蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

梅雨断想

2011年06月13日 | つれづれに


 取り残されていた北部九州に遅れ馳せの梅雨入り宣言が出され、肩透かしのように又晴れ間が戻ったあと、突然激しい雨の日々が続いた。10日も早く沖縄の梅雨が明けた。気まぐれな季節の移ろいに戸惑いながら、蒸し暑さと肌寒さの狭間を苛立っている。

 梅の木の枝の間をユウマダラエダシャク(夕斑枝尺)が千切れたように舞う。ふたつ、三つ…いつか「梅雨の蛾」と書いた。中学生の昆虫少年の頃から、この蛾が舞うと梅雨がやって来た記憶がある。その記憶の中のユウマダラエダシャクはいつも1匹なのに、今年は複数で舞う姿が多い。何か儚い頼りなげな飛翔が、いかにも梅雨の侘しさに似合う。

 キコキコと鳴くアマガエルの声も、今年はまだ聴かない。そういえば、蛙そのものが少なくなった。35年ほど前に此処に住み始めた頃、辺りはまだまだ水田がたくさん残っていた。雨の匂いが近付くと、辺りは沸き立つような蛙の鳴き声に満たされた。両親が移り住んだ40年前には、西鉄五条駅からの道も途中の女子短大までしかなく、田んぼの畦道を辿るか、太宰府駅から回りこんで帰って来るしかなかった。やがて舗装は進み、梅雨の頃になると田圃から飛び出した慌て物の蛙がそこかしこ車に轢かれ、梅雨の道は少し生臭い蛙の匂いに満ちていた。

 「雨の足音が聴こえる。雨の匂いがする。6月の匂い…」入社間もない頃、同期の友人と「Evergreen Society」という社交クラブを作り、一時は1000人ほどの会員と、コンボ、タンゴ、スウィングジャズ3つのバンドを抱え、ダンスパーティーなどを開いていた時期があった。その広報誌に書いた一節である。行間に、ユウマダラエダシャクと蛙がいる。

 八朔が雨に打たれ、自然摘果された小さな実が道路に散る。みんななくなってしまうんじゃないかとハラハラするほど、際限なく落ちる。毎年そんな心配をしながら雨の小止みを待って掃くのだが、それでも一昨年は150個を超え、昨年も80個以上の実りがあった。お向かいさんに、「八朔お好きですか?…じゃあ、来年の2月ごろお裾分けしますネ」と約束しながら、今朝も100個を越える八朔の小さな実を掃いた。八朔の枝が覆う塀を這うカタツムリも、梅雨によく似合う。

 九州国立博物館第2期環境ボランティアから転進した仲間の誘いで、久し振りにNPO法人ミュージアムサポートセンターの助っ人として、博物館の収蔵庫前室兼通路のメンテナンス(清掃)に参加した。鍵方に曲がった長い長い3間廊下は全面杉板に囲まれ、一般の人は入れない聖域の一部である。馥郁とした杉の香りに満たされて、まず身を屈めて歩きながら異常な物質はないかと目視観察をした後、専用のクリーナーで丁寧に掃除していく。扉や配電盤などの金属部分は乾いたウエスで拭き上げる。2時間あまりのハードな作業だが、滴る汗がなんとも心地よい。来館者の目に触れないところで日々続けられている地道な裏方作業、環境ボランティアの「黒子の美学」を密かに楽しむ空間のひとつである。外は今日も梅雨の雨が降りしきっていた。
 
 帰って1.5キロのラッキョウを漬けた。昨年4キロの収穫を梅酒にした我が家の白梅も、今年は数えられるほどの裏作。まだ硬い実が、雨に打たれて落ち始めた。梅酒を漬けるには不足だし、シロップ煮にでもしようかと、ようやく薄日を取り戻した空を見上げる傍らを、今日もユウマダラエダシャクがヒラヒラと舞い続けていた。
            (2011年6月:写真:ユウマダラエダシャク)