蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

拗ねる八朔

2012年05月25日 | つれづれに

 美しい緑が映える五月晴れを殆ど見ないままに、もう5月も下旬。昨日の夏日と打って変わって、肌寒い梅雨の走りの小雨が降る一日となった。(尤も、辞書によれば「五月(さつき)晴れ」とは、6月(陰暦の5月)の梅雨時に見られる晴れ間のことだという。だから、ここでは「五月(ごがつ)晴れ」と言っておこう。)

 「太宰府脱出・横浜移住」を聞いてつむじを曲げたわけではないだろうが、今年の八朔の花つきが異常に少ない。例年、雪が降るように花びらを散らし、やがて自然摘果の小さな実が数百も落ちて、朝方の掃き掃除を哀しくさせるほどなのに、お礼肥の油粕と骨粉をたっぷりと施したにもかかわらず、今年は数えるほどの花を咲かせただけで、蜂の羽音を聴くこともなく呆気なく花時を終えた。昨年190個を超える実を着け過ぎたから、今年は樹の休養年なのだろうが、何となく拗ねているように感じるのは、私自身の深層心理・潜在意識の反映なのだろうか。
 代わりに、今年は異常なまでに樹木の成長が猛々しい。八朔は2階の窓に届くほどになり、キッチンの窓を覆い、道路標識を隠すほどに繁り被さっている。まるでヤケ伸びである。風のない日に、思い切って枝落としをしなければならないだろう。

 最近、就寝前の読書が進まなくなった。それには訳がある。夜半近いある民放のFMラジオ番組に面白いキャラを持つDJを知った。どうやら同郷・太宰府の女性で、家内のおぼろげな記憶では下の娘の同級生かも、という曰く付きのパーソナリティーなのだが、舌ったらずのようなたどたどしい地方語を交えながらの語り口が、妙に魅力的なのだ。その語り口でしゃべる虫の話が無類に造詣深くて、実に面白い。堅苦しい学者的知識ではなく、心底「虫が好きで好きでたまらない!虫キチ」でしか語れない不思議な博学の世界なのだ。類は類を呼ぶのか、番組に寄せられるメールが、これまた素敵な虫キチの面々。そのふれあいトークが面白く、ついつい耳を傾け、笑ってしまって本が読めない。

 その彼女のトークのひとつ……アゲハチョウの卵に卵を産む、微細な寄生蜂・キイロタマゴバチの話……勿論、ミリ以下のマクロの世界で生きる不思議な蜂である。雌は無性生殖もするが、それで生まれるのは雄ばかり。だから、雌を生むためには何としても雄と交尾して、有精卵にしなければならない。羽も退化しかかった雄は、アゲハチョウの卵の中で雌より数時間早く羽化し、雌の羽化を待つ。生まれたばかりの雌を捕まえて慌しく5秒ほどの交尾をして、そのまま1日で命を終える。雌は受精卵を抱えて飛び立ち、アゲハチョウの卵を探して産卵し、1週間ほどでその命を終える。
 こんな一生を、どう捉えればいいのだろう?子孫を残す為だけに生きる束の間の命、あまりにも儚く短い雄の一生は、もう健気でもあり哀れでもあって、論評のしようがない。年中発情しながら、喜怒哀楽に翻弄され、清濁入り乱れた一生を送る人間が素晴らしいのか、それとも薄汚く惨めなのか……少なくとも、マクロの世界に生きるキイロタマゴバチは、環境を破壊し、無数のほかの生き物を絶滅させて、自らも絶滅への「滅びの笛」を吹くことはない。聴きながら、何だか素敵な生き様を見たような気がした。
 因みに、この番組はLove FMの「月下虫音(げっかちゅうね)」。DJは「太田こぞう」さんという。一見ならぬ一聴に値する。(月~木:22:00-23:30、日:22:00-23:00)

 家内は横浜の娘の家に助っ人に飛び、3週間の独り暮らしが始まった。自称「独身貴族」と嘯いても、所詮人は「独居老人」と嗤う。(呵呵)
 アメリカの娘は、今朝早くオレンジカウンティーの空港から、シカゴ・ロンドン経由ギリシャへ向かった。癒しの一人旅である。1週間後、娘婿の家族と合流し、豪華なスペイン旅行を楽しむ。

 小雨の中、千切れた一片の紙切れのように、モンシロチョウが屋根から舞い降りる庭の片隅に、姫緋扇(ヒメヒオウギ)がひっそりと可憐な花を咲かせていた。
 翌早朝、今年初めてユウマダラエダシャクを見た。この蛾が舞い始めると、梅雨の訪れが近い。こころなし、空気がしっとりと重く感じられる朝だった。
                (2012年5月:写真:ヒメヒオウギ)