壮麗な朝焼けだった。眼下に指宿の街の灯を見おろし、その向こうに横に広がる錦江湾を隔てて、まだ灯りの少ない大隅半島の上を明けやらぬ曙光が染めた。
標高320mの山間に建つホテル…雨が降れば、錦江湾や裏の鰻池から巻き上がる濃霧の底に沈む。12月、1月、そして2月と、延べ1ヶ月近くなる長逗留も、ようやく残り5日になった朝の6時42分。起き抜けの温泉に浸って火照った身体を風に弄らせたくて、いつものように2階のベランダに立った。荘厳な黎明の曙光が濃淡見事な群青のクラデーションを掃き、そこに明けの明星・金星が燦然と輝く。
前夜、錦江湾に金波を弾かせながら昇る美しい満月を見た。中天にはお馴染みのオリオン座と冬空の大三角が、月光にも負けずに輝いていた。
2月初めの3度目の訪れの日、指宿は21度の暖かさだった。一面の菜の花と、採り入れを待つ日本一の収穫量を誇るソラマメ畑が広がる。枯れススキもまだ生々しく、コスモスまでが咲き残る南国の景色が、太宰府の寒波から追われるように逃れ、4時間半かけて辿り着いた疲れた目を温かく慰めてくれた。全国から2万人を動員し、指宿はもとより1時間隔てた鹿児島のホテルまでも満室にした「菜の花マラソン」も終わって、街は再びシーズンオフの温泉観光地の静寂を取り戻していた。
部屋の窓から指宿の街の全景を俯瞰し、美しい錦江湾と、対岸の大隅半島を一望する。波静かな湾を、時折屋久島・種子島に向かう連絡船・トッピーや、対岸の根占に渡るフェリーの航跡が白く光る。なだらかな山道を15分も歩けば、展望台から薩摩富士・開聞岳、池田湖、鰻湖、お天気のいい日には種子島、屋久島、硫黄島まで遠望出来る最高のロケーションだった。
朝起き抜け、夕餉の前、就寝前の温泉三昧は贅沢の極みだったが、長逗留の悩みは食事だった。毎晩ホテルのレストランで、高齢者には食べきれない量の4800円のフルコースに甘んじるわけにもいかず、かと言って食堂の決まりきった定食もすべてのメニューを食べ尽くすと、さすがに飽きが来る。「人間が、一日一食の生き物だったらなァ」とかこちながら、何せアクセスが悪い山の中。仕方なく、2~3時間おきにホテルの玄関先から、指宿駅→砂蒸し会館→ホテル白水館(薩摩伝承館)→大型ス―パ―→ホテルと巡回するシャトルバスに乗って街に降りる。
レストランや食堂を訪ね歩いて、薩摩料理、鍋焼きうどん、鰹丼、ブリかまの焼き魚定食、薩摩汁、賄い丼、ちゃんぽん、パスタ・ランチどを食べ歩き、時にはコンビニのレトルトを買って、ホテル内の電子レンジでチンして食べる。「このアクセス、ロケーションでは、部屋に簡単な調理設備が欲しいよネ!」と家内と愚痴りながら、それでも最後の夜はレストランに無理を言って、7掛けくらいに量を減らした特別コースを作ってもらって、最後の晩餐と洒落込んだ。
滞在中の一日、ソラマメ日本一に因む「豆、まめ、マメ祭」が指宿駅前で開かれ、シャトルバスで降りた。冬場に豆を作る…これも、南国ならではの収穫祭である。巨大なソラマメの掴み取りを無料で楽しみ、生まれて初めて「焼きソラマメ」の美味を知った。
指宿のメイン通りをほぼ歩き尽くしたし、指宿港に隣接する太平次公園の芝生で小春日を浴びてうたた寝も楽しんだ…こうして温泉三昧・読書三昧の長い長い逗留が終わった。此処で、命をもらった。
誰にでも親しく話しかける家内の人柄だろう、フロントや浴場の係員、レストランや食堂の従業員たちとも親しくなり、みんなが別れを惜しんでくれた。チェックアウトの朝、フロントの人たちが折り鶴を折って家内に手渡し、総支配人以下みんなで手を振ってバスを見送ってくれた。
指宿・枕崎線の観光特急「いぶすきのたまてばこ(いぶたま)」号に揺られて50分、西鹿児島駅の改札を出たら、非番のフロントの女性がお土産を持って見送りに来てくれていたのに感激する。この得難いふれあいがあるから、ローカルは嬉しい。
そういえば、ふらりと立ち寄った指宿駅前商店街の「喜作」という小さな食堂で、28年やってるおかみさんと話が弾み、帰りに袋いっぱいの甘い金柑と、自分で漬けたという美味しい白菜漬けをもらったこともあった。気持ちが触れ合うと、こんな温かいハプニングがあるのが旅の醍醐味かもしれない。
帰り着いた太宰府の我が家の庭では、ひと群れの水仙が今を盛りと咲き誇り、甘く優しい春の香りを振りまいていた。紅梅・白梅が綻び始め、そこここに春の気配が漂って…指宿より4度低い北国?でも、やっぱり我が家が一番である。
(2014年2月:写真:黎明の錦江湾)