ホトトギスがしきりに鳴く、土曜日の昼近い時刻である。11時のPM2.5の指数は66㎍/㎥と決して低くはないが、今朝は目鼻が楽で頭痛もない。理由はともあれ、久し振りに素直に暑さだけに浸っていられるのは心地よい。コブシの繁みにはいりこんだキジバトが、くぐもった声を落とす。いつも番いでいるのに、珍しく一羽だけで枝を揺らしていた。
博多と歌舞伎の関わり合いについて、午後NHKが家内のところに取材に来るという。そんな日盛りの時刻、庭の縁石に又一匹の珍客がやって来た。
ホシベニカミキリ。甲虫目カミキリムシ科、学名:Eupromus ruber Dalman
全国的に分布し、決して珍しいカミキリではないが、都市部の公園などで多産し、生木を荒らす公園害虫とされている。クスノキ、ヤブニッケイ、タブノキ、ホソバタブ、シロダモ等に寄るというから、まず我が家の庭木は大丈夫だろうと庭に放した。
体長18~25mm、黒い身体で、鞘翅には鮮紅色で大小の黒い紋がある。その紋の分布は一定でなく個体差があり、マンタ(オニイトマキエイ)の腹部の黒い紋様と同じように、一体として同じ紋様はないという。通常2年で1世代を送る。成虫で越冬し、越冬明けの成虫は主にタブノキの葉を食べる。タブノキの樹皮を長円形にぐるりと嚙み切り、その円の内側の樹皮の下に産卵する。幼虫は樹皮にトンネルを掘り、所々に穴を開けて木屑や糞を捨てる…こんな図鑑の言葉を連ねていくと、一層愛着が増していくから楽しい。
父が生きていたら、即抹殺されたことだろう。急死する前の日まで庭いじりを楽しみ、庭木をこよなく愛していた父にとって、カミキリムシは天敵であり、ゴマダラカミキリを見付けようものなら形相が変わった。
黒地に白い星をちりばめたカッコいいゴマダラカミキリの姿に、見付けた孫たちが喜んで遊んでいると、「殺せ!」と、日頃の温厚な父からは想像出来ない叱声が飛んだ。
昨日切り倒したハナミズキが枯れたのも、多分カミキリムシの仕業だろうが、それもまた良し。自然の摂理の流れの中では、さほど「やられた!」という憤りもない。
ホシベニカミキリの食害は木を枯らすことは少ないというから、暫く蟋蟀庵の庭でささやかな悪さを楽しませるのも一興だろう。
最近、庭木が枯れたり、長い留守で鉢の山野草が乾燥にやられても、さほど心が痛まなくなった。愛着が薄れたわけではない。そもそも山野草は野に置いてこそ愛でるものであり、季節ごとの日差しを調整しながら、鉢をかかえて庭を右往左往することこそ滑稽である。命あるものは、いつかは滅びる。そんな当たり前のことが素直に受け入れられるのも、晩年の悟り(諦め?)なのだろうか。
1000キロを超える距離を北上しながら渡っていくアサギマダラが姿を見せる季節である。飯田高原・長者原の自然探究路で、今年も浅葱色(薄青色)の群舞が始まっていることだろう。
この団地に猿が現れたという。タヌキやノウサギやイタチ、そしてアオダイショウやマムシやシマヘビは散見されているが、とうとう猿までが昔の生活圏を取り戻しにやって来始めた。
七色の衣で日差しを跳ね返しながらハンミョウ(みちおしえ)が庭で遊んでいる。近付く雨の季節を予感するのか、アマガエルがキコキコと鳴き始めた。中学生の頃からおなじみの梅雨の蛾・ユウマダラエダシャクが、梅の木陰をゆらゆらと舞い始めたのは今朝のことだった。
家内が主宰する「たまには歌舞伎を見よう会」の仲間が、朝採りのグリンピースを届けてくれた。初物は75日寿命を延ばすという。今夜は豆ごはんで季節を味わうことにしよう。
(2013年5月:写真:ホシベニカミキリ)