蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

花尽くしの旅(その2:E山荘を訪ねて)

2013年04月24日 | 季節の便り・花篇

 枝の間をせわしなく飛び回っていたヤマガラが、差し伸べたご主人の腕に一瞬とまって、見慣れない私の姿に驚いたのか、再び枝に逃げた。昔、縁日でおみくじを引いてくる見世物の主役がヤマガラだった記憶がある。しかし、野性の鳥を指から餌を啄むまでに馴らすには、よほどの優しさと根気が必要だろう。ベランダの手摺りに二つの皿が置かれている。一つの薄めたジュースをヒヨドリがいつまでも吸っていた。音や動きに敏感と聞いて、窓越しにそっと近づき、カメラのファインダーに捕えた。

 時たま、男池や飯田高原・長者原の自然探究路散策の折りに寄せていただく。600坪の敷地に建つ山荘の優しさは、きっとご夫妻の人柄から滲み出るものなのだろう。眼下の水田の向こうに久住山に寄り添う山々が連なり、2階の窓越しに見はるかす風景は、四季折々の美しい絵を見せてくれる。
 男池周辺の山野草の寂しさに少し思いを残しながら、帰路立ち寄った束の間のコーヒー・ブレイク。ご主人手作りの美味しいケーキを舌に溶かしながら、深煎りの珈琲の寛ぎに深く浸っていた。
 山庭に待っていた思いがけない花々。ヤマシャクヤクが程よいふくらみで、恥ずかしげに黄色い花芯を覗かせる。この花は、綻び始めた今がいい。ハルリンドウが、ヤマルリソウが、エヒメアヤメが、ニホンサクラソウが、そして、初めて見る黄花のカタクリまでも咲かせて、此処は春真っ盛りだった。今日の日差しに、霧氷が咲いたという戻り寒波の鋭さはなく、我が家の食卓を飾るに足りるワラビまでが、得意気に風に揺れていた。
 淡いピンクの花弁をふたつ並べるニリンソウの初々しさ、青い小花を広げるワスレナグサの可憐、小さなランタンを連ねるアマドコロ、紫の花を立てるカキドオシ、艶やかに輝く葉に囲まれたヒトリシズカ、傍らに群生するスズランも鈴を並べようとしている。ミツバツツジもいっぱいにピンクの蕾を立てて、既に数輪が花開いていた。リハビリ痛の肩も忘れ、左手に支えた1kgの一眼レフのファインダーに花を追い続けた。至福の時間はあっという間に過ぎた。
 お土産は「天ぷらにどうぞ」といただいたタラの芽、コシアブラの新芽、ハナイカダの葉、庭からご主人が掘り採って下さったウド。お隣の山荘の奥様から鉢植えの葉ワサビまでいただく果報に、尽きぬ名残を抱えて山を下った。

 傾く日差しの下を、気温13度の長者原から標高1,333mの牧の戸峠を越え、ヘアピン・カーブの「やまなみハイウエイ」を瀬の本に下った。豊後竹田に向かって10分あまり、今夜の宿「久住高原コテージ」に着いたのは、昨日電話で約束した15時を既に2時間も超えていた。
 遅くなったチェック・インに夕飯は19時40分の遅番に回されたが、そのおかげで広い露天風呂を独り占めにする癒しの時間が待っていた。吐口から広がる波紋に湯気が纏わりつき、高原の遥か向こうには阿蘇五岳の涅槃像が横たわる。冬将軍も、多分これで刃を納めることだろう。湯船の傍らでいっぱいの花を咲かせていたエゴノキが、何故か切り倒されて切り株だけが残されていた。女湯と隔てる土手は、黄色のキンポウゲが盛りである。
 1,500円グレードアップした和懐石の夕飯を、一杯の地ビールとワインのほろ酔いで終えると、いつもの寝る前の露天風呂を楽しむゆとりもなく眠りに沈んだ。

 
 5時の黎明に目覚めて朝風呂にはいり、バイキングの朝食をゆっくり摂る頃から空模様が怪しくなってきた。予定していた竹田でのイチゴ狩りを割愛し、ガンジー・ファームで買い物して赤川温泉に立ち寄った。
 多少の湯疲れを感じながら硫黄の匂いに包まれ、瀬の本、黒川温泉経由、お気に入りのファームロードWAITAを駆け下った。帰り着いた15時、300キロを走り抜いた車の窓に雨が来た。
 山野草尽くしの旅が終わった。
            (2013年4月:写真:E山荘2階の窓から望む九重連山

