久し振りの邂逅だった。本当に、何年振りだろう?昔……もう、昔と言っていいほどに時間が過ぎてしまった。山仲間のN夫妻と、万年山(はねやま)に登った。山頂近くの牧場の傍らまで車で上がれるから、頂への道は登山というよりも、むしろ高原散策。山野草の花時には外れた寂しい尾根に、たった一輪のこの花が風に揺れていた。初めて見る花だった。その時の写真は、今もバックアップしたUSBメモリーの何処かで眠っている。以来、小国の「きよらかーさ」の入り口の鉢で一度、我が家の近くの花屋の軒で一度、いずれも少し草臥れて萎れかかった惨めな姿に接したことがあっただけで、ひと昔の時間が過ぎた。
9月の声を聴いて、俄かに陋屋を囲むコオロギの声が濃密になってきた。そんな一日、秋風が欲しくて高原ドライブに出た。湿気を帯びた空気が空を鈍く曇らせ、秋晴れとは程遠い天候に、山の稜線も雲間に沈んでいく。走りあがった大分県飯田(はんだ)高原・長者原の駐車場に車を停め、今にも雨の滴がこぼれそうなタデ原湿原を覗いてみた。早くも瑞々しいススキの穂が出揃い、温度計は20度を示している。高原は紛れもなく秋を謳い始めていた。
ビジターセンターの脇の小道を少し下ると、いきなり迎えてくれたのがこの花だった。マツムシソウ(松虫草)。淡い紫のグラデーションが溜息の出るほど美しい山野草である。マツムシが鳴くような環境で咲くから名づけられたという、何とも無粋なネーミングは、この花の美しさに似つかわしくない。花の終わったあとの坊主頭みたいな姿が、仏具の伏鉦(ふせがね、その響きが松虫を思わせることから俗称・松虫鉦という)に似ていることから名づけられたという説の方が、まだ頷ける。
年々歳々、いつも同じ場所・同じ木陰で巡り合う花たちも嬉しい。しかし、それにもまして、思いがけず何年振りかで再会する花が齎す感動は又別格である。20輪ほどの群生が、湿り気を帯びた秋風の中で今を盛りと咲き誇っていた。傍らにはワレモコウ(吾亦紅)が立つ。生け花に使われる吾亦黒と言いたいほどにくすんでしまった花と異なり、新鮮な濃い赤がその名前の由来を納得させる。山萩も今盛りだった。足元をベニバナツメクサ(紅花爪草)のピンクが、少し小道をたどった先にはコウゾリナ(剃刀菜)の黄色が彩る。ススキの穂を凌ぐように、何本ものヒゴタイ(肥後躰・平江帯)が青紫の珠を掲げる。端境期と思ってさほど期待していなかっただけに、何だか得をしたみたいなウキウキ気分だった。
男池(おいけ)に走った。緑のトンネルが薄暗く感じられるほどに空模様が怪しくなる。家内と義妹を男池の湧水に送り込む頃、雨が来た。ひと掬いの湧水を口に含んで戻った二人を拾って慌ただしく長者原に戻り、ビジターセンターのベランダに置かれたテーブルを借りて、いつものコンビニお握りの弁当を食べた。雨はやがてやみ、湿原の一面のススキの上を風が走り、三峰を雲に沈めた三俣山、霧に紛れて噴煙を上げる硫黄山、雲の間に消える星生山が墨絵のようなたたずまいを見せる。
歩み始めた秋は日毎足取りを速め、いつしか山巓から紅葉が降りてくるだろう。久しぶりに出会ったマツムシソウの姿をしっかりと瞼に焼き付け、立ち寄り露天風呂に向かって峠道を駆けのぼった。
(2012年9月:写真:マツムシソウ)