蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

遠くにありて……

2015年06月08日 | 季節の便り・旅篇

 50年以上憧れていた北アルプスの峰々だった。残雪頂く険しい山々の姿を一度見たい……そう憧れ続けてこの歳になった。井上 靖の「氷壁」や、新田次郎の山岳小説に読み耽った高校・大学の頃……山歩きは好きで中学時代から続けていたが、所詮は九州の久住連山を中心としたトレッキングに過ぎなかった。高さこそ富士山の3,776mの剣が峰を踏んでいるが、銀座状態の味気ない夏の富士山でしかない。北アルプス、南アルプス、谷川岳などの冬期登攀や雪山縦走、ロッククライミングなど、本格的登山家は遠い憧れの向こうにあった。
 だから、上高地はそうした山岳小説に描かれた聖地として、夢の中にあった。一度でいいから、峻険な峰々を身近に仰いでみたい!……だから、金婚式を迎えた記念旅行に、躊躇いなく選んだのが「上高地・立山黒部アルペンルート・黒部渓谷トロッコ列車・世界遺産白川郷3日間」という、あの頃には想像も出来なかった盛りだくさんのツアーだった。まさしく、憧れを一気飲みする強行スケジュールであり、多分最後のチャンスでもあっただろう。
 「セントレア Centrair)」という、知らなければ意味が分からない愛称を持つ中部国際空港。(英語で「中部地方」を意味する"central"と「空港」を意味する"airport"を組み合わせた造語だそうだが、わが町太宰府の中央公民館がプラムカルコアと名乗るように、おさまりの悪いネーミングが流行っている。プラムカルコアの意味は敢えて書かない)ここを起点に観光バスで走り出した総勢30名のツアーは、3日間で780キロをひた走り、階段や木立の中の散策など24,000歩を歩くハードな旅となった。
 上高地の梓川沿いに歩く木立の向こうに、西穂高岳、間ノ岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳の峰々が残雪をいただいて聳えていた。黒部平(1,828m)→大観望(2,316m)→室堂(2,450メートル)とトロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイを連ねて積雪12メートルを残す大谷ウォークへと辿る道すがら、眼下黒部湖を覆い包むように聳え立つ立山連峰、後立山連峰の数々の山の姿に、ようやく50年来の夢を果たした。自らの足で踏みしめることは望むこともなく、鹿島槍ヶ岳など、多くの山々と記憶の中にある名前は一致しない。唯一、黒部湖を抱く針の木岳をしっかり記憶に残して、もうあとは何もいう事はなかった。これだけで、結婚50周年記念に十分見合うものがあった。山はやはり期待を裏切らなかった。
 団体の騒ぎが届かない「ホテル立山」で束の間の静寂に浸り、雪解け水で淹れた美味しい珈琲を喫みながら、「静かなり、限りなく静かなり」と閉じた「氷壁」の結びを思い出していた。
 
 しかし一方で、観光化が進み、秘境の神秘性を喪って俗化してしまった白川郷を含め、銀座状態に騒々しく乱れた上高地・河童橋も、アジアの異国語が姦しく湧きたち、それらの国々の文字が落書きされた猥雑な雪の壁が続く大谷ウォークも、何処に行っても傍若無人に振る舞う集団に席巻された観光地に、破壊された憧れも少なくなかった。夢や憧れは、年を経るごとに美化され輝きを増していく。一方、現実は年毎に退廃して色を失っていく。その落差の果ての出会いだった。
 遠くから憧れたままにしておく方がいいこともある……そんなことをしきりに思う旅でもあった。国を挙げて観光客誘致を押し進める陰で、急速に失われていくものがある。「おもてなし」の流行り言葉だけでは守りきれない、静かな佇まいと自然がある。

 留守の間に、九州はひっそりと梅雨入りしていた。
            (2015年6月:写真:黒部湖と針の木岳)