蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

寒月の夜に

2015年12月01日 | つれづれに


 色付きの悪い紅葉をよそに、たわわに実る八朔が見事に色付いてきた。いたずら書きしたニコチャンマークも、黄色く頬を染めて師走の日差しを浴びている。
 慌ただしく走り回る師走は、もう遠い日の記憶、365連休の身には、今日は昨日の続きでしかない。閑中有閑、そしてさらに有閑……一瞬通り過ぎた真冬の寒波も呆気なく去り、今日も11月中旬並みの小春日和である。
 40年以上の老松の枝が数本、11月初めから枯れ始めた。松食い虫とは思いたくない。今年も松の天敵ゴマダラカミキリを2度見かけた。父が生きていたら問答無用で踏み潰すところだが、「昆虫少年のなれの果て」としては殺すに忍びず、わが家から少し離れたところで空に放った。

 我が家では、大きな病や治療に見舞われるたびに、不思議に何かの木が枯れる。ギンモクセイ、ハナミズキ、芙蓉……出入りの植木屋は、真面目な顔で「庭木は、そこに住む人の身替りになる」という。
 確かに思い当たるタイミングで、大きな病や手術との闘いに勝って来た。今回もまさにそのタイミングで、家内がC型肝炎根治の究極の治療にはいった。1クール4週間を無事乗り越えて、残る2クールにも不安がない。主治医のいうとおり殆ど副作用もなく、治癒率ほぼ100%という薬効に、次第に期待が高まってくる。この軽い副作用で済んでるのも、松の小枝が身替りになってくれているのだろうか。
 1錠8万円×4週×3クール=672万円、薬価市場最高といわれる薬が、健保と特別助成で5~6万で受けられる。一昨年の指宿で見事に二つの癌を消し去った粒子線治療が「神の手」とすれば、この特効薬を何と言い表せばいいのだろう。

 霜月の晦日近い宵、1年振りに区長OB会を開いた。太宰府東小学校校区5区長OBが、桜の頃と年忘れの頃に一席を囲む。もう10年ほど続く、気の置けない仲間たちとの宴席である。
 5人で始めた飲み会も、最若年の一人は呆気なく癌で彼岸に渡り、残された83歳から最年少の私までの4人のうち、二人は既に伴侶を喪ってやもめ暮らし。もう一人の伴侶は、この春に2階から階段を落ちて圧迫骨折でリハビリ中……区長(自治会長)として、それぞれ地域に尽くしてきた仲間たちにも、運命は容赦ない。
 それでも、時たま集まって近況を語り、世相に悲憤慷慨しながら酌み交わす酒は、どこか心安らぐ得難いひと時である。
 たった1杯のビールにほろほろと酔い、前日から突然襲った厳しい寒風の中で首をすくめながら家路についた。冬の夜風に雲が払われ、満々とした寒月が玲瓏と天空に躍り出た。

 いつまでも会社人生を引き摺らず、家内の勧めで区長を引き受けて6年、地域と密着した日々は新たな生き方と生き甲斐を齎してくれた。150世帯に満たない小さな地区だが、高齢化が容赦なく進む中で、家内の内助を受けながらいろいろな試みを重ね、太宰府市の中でも最も活性化した明るい地域の一つに育て上げたという自負がある。その中で得た数々の人たちとの結びつきが、老後を限りなく豊かにしてくれている。
 役目を終えて8年経った今も、その人の輪は途切れることがない。人は統計学的にいうと、常に250人ほどの人と結び付いているという。人から人へとつながる輪こそ、地域で生きるために一番大切なものだという実感がある。「輪」は「和」でもあるだろう。

 天満宮の杜から実生で芽生えた楓を庭に植え、その種から育った2代目の小さな楓が、一人前に綺麗に紅葉した。100個以上の実を着けた八朔の色付きがさらに進み、お正月が明けると、また植木屋に頼んで摘み取ってもらう時が来る。例年になく小振りな実ではあるが、味には自信がある。
 すっかり葉を落とした梅の枝に、今年もメジロの囀りが聞こえ始めた。二つ割にした蜜柑や八朔を待っているのだろうか。昨年、20個以上を啄んでくれた厄介なヒヨドリの姦しい声も、すでに石穴稲荷の杜まで降りてきている。八朔の熟すのを待っているのは、私だけではないようだ。
 春先まで食べて、皮はひと夏のマーマレードとなって朝の食卓に添えられる。薄く刻み、ことことと煮込んでグラニュー糖でじっくり練り上げるのは私の仕事である。
 冬の間の楽しみの、Y農園から届く掘りたての蕪で作る酢蕪、これもすっかり私のお手の物となった。蕪と柚子がある限り、ひと冬わが家の食卓から酢蕪が消えることはない。

 こうして今年も暮れていく。大きな波乱もなく、金婚式を祝った平成27年の年の暮れである。
                    (2105年12月:写真:たわわに実る八朔)