇后が跪いて被災者の目線で語りかけているのに、立ったまま詫びて20分で去っていった東電副社長、高濃度の地域に屋内退避させられている避難民をよそに、病院に逃げ込んだ東電社長、情報コントロールしているとしか思えない政府、東電の対応…ツケは下手すると数年、数十年、あるいは数世紀の単位で残るかもしれない非常時である。「FUKUSIMA」は、最早日本だけの緊急事態ではないのだ。
 次第に情報が希薄になっていく中で、国と東電の巨大な陰謀さえ疑いたくなるような日々が空しく過ぎていく。正しい情報開示と的確な指示さえ為されていれば、数百株のキャベツを市場に送り出せずに自ら命を絶つ人もいなかった。
 政治が見えない。これほどの非常時なのに、相変わらずそれを政権争いの具に利用する愚かさ、こんな時に政党に何の意味があろう。今問題を露呈している事柄の多くは、今の野党が与党時代に始めたことではないか。二世三世の政治屋が、七光りの威光や持ち回りでこなしている大臣職に、何の力が期待出来よう。無知無能をさらけ出して途方に暮れている大臣もいる。何の実績も残していない泡沫政党が、したり顔で論を張る。憤りを超えて、殺意さえ抱きたくなる。

 乏しい年金から何度も義捐金の箱に投じながら、まだ満たされない自分がある。食卓に並ぶ料理の品数に後ろめたさがある。術後の湯治に温泉に走りながら、経済速度以上にスピードを上げられない自分がいる。チャラチャラと遊びまわっている若者達に憤りがある。そして、腹を立てるばかりで何も出来ない自分に苛立たしさがある。

 ……キーボードに過激に鬱憤を吐き出したところで、穏やかな春日がいっぱいに注ぐ庭に降り立った。変ることなく、陋屋は爛漫の春。庭のあちこちで、ハナニラが青紫の六弁の花を開いた。クサボケがオレンジの花びらを並べる。ヒメウズの小花が立つ。ヒゴイカリソウがうな垂れる。市民権を得た野草たちの花の季節である。ミスミソウ、エイザンスミレが盛りを過ぎ、咲き揃ったムスカリの横では、チャルメルソウの葉陰からジロボウエンゴサクとサギゴケの花が覗いている。はびこることを許したムラサキケマンが野放図なまでに花を咲かせている。ユキヤナギが日差しに眩しい。キブシがすだれのように無数の花穂を下げる。
 満開を迎えた桜が、やがて北上して被災地も花時を迎えることだろう。原発のめどがつき、ささやかな慰めの花吹雪が荒野と化した瓦礫を覆う日を待ちながら、今日も祈りの時が過ぎていく。
                    (2011年4月:写真:ハナニラ)