深い木立の向こうから、啄木鳥のドラミングが聞こえてくる。目を近付ければ、枝先に可愛い新芽が吹き零れているが、景色はまだ冬枯れの気配が残っていた。散策路の傍らのベンチにピクニック・シートを拡げ、コンビニのお握りと浅漬けの漬物のお弁当を開いた。駐車場脇の売店で求めた鴨のつくね焼きの串だけが、ささやかなおかずである。
大分県飯田(はんだ)高原・長者原を過ぎてやまなみハイウエーを数分東に走り、牧場・エルランチョグランデから南に折れる。崩平(くえんひら)山を左にしばらく下ると、羊腸の山道の畔の男池(おいけ)、太宰府の自宅からおよそ2時間足らずで、この山野草の宝庫に辿り着く。
「快気祝いを兼ねて、呼子にイカの活き作り食べに行こうか?」
そんな話からネットで宿探しをしているうちに、熊本県小国町万願寺温泉の近くに、秘湯・扇温泉を見付けてしまった。離れの和洋室、部屋付きの檜風呂と露天岩風呂がついて、お米のお土産がつくという。宿の風情に魅せられて、イカの活き作りが吹き飛んだ。
まっすぐ走れば2時間、お昼を食べてから走り出せば十分なのに、このところの初夏を思わせる陽気に、ふと閃くものがあって9時過ぎに家を走り出た。
大分道を走る車窓から見る山並は少し春霞に包まれて、濃淡せめぎあう緑の色模様は、もう春というより初夏の様相である。玖珠ICで降りて、いつもの四季彩ロードを駆けあがる。泉水山の裾を巻く斜面は、例年より遅れた野焼きでまだ枯れ草に覆われ、黒い焼跡を黄色の絨毯で覆うキスミレを見るには、まだ十日ほど早い。
九重連山の外れの黒岳の麓に、豊かな湧水を溢れさせて流れ下る辺りの木立。その下に咲く数々の山野草の姿に魅せられて、もう14年ほどになる。初めて山仲間夫妻に連れられて出逢った山野草は、実に40種を超えていた。それ以来四季折々に訪れては、接写レンズを嚙ませたカメラを片手に地面に這いつくばってきたが、その中で稀にしか出会えない、私にとっては幻の花があった。気まぐれな早春の陽気で、僅かな差で咲いていなかったり咲き終わっていたり……そんな毎年が続いていた。これまでに出逢ったのは、僅か2度だけである。
男池の散策路に取りついてすぐに、アズマイチゲを見付けた。かつては群生していた白い花だが、その後姿が少なくなり、私が見たのは12年前の一輪に尽きていた。又復活したのだろうか、ここかしこに数輪ずつのアズマイチゲが爽やかに花開いて木漏れ日を浴びていた。小さなハルトラノオも咲いている。家内がシロバナネコノメソウを見付けた。これは、幻に出会えるかも……そんな期待を抑えながら、取り敢えずお弁当にした。
遠くから啄木鳥のドラミングが転がってくる。木立の中を囀りながら飛び回るシジュウカラ。小鳥の声が幾種類も降ってくるが、残念ながら声で聴き分けられるほどの知識がない。
食べ終わって、渓流沿いに少し下ったところに、あった!少し盛りを過ぎてはいたが、紛れもなくユキワリイチゲ(雪割一花)だった。淡いピンクに黄色の蕊と薄緑色の花芯、清楚にして控えめな華やかさを漂わせ、木漏れ日が似合う春の花である。
期待を膨らませながら、緩やかな登山道……というより、樹林を縫う散策路を「かくし水」の方に辿った。あちこちに緑を生い茂らせるのは、キツネノカミソリとバイケイソウ。ユキザサはやっと葉を広げ始めたばかりで、花時にはまだまだ遠い。よくも名付けたと感心するヤブレガサ(破れ傘)が、ご愛嬌の傘のような葉を様々な角度で開き始めていた。
10分ほど辿ったところで、あそこに一輪、此処に一輪、幻のユキワリイチゲが迎えてくれた。あの頃の群生ではない。年毎に、山野草の広がりは姿を変える。目の隅でやっとととらえる疎らな一輪一輪だからこそ、出会った時の喜びは大きいのだろう。
帰りの散策路の外れ近くで、咲き残ったショウジョウバカマが淡い紫の花穂を振って見送ってくれた。
満ち足りて、長者原から牧の戸峠を越えて、黒川温泉を経て万願寺に向かった。山間はまだ桜の真っ盛り。年々短くなる春と秋、それだけにこの季節のせめぎ合いには、時を読む難しさと楽しさがある。
ひと晩中掛け流しの湯音に包まれながら、贅沢な秘湯の夜を眠った。
(2014年4月:写真:ユキワリイチゲ)