花尽くしの旅(その1:男池にて)

2013年04月24日 | 季節の便り・花篇

<赤川温泉> 全国「滝見の露天風呂」十二選、日本一の硫黄鉱泉
泉質:含二酸化炭素、硫黄、カルシウム、硫酸塩冷鉱泉(硫化水素型) 
効能:神経痛、筋肉痛、関節痛

 湯上りの肌に残る強烈な硫黄の匂いが車内にこもる。当分この匂いは消えないし、多分今夜は何度か夜中に、我が身の硫黄の匂いで目が覚めることだろう。久住山南登山路の取り付きにある赤川温泉。前回来たときは、湯上りに車内で嵌め直した家内の銀のリングが、指に残った成分だけで真っ黒に変色してしまった。それほどの高濃度ゆえに、アトピーに顕著な効能があるという。浴槽から小さな滝が落ちるのを見ながら、いつになく長く、ぬるめの湯に浸っていた。
 久住高原コテージの湯質は、先日の鉄輪温泉と同じ炭酸水素塩泉、塩化物泉。効能:神経痛、筋肉痛、関節痛など。今回は10泊目のサービスとして、通常8,800円の宿泊費が無料である。1,500円上乗せして、黒毛和牛の溶岩焼きでリッチな夕飯となった。

 四季彩ロードから駆け上がって、やがて長者原に届く直前の野焼きの斜面は、期待通り一面のキスミレの絨毯だった。いつもなら、キスミレを愛でながら間に立つワラビを刈るのだが、寒暖急変する今年の気候に戸惑ったのか、まだ1本もワラビの姿が見えない。10日ほど季節が先走っている筈なのに、今年の山の自然は本当に読めない。それでも、高速道路から山道を2時間かけて走ってきた今日の山野草探訪に掛ける期待は、予想以上に熱かった。
  
 黒岳登山道入り口の男池(おいけ)。いつものように泉の畔のベンチでコンビニお握りの昼を済ませ、カメラ抱えて前屈みに蹲りながら山野草を探した。ここ数日、多分今年最後の戻り寒波が氷点下の厳しさとなって、咲き始めた花々を襲ったのだろうか、例年になく花が傷んでいた。ヤマルリソウのブルーのぼかしが汚れている。ヤマエンゴサクも汚い。ネコノメソウは黄色も白も僅かに開くばかりで、花時が遅いユキザサは綻ぶ気配もない。木漏れ日の下にシロバナエンレイソウが1輪、ハルリンドウが2輪、キケマンは数輪、きれいな紫のスミレがちらほら、チャルメルソウとムラサキケマンだけがやたらに元気だった。
 弾む心が少し冷めていく。「さすがにユキワリイチゲには遅いだろう」と思いながらも、かすかな期待を持って「かくし水」の方に山道を辿ってみた。木立の新芽が眩しいほどに輝き、溜息が出るほどに美しい。吹く風も、もうこの木立の中には届かず、シジュウカラの囀りが時折降ってくるだけの静寂である。ヤブレガサはしっかり傘を広げ、キツネノカミソリとバイケイソウが葉を繁らせていた。マムシ草の屹立が猛々しい。
 ハルトラノオやヒトリシズカの穂も短く、開き切っていないサバノオも心なし花が小さく感じられる。そして、ワチガイゾウが僅か一輪。勿論、ユキワリイチゲは葉だけになっていた。ツクバネソウもやっと見つけて1本。ウシハコベ、コンロンソウ…普段はあまり関心を寄せない花までが貴重に思えてくる。この道で、こんなにマイナーな気分になることは珍しい。期待が大きかった反動だろうか。

 やがて「かくし水」に行きつく少し手前の右斜面に、思いがけない花が待っていた。何年振りだろう?微妙な花時を違えると、山の花は決して待ってくれない。急斜面にいくつもの純白の毬のような花が今盛りだった。ヤマシャクヤク…数少ない花を盗掘から守るために、枯れ木で隠したこともあった。その斜面で群生して幾つもの花を咲かせるヤマシャクヤクは圧巻で、豪華でさえあった。
 漸く満ち足りた思いで、芽吹きの木立の中を下った。午後の日差しが少し傾く時刻だった。
             (2013年4月:写真:ヤマシャクヤク